2012年02月23日
金正恩の北朝鮮(3)小此木政夫氏

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王朝的伝統政治への回帰か
金正恩の北朝鮮(3)
九州大学特任教授 小此木政夫
「金日成=金正日=金正恩」 世襲でなければ体制維持できず
本年1月12日の「特別報道」を通じて、朝鮮労働党中央委員会政治局は故金正日総書記を錦繍山記念宮殿に「生前の姿でお祀(まつ)りする」と発表した。おそらく、永久保存された故金日成主席と並んで父子2代の遺体が安置されるのだろう。また、金日成の誕生日(4月15日)が「太陽節」とされたのに倣って、金正日の誕生日(2月16日)を「光明星節」とすることが決定された。さらに、北朝鮮各地に金正日の銅像が建設される。
そのような政治的雰囲気のなかで、金正恩体制づくりが進行するのだから、北朝鮮の政治体制は「金王朝」と揶揄(やゆ)されてもしかたない。確かに、それを「新興王朝」と考えない限り、「3代世襲」も「金日成=金正日=金正恩」という同一性の強調も、さらには金正日の「遺訓」政治も理解できない。王朝的な世襲以外の方法では、北朝鮮の政治体制を維持することができないのだろう。
ただし、それにしても、30歳に満たない青年司令官を最高指導者に擁立するのは容易でない。前回紹介したように、そのために、金正日は張成沢、李英浩、金永春など、党軍官僚による集団的な補佐体制を準備した。豊臣秀吉は若い秀頼のために「三大老五奉行」を補佐役としたが、武家政治ならぬ王朝政治の下では「三大老」は必要とされない。金正日の霊きゅう車を取り囲んだのは、党軍の両班(やんばん)からなる「七奉行」であった。
「王座」の争奪ではなく 指導部内で「勢力争い」を展開
最近流行の韓流ドラマにみられるように、朝鮮王朝(李氏朝鮮)では、国王の権力は必ずしも強大ではなかった。また、そこで展開される王朝官僚たちの権力闘争も王座そのものを争奪しようとするものではなかった。弱体な王権の下で、王朝官僚たちがそれぞれの勢力拡大を競ったのである。婚姻関係にある外戚が国王の信任を得て、政権を専横すれば、それが「勢道政治」であった。
もちろん、北朝鮮に誕生した新興王朝は単純な王朝ではない。少なくとも革命神話や社会主義イデオロギーで武装され、抗日闘争以来の軍事的な伝統を持っている。さらに、暴力装置、情報統制そして思想教育が徹底した全体主義国家でもある。
だからこそ、金日成や金正日のような独裁者の存在なしに、それは十分に機能しない。集団的な補佐体制の下では、むしろ党軍官僚が政治の実権を争うことになりそうだ。
指導部内の権力闘争を予想させる材料として、呉克烈大将の「不思議」が注目されている。軍長老の呉克烈は、2009年2月の人事で国防委員会副委員長に就任したにもかかわらず、翌年9月の労働党代表者会では党政治局員にも、党中央軍事委員にも選出されなかった。また、金正日の葬儀委員会の序列は29位であったが、告別式の序列は一挙に13位に上昇した。金正恩側近の新軍部との間に不和が存在するというのだ。
そうかもしれないが、80歳を過ぎた老人がクーデターを企画するとも思えない。また、別の若い不満分子がクーデター的に権力を奪取しても、新しい権力はどのようにそれを正統化するのだろうか。それ以前に、クーデターは確実に内戦を招来し、内戦は双方の「共倒れ」を意味するだろう。わずかに可能性があるのは、朴正煕殺害事件と同じように、側近による衝動的な暗殺事件である
中国との緊密化に努力した金正日 中朝間に次世代の保守連帯が誕生
ありそうもないことだが、仮に北朝鮮の民衆が一斉に蜂起しても、独裁者が容赦なく武力を行使すれば、装備に勝る正規軍に勝利することは難しい。外部からの軍事介入以外に民衆を保護する手段はないが、大量破壊兵器で武装された北朝鮮はNATO軍が介入したリビアとは違う。ソウルや東京を報復攻撃するという警告を無視して、米韓軍は北朝鮮に軍事介入できるだろうか。だから民衆にとっては、非組織的な「脱北」しかないのだ。
中国との関係にも、王朝的な伝統政治を思わせるものがある。韓国哨戒艦の沈没を契機に、晩年の金正日は短期間に4回も中国を訪問して、関係の緊密化に努力した。その結果、2010年10月の労働党創建65周年の閲兵式では、異様にも、中国共産党政治局から派遣された周永康常務委員が、金正日や金正恩と並んでひな壇の中央に立ったのだ。軍隊や公安関係者を中心に、中朝間には次世代につながる「保守連帯」が誕生した。
朝鮮王朝の歴代国王は中国皇帝に恭順の意を示し、中国文明をそのまま受容することによって、対外的な安全を保障された。事大主義とは、中国に隣接する小国の巧みな外交政策であり、同盟政策だったのだ。そのような「従属自主」によって、朝鮮王朝は520年間も存続した。中国が大国化して、米国と競合すればするほど、中国にとって北朝鮮の地政学的な重要性が高まるだろう。
『自由民主』より