2012年02月22日
講演録「日本の政治・安全保障−この国の形を考える」(その6、終わり)

『天に向かって!』がウガとジョイサウンドに入ってますから、全国のカラオケで僕の歌を歌うことが可能になりました。
「天に向かって!」「日本を美しく!」(歌・田村重信)が、セントラルレコードのHPからユーチューブで聴けます。
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第15回 「咢堂塾」講義・2012/01/28 憲政記念館第2会議室
自民党政務調査会調査役・慶應義塾大学大学院法学研究科・講師:田村重信
自民党がめざすもの
ところでだから、お前、自民党だけど何を目指しているのかとよくいわれるのですが、それはやっぱり相馬(雪香)さんが言われた方向を目指すことです。
そのための資料は、平成20年の自民党綱領の改正です。これに伊吹(文明)先生の解説が出ています。その事務方の責任者を僕が務めたのですが、「誇り高い日本を目指す」んですが、そういうことだとか、やっぱりある程度、「頑張った人が報われる社会をきちっと作っていく」ということが大事なんですね。
自民党は自由社会のなかで、伸び伸び、生き生きと、競争し、どうしてもダメな人は救って行かなければならない、ということですね。
そういうことをその中に書いていますので、よく見ていければと考えております。
だからまさに相馬さんが、自分にできること何なんだと。よく、政治家はダメだ、社会がダメだ、というけれども、じゃあ、「あなたは?、私は?、できているか?」ということなんですよ。
それから、なるほどなとだいぶ悩んで、なるほどな。
途中でわかったんですけれども、「自分にできることから始める」(相馬雪香)
相手を変えることはできないんですよ。「自分が変われば、相手が変わる。」ということですね。
ロバート・コンクリートさんが書いた『説得力』という本を読んで、石田さんの本にもまさに書いている。
「他人(ひと)を変えることって難しいですよ。そんな簡単に他人の心や行動は代えられない。でもね、自分自身なら明日からだって変われるでしょ?他人を変えようと思う前に、まず自分が変わることです。自分の心の奥にある、良心の声に耳を傾ける。そして、少しでも良い自分に変わろうとする――今、みんながそう思えば、世界は今日からだって変わるわよ。」(相馬雪香)
これなんですよ。
今回の好きな言葉なんですが、「一燈照隅、万燈照隅」。
これは一人の人が、そういう気持ちを持ち合わせば、多くの人が、みんな良くなるんだよっていうことです。
『福祉国家亡国論』
だからまあ、やっぱり自分の生き方には責任を持つと。ということらしい。
良いことは良いし、
最近、本当思うんですが、宏池会に入った時に、山本勝市さんという衆議院議員で偉い経済学者という偉い方に本をもらって、『福祉国家亡国論』という本を、最近も読み返したんですよ。
今やっぱり改めて読んでみまして、ちょっと結論からいうと、「我々が自由な社会を失うまいとする限り、社会保障には限界が無ければならない。限界とはすなわち国民が社会を維持するために、自ら責任を持とうとする意志と力を弱めるところまで、社会保障を進めないこと。さらに、家族や団体の自発的な意志を弱めるところにまで、福祉を広めないこと。そしてそのためには、家族や団体に対する補充の限度を超えてはならない。」
そこなんですよ。社会保障が全ていいことではない。
あと、このあとに伊藤達也先生が話をされるということで、資料を少し見たのですけれども、結局ですね、冷戦の前に 国家財政を圧迫させたのは、公共投資なんですよ。ところが平成2年末から、世の中全部変わってですね。結局、公債残高をどんどん積み上げていったのは、社会保障の増大なんですよ。
税収を歪めてしまう(法人税と所得税の減少)。だから税も直接税中心から間接税に変わらないといけない。そういう意味では、今、野田首相がやろうとしているのは、いいんですよ。自民党も参議院選挙で消費税を10%に上げると言いましたから。そっちにシフトしていかないと。税収は確保できないんです。
だからそういう意味で日本の将来を考えた場合は、社会保障は良いものだが、どんどん増やせばいいというものではなくて、やっぱり、小泉(純一郎)さんの時に切り込みましたけれども、そうしないと。
今、我々はどこにいるのか。「見えざる革命」の真っただ中にいるということを考えていかないと、本当に将来のことを考えていかないと、尾崎咢堂さんの考えたことも、我々の将来のことを考えていかないといけないとそういうことを考えていかないと上手く行かにだろうと思います。
「天は自ら助くるものを助く」「利他の心」
明治の時代に大ベストセラーになったサミュエル・スマイルズの『自助論』、「天は自ら助くるものを助く」とか、あと福沢諭吉の『学問のすすめ』とか、ああいう考え方が明治の時代にあったから、日本も物凄くうまくいったと思うんですよ。
じゃ、今、こうした考え方で我々は何をしなければならないか。
特に、今の社会、就職がうまくいかなかったり、そりゃ君、社会が悪いんだから、経済情勢が悪いんだから、君は悪くないんだからといっちゃったら、ダメなんですよ。
もっと頑張れよ。つらいけれども、他にも上手くいっているひとがいる人もいるじゃないか。もう少し考えろよ。そういうふうにいわないとダメなんですが、どうも今の政治状況がどうだとかという話で、おかしいですよね。
うちの息子も、そういうことですよね、だから、人間学と歴史教育というのは必要です。究極的には、行きついたのが、相馬雪香さんが言っている「利他の心」を多くの我々が持つことによって、素晴らしい日本が生まれる。
後悔しない生き方
最近、高橋さんがね、僕にこれを読めといって僕に持ってきた。
『男の品格』、白洲次郎名言集というのを持ってきましてね。
プリンシプル、プリンシプルってなんだろう。何かわからないでしょう。原理・原則、原理・原則を、もって生きれば、人生迷うことはないだろう。プリンシプルに沿って人生を突き進めば、そこには後悔はないだろう。後悔しない生き方なんですよね。
僕はね、うちのカミさんと結婚するときは、みんな反対だったんです。
ウチも反対、マミさんの所も反対。
台湾では、若い時に教育を受けていますから、日本人は悪いという。カミさんの親せきの若い連中が、そう言っていました。
でもね、それで宏池会にいる時、『自民党戦国史』という伊藤昌哉さんの本にも出てくる占いの大人物なのですが、その方に占ってもらった。
そしたらね、「田村君、この結婚する?君にとってプラスだよ。いいよ。」そう言われたって田舎の母に電話したら、「あ、それならいい。」というんですよ。(笑)
その時に僕は思ったんですよ。当時、流行った映画で、「ラブストリー」後悔しないこと、 あとね『されどわれらが日々』の柴田翔・芥川賞作家の短編小説『鳥の影』に影響された。それは何かというと若い時に、自分が出世するために、好きでない女の子と結婚しちゃって、ある日、公園でみたら小さい女の子がいる。昔、自分が好きだった女の子とそっくりでね。その子を犯しちゃって、牢屋に入った。というそれだけの話なのですが、だから思ったんですよ。
占いの先生が「田村君、君ね、日本人同士で結婚したって、離婚は多いいんだから、そんなの関係ないじゃないか。」といわれ、自分の友達からは、「おい、田村、絶対離婚するからな」と言われましたが、やはり離婚してもね、結婚しないで、ずーといるとしていたら、どんどん夢だけが膨らんでしまって。
結婚はして、ダメならダメでいいんだと。凄いですね。まだ続いていますね。そういう意味で白洲次郎の生き方と、僕の生き方は、ちょっと似ているかな。(笑)
「経済成長という麻薬」
最後に1月18日の朝日新聞に、「経済成長という麻薬」というコラムがありまして、フランスの経済学者のダニエル・コーエンさんが、こんなことを言っているんですね。
幸せを感じるときは、成長が加速するという時。
大きな幸福感が出るときというのは、大変残念ながら、日本も経験したように、全てを破壊する戦争のあと、とても大きな苦しみのあと、30年に渡って、幸せを感じることができた。
今、懐かしくALWAYS3丁目の夕日なんかみると、僕なんかは、いやあの時代は良かったなという感じがしますが、あの頃は小学校6年だから、僕は体操に憧れていまして、中学で体操部に入ったんですよ。でもすぐに止めましたけれどもね。
あと人間が成長の無い世界に行くことは考えにくい。しかし今までと性質が異なる。理にかなった成長を送らざるをえない。例えば、地域の成長だったり、医療の成長だったり、いずれにしても物質的なものではない成長だと。
21世紀はどうなるんでしょう?と聞かれたら、
必ずしも生きていくうえで楽しい時代にはならない。人間の本質についての新たな見方や価値観が出てくるであろう。
―ということなんです。
幸せは自分の中に、『論語』を学ぶ
だからこれからは、日本社会の幸せの見つけ方というのは、自分自身。
自分自身でしっかりとつかんでいくことなんだろうと思います。
それがまさに『論語』なんです。そういうことを勉強しなければならない。
なぜ、そういうことを学ばなければならないか。
例えば、豊臣秀吉みたいな男は、どん底から這い上がりましたからね。自分で生きていくうちに偉くなるんですよ。それでもお同じ戦国時代でも、2代目といわれている殿様はどうするか。学んだんですよ。『篤姫』というドラマがありましたね、あの時、篤姫に殿様が何を勉強しているんだ。『四書』でございます。これは『論語』、『中庸』、『孟子』、『大学』。
ちょっと勉強している人なら、「正心誠意」という言葉が、どこから来ているかそれは『大学』から来ているということをわかっている。
それをわからないから、総理大臣もそうだし、周りもそうだし、ジャーナリストもそう。誰一人、間違いを指摘できない。間違いなんです。なぜ、演説のなかで「正心誠意」という言葉を使いましたか、「誠心誠意」というのはこうでしょう。
どの辞書にもこの字(正心)は無い。だから小学生が、先生から「セイシンセイイ」と書いてくださいといったら、この字(正心)を書いたら間違いなんです。内閣総理大臣が国会の所信表明演説で、誤字で説明した。この言葉(正心)を使うなら、カクカクシカジカだと説明しなければならない。それが言えないでしょう。勝海舟の「氷川清話」から来たというと、財務省の勝さんから聞いたのかと、言われるから恥ずかしくていえなかったんだと思います。まずいでしょう。
総理の側近に言いましたよ。総理がそう説明したから、そのように説明したと。
でも一般の人は優秀ですよ。投書で総理大臣が使った言葉は間違いではないかという指摘があった。でも新聞社は放っておいた、ということなんですね。
だからまさに、我々が、これから幸せをみつけようとしたら、そういうことなんです。教育もされていない、経験もない、我々が人間学を学ぶとしたら、学問で学ぶしかない。その学問は、『四書』なんです。ということなんです。
天皇陛下も何を学ぶと思います。『論語』です。『論語』を学ぶんです。天皇陛下という立派な人間が、立派な方が、育てられるんですね。そういう意味においてはまさにこれまでの幸福を、自分自身に見つけるのは、まさにそういうことなんです。それが『温故知新』ということなんです。古きを訪ねて、新しきを知る。古きを訪ねて自分をじっと見つめ直す。ということがですね。
それが今の日本社会に非常に必要なことなんだということをお話しして今日の講演を終わりにしたいと思います。
(拍手)
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(石田さん)安全保障
また田村先生にお来こし戴きたいと思います。
よろしくお願いします。もう一度田村先生に拍手をお願いします。
以上