2011年11月16日
森 喜朗元総理 約束した「中選挙区制の復活」(語る 第4回)
「天に向かって!」「日本を美しく!」(歌・田村重信)が、セントラルレコードのHPからユーチューブで聴けます。
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語る 第4回
森 喜朗元総理 約束した「中選挙区制の復活」
平成8年10月20日に小選挙区比例代表並立制による初めての選挙が行われた。そのときから15年が経過した。わが国にとって、ま、政治にとって、小選挙区制を導入したことは本当に良かったのか。これまで3回にわたって、政治家としての歩みを振り返ってきた森喜朗元総理が選挙制度見直しの必要性を訴える。
「政治の劣化をもたらす原因の一つに小選挙区制があると思います」
野田佳彦総理が民主党の代表に選ばれたとき、ノーサイドという言葉を使いましたが、ノーサイドという言葉を簡単に使ってもらったら困りますね(笑)。
ノーサイドは、元々ラグビー用語でとてもいい言葉なんですよ。試合が終わったら、敵味方で仲良くしましょうということですね。でも野田さんは、国民に向けて、あるいは自民党や他党に向けて、ノーサイドと言ったのか。違いますね。党内に向かって足の引っ張り合いはやめましょうという意味で使ったのですね。それは、本来の意味でのノーサイドではありません。そういう意味でノーサイドという言葉を使ってほしくないですね。今は大変なときだから、国のために何かをしなければならないのだから与野党で協議をしよう、そのためのテーブルを作ろう。そのためのノーサイドなら僕は大賛成です。
最近、政治の劣化ということがよく言われます。政治家の劣化もあるし、党の力の劣化もあるでしょう。政治の劣化をもたらす要因はいろいろとあると思いますが、根本的には、小選挙区制に原因があると思っています。
小選挙区制の下での選挙は人気投票になってしまいます。テレビの露出度を高めて当選しようとか、男性より女性の方がいいとか、年寄りよりも若い方がいいとか、太ったよりもやせた方がいいとか、選挙がショーのようになってしまうんですね。
小泉ブームや民主党ブームがいい例です。絶えず無党派の人たちをつかまえるために内面よりも外面を意識しなければならなくなります。特に都会は人気投票の色合いが強くなります。そういう選挙制度は、もうそろそろ見直してもいい時期かもしれません。永久に続けていくべき制度ではありません。
今、選挙制度によって生じた政治の劣化を止め、力を合わせて日本全体のパワーを高めていかないと、そして普天間、北方領土、尖閣諸島の問題、そういう重要な課題にきちんと対応していかないと日本は国際社会の中の小さな島で終わってしまう。
憲法改正も進んでいません。僕は平成17年、立党50年に合わせ、党新憲法起草委員長として新憲法草案を取りまとめました。このままでは、いつまでたっても憲法改正ができないということで、総理経験者にも小委員長になってもらい本格的に取り組みました。あんな委員会はあとにも先にもないですよ。しかも、本当に国会を通すという思いで、わが党から見るとちょっと甘いところはあったのかもしれないけれども、各党がのりやすいものをあえてつくったのです。
今は、保利耕輔党憲法改正推進本部長が中心に新憲法草案をもとに改正案作成に向け努力を続けていますが、憲法改正もそういう協議のテーブルに乗せるにふさわしいテーマだと思います。
「本当のノーサイドを訴えるのなら、課題に取り組むテーブルを作るべき」
野田さんが本当の意味でのノーサイドを考えているなら、こういう課題に取り組むためのテーブルを作るべきでしょう。それは連立であろうと何であろうといいんです。けれども、小選挙区制である限り、選挙のことを考えると危ないと思うから、みんな同じテーブルに着きたがらないのです。
だから、2年なら2年と期間限定で休戦し、次の選挙は、新しい制度でやるということを決めればいい。どういう制度がいいかは議論が必要でしょう。でも、世論のことを考えると、定数は減らさざるを得ませんね。
平成12年の自自公連立の時代、僕が幹事長だったのですが、500あった衆院の定数を、比例代表を20削減することで480にしました。なぜ、480になったかというと、当時、自由党党首だった小沢一郎さんから連立の条件として、比例をやめて単純小選挙区制にしてくれという要請があったのです。
しかし、その案を公明党がのめるはずがありません。それで、妥協案として480になったのです。
しかし、その条件を公明党が受け入れるにあたり、実は一つ条件が出された。それは、中選挙区制の復活です。それを認めるなら賛成するということで、3党の間で了解ができていたのです。それで比例代表を20減らしたんです。その約束がいまだ果たされず、そのままになっています。(おわり)
(近藤三津枝・前党新聞出版局長が取材)
あの時、この時
―――新憲法草案を策定―――
わが党は平成17年11月22日、立党50年記念党大会で新憲法草案を発表した。政党として初めて、新憲法の全体像を条文として示したもので、現行憲法で明確に位置付けられていない自衛隊を「自衛軍」と明記し、内閣総理大臣の権限も強化した。
新憲法起草委員長として、この取りまとめにあたったのが森喜朗氏だった。この年1月から「前文」「天皇」などテーマごとに10の小委員会で、しかも中曽根康弘、宮澤喜一両氏の総理経験者にも小委員長をお願いし議論を重ねた。
しかし、多様な意見を集約していくことは容易ではなかった。森氏は月刊『自由民主』(平成18年1月号)で、特に前文と9条は「土壇場まで調整が続いた」と振り返った上で、「私は起草委員長の間は一切外に向けてしゃべらなかった。じーっとニュートラルの立場でいた。どちらかの意見に同調すると、その方向に流れてしまうからだ」と慎重かつ公平な姿勢に徹し作業を進めたことを明らかにしている。
森氏は、総理・総裁のほか、文部、通産、建設の各大臣、そして幹事長、総務会長、政務調査会長の党三役のすべてを務め、細川、羽田両内閣時には、野党の幹事長としてわが党をまとめ、再び政権に復帰させた。そうした森氏だからこそ成し得た新憲法草案の策定といえる。
現在、これを土台に保利耕輔党憲法改正推進本部長の下で、さらにより良いものをと議論をつめている。
『自由民主』より
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語る 第4回
森 喜朗元総理 約束した「中選挙区制の復活」
平成8年10月20日に小選挙区比例代表並立制による初めての選挙が行われた。そのときから15年が経過した。わが国にとって、ま、政治にとって、小選挙区制を導入したことは本当に良かったのか。これまで3回にわたって、政治家としての歩みを振り返ってきた森喜朗元総理が選挙制度見直しの必要性を訴える。
「政治の劣化をもたらす原因の一つに小選挙区制があると思います」
野田佳彦総理が民主党の代表に選ばれたとき、ノーサイドという言葉を使いましたが、ノーサイドという言葉を簡単に使ってもらったら困りますね(笑)。
ノーサイドは、元々ラグビー用語でとてもいい言葉なんですよ。試合が終わったら、敵味方で仲良くしましょうということですね。でも野田さんは、国民に向けて、あるいは自民党や他党に向けて、ノーサイドと言ったのか。違いますね。党内に向かって足の引っ張り合いはやめましょうという意味で使ったのですね。それは、本来の意味でのノーサイドではありません。そういう意味でノーサイドという言葉を使ってほしくないですね。今は大変なときだから、国のために何かをしなければならないのだから与野党で協議をしよう、そのためのテーブルを作ろう。そのためのノーサイドなら僕は大賛成です。
最近、政治の劣化ということがよく言われます。政治家の劣化もあるし、党の力の劣化もあるでしょう。政治の劣化をもたらす要因はいろいろとあると思いますが、根本的には、小選挙区制に原因があると思っています。
小選挙区制の下での選挙は人気投票になってしまいます。テレビの露出度を高めて当選しようとか、男性より女性の方がいいとか、年寄りよりも若い方がいいとか、太ったよりもやせた方がいいとか、選挙がショーのようになってしまうんですね。
小泉ブームや民主党ブームがいい例です。絶えず無党派の人たちをつかまえるために内面よりも外面を意識しなければならなくなります。特に都会は人気投票の色合いが強くなります。そういう選挙制度は、もうそろそろ見直してもいい時期かもしれません。永久に続けていくべき制度ではありません。
今、選挙制度によって生じた政治の劣化を止め、力を合わせて日本全体のパワーを高めていかないと、そして普天間、北方領土、尖閣諸島の問題、そういう重要な課題にきちんと対応していかないと日本は国際社会の中の小さな島で終わってしまう。
憲法改正も進んでいません。僕は平成17年、立党50年に合わせ、党新憲法起草委員長として新憲法草案を取りまとめました。このままでは、いつまでたっても憲法改正ができないということで、総理経験者にも小委員長になってもらい本格的に取り組みました。あんな委員会はあとにも先にもないですよ。しかも、本当に国会を通すという思いで、わが党から見るとちょっと甘いところはあったのかもしれないけれども、各党がのりやすいものをあえてつくったのです。
今は、保利耕輔党憲法改正推進本部長が中心に新憲法草案をもとに改正案作成に向け努力を続けていますが、憲法改正もそういう協議のテーブルに乗せるにふさわしいテーマだと思います。
「本当のノーサイドを訴えるのなら、課題に取り組むテーブルを作るべき」
野田さんが本当の意味でのノーサイドを考えているなら、こういう課題に取り組むためのテーブルを作るべきでしょう。それは連立であろうと何であろうといいんです。けれども、小選挙区制である限り、選挙のことを考えると危ないと思うから、みんな同じテーブルに着きたがらないのです。
だから、2年なら2年と期間限定で休戦し、次の選挙は、新しい制度でやるということを決めればいい。どういう制度がいいかは議論が必要でしょう。でも、世論のことを考えると、定数は減らさざるを得ませんね。
平成12年の自自公連立の時代、僕が幹事長だったのですが、500あった衆院の定数を、比例代表を20削減することで480にしました。なぜ、480になったかというと、当時、自由党党首だった小沢一郎さんから連立の条件として、比例をやめて単純小選挙区制にしてくれという要請があったのです。
しかし、その案を公明党がのめるはずがありません。それで、妥協案として480になったのです。
しかし、その条件を公明党が受け入れるにあたり、実は一つ条件が出された。それは、中選挙区制の復活です。それを認めるなら賛成するということで、3党の間で了解ができていたのです。それで比例代表を20減らしたんです。その約束がいまだ果たされず、そのままになっています。(おわり)
(近藤三津枝・前党新聞出版局長が取材)
あの時、この時
―――新憲法草案を策定―――
わが党は平成17年11月22日、立党50年記念党大会で新憲法草案を発表した。政党として初めて、新憲法の全体像を条文として示したもので、現行憲法で明確に位置付けられていない自衛隊を「自衛軍」と明記し、内閣総理大臣の権限も強化した。
新憲法起草委員長として、この取りまとめにあたったのが森喜朗氏だった。この年1月から「前文」「天皇」などテーマごとに10の小委員会で、しかも中曽根康弘、宮澤喜一両氏の総理経験者にも小委員長をお願いし議論を重ねた。
しかし、多様な意見を集約していくことは容易ではなかった。森氏は月刊『自由民主』(平成18年1月号)で、特に前文と9条は「土壇場まで調整が続いた」と振り返った上で、「私は起草委員長の間は一切外に向けてしゃべらなかった。じーっとニュートラルの立場でいた。どちらかの意見に同調すると、その方向に流れてしまうからだ」と慎重かつ公平な姿勢に徹し作業を進めたことを明らかにしている。
森氏は、総理・総裁のほか、文部、通産、建設の各大臣、そして幹事長、総務会長、政務調査会長の党三役のすべてを務め、細川、羽田両内閣時には、野党の幹事長としてわが党をまとめ、再び政権に復帰させた。そうした森氏だからこそ成し得た新憲法草案の策定といえる。
現在、これを土台に保利耕輔党憲法改正推進本部長の下で、さらにより良いものをと議論をつめている。
『自由民主』より