2011年08月03日
海部俊樹元総理 第3回 できる限りの応援をしようと思った
「天に向かって!」(歌・田村重信)が、カラオケ「ウガとジョイサウンド」で歌えます。よろしく!
ブログランキングに参加しています。
↓↓↓貴方の応援クリックが明日の活力になります↓↓↓
こちらをクリック
語る 海部俊樹元総理 第3回 できる限りの応援をしようと思った
湾岸戦争時に内閣を率いた海部俊樹元総理。戦時中に90億ドルの多国籍軍への追加支援を決定し、停戦後にペルシャ湾に掃海艇を派遣した。海部元総理による『語る』シリーズの最終回は、海部元総理はどのような思いでこれらの決定を下したのか、当時を振り返る。
「湾岸戦争時、苦心の結果90億ドルの追加支援」
湾岸戦争のとき、米国を中心とする多国籍軍に自衛隊を参加させるべきだという意見がありましたが、私はその道はとりませんでした。
そのかわり、別な方法で米国国民に十分納得してもらえるような、できる限りの応援をしようと思いました。当時、ジョージ・ブッシュ米大統領に電話をかけてわが国の貢献策について話し合いました。
私が「ジョージ、困っていることは何だ。日本は鉄砲を持っていくわけにいかない。あなたの国も大きな責任があるが、日本は専守防衛の国だ。しかし、あなたの国にはお世話になっている。行けないかわりに……」とそこまで話したら、「トシキ、ちょっと待て。そう言ってくれるならばオレも言いやすい。出すものを出してくれ」と言われたのです。
だから「先立つものがないのか」と尋ねたら、「ないことはないけれど、足りないんだ」と言った。米国はだいたい100億ドルほしいということでした。しかし、当時のさまざまな事情から、100億ドルを丸々出すわけにはいきませんでした。そして、結果として、これまでの協力に加え、90億ドルを追加支援することになったのです。あれは、苦心の結果なのです。
「機雷除去のため掃海艇派遣を政治決断」
戦争中は自衛隊を出しませんでしたが、湾岸戦争終結後は、ペルシャ湾の機雷除去のため掃海艇を派遣しました。
イラン・イラク戦争のときは、掃海艇を出すか出さないかで大変な議論があって、結局は出しませんでした。
しかし、私は、国際社会が汗を流している中、日本だけがじっとしているわけにはいかないと思い、掃海艇派遣を政治決断したのです。当時は、「ショー・ザ・フラッグ」などと言われており、日本のタンカーも1日に何十万トンもの油を積んでペルシャ湾を航行していた。
派遣を決定するにあたっては、橋本龍太郎さん、小渕恵三さんをはじめ昭和会のメンバーにも相談しました。
私が当選したてのときにつくった昭和会がそのころも残っていたんです。
でも、相談した多くの人たちは、派遣に反対でした。「まだ世の中が熟していない。掃海艇を出して、一人でも死者がでたら、これまで努力して築いてきた良好な日米関係や、防衛政策への信頼がたちまちのうちに失われてしまうからやめておくべきだ」と言われました。
「国民の声が自衛隊の海外派遣を決断させた」
しかし、私の背中を押したのは、実は国民世論でした。
演説などで地方に行ってみると、自衛隊が海外に行き、銃を向けたり、弾を撃ったりすることはいけないけれども、それ以外のこと、直接、戦闘に加わらない貢献ならいいではないかという声が圧倒的に強かったのです。
そういう国民の声を背景に派遣を決断したのです。
湾岸戦争のとき、日本国民は政府によく協力してくれました。
1年間限定でしたが、事業者の方々は、法人税を上積みして払ってくれました。それで、日本は世界から一目置かれることになったのです。
ちょうど今、東日本大震災の復興財源について、いろいろと議論されていますが、湾岸戦争のときのように、私は、国民に限定的な災害復旧・復興のための特別税を率直にお願いしてみたらいいと思います。きっと国民は応えてくれるはずです。
(おわり)
(近藤三津枝・党新聞出版局長が取材『自由民主』より)
あの時、この時
―――湾岸戦争―――
平成2(1990)年8月2日、イラク軍が突如クウェートに侵攻し、全土を制圧した。これに対し、米国を中心とする多国籍軍は翌年1月17日、イラクへの攻撃を開始。湾岸戦争が始まった。
この時、海部総理はイラクからの原油輸入禁止など厳しい経済制裁を決定。また、多国籍軍と湾岸周辺国に合計135億ドルに及ぶ資金協力を行った。
しかし、戦争中、人的貢献ができなかったわが国は、国際社会から「日本は金を出すだけで、自らの血を流さない」などと批判を浴びた。湾岸戦争終結直後、クウェート政府が米国紙に出したクウェート解放に貢献した国への感謝広告にも「日本」の名前はなかった。
このときのことを海部総理は自著「政治とカネ 海部俊樹回顧録」で振り返っている。
「私は、クウェート大使を呼んで抗議し、訂正を促した。通常は外務大臣がする仕事だが、135億ドルもの血税を提供した国民を思うと、いてもたってもいられなかった」
当時、海部総理は「人的貢献に対して慎重なのではないか」ともいわれたが、若手議員のころ、青年海外協力隊の創設に尽力した海部総理にとって「人的協力は、私の信念だった」(前掲書)。
はたして、海部政権は平成2年10月、自衛隊による人的貢献を可能とする「国連平和協力法案」を国会に提出。「憲法違反だ」「自衛隊の武力行使につながる」などと野党が反対し、最終的には廃案となったものの、このときの論議をもとに、翌年、新たに「PKO協力法案」を提出、宮澤喜一政権時代に成立した。
湾岸戦争から20年。今やPKO活動への自衛隊参加はわが国の国際貢献の大きな柱だ。今(7月1日現在)も、ゴラン高原など4カ所のPKO活動に382人の自衛隊員が派遣され、国際社会から高い評価を得ている。
ブログランキングに参加しています。
↓↓↓貴方の応援クリックが明日の活力になります↓↓↓
こちらをクリック
語る 海部俊樹元総理 第3回 できる限りの応援をしようと思った
湾岸戦争時に内閣を率いた海部俊樹元総理。戦時中に90億ドルの多国籍軍への追加支援を決定し、停戦後にペルシャ湾に掃海艇を派遣した。海部元総理による『語る』シリーズの最終回は、海部元総理はどのような思いでこれらの決定を下したのか、当時を振り返る。
「湾岸戦争時、苦心の結果90億ドルの追加支援」
湾岸戦争のとき、米国を中心とする多国籍軍に自衛隊を参加させるべきだという意見がありましたが、私はその道はとりませんでした。
そのかわり、別な方法で米国国民に十分納得してもらえるような、できる限りの応援をしようと思いました。当時、ジョージ・ブッシュ米大統領に電話をかけてわが国の貢献策について話し合いました。
私が「ジョージ、困っていることは何だ。日本は鉄砲を持っていくわけにいかない。あなたの国も大きな責任があるが、日本は専守防衛の国だ。しかし、あなたの国にはお世話になっている。行けないかわりに……」とそこまで話したら、「トシキ、ちょっと待て。そう言ってくれるならばオレも言いやすい。出すものを出してくれ」と言われたのです。
だから「先立つものがないのか」と尋ねたら、「ないことはないけれど、足りないんだ」と言った。米国はだいたい100億ドルほしいということでした。しかし、当時のさまざまな事情から、100億ドルを丸々出すわけにはいきませんでした。そして、結果として、これまでの協力に加え、90億ドルを追加支援することになったのです。あれは、苦心の結果なのです。
「機雷除去のため掃海艇派遣を政治決断」
戦争中は自衛隊を出しませんでしたが、湾岸戦争終結後は、ペルシャ湾の機雷除去のため掃海艇を派遣しました。
イラン・イラク戦争のときは、掃海艇を出すか出さないかで大変な議論があって、結局は出しませんでした。
しかし、私は、国際社会が汗を流している中、日本だけがじっとしているわけにはいかないと思い、掃海艇派遣を政治決断したのです。当時は、「ショー・ザ・フラッグ」などと言われており、日本のタンカーも1日に何十万トンもの油を積んでペルシャ湾を航行していた。
派遣を決定するにあたっては、橋本龍太郎さん、小渕恵三さんをはじめ昭和会のメンバーにも相談しました。
私が当選したてのときにつくった昭和会がそのころも残っていたんです。
でも、相談した多くの人たちは、派遣に反対でした。「まだ世の中が熟していない。掃海艇を出して、一人でも死者がでたら、これまで努力して築いてきた良好な日米関係や、防衛政策への信頼がたちまちのうちに失われてしまうからやめておくべきだ」と言われました。
「国民の声が自衛隊の海外派遣を決断させた」
しかし、私の背中を押したのは、実は国民世論でした。
演説などで地方に行ってみると、自衛隊が海外に行き、銃を向けたり、弾を撃ったりすることはいけないけれども、それ以外のこと、直接、戦闘に加わらない貢献ならいいではないかという声が圧倒的に強かったのです。
そういう国民の声を背景に派遣を決断したのです。
湾岸戦争のとき、日本国民は政府によく協力してくれました。
1年間限定でしたが、事業者の方々は、法人税を上積みして払ってくれました。それで、日本は世界から一目置かれることになったのです。
ちょうど今、東日本大震災の復興財源について、いろいろと議論されていますが、湾岸戦争のときのように、私は、国民に限定的な災害復旧・復興のための特別税を率直にお願いしてみたらいいと思います。きっと国民は応えてくれるはずです。
(おわり)
(近藤三津枝・党新聞出版局長が取材『自由民主』より)
あの時、この時
―――湾岸戦争―――
平成2(1990)年8月2日、イラク軍が突如クウェートに侵攻し、全土を制圧した。これに対し、米国を中心とする多国籍軍は翌年1月17日、イラクへの攻撃を開始。湾岸戦争が始まった。
この時、海部総理はイラクからの原油輸入禁止など厳しい経済制裁を決定。また、多国籍軍と湾岸周辺国に合計135億ドルに及ぶ資金協力を行った。
しかし、戦争中、人的貢献ができなかったわが国は、国際社会から「日本は金を出すだけで、自らの血を流さない」などと批判を浴びた。湾岸戦争終結直後、クウェート政府が米国紙に出したクウェート解放に貢献した国への感謝広告にも「日本」の名前はなかった。
このときのことを海部総理は自著「政治とカネ 海部俊樹回顧録」で振り返っている。
「私は、クウェート大使を呼んで抗議し、訂正を促した。通常は外務大臣がする仕事だが、135億ドルもの血税を提供した国民を思うと、いてもたってもいられなかった」
当時、海部総理は「人的貢献に対して慎重なのではないか」ともいわれたが、若手議員のころ、青年海外協力隊の創設に尽力した海部総理にとって「人的協力は、私の信念だった」(前掲書)。
はたして、海部政権は平成2年10月、自衛隊による人的貢献を可能とする「国連平和協力法案」を国会に提出。「憲法違反だ」「自衛隊の武力行使につながる」などと野党が反対し、最終的には廃案となったものの、このときの論議をもとに、翌年、新たに「PKO協力法案」を提出、宮澤喜一政権時代に成立した。
湾岸戦争から20年。今やPKO活動への自衛隊参加はわが国の国際貢献の大きな柱だ。今(7月1日現在)も、ゴラン高原など4カ所のPKO活動に382人の自衛隊員が派遣され、国際社会から高い評価を得ている。
トラックバックURL
この記事へのコメント
1. Posted by みるる 2011年08月04日 07:38
民主党はカップ麺値段に詳しいのに庶民の平均所得に疎すぎます
今若手の年収は300〜200万です
子ども手当制限を350万に下げてください
今若手の年収は300〜200万です
子ども手当制限を350万に下げてください



