2009年06月01日

至高の哲人 パルタザール・グラシアン 300の金言(パルタザール・グラシアン著、金森誠也訳、PHP研究所)

php パルタザール・グラシアンとは17世紀のスペインの哲学者、著述家(1601−1658)。イエズス会の修道士であったグラシアンは説教師、教育者として実績を積み、国王の顧問を務めた。本書は1647年に執筆され、明敏簡潔な道徳哲学の集大成として欧州各国で評判になった。とくにドイツの哲学者ショーぺンハウアーは強い感銘を受け、この箴言集をスペイン語からドイツ語に翻訳した。

以下、2つを紹介する。

 余すことなく欲してはならない

 あまりにも幸福になり過ぎてかえって不幸にならないためである。肉体はひたすら呼吸しようと欲し、精神はもっぱら努力しようとする。
 だが、全てを所有する者はだれもが全てに失望し、不満を持つ。そればかりか悟性も好奇心に誘われ期待をもったにしても、物事について不可知の部分をいくらか残しておくがよい。過度の幸福にひたることは命取りになる。
 褒賞にあたっても完全に満足させないことが賢明である。もはや何物も欲しないという有様は全てを恐れることにつながる。不幸な幸福よ!欲望が終わると恐怖がはじまるのだ。


 運命のトランプ・カード

 ある者にとっての不運はしばしば他の者にとってはもっとも幸運な出来事である。なぜなら人は他の多くの者が不幸にならなければ、幸福になることはないからである。不幸な者の特徴的な態度とは他者の善意を要望することだ。
 彼らは他者の無償の善意が彼らの運命の打撃を軽減することを願っているのだ。時々幸福の絶頂にある者が万人にとって不愉快千万であり、その半面、不幸な者が万人によって同情される有様が見受けられる。勝者に対する復讐心は敗者への共感に変化する。しかし賢者はいかに運命がトランプ・カードを混ぜるかを注視しなければならない。つねに敗者を応援する様子を示す連中がいる。
 彼らが昨日実は勝者として忌避していた者が、今日はなんと敗者となって彼らに身を寄せているのだ。この態度はときには気高い気持の表れと見られないことはないが、賢明さを示しているわけではない。

shige_tamura at 12:32│Comments(0)TrackBack(0)clip!本の紹介 

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