2009年04月22日
日本経済・絶望の先にある希望(水谷研治著、PHP研究所)

僕は、水谷研治氏の本はほとんど読んでいる。極めて常識論だ。でもこれが、エコノミストの少数派のようになっているのが現在の日本の問題なのだ。
本は、「悲観論を唱えているのではありません。これは我々が避けて通れない道なのです。」とあるが、その通りであると思う。
たくさん紹介したい箇所があるが、今回は、以下を掲載します。
(194〜196頁)
一国が独立を維持することは容易なことではない。世界の各国が自己の権益を守るために、費やしている努力は並々ならぬものがある。きわどい外交によって各国は熾烈なつばぜり合いをしているのである。それは世界の強国でも例外ではない。その中にあって我が国はこれまで長い間、恵まれた環境にあった。しかし、このような状況が将来も続くとはかぎらない。
国を守るのは国民の義務である。国民が犠牲を払わなければ、国の安全と権益を守ることはできない。自らの国を守ることができるのは、その国の国民だけである。
日本人にはその自覚が乏しいように思われる。国家がどのようになっているかに関心が薄い。日本が自分の国であるとの考えがなく、他人事と思っているからであろう。国家のために国民である自分が犠牲を払うことを当然とは思っていない。
現在の国民のために国家を犠牲にすると、その結果が将来の国民へ降りかかることに気がついていない。
重要な自己犠牲の精神
四〇年以上にわたり、国民は我が国を徹底的にむさぼってきた。国民に悪気があったわけではない。景気をよくするため、国家財政を赤字にしただけである。
借金をして資金を手に入れ、それを使えばいろいろなものを買うことができる。当然、幸せである。しかし、その借金を返済するときには、返済資金をつくらなければならない。そのためには支出を削減する必要がある。いままで生活の水準を下げることを我々はしてこなかった。目先の繁栄を手放したくなかったからである。
いま、やるべきことは単純で明快である。我々がつくった借金を返済することである。
借金は早く返さなければならない。返すまで金利を支払わなければならないからである。返済は早ければ早いほど好ましい。
日本の財政は破綻した夕張市の財政よりもはるかに悪い。それだけに夕張市よりもはるかに厳しい財政改革を断行しなければならない。
公務員を削減する必要がある。公務員がいなくなるのであるから、国民はきめの細かいサービスはもちろんのこと、ほとんどの公共サービスは受けられなくなる。
支出の節約だけで不足する分は増税して国民が負担しなければならない。それが相当な額になることは容易に想像ができる。
国民の負担は急増する。消費税の引き上げが国民生活を直撃する。
我々は長く平穏な生括を続けてきたため、将来も同じように生きていけると思ってしまう。多くを望むわけではなく、従来どおりでよいとする意見が多い。
ところが、それは不可能である。我々自身が生き方を変えなければならない。我々がつくってしまった借金を返済するために、我々が生活を切り詰めて、将来の国民の負担を削減しなければならない。
我々国民が大きな犠牲を払わなければ、大改革は断行できない。いまのままでは国家の破綻は避けられない。そして将来の日本国民が悲惨な目に遭うことになる。何度でも繰り返すが、将来の国民を救うことができるのは現在の国民しかいない。
我々が覚悟を決めて一日も早く徹底した財政改革を断行しなければならない。