2008年10月09日
何のために働くのか(北尾吉孝著、致知出版社)
昨年出版された『何のために働くのか』(北尾吉孝著、致知出版社)を再読してみました。改めて、若い人はもとより、多くの人に読んでもらいたい本だと思います。北尾氏は、SBIホールディングス代表取締CEOで、2005年のライブドアによるニッポン放送買収問題でフジテレビのホワイトナイトとなったことで注目を集めた人物で、中国古典や論語に詳しく、それらを実践されている人でもあります。
僕が印象に残った「これは」という箇所をいくつか紹介します。
はじめには、
昨今では、ほとんどの若者は「何のために働くのか?」について真剣に考えたこと
がないと思います。同様に「人間とは何ぞや」、「人生いかに生くべきか」といったことも、恐らく考えたこともない若者がほとんどだと思います。
戦前の日本の世界に誇るべき豊かな精神文化が荒廃し、今や家庭でも学校でも、人
生の生きた問題を解決するための人間学とも言うべき学問を身につける機会がなくな
ったと言っても過言ではないでしょう。こうした状況に至ったということは真に悲し
むべきことであります。
こうした問題は人間というものの本質、それから生ずる根本義ということを問うて
いるのであり、これらに対して明確な概念や信念を持つことは極めて大事であると言
えましょう。昔はこうしたことを学ぶことが、教養の根幹をなしていたのです。
ニートやフリーターと呼ばれる若者や就職後二〜三年で転職する者が激増するに至
り、私は、いずれ仕事の思想とでも言うべきことを人間学の観点から書物にしておく
ことは社会的意義のあることだと考えその準備をし始めておりました。福沢諭吉の有
名な「心訓七則」の中の二つが仕事にかかわるものです。すなわち、一番最初の
「世の中で一番楽しく立派なことは、一生涯を貫く仕事を持つことである」
と三番目の
「世の中で一番さびしいことは仕事のないことである」
であります。まさに、我々が生きるということは、仕事を通してであります。従っ
て我々はできるだけ若い時から確固とした仕事観を持つことが極めて重要なのです。(略)
すべてを自分のこととして考える
(略)あらゆることを人のせいにしないということです。東洋哲学の基本には、すべて己に帰着するという考え方があります。「己の勉強が足らないから」「己の修養が足らないから」そういう結果を招いたのだと考えるのです。これが東洋哲学の根本であり、西洋哲学とは決定的に違うところです。
この己に帰着させるという考えで物事を行っていると、そこに反省が生まれます。
しかし、人のせいにしていたら、いつまで経っても反省はできません。反省できなけ
れば、成長もできないのです。
あなたが仕事のできる人間になりたいのなら、他人のせいにすることは禁物です。
常に己に帰着させ、己が反省しなくてはいけません。それがとても大事です。
(略)
物質的な豊かさばかりでは駄目だとは誰もが考えると思いますが、精神の豊かさだ
けがあっても駄目なのです。この二つは車の両輪のようなものです。片方だけでは、バランスのとれた、優れた人間は育ちません。精神だけでも駄目、物質だけでも駄目、人間が幸せに生きるためには、両方を育てなければならないのです。
現代は精神の豊かさがどんどん退廃しています。これから団塊の世代が死んでいけ
ば、ますます失われていくでしょう。そうなったときに、物質的な豊かさのみを維持
できるかといえば、それは絶対に不可能でしょう。
中国は経済的にどんどん豊かになってきています。しかし、一方では賄賂が蔓(はびこ)るなど商業道徳が地に落ちています。これでは駄目だというので、もう一度、論語教育を復活させようという風潮が生まれているのです。
日本も同じです。明らかに道徳が廃れているのですから、徳育を復活させる必要が
あるのです。それはわかりきったことなのに、政府の中からそういう声が出てこない
というのは大きな問題です。
ここで徳育を復活しなければ、日本の築き上げた豊かな物質文化も終わってしまう
という危機感が私にはあります。今は過去の遺産を食い潰して何とか生き長らえてい
ますが、現状のままでは、それもやがて尽き果てるでしょう。そのときに慌てても遅
いということを強く言いたいと思うのです。



