2006年09月01日

小沢主義(オザワイズム)

小沢主義昨晩、近所の書店で小沢本を買って読んだ。
小沢一郎『小沢主義』(集英社インターナショナル、2006年)

13年ぶりの書き下ろし!にしては、内容は「いまいち」でした。
「日本改造計画」が良くできていたので、よけい「ガッカリ」でした。
一般紙は、いつのもように「よいしょ」、でも、週刊新潮は、辛口のコメントを載せていました。

例えば、60頁です。

 もともと日本は伝統的に「コンセンサス社会」の風土を持っている。
 コンセンサス社会とは、その名のとおり、何事を決めるにしてもメンバーの全員一致を旨(むね)とする社会のことだ。
 聖徳太子の「和を以(もつ)て貴(たつと)しとなす」という言葉が象徴するように、何をするにしても、そこに参加しているみなが合意するという形を採(と)った上で、物事に取りかかるのが正しいこととされてきた。
 たとえ正しいことであっても、そして反対する者がごく少数であったとしても、反対を押し切って物事を決めるタイプの指導者は「人徳がない」と批判され、人々からの支持を得られない。それが日本社会の伝統だ。
と小沢氏は言っています。


「和を以(もつ)て貴(たつと)しとなす」の意味は、
第一条「和の心をもって、おたがいが力をあわせることが、とうといのであって、むやみにはむかうことのないようにせよ」。
これは、「平和を大事にしよう」、「争いをしないようにしよう」ということです。

聖徳太子が活躍した六世紀末の日本は「倭国」と呼ばれておりました。
当時、大臣(おおおみ)であった蘇我馬子は、外来思想である仏教を信奉し、新たな国づくりを目指していたんですが、五八七年(用明二年)に、用明天皇が亡くなると、大連(おおむらじ)の物部守屋(もののべのもりや)と蘇我馬子の間で争いが起きたんです。もともと、物部氏は、古くからの神々を信奉しておりまして、仏教を排斥そうとしていたんですね。
さらに、当時、疫病が大流行していたんですが、その原因も仏教にあったと信じていたわけです。そして、用明天皇が崩御したその年に、物部氏と蘇我氏による「丁未(ていび)の変」という、言うならば宗教戦争が起きたわけです。この時、聖徳太子は、蘇我氏の味方をしまして、結局、蘇我氏が勝利を得ました。
そして、その後、蘇我氏の甥に当たります崇峻(すしゅん)天皇が即位するのですが、五九二年、ヤマト王権を牛耳ることに不満を持った蘇我氏が、天皇を暗殺するんですね。
そして、蘇我氏は、推古天皇を即位させます。実は、推古天皇即位に際しては、皇位継承者が皆、病弱で、年少だったのです。それで、特例という形で、聖徳太子の叔母である推古天皇が即位したわけです。推古天皇と言えば、最初の女帝として有名です。
そして、聖徳太子は、推古天皇誕生と同時に、彼女の摂政、つまり補佐役に任じられて、蘇我氏と共に、歩調を合わせて政治を担うことになります。

聖徳太子は、豪族たちの凄惨な争いや骨肉の王位継承争いを間近で見ていましたから、「己の利や一つの考えに囚われれば、必ず争いごとが起こる」ということを知っていたんですね。
そこで「和を以って貴しと為す」という論語の一文を入れ、「人はまずもって和を大切にしなければならない」と謳ったわけです。

論語の「学而第一」
「有子曰く、礼の用は和を貴しと為す。先王の道も、斯を美と為す。小大之に由れば、行はざる所あり。和を知りて和すれども、礼を以て之を節せざれば、亦行はるべからずと」

これは「礼」、つまり「他人に譲る心を持ちなさい。しかし、それだけではなく、調和、助け合いの心、他人を思いやる心も大切である」ということです。
これが、十七条憲法の第一条にこの「和を貴しと為す」という文言が書かれています。つまり、この言葉は論語から来ているわけです。

昨年、自民党の新憲法草案の前文を議論している時に、中曽根康弘元首相が「後藤田正晴さんが、十七条憲法の和の精神を入れるべきだ」と言っていたことを披露されました。
ですから、和の精神とは、小沢氏の言うような「日本は伝統的に『コンセンサス社会』」で、何か悪いことにように言っていますが、日本は、聖徳太子の時代は争いの時代で、その後も、戦国時代がありました。徳川時代は、その争いをなくすために儒教(朱子学)を取り入れたのです。

よく、論語読みの論語知らずという言葉がありますね。


次が(149頁)。
 アメリカと連携して対テロ戦争に参加するというのであれば、従来の憲法解釈を変更し、我が国の安全と直接関係のない事態であっても、日米同盟のもとにアメリカと集団的自衛権の行使が可能であると、日本政府として正式に決定した上で、堂々と自衛隊をイラクに派遣するのが筋(すじ)というものであろう。


小沢氏が首相になったら、「集団的自衛権の行使が可能であると、日本政府として正式に決定した上で、堂々と自衛隊をイラクに派遣する」もありなんですかね。


次が(159−160頁)。
 (略)国連に「御親兵」を出して、世界平和への我が国の姿勢と理念を世界にアピールしていくべきだと思っている。


今こそ日本国憲法の精神を
 といっても、現在の自衛隊をそのまま国連に差し出すのは内外から誤解を受ける恐れがある。だから自衛隊とはまったく別に国連専用の組織を編成し、これを提供するわけである。もちろん、その場合、その部隊は国連事務総長の指揮下に入る。
 日本には不幸な過去があるから、現在のように自衛隊を国連の平和維持活動に提供すれば、それは周辺諸国に対して余計な疑念を起こしかねない。自衛隊はあくまでも国家防衛に専念する、専守防衛の兵力としておけば、そうした摩擦はなくせる。



小沢氏は、『日本改造計画』(講談社、1993年)で、
(124頁)
 憲法は不磨(ふま)の大典ではない。私たちが楽しく豊かに暮らすための基本的なルールである。私たちを取り巻く環境が変わり、私たち自身の必要や要求が変われば、憲法も、時代の変遷とともに姿を変えるのは当然のことだ。

と言ってました。それが、今や「今こそ日本国憲法の精神を」ですからね。
どうなったんでしょうか。

国連中心主義は理想的で良いのですが、北朝鮮のミサイルや核、中国の軍事拡大などへの記述は一切ありません。
自衛隊とはまったく別に国連専用の組織を作ったら、予算は増大しますね。自衛隊の役割は、国家防衛に専念するだけで良いのでしょうか。国際的な災害やテロへの対応は誰がやるのでしょうか。
自衛隊でやれることを、別に作るのですから「無駄」が増大するだけです。
ただ、これだと旧社会党の横路孝弘は喜ぶでしょうね。

また、教育については、日教組に配慮した変な記述になっています。

この本を読んだ人は、これで政権を小沢・民主党にまかせられますか。と、
きっと疑問を感じると思います。
『日本改造計画』の小沢主義から大きく変貌していることだけは明らかです。
結局、理念とかいってますが、小沢氏は、「政策はどうでもいいですね〜」ということなんでしょう。


安倍 晋三本



現在、『美しい国』(安倍晋三著、文藝春秋)はどこの書店でも1〜2位にランクインしています。

shige_tamura at 15:47│Comments(1)TrackBack(0)clip!小沢一郎 

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この記事へのコメント

1. Posted by 辻 義彦   2007年01月22日 23:01
「美しい国」とは、天と地の違いで、小沢イズムに軍配を上げてます。論じている次元が違いすぎると思います。小沢イズムはもっと大きな視点で語られたものと感じました。13年前の日本改造論と本筋は変わっていないと感じましたが・・。人それぞれの感じ方なので・・失礼しました。

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