2015年08月
2015年08月31日
中国新華網が「天皇謝罪要求」――安倍首相不参加への報復か?(遠藤誉氏)
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8月25日、中国政府の新華網は、日中戦争における昭和天皇の責任を問い日本を批難した。安倍談話に対しては安倍首相が抗日戦勝行事に参加する可能性があることから控えた中国だが、不参加となった今、なり振り構わない。
◆正常とは思えぬ新華網の「天皇謝罪要求」
8月25日、中国政府の通信社である新華社の電子版「新華網」は「日本の侵略戦争の犯罪行為を謝罪すべきは誰か」というタイトルで評論を載せた。
その要旨は以下のようなものである。
1.日本軍国主義が発動した侵略戦争は、軍国主義の天皇や政府、軍隊、財閥などの主要な勢力が作り上げたもので、(中略)多くの犯罪を犯し、侵略戦争に対して逃れない罪を負っている。
2.裕仁天皇(昭和天皇:筆者注)は、日本が侵略した被害国と人民に、死ぬまで謝罪の意を表したことがない。その後継者(現在の明仁天皇:筆者注)は、(中略)謝罪を以て氷解を得、懺悔を以て信頼を得、誠実を以て調和を得るべきだ。
とても尋常な感覚を持っているとは思えない評論だ。
天皇の戦争責任に関しては、1946年から1948年にかけて行なわれた極東国際軍事裁判(東京裁判)において「戦争犯罪人としての起訴から日本国天皇を免除する」ことが合意され、天皇を訴追しないことが決定された。
この問題は「国際的に」すでに解決済みなのである。
東京裁判においては、各国検事をメンバーとした執行委員会が設立されており、その中に「中華民国」の代表もいる。
中国はつねに「一つの中国」を主張して、「中華民国の功績」は「中華人民共和国の功績」として、今まさに「中華民国」による「抗日戦争勝利」を受け継いで(横取りして?)、盛大に戦勝70周年記念を祝賀しようと燃え上がっているのではないのか?
抗日戦争勝利は自分(現在の中国)のものだが、中華民国の代表が入っていた東京裁判は「中華人民共和国が参画していなかったから、別途、天皇の戦争責任を追及してもいい」とでも言うつもりだろうか?
常軌を逸している。
おまけに1992年、昭和天皇の「継承者」である明仁天応は、江沢民の強引な招聘により中国を訪問して、きちんと「謝罪」を表明した。これは歴史的な出来事であった。
このとき江沢民は、1989年6月4日に起きた天安門事件において民主化を叫んだ若者を武力鎮圧したことに対する西側諸国の経済封鎖を、何とか日本の天皇陛下の訪中によって切り崩していこうともくろんでいた。
その政治利用が懸念されながらも、明仁天皇は訪中して中国人民に頭を下げ、謝罪している。そのお蔭で西側諸国は経済封鎖を徐々に解いていき、中国はこんにちの経済繁栄を手にしたのではなかったのか――。
その恩を忘れて、このような主張を載せる新華網には、良心もモラルもない。
それなら中国は、なぜここまで常軌を逸脱した行動を取るに及んだのか。
至近の時系列を見てみよう。
◆安倍首相の不参加表明との関連
8月24日、安倍首相は参院予算委員会で9月3日に北京で開催される抗日戦争勝利式典には参加しないと明言した。同日、菅官房長官も記者会見で「9月上旬に検討していた中国訪問を見送ることにした」と表明した。
新華網が実質上の「天皇謝罪要求」を載せたのは、その翌日の8月25日である。
8月14日に安倍談話が発表されたとき、中国は激しい安倍批判を避け、ただ「自分自身の判断を回避している」という批判をしただけだった。
もちろん、8月12日に天津の爆発事故があり、人民の関心は専ら爆発事故に集中し、ネットには「抗日戦勝行事に燃えている間に、天津が燃えた。自分の足元を見ろ!」という書き込みさえ現れていた。
習近平政権にとっては安倍談話どころではなかったという側面もあったろうが、それ以上に、「もしかしたら安倍首相は、9月3日の式典に参加するかもしれない」という甘い期待があり、酷評を避けたと見るべきだろう。
中国はすでに公けの場で正式に、安倍首相を招聘していると表明していた。中国は実は、水面下の交渉で来ないかもしれないと判断された国に関しては「招聘した」とは公表していない。だというのに、安倍首相は最終的には「参加しない」と決定したのだ。
習近平国家主席が、どれほどメンツを潰されたと思っているか、想像に難くない。
その結果が、このなりふり構わぬ論評となったのではないだろうか。
中国のネットには、「天皇謝罪要求に対する日本の抗議は不当である」という情報が充満している。
◆中国を増長させるアメリカの二面性
中国をここまで増長させる背景には、アメリカの二面性がある。
オバマ大統領自身は参加を見送っておきながら、アメリカ国務省のカービー報道官は、25日の記者会見で駐中国のアメリカのボーカス大使が「オバマ大統領の代理人として」、9月3日の抗日戦勝70周年記念に参加すると発表したのだ。
カービー報道官はさらに「記念式典において、ボーカス大使は米大統領が選んだ代表だ」と述べている。
中国はこれを以て、アメリカは大統領級の代表が参加するとして、大々的に報道した。
アメリカの二面性は、これに留まらなかった。
8月28日、アメリカのライス大統領補佐官(国家安全保障担当)が訪中し、人民大会堂で習近平国家主席と会談したのである。
ライス大統領補佐官は訪中の目的を、形の上では「今年9月の習近平国家主席訪米の準備のため」としているが、実際は違う。なぜなら彼女は、習近平国家主席に、つぎのように述べているのだ。
――中国が第二次世界大戦勝利70周年記念を盛大に祝賀しているこの年に当たり、オバマ大統領とアメリカ側は、あの戦争における中国人民の多大な貢献と、米中両国があのとき結んだ深い友情を高く評価する。
あのときアメリカが友情を結んだ相手は「中華民国」主席、蒋介石だったはずだ。
習近平国家主席は、「アメリカと友情を結んだ蒋介石」の国民党軍を倒した中国共産党軍が誕生させた「中華人民共和国」の主席である。
あの戦争における主戦場で戦った「中国人民」は、現在の共産党政権が倒した国民党軍だ。
アメリカまでが歴史を歪曲しようとするのだろうか。
そもそも日本が安保法案などを急いで成立させようとしている原因の一つは、アメリカが尖閣諸島の領有権に関して「紛争関係者(中国&日本&台湾)」のどちらの側にも立たないと宣言しているからだ。それを良いことに中国は尖閣周辺で強気に出ている。そのため日本は中国の脅威をより強く感じ、それが安保法案を正当化しようとする試みに貢献している。とんでもないサイクルだ。
オバマ大統領がこのたびライス補佐官に言わせた言葉は、「経済を重んじ、自国の利益のみを重んじて、勝者が歴史を書き換えていく」典型のようなものである。
来年の米大統領選に立候補している共和党のマルコ・ルビオ上院議員は、オバマ政権の「領有権中立論」に対して「尖閣諸島は日本の領土」と明言し、対中強硬論を主張している。さて、中国におもねることなく、経済を発展させていくことができるのか。オバマ政権のように、二面性を持ったり、歴史を書き換えたりしないのだろうか。
少なくとも日本は、こんな米中に利用される存在になってはならない。
敗者でも、正しい論理は、毅然と貫くべきだ。
それによって先の大戦の責任から逃れようとするものでなく、もちろん正当化しようというものでもないことは言を俟(ま)たない。
(追記:なお日本は駐中国の日本国大使をはじめ大使館関係者全員が不参加を表明。その選択が賢明なのか否かは検討の余地がある。村山元首相は参加する。)
遠藤誉
東京福祉大学国際交流センター長、筑波大学名誉教授、理学博士
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◆正常とは思えぬ新華網の「天皇謝罪要求」
8月25日、中国政府の通信社である新華社の電子版「新華網」は「日本の侵略戦争の犯罪行為を謝罪すべきは誰か」というタイトルで評論を載せた。
その要旨は以下のようなものである。
1.日本軍国主義が発動した侵略戦争は、軍国主義の天皇や政府、軍隊、財閥などの主要な勢力が作り上げたもので、(中略)多くの犯罪を犯し、侵略戦争に対して逃れない罪を負っている。
2.裕仁天皇(昭和天皇:筆者注)は、日本が侵略した被害国と人民に、死ぬまで謝罪の意を表したことがない。その後継者(現在の明仁天皇:筆者注)は、(中略)謝罪を以て氷解を得、懺悔を以て信頼を得、誠実を以て調和を得るべきだ。
とても尋常な感覚を持っているとは思えない評論だ。
天皇の戦争責任に関しては、1946年から1948年にかけて行なわれた極東国際軍事裁判(東京裁判)において「戦争犯罪人としての起訴から日本国天皇を免除する」ことが合意され、天皇を訴追しないことが決定された。
この問題は「国際的に」すでに解決済みなのである。
東京裁判においては、各国検事をメンバーとした執行委員会が設立されており、その中に「中華民国」の代表もいる。
中国はつねに「一つの中国」を主張して、「中華民国の功績」は「中華人民共和国の功績」として、今まさに「中華民国」による「抗日戦争勝利」を受け継いで(横取りして?)、盛大に戦勝70周年記念を祝賀しようと燃え上がっているのではないのか?
抗日戦争勝利は自分(現在の中国)のものだが、中華民国の代表が入っていた東京裁判は「中華人民共和国が参画していなかったから、別途、天皇の戦争責任を追及してもいい」とでも言うつもりだろうか?
常軌を逸している。
おまけに1992年、昭和天皇の「継承者」である明仁天応は、江沢民の強引な招聘により中国を訪問して、きちんと「謝罪」を表明した。これは歴史的な出来事であった。
このとき江沢民は、1989年6月4日に起きた天安門事件において民主化を叫んだ若者を武力鎮圧したことに対する西側諸国の経済封鎖を、何とか日本の天皇陛下の訪中によって切り崩していこうともくろんでいた。
その政治利用が懸念されながらも、明仁天皇は訪中して中国人民に頭を下げ、謝罪している。そのお蔭で西側諸国は経済封鎖を徐々に解いていき、中国はこんにちの経済繁栄を手にしたのではなかったのか――。
その恩を忘れて、このような主張を載せる新華網には、良心もモラルもない。
それなら中国は、なぜここまで常軌を逸脱した行動を取るに及んだのか。
至近の時系列を見てみよう。
◆安倍首相の不参加表明との関連
8月24日、安倍首相は参院予算委員会で9月3日に北京で開催される抗日戦争勝利式典には参加しないと明言した。同日、菅官房長官も記者会見で「9月上旬に検討していた中国訪問を見送ることにした」と表明した。
新華網が実質上の「天皇謝罪要求」を載せたのは、その翌日の8月25日である。
8月14日に安倍談話が発表されたとき、中国は激しい安倍批判を避け、ただ「自分自身の判断を回避している」という批判をしただけだった。
もちろん、8月12日に天津の爆発事故があり、人民の関心は専ら爆発事故に集中し、ネットには「抗日戦勝行事に燃えている間に、天津が燃えた。自分の足元を見ろ!」という書き込みさえ現れていた。
習近平政権にとっては安倍談話どころではなかったという側面もあったろうが、それ以上に、「もしかしたら安倍首相は、9月3日の式典に参加するかもしれない」という甘い期待があり、酷評を避けたと見るべきだろう。
中国はすでに公けの場で正式に、安倍首相を招聘していると表明していた。中国は実は、水面下の交渉で来ないかもしれないと判断された国に関しては「招聘した」とは公表していない。だというのに、安倍首相は最終的には「参加しない」と決定したのだ。
習近平国家主席が、どれほどメンツを潰されたと思っているか、想像に難くない。
その結果が、このなりふり構わぬ論評となったのではないだろうか。
中国のネットには、「天皇謝罪要求に対する日本の抗議は不当である」という情報が充満している。
◆中国を増長させるアメリカの二面性
中国をここまで増長させる背景には、アメリカの二面性がある。
オバマ大統領自身は参加を見送っておきながら、アメリカ国務省のカービー報道官は、25日の記者会見で駐中国のアメリカのボーカス大使が「オバマ大統領の代理人として」、9月3日の抗日戦勝70周年記念に参加すると発表したのだ。
カービー報道官はさらに「記念式典において、ボーカス大使は米大統領が選んだ代表だ」と述べている。
中国はこれを以て、アメリカは大統領級の代表が参加するとして、大々的に報道した。
アメリカの二面性は、これに留まらなかった。
8月28日、アメリカのライス大統領補佐官(国家安全保障担当)が訪中し、人民大会堂で習近平国家主席と会談したのである。
ライス大統領補佐官は訪中の目的を、形の上では「今年9月の習近平国家主席訪米の準備のため」としているが、実際は違う。なぜなら彼女は、習近平国家主席に、つぎのように述べているのだ。
――中国が第二次世界大戦勝利70周年記念を盛大に祝賀しているこの年に当たり、オバマ大統領とアメリカ側は、あの戦争における中国人民の多大な貢献と、米中両国があのとき結んだ深い友情を高く評価する。
あのときアメリカが友情を結んだ相手は「中華民国」主席、蒋介石だったはずだ。
習近平国家主席は、「アメリカと友情を結んだ蒋介石」の国民党軍を倒した中国共産党軍が誕生させた「中華人民共和国」の主席である。
あの戦争における主戦場で戦った「中国人民」は、現在の共産党政権が倒した国民党軍だ。
アメリカまでが歴史を歪曲しようとするのだろうか。
そもそも日本が安保法案などを急いで成立させようとしている原因の一つは、アメリカが尖閣諸島の領有権に関して「紛争関係者(中国&日本&台湾)」のどちらの側にも立たないと宣言しているからだ。それを良いことに中国は尖閣周辺で強気に出ている。そのため日本は中国の脅威をより強く感じ、それが安保法案を正当化しようとする試みに貢献している。とんでもないサイクルだ。
オバマ大統領がこのたびライス補佐官に言わせた言葉は、「経済を重んじ、自国の利益のみを重んじて、勝者が歴史を書き換えていく」典型のようなものである。
来年の米大統領選に立候補している共和党のマルコ・ルビオ上院議員は、オバマ政権の「領有権中立論」に対して「尖閣諸島は日本の領土」と明言し、対中強硬論を主張している。さて、中国におもねることなく、経済を発展させていくことができるのか。オバマ政権のように、二面性を持ったり、歴史を書き換えたりしないのだろうか。
少なくとも日本は、こんな米中に利用される存在になってはならない。
敗者でも、正しい論理は、毅然と貫くべきだ。
それによって先の大戦の責任から逃れようとするものでなく、もちろん正当化しようというものでもないことは言を俟(ま)たない。
(追記:なお日本は駐中国の日本国大使をはじめ大使館関係者全員が不参加を表明。その選択が賢明なのか否かは検討の余地がある。村山元首相は参加する。)
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◆正常とは思えぬ新華網の「天皇謝罪要求」
8月25日、中国政府の通信社である新華社の電子版「新華網」は「日本の侵略戦争の犯罪行為を謝罪すべきは誰か」というタイトルで評論を載せた。
その要旨は以下のようなものである。
1.日本軍国主義が発動した侵略戦争は、軍国主義の天皇や政府、軍隊、財閥などの主要な勢力が作り上げたもので、(中略)多くの犯罪を犯し、侵略戦争に対して逃れない罪を負っている。
2.裕仁天皇(昭和天皇:筆者注)は、日本が侵略した被害国と人民に、死ぬまで謝罪の意を表したことがない。その後継者(現在の明仁天皇:筆者注)は、(中略)謝罪を以て氷解を得、懺悔を以て信頼を得、誠実を以て調和を得るべきだ。
とても尋常な感覚を持っているとは思えない評論だ。
天皇の戦争責任に関しては、1946年から1948年にかけて行なわれた極東国際軍事裁判(東京裁判)において「戦争犯罪人としての起訴から日本国天皇を免除する」ことが合意され、天皇を訴追しないことが決定された。
この問題は「国際的に」すでに解決済みなのである。
東京裁判においては、各国検事をメンバーとした執行委員会が設立されており、その中に「中華民国」の代表もいる。
中国はつねに「一つの中国」を主張して、「中華民国の功績」は「中華人民共和国の功績」として、今まさに「中華民国」による「抗日戦争勝利」を受け継いで(横取りして?)、盛大に戦勝70周年記念を祝賀しようと燃え上がっているのではないのか?
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おまけに1992年、昭和天皇の「継承者」である明仁天応は、江沢民の強引な招聘により中国を訪問して、きちんと「謝罪」を表明した。これは歴史的な出来事であった。
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その政治利用が懸念されながらも、明仁天皇は訪中して中国人民に頭を下げ、謝罪している。そのお蔭で西側諸国は経済封鎖を徐々に解いていき、中国はこんにちの経済繁栄を手にしたのではなかったのか――。
その恩を忘れて、このような主張を載せる新華網には、良心もモラルもない。
それなら中国は、なぜここまで常軌を逸脱した行動を取るに及んだのか。
至近の時系列を見てみよう。
◆安倍首相の不参加表明との関連
8月24日、安倍首相は参院予算委員会で9月3日に北京で開催される抗日戦争勝利式典には参加しないと明言した。同日、菅官房長官も記者会見で「9月上旬に検討していた中国訪問を見送ることにした」と表明した。
新華網が実質上の「天皇謝罪要求」を載せたのは、その翌日の8月25日である。
8月14日に安倍談話が発表されたとき、中国は激しい安倍批判を避け、ただ「自分自身の判断を回避している」という批判をしただけだった。
もちろん、8月12日に天津の爆発事故があり、人民の関心は専ら爆発事故に集中し、ネットには「抗日戦勝行事に燃えている間に、天津が燃えた。自分の足元を見ろ!」という書き込みさえ現れていた。
習近平政権にとっては安倍談話どころではなかったという側面もあったろうが、それ以上に、「もしかしたら安倍首相は、9月3日の式典に参加するかもしれない」という甘い期待があり、酷評を避けたと見るべきだろう。
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習近平国家主席が、どれほどメンツを潰されたと思っているか、想像に難くない。
その結果が、このなりふり構わぬ論評となったのではないだろうか。
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中国はこれを以て、アメリカは大統領級の代表が参加するとして、大々的に報道した。
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――中国が第二次世界大戦勝利70周年記念を盛大に祝賀しているこの年に当たり、オバマ大統領とアメリカ側は、あの戦争における中国人民の多大な貢献と、米中両国があのとき結んだ深い友情を高く評価する。
あのときアメリカが友情を結んだ相手は「中華民国」主席、蒋介石だったはずだ。
習近平国家主席は、「アメリカと友情を結んだ蒋介石」の国民党軍を倒した中国共産党軍が誕生させた「中華人民共和国」の主席である。
あの戦争における主戦場で戦った「中国人民」は、現在の共産党政権が倒した国民党軍だ。
アメリカまでが歴史を歪曲しようとするのだろうか。
そもそも日本が安保法案などを急いで成立させようとしている原因の一つは、アメリカが尖閣諸島の領有権に関して「紛争関係者(中国&日本&台湾)」のどちらの側にも立たないと宣言しているからだ。それを良いことに中国は尖閣周辺で強気に出ている。そのため日本は中国の脅威をより強く感じ、それが安保法案を正当化しようとする試みに貢献している。とんでもないサイクルだ。
オバマ大統領がこのたびライス補佐官に言わせた言葉は、「経済を重んじ、自国の利益のみを重んじて、勝者が歴史を書き換えていく」典型のようなものである。
来年の米大統領選に立候補している共和党のマルコ・ルビオ上院議員は、オバマ政権の「領有権中立論」に対して「尖閣諸島は日本の領土」と明言し、対中強硬論を主張している。さて、中国におもねることなく、経済を発展させていくことができるのか。オバマ政権のように、二面性を持ったり、歴史を書き換えたりしないのだろうか。
少なくとも日本は、こんな米中に利用される存在になってはならない。
敗者でも、正しい論理は、毅然と貫くべきだ。
それによって先の大戦の責任から逃れようとするものでなく、もちろん正当化しようというものでもないことは言を俟(ま)たない。
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◆正常とは思えぬ新華網の「天皇謝罪要求」
8月25日、中国政府の通信社である新華社の電子版「新華網」は「日本の侵略戦争の犯罪行為を謝罪すべきは誰か」というタイトルで評論を載せた。
その要旨は以下のようなものである。
1.日本軍国主義が発動した侵略戦争は、軍国主義の天皇や政府、軍隊、財閥などの主要な勢力が作り上げたもので、(中略)多くの犯罪を犯し、侵略戦争に対して逃れない罪を負っている。
2.裕仁天皇(昭和天皇:筆者注)は、日本が侵略した被害国と人民に、死ぬまで謝罪の意を表したことがない。その後継者(現在の明仁天皇:筆者注)は、(中略)謝罪を以て氷解を得、懺悔を以て信頼を得、誠実を以て調和を得るべきだ。
とても尋常な感覚を持っているとは思えない評論だ。
天皇の戦争責任に関しては、1946年から1948年にかけて行なわれた極東国際軍事裁判(東京裁判)において「戦争犯罪人としての起訴から日本国天皇を免除する」ことが合意され、天皇を訴追しないことが決定された。
この問題は「国際的に」すでに解決済みなのである。
東京裁判においては、各国検事をメンバーとした執行委員会が設立されており、その中に「中華民国」の代表もいる。
中国はつねに「一つの中国」を主張して、「中華民国の功績」は「中華人民共和国の功績」として、今まさに「中華民国」による「抗日戦争勝利」を受け継いで(横取りして?)、盛大に戦勝70周年記念を祝賀しようと燃え上がっているのではないのか?
抗日戦争勝利は自分(現在の中国)のものだが、中華民国の代表が入っていた東京裁判は「中華人民共和国が参画していなかったから、別途、天皇の戦争責任を追及してもいい」とでも言うつもりだろうか?
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おまけに1992年、昭和天皇の「継承者」である明仁天応は、江沢民の強引な招聘により中国を訪問して、きちんと「謝罪」を表明した。これは歴史的な出来事であった。
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その政治利用が懸念されながらも、明仁天皇は訪中して中国人民に頭を下げ、謝罪している。そのお蔭で西側諸国は経済封鎖を徐々に解いていき、中国はこんにちの経済繁栄を手にしたのではなかったのか――。
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8月24日、安倍首相は参院予算委員会で9月3日に北京で開催される抗日戦争勝利式典には参加しないと明言した。同日、菅官房長官も記者会見で「9月上旬に検討していた中国訪問を見送ることにした」と表明した。
新華網が実質上の「天皇謝罪要求」を載せたのは、その翌日の8月25日である。
8月14日に安倍談話が発表されたとき、中国は激しい安倍批判を避け、ただ「自分自身の判断を回避している」という批判をしただけだった。
もちろん、8月12日に天津の爆発事故があり、人民の関心は専ら爆発事故に集中し、ネットには「抗日戦勝行事に燃えている間に、天津が燃えた。自分の足元を見ろ!」という書き込みさえ現れていた。
習近平政権にとっては安倍談話どころではなかったという側面もあったろうが、それ以上に、「もしかしたら安倍首相は、9月3日の式典に参加するかもしれない」という甘い期待があり、酷評を避けたと見るべきだろう。
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習近平国家主席が、どれほどメンツを潰されたと思っているか、想像に難くない。
その結果が、このなりふり構わぬ論評となったのではないだろうか。
中国のネットには、「天皇謝罪要求に対する日本の抗議は不当である」という情報が充満している。
◆中国を増長させるアメリカの二面性
中国をここまで増長させる背景には、アメリカの二面性がある。
オバマ大統領自身は参加を見送っておきながら、アメリカ国務省のカービー報道官は、25日の記者会見で駐中国のアメリカのボーカス大使が「オバマ大統領の代理人として」、9月3日の抗日戦勝70周年記念に参加すると発表したのだ。
カービー報道官はさらに「記念式典において、ボーカス大使は米大統領が選んだ代表だ」と述べている。
中国はこれを以て、アメリカは大統領級の代表が参加するとして、大々的に報道した。
アメリカの二面性は、これに留まらなかった。
8月28日、アメリカのライス大統領補佐官(国家安全保障担当)が訪中し、人民大会堂で習近平国家主席と会談したのである。
ライス大統領補佐官は訪中の目的を、形の上では「今年9月の習近平国家主席訪米の準備のため」としているが、実際は違う。なぜなら彼女は、習近平国家主席に、つぎのように述べているのだ。
――中国が第二次世界大戦勝利70周年記念を盛大に祝賀しているこの年に当たり、オバマ大統領とアメリカ側は、あの戦争における中国人民の多大な貢献と、米中両国があのとき結んだ深い友情を高く評価する。
あのときアメリカが友情を結んだ相手は「中華民国」主席、蒋介石だったはずだ。
習近平国家主席は、「アメリカと友情を結んだ蒋介石」の国民党軍を倒した中国共産党軍が誕生させた「中華人民共和国」の主席である。
あの戦争における主戦場で戦った「中国人民」は、現在の共産党政権が倒した国民党軍だ。
アメリカまでが歴史を歪曲しようとするのだろうか。
そもそも日本が安保法案などを急いで成立させようとしている原因の一つは、アメリカが尖閣諸島の領有権に関して「紛争関係者(中国&日本&台湾)」のどちらの側にも立たないと宣言しているからだ。それを良いことに中国は尖閣周辺で強気に出ている。そのため日本は中国の脅威をより強く感じ、それが安保法案を正当化しようとする試みに貢献している。とんでもないサイクルだ。
オバマ大統領がこのたびライス補佐官に言わせた言葉は、「経済を重んじ、自国の利益のみを重んじて、勝者が歴史を書き換えていく」典型のようなものである。
来年の米大統領選に立候補している共和党のマルコ・ルビオ上院議員は、オバマ政権の「領有権中立論」に対して「尖閣諸島は日本の領土」と明言し、対中強硬論を主張している。さて、中国におもねることなく、経済を発展させていくことができるのか。オバマ政権のように、二面性を持ったり、歴史を書き換えたりしないのだろうか。
少なくとも日本は、こんな米中に利用される存在になってはならない。
敗者でも、正しい論理は、毅然と貫くべきだ。
それによって先の大戦の責任から逃れようとするものでなく、もちろん正当化しようというものでもないことは言を俟(ま)たない。
(追記:なお日本は駐中国の日本国大使をはじめ大使館関係者全員が不参加を表明。その選択が賢明なのか否かは検討の余地がある。村山元首相は参加する。)
遠藤誉
東京福祉大学国際交流センター長、筑波大学名誉教授、理学博士
2015年08月27日
軍事パレード、習近平の真意はどこに?(遠藤誉氏)
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抗日戦争勝利記念日の軍事パレードは中国建国以来初めてだ。狙いの一つは台湾総統選挙への威嚇だが、もう一つは国内統治問題にある。西側諸国のリーダーに参加させて威信を高めようという習近平の狙いは失敗した。
某中国政府関係者に対する取材を通して分析する。
◆最初は中露会談から始まった
2014年2月6日、ロシアのソチで開催されていた冬季五輪開会式に参加した習近平国家主席はプーチン大統領と会談し、2015年の抗日戦争勝利70周年記念式典に関して話しあった。会談後習近平国家主席は「私とプーチン大統領は、2015年に世界反ファシズム戦争ならびに中国人民抗日戦争勝利70周年記念行事を共同で開催することを決定した」と述べた。
一方、プーチン大統領は「欧州のナチス勢力によるソ連など欧州諸国への侵略および日本軍国主義が中国などアジア被害国の人々に対して犯した重大な罪が忘れ去られてはならない。中国側とともに努力して世界反ファシズム戦争ならびに中国人民抗日戦争勝利70周年記念表示の成功させたい」と表明した。
筆者が取材した某中国政府関係者によれば、このとき北京における70周年記念日で軍事パレードを催す方針が確認され、2015年5月8日にモスクワの赤の広場で催される反ファシスト戦勝70周年記念に行われる軍事パレードを是非とも参考にしてほしいということが話されたという。
習近平国家主席とプーチン大統領は2014年だけでも10回以上会談している。
ウクライナ問題で窮地に立たされたプーチン大統領としては軍事パレードに関して徹底的に習近平国家主席を支援することによって、中国をしっかりロシア側に引き寄せておきたい思惑があっただろう。
◆習近平国家主席の野望と狙い
しかし習近平国家主席としては、ロシアもさることながら、日本を含めた西側先進諸国のリーダーたちが9月3日の北京における軍事パレードに参加してほしいという強い渇望があった。
そこで先ずは経済で西側諸国を中国側になびかせようとして、AIIBアジアインフラ投資銀行や一帯一路(陸と海のシルクロード)などを全世界に呼びかけて、イギリスをはじめとしたヨーロッパ先進諸国の取り込みを成功させた。
日本とアメリカは参加しなかったので、大きな狙いは叶えられなかったものの、それでもヨーロッパ先進国を含めた世界の数十カ国もの国が、中国の経済力に魅せられて友好関係を保とうとしていることは、習近平国家主席にとっては、非常に心強い踏み台となった。
2015年6月23日、国務院新聞弁公室は記者会見を開き、9月3日の「中国人民抗日戦争と世界反ファシスト戦争勝利70周年記念行事」に関する詳細を説明するとともに、当日、軍事パレードを行うことを発表した。
「抗日戦争」の前に「中国人民」を付けたことはいくらか評価できるとしても、それでも「抗日戦争は国民党軍が主として戦い」、「新中国は、その国民党軍を倒して誕生した国」である。
だから抗日戦勝記念日に、「中国共産党政権」が軍事パレードを行うのは適切でない。
この点に関して筆者は「おかしいだろう!」と先述の某中国政府関係者に咬みついた。
すると意外にも某氏は「わかっている」と回答したのだ。
これには驚いた。
人生最後の賭けに出て、筆者は真実をすべて明らかにしようと命がけだ。某氏の「わかっている」という言葉に、ある種の感慨を覚えた。 彼らは「わかって」、やっているというのか――?
「それならなぜ、抗日戦勝記念日に軍事パレードなどやるのか?」
筆者は引き下がらなかった。
某氏は声を落しながら、「中国は長いこと欧米列強の植民地だった。だから、今、いかに強大になったかを示したいのだ」と言う。
「それならば、国慶節(建国記念日)にやればいいではないか。抗日戦争中、主戦場で戦っていなかった中国共産党軍が、その戦勝記念日に軍事パレードを強行するのは、何としても適切ではない」と筆者も譲らない。
結果、某氏は、中国の本音を漏らした。
「実は、中国としては、この軍事パレードに日本とかアメリカをはじめとした西側諸国のリーダーに参加してほしかった。そうすれば、中国人民に中国共産党の統治能力の高さを示すことができる。世界一流の国のリーダーたちが中国人民解放軍の軍事パレードに参加してくれれば、軍を管轄する中国共産党の権威も高まるではないか……」
以下は筆者と某氏と筆者の会話である。
筆者:では、人民に対する中国共産党の統治能力が低いと人民が思っているだろうと、中国政府が思っていることになるのだろうか?
某氏:いや、そういうわけではないが、しかし、やはり腐敗問題とかいろいろあって、共産党政権が権威を落しているのは確かだ。だから習近平は必死で腐敗撲滅をしている。でも……。
筆者:でも、求心力? 中国共産党の求心力がすでに落ちているということですね?
某氏:いや、そういうわけではないが、人民が不満を持っているのは確かだ。逆に、中華民族の夢と誇らしさを人民に与えてあげないと……。人民はそれを欲しがっている。
筆者:そのような目的のために、抗日戦争を利用してほしくない! 日本国民の気持ちを考えたことはあるのか? こういうことをすれば、日本人は反感を持つだけだ。それに、結局、日本もアメリカもヨーロッパの先進諸国も軍事パレードどころか記念行事そのものに参加しないのだから、結局、習近平はメンツを無くしただけではないか? 軍事パレードの提案など、しない方が良かったとは思わないか?
某氏:それは否定できない面も、ないではない……。
筆者:だったら、抗日戦争記念日に軍事パレードをやったりしないで、国慶節にやれば良かったのではないのか?
某氏:いやいや、国慶節の閲兵式は10年ごとだから、2019年まで待たなければならない(中国語では軍事パレードと言わずに閲兵式と言う)。
筆者:それまで待つと、台湾総統選挙問題に間に合わないということではないんですか?
◆もう一つの本音は来年の台湾総統選挙
某氏:えっ?! まるで政府内部のようなことを言うんだね。
筆者:それくらい分からなくてどうしますか? 来年の総統選挙で民進党が勝ちそうだから、台湾独立を主張したときには、中国は反分裂国家法により武力を行使するという威嚇をしているんでしょう?そのために、台湾に大陸の軍事力を見せつけて、「独立を主張したりするなよ。そんなことをしたら、遠慮しないぞ」と威嚇している。そうではないんですか?
某氏:そこまで分かっているのなら、もう、何も言うことはない。日本を対象としているのではないことだけは本当だ。
以上が、某中国政府関係者との実際の会話だ。
台湾に関しては8月13日のコラム「中国の軍事パレードは台湾への威嚇」で分析した。
今般の取材を通して、その時には見えてこなかった中国の内心が見えてきた。
欧米諸国は、よくぞ参加しない選択を選んだものである。その見識に敬意を表する。
わが日本国の安倍首相は、一時、軍事パレード以外の抗日戦争勝利70周年行事に参加する可能性があることを中国側に伝えていたようだ。途中から国会日程のために「行かない」と表明したが、危ないところだった。
安倍内閣は、もっと中国の真意を研究しなければならないのではないだろうか。
遠藤誉
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◆最初は中露会談から始まった
2014年2月6日、ロシアのソチで開催されていた冬季五輪開会式に参加した習近平国家主席はプーチン大統領と会談し、2015年の抗日戦争勝利70周年記念式典に関して話しあった。会談後習近平国家主席は「私とプーチン大統領は、2015年に世界反ファシズム戦争ならびに中国人民抗日戦争勝利70周年記念行事を共同で開催することを決定した」と述べた。
一方、プーチン大統領は「欧州のナチス勢力によるソ連など欧州諸国への侵略および日本軍国主義が中国などアジア被害国の人々に対して犯した重大な罪が忘れ去られてはならない。中国側とともに努力して世界反ファシズム戦争ならびに中国人民抗日戦争勝利70周年記念表示の成功させたい」と表明した。
筆者が取材した某中国政府関係者によれば、このとき北京における70周年記念日で軍事パレードを催す方針が確認され、2015年5月8日にモスクワの赤の広場で催される反ファシスト戦勝70周年記念に行われる軍事パレードを是非とも参考にしてほしいということが話されたという。
習近平国家主席とプーチン大統領は2014年だけでも10回以上会談している。
ウクライナ問題で窮地に立たされたプーチン大統領としては軍事パレードに関して徹底的に習近平国家主席を支援することによって、中国をしっかりロシア側に引き寄せておきたい思惑があっただろう。
◆習近平国家主席の野望と狙い
しかし習近平国家主席としては、ロシアもさることながら、日本を含めた西側先進諸国のリーダーたちが9月3日の北京における軍事パレードに参加してほしいという強い渇望があった。
そこで先ずは経済で西側諸国を中国側になびかせようとして、AIIBアジアインフラ投資銀行や一帯一路(陸と海のシルクロード)などを全世界に呼びかけて、イギリスをはじめとしたヨーロッパ先進諸国の取り込みを成功させた。
日本とアメリカは参加しなかったので、大きな狙いは叶えられなかったものの、それでもヨーロッパ先進国を含めた世界の数十カ国もの国が、中国の経済力に魅せられて友好関係を保とうとしていることは、習近平国家主席にとっては、非常に心強い踏み台となった。
2015年6月23日、国務院新聞弁公室は記者会見を開き、9月3日の「中国人民抗日戦争と世界反ファシスト戦争勝利70周年記念行事」に関する詳細を説明するとともに、当日、軍事パレードを行うことを発表した。
「抗日戦争」の前に「中国人民」を付けたことはいくらか評価できるとしても、それでも「抗日戦争は国民党軍が主として戦い」、「新中国は、その国民党軍を倒して誕生した国」である。
だから抗日戦勝記念日に、「中国共産党政権」が軍事パレードを行うのは適切でない。
この点に関して筆者は「おかしいだろう!」と先述の某中国政府関係者に咬みついた。
すると意外にも某氏は「わかっている」と回答したのだ。
これには驚いた。
人生最後の賭けに出て、筆者は真実をすべて明らかにしようと命がけだ。某氏の「わかっている」という言葉に、ある種の感慨を覚えた。 彼らは「わかって」、やっているというのか――?
「それならなぜ、抗日戦勝記念日に軍事パレードなどやるのか?」
筆者は引き下がらなかった。
某氏は声を落しながら、「中国は長いこと欧米列強の植民地だった。だから、今、いかに強大になったかを示したいのだ」と言う。
「それならば、国慶節(建国記念日)にやればいいではないか。抗日戦争中、主戦場で戦っていなかった中国共産党軍が、その戦勝記念日に軍事パレードを強行するのは、何としても適切ではない」と筆者も譲らない。
結果、某氏は、中国の本音を漏らした。
「実は、中国としては、この軍事パレードに日本とかアメリカをはじめとした西側諸国のリーダーに参加してほしかった。そうすれば、中国人民に中国共産党の統治能力の高さを示すことができる。世界一流の国のリーダーたちが中国人民解放軍の軍事パレードに参加してくれれば、軍を管轄する中国共産党の権威も高まるではないか……」
以下は筆者と某氏と筆者の会話である。
筆者:では、人民に対する中国共産党の統治能力が低いと人民が思っているだろうと、中国政府が思っていることになるのだろうか?
某氏:いや、そういうわけではないが、しかし、やはり腐敗問題とかいろいろあって、共産党政権が権威を落しているのは確かだ。だから習近平は必死で腐敗撲滅をしている。でも……。
筆者:でも、求心力? 中国共産党の求心力がすでに落ちているということですね?
某氏:いや、そういうわけではないが、人民が不満を持っているのは確かだ。逆に、中華民族の夢と誇らしさを人民に与えてあげないと……。人民はそれを欲しがっている。
筆者:そのような目的のために、抗日戦争を利用してほしくない! 日本国民の気持ちを考えたことはあるのか? こういうことをすれば、日本人は反感を持つだけだ。それに、結局、日本もアメリカもヨーロッパの先進諸国も軍事パレードどころか記念行事そのものに参加しないのだから、結局、習近平はメンツを無くしただけではないか? 軍事パレードの提案など、しない方が良かったとは思わないか?
某氏:それは否定できない面も、ないではない……。
筆者:だったら、抗日戦争記念日に軍事パレードをやったりしないで、国慶節にやれば良かったのではないのか?
某氏:いやいや、国慶節の閲兵式は10年ごとだから、2019年まで待たなければならない(中国語では軍事パレードと言わずに閲兵式と言う)。
筆者:それまで待つと、台湾総統選挙問題に間に合わないということではないんですか?
◆もう一つの本音は来年の台湾総統選挙
某氏:えっ?! まるで政府内部のようなことを言うんだね。
筆者:それくらい分からなくてどうしますか? 来年の総統選挙で民進党が勝ちそうだから、台湾独立を主張したときには、中国は反分裂国家法により武力を行使するという威嚇をしているんでしょう?そのために、台湾に大陸の軍事力を見せつけて、「独立を主張したりするなよ。そんなことをしたら、遠慮しないぞ」と威嚇している。そうではないんですか?
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遠藤誉
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2015年08月26日
映画『カイロ宣言』の主役が毛沢東!――どこまで行くのか、中国の歴史改ざん(遠藤誉氏)
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9月3日に公開される中国の映画『カイロ宣言』のポスターの主役が、蒋介石に代わって毛沢東になっている。あまりの荒唐無稽に、中国のネットでは毛沢東の顔を金正恩に置き換えたりするコラージュが流行っている。
◆カイロ宣言のとき毛沢東は延安で大量粛清中だった
カイロ宣言は、今さら言うまでもないが、1943年11月22日からエジプトのカイロで開催された米英中三カ国代表による対日戦後処理に関する会議だ。アメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領の呼びかけでイギリスのチャーチル首相と中華民国・国民政府の蒋介石主席の3人で開催した(蒋介石が総統になるのは1948年5月)。
ソ連の最高指導者(ソ連共産党書記長)だったスターリンが蒋介石に会いたくないと言ったため、テヘランで11月28日から蒋介石抜きで米英ソ三カ国会議を開き、12月1日に対日戦後処理に関する「カイロ宣言」を出している。
このとき毛沢東は延安にいて、「延安整風」という大粛清を行っている真っ最中だった。
延安は中共軍が国民党軍に追われて、「長征」と呼ばれる逃亡の末に行きついた陝西省の山岳地帯である。道が険しいことから、日本軍の攻撃からも国民党軍からの攻撃からも遠く、中共の安定的な陣地として、割合に戦いのない日々を送っていた。
ところが1942年2月、毛沢東は「党の気風を整え改善しなければならない」ことを名目に、毛沢東にとって「気に食わない」共産党員の粛清を始めた。このときに殺された党員は(一般人民も含めて)1万人以上。ほとんど全員が冤罪だ。
この粛清運動は1945年5月まで続き、毛沢東による恐怖政治の始まりとなっている。
毛沢東らは国民党軍が日本軍と戦ってボロボロに弱体化するのを待っていた。
日本軍はソ連のスターリンがアメリカとタイアップして敗北させてくれるだろう。
毛沢東にとっては、日本敗戦後に中共軍が国民党軍を打倒したとき、新しく誕生する国家(中華人民共和国)の帝王に誰が立つか、それこそが最大の関心事だった。
だから、それまで国民党軍との長い内戦の中で、ともに戦ってきた仲間である共産党員を粛清することに没頭していたのである。
カイロ宣言とは無縁の場所で、無縁の日々を送っていた。
◆毛沢東の顔を金正恩に置き換える中国のネットユーザー
だというのに、抗日戦争70周年記念日である9月3日に封切するとされている映画『カイロ宣言』(中国文字では「開羅宣言」の簡体字)のポスターに、毛沢東の顔がクローズアップされている(うまくリンクできない時には、つぎの「コラージュ」をクリックして頂ければ、その中にある)。まるでカイロ宣言の主役的役割を果たしたのは「我が毛沢東」と言わんばかりだ。
いくらなんでも、それはないだろう――。
カイロ会談まで、蒋介石に代わって毛沢東が参加したということになるのか?
さすがの中国大陸のネット空間も驚きを越えて、「笑い」始めた。
そこで中国のネットユーザーが毛沢東の顔を北朝鮮の金正恩に代えたり、「えっ、カイロ会談に参加したのが毛沢東だっていうんならば、俺が参加したってホラ吹いても、アリじゃない?」というコラージュが、中国大陸のネット空間に一気に広がっていったのである。
ここでお示ししたコラージュは、中国大陸の、あの検閲の厳しい「百度空間」の画像だ。
「新開羅宣言」(新カイロ宣言)という、やけっぱちのものもある。
蒋介石とルーズベルトの間に毛沢東のイラストが描いてある。左から2番目だ。
この映画を制作したのは中国人民解放軍の「八一映画製作所」。
中国人民解放軍を管轄しているのは中央軍事委員会。
中央軍事委員会の主席は、ほかならぬ習近平主席である。
習近平主席が、この映画のチェックまでタッチしたのか否か疑問ではあるが、しかし、この歴史改ざんの責任は、立場上、取らなければならない。
◆中共がいかに歴史を改ざんしているかの証拠
ただ筆者にとっては、このポスターは実にありがたい存在だ。
中国共産党がいかに日中戦争時の事実を改ざんしているかを、如実に証明してくれるからである。
筆者は中国で生まれ育ち、日本敗戦後の国民党と共産党との間の国共内戦(革命戦争、または解放戦争とも)を経験し、死体の上で野宿した経験を持つ。そのとき中共軍は長春を市ごと食糧封鎖し、数十万人の無辜の民を餓死に追い込んでいる。この事実を認めない中国に対して、中国共産党とは何だったのか、毛沢東とは何だったのかを追い求め、真実を明らかにしようと、執筆活動に力を入れてきた。
その結果得た真実は、いま中国が宣伝している美談とは、あまりにかけ離れたものである。
これは、少なからぬ中国人にも、また中国の宣伝で洗脳されてしまっている一部の日本人にも、到底受け入れられないものかもしれない。
しかし、このような映画までが制作され、抗日戦争70周年記念日に公開されるという「国家事業」までが行われるのを知るにおよび、さすがに、そういった「洗脳されて真実を見る感覚を持ち得なくなってしまっている人々」も、中共の歴史改ざんを理解してくれるのではないだろうか。
筆者は反中でもなければ反共でもない。
そのようなイデオロギー的主義主張ではなく、ただ「真実を見よう」としているだけである。
歴史改ざんは中国にとっても最終的にはダメージを与えるし、「歴史カード」をいつまでも日本に突きつけてくるのは、日本人の中に反中的感情を巻き起こすだけで、いかなるいい結果をも生まない。
9月3日に向けて、中国のメディアは燃え上がらんばかりだ。
静かに客観的事実を見る視点を持つ日が来ることを祈る。
遠藤誉
東京福祉大学国際交流センター長、筑波大学名誉教授、理学博士
(ヤフーより)
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9月3日に公開される中国の映画『カイロ宣言』のポスターの主役が、蒋介石に代わって毛沢東になっている。あまりの荒唐無稽に、中国のネットでは毛沢東の顔を金正恩に置き換えたりするコラージュが流行っている。
◆カイロ宣言のとき毛沢東は延安で大量粛清中だった
カイロ宣言は、今さら言うまでもないが、1943年11月22日からエジプトのカイロで開催された米英中三カ国代表による対日戦後処理に関する会議だ。アメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領の呼びかけでイギリスのチャーチル首相と中華民国・国民政府の蒋介石主席の3人で開催した(蒋介石が総統になるのは1948年5月)。
ソ連の最高指導者(ソ連共産党書記長)だったスターリンが蒋介石に会いたくないと言ったため、テヘランで11月28日から蒋介石抜きで米英ソ三カ国会議を開き、12月1日に対日戦後処理に関する「カイロ宣言」を出している。
このとき毛沢東は延安にいて、「延安整風」という大粛清を行っている真っ最中だった。
延安は中共軍が国民党軍に追われて、「長征」と呼ばれる逃亡の末に行きついた陝西省の山岳地帯である。道が険しいことから、日本軍の攻撃からも国民党軍からの攻撃からも遠く、中共の安定的な陣地として、割合に戦いのない日々を送っていた。
ところが1942年2月、毛沢東は「党の気風を整え改善しなければならない」ことを名目に、毛沢東にとって「気に食わない」共産党員の粛清を始めた。このときに殺された党員は(一般人民も含めて)1万人以上。ほとんど全員が冤罪だ。
この粛清運動は1945年5月まで続き、毛沢東による恐怖政治の始まりとなっている。
毛沢東らは国民党軍が日本軍と戦ってボロボロに弱体化するのを待っていた。
日本軍はソ連のスターリンがアメリカとタイアップして敗北させてくれるだろう。
毛沢東にとっては、日本敗戦後に中共軍が国民党軍を打倒したとき、新しく誕生する国家(中華人民共和国)の帝王に誰が立つか、それこそが最大の関心事だった。
だから、それまで国民党軍との長い内戦の中で、ともに戦ってきた仲間である共産党員を粛清することに没頭していたのである。
カイロ宣言とは無縁の場所で、無縁の日々を送っていた。
◆毛沢東の顔を金正恩に置き換える中国のネットユーザー
だというのに、抗日戦争70周年記念日である9月3日に封切するとされている映画『カイロ宣言』(中国文字では「開羅宣言」の簡体字)のポスターに、毛沢東の顔がクローズアップされている(うまくリンクできない時には、つぎの「コラージュ」をクリックして頂ければ、その中にある)。まるでカイロ宣言の主役的役割を果たしたのは「我が毛沢東」と言わんばかりだ。
いくらなんでも、それはないだろう――。
カイロ会談まで、蒋介石に代わって毛沢東が参加したということになるのか?
さすがの中国大陸のネット空間も驚きを越えて、「笑い」始めた。
そこで中国のネットユーザーが毛沢東の顔を北朝鮮の金正恩に代えたり、「えっ、カイロ会談に参加したのが毛沢東だっていうんならば、俺が参加したってホラ吹いても、アリじゃない?」というコラージュが、中国大陸のネット空間に一気に広がっていったのである。
ここでお示ししたコラージュは、中国大陸の、あの検閲の厳しい「百度空間」の画像だ。
「新開羅宣言」(新カイロ宣言)という、やけっぱちのものもある。
蒋介石とルーズベルトの間に毛沢東のイラストが描いてある。左から2番目だ。
この映画を制作したのは中国人民解放軍の「八一映画製作所」。
中国人民解放軍を管轄しているのは中央軍事委員会。
中央軍事委員会の主席は、ほかならぬ習近平主席である。
習近平主席が、この映画のチェックまでタッチしたのか否か疑問ではあるが、しかし、この歴史改ざんの責任は、立場上、取らなければならない。
◆中共がいかに歴史を改ざんしているかの証拠
ただ筆者にとっては、このポスターは実にありがたい存在だ。
中国共産党がいかに日中戦争時の事実を改ざんしているかを、如実に証明してくれるからである。
筆者は中国で生まれ育ち、日本敗戦後の国民党と共産党との間の国共内戦(革命戦争、または解放戦争とも)を経験し、死体の上で野宿した経験を持つ。そのとき中共軍は長春を市ごと食糧封鎖し、数十万人の無辜の民を餓死に追い込んでいる。この事実を認めない中国に対して、中国共産党とは何だったのか、毛沢東とは何だったのかを追い求め、真実を明らかにしようと、執筆活動に力を入れてきた。
その結果得た真実は、いま中国が宣伝している美談とは、あまりにかけ離れたものである。
これは、少なからぬ中国人にも、また中国の宣伝で洗脳されてしまっている一部の日本人にも、到底受け入れられないものかもしれない。
しかし、このような映画までが制作され、抗日戦争70周年記念日に公開されるという「国家事業」までが行われるのを知るにおよび、さすがに、そういった「洗脳されて真実を見る感覚を持ち得なくなってしまっている人々」も、中共の歴史改ざんを理解してくれるのではないだろうか。
筆者は反中でもなければ反共でもない。
そのようなイデオロギー的主義主張ではなく、ただ「真実を見よう」としているだけである。
歴史改ざんは中国にとっても最終的にはダメージを与えるし、「歴史カード」をいつまでも日本に突きつけてくるのは、日本人の中に反中的感情を巻き起こすだけで、いかなるいい結果をも生まない。
9月3日に向けて、中国のメディアは燃え上がらんばかりだ。
静かに客観的事実を見る視点を持つ日が来ることを祈る。
遠藤誉
東京福祉大学国際交流センター長、筑波大学名誉教授、理学博士
(ヤフーより)
2015年08月18日
内閣総理大臣談話
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平成27年8月14日
内閣総理大臣談話[閣議決定]
終戦七十年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、二十世紀という時代を、私たちは、心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます。
百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。
世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。
当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。
満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。
そして七十年前。日本は、敗戦しました。
戦後七十年にあたり、国内外に斃れたすべての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます。
先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。
戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。
何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。
これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。
二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。
事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。
先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。七十年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。
我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。
こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。
ただ、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々の辛い記憶は、これからも、決して癒えることはないでしょう。
ですから、私たちは、心に留めなければなりません。
戦後、六百万人を超える引揚者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実を。中国に置き去りにされた三千人近い日本人の子どもたちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。
戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。
そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。
寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。
日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。
私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、命をつなぐことができた。そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと、未来をつないでいくことができる。それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈に戦った、米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、恩讐を越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。
そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります。
私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります。
私たちは、二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。二十一世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります。
私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引してまいります。繁栄こそ、平和の礎です。暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。
私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。
終戦八十年、九十年、さらには百年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります。
平成二十七年八月十四日
内閣総理大臣 安倍 晋三
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平成27年8月14日
内閣総理大臣談話[閣議決定]
終戦七十年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、二十世紀という時代を、私たちは、心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます。
百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。
世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。
当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。
満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。
そして七十年前。日本は、敗戦しました。
戦後七十年にあたり、国内外に斃れたすべての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます。
先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。
戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。
何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。
これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。
二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。
事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。
先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。七十年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。
我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。
こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。
ただ、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々の辛い記憶は、これからも、決して癒えることはないでしょう。
ですから、私たちは、心に留めなければなりません。
戦後、六百万人を超える引揚者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実を。中国に置き去りにされた三千人近い日本人の子どもたちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。
戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。
そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。
寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。
日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。
私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、命をつなぐことができた。そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと、未来をつないでいくことができる。それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈に戦った、米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、恩讐を越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。
そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります。
私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります。
私たちは、二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。二十一世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります。
私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引してまいります。繁栄こそ、平和の礎です。暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。
私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。
終戦八十年、九十年、さらには百年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります。
平成二十七年八月十四日
内閣総理大臣 安倍 晋三
2015年08月03日
兵力の10%しか抗日に使うな!――抗日戦争時の毛沢東(遠藤誉)
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習近平総書記は中共中央政治局の抗日戦争に関する学習会で「歴史資料の収集と整理」をするよう指示したが、抗日戦争時、毛沢東が中共軍の兵力の10%しか抗日に使ってはならないと言ったことを正視できるだろうか?
◆兵力の10%しか抗日戦争に使ってはならないと命令した毛沢東
1937年7月7日、北京の郊外で盧溝橋事件が起き日中全面戦争に突入した。中国では「7月7日」にちなんで、この事件を「七七事変」と称する。
前年1936年の夏以降、毛沢東は国民党側の張学良を説得し、蒋介石に国共合作(国民党と共産党の合作)を呼び掛けるように働きかけていた。なぜなら蒋介石・国民党軍による中共掃討作戦があまりに激しくて、このままでは中共は滅亡の危機にあったからだ。
中共側スパイに説得され、中共側に半ば寝返った張学良は、同年12月12日、西安に来た蒋介石を拉致監禁して国共合作を呑ませる(西安事変)。
その結果、中共軍は国民党軍に編制され、通称「八路軍」と「新四軍」になり、国民党政府から軍費をもらい、生き延びることができた。
七七事変が起きた一カ月ほど後の8月22日、中共中央は陝西省洛川(らくせん)で中共中央政治局拡大会議を開いた。これを「洛川会議」と称する。洛川会議で表面上は「中国共産党抗日十大綱領」なるものを決議発布しているが、同時に「極秘命令」を毛沢東は出している。
これはあまりに極秘であるため文字化せず、口頭でのみ部隊に伝えられたのだが、それを口外した者がいた。
その人の名は李法卿(きょう)。
八路軍(第十八集団軍)独立第一師楊成武部騎兵連共産支部書記という身分にあった八路軍の幹部だ。1940年になって八路軍から逃げ出した後に語ったものだとされている。八路軍が陝北を出発しようとしたとき、毛沢東は八路軍の幹部を集めて、つぎのように指示したという。
中日の戦いは、我が党の発展にとって絶好の機会だ。われわれが決めた政策は「70%は我が党の発展のために使い、20%は(国民党との)妥協のために使う。残りの10%だけを対日戦争のために使う」ということである。もし総部と連絡が取れなくなったような事態になっても、以下のことを守るように。この戦略は以下の三つの段階に分けることができる。
その一:(国民党との)妥協段階。この段階においては自己犠牲を以て表面上は、あたかも国民政府に服従しているようなふりをする。三民主義を唱えているようにふるまうが、しかし実際上は我が党の生存発展を覆い隠すためだ。
その二:競争段階。2,3年の時間を使って、我が党の政治と武力の基礎を築き、国民党政府に対抗でき、かつ国民政府を破壊できる段階に達するまで、この戦いを継続すること。同時に、国民党軍の黄河以北の勢力を消滅させよ!
その三:進撃段階。この段階に至ると、華中地区に深く入り込み根拠地を創って、中央軍(国民党軍)の各地区における交通手段を切断し、彼らが孤立して互いに連携できないように持って行く。これは我が党の反撃の力が十分に熟成するまで行い続ける。そののち最後に国民党の手中から指導的地位を奪うのである。
毛沢東の作戦能力はすさまじい。
本気でこれを実行させて、最終的には中共軍を勝利に導いたのだから。
◆情報の信憑性を求めて台北へ
この情報は1977年に梅良眉氏が著した『対日抗戦期間中共統戦策略之研究(対日抗戦期間における中国共産党の統一戦線戦略の研究)』(正中文庫)の第三章第四節「毛沢東が八路軍に出した秘密指示」(41頁〜42頁)に書いてある。ただ、この情報には引用文献があり、そこには
●『剿匪(しょうひ)戦史』第十一冊、1035頁(剿匪:中共掃討。蒋介石側から見れば中共は政府への反逆者なので匪賊と称していた。共匪とも)
●『中共党的策略路線(中国共産党の戦略路線)』、張浩之講演原稿付録
とある。
この本を探したが日本にはなく、唯一、台北の国家図書館に同一書名の本があることを突きとめ、筆者は台北に向かった。
台北の国家図書館で『中共党的策略路線』と『剿匪戦史』を手にしたときには、まるで遠い異国の宝島で宝物を見つけたようなときめきを覚えた。ページをめくるのももどかしく、まずは著者名を見る。
すると『中共党的策略路線』の著者というか編集者は、「司法行政部調査局」であった。つまり中華民国の行政部の編纂による。出版されたのは中華民国四十五年、すなわち1956年だ。ここには毛沢東が国共合作後に実行した戦略や内部指令が、ことこまかに書かれている。
あの時代、互いに裏切り、寝返り、欺き、スパイなどという言葉では表現しきれないほどの諜報活動が国共両軍ともに混然一体となって展開されていた。中共内部の極秘資料を入手することなど簡単なことだっただろう。
李法卿の証言に関しては、68頁に付録として書いてある。
ただし「十八集団軍某部共産党支部書記×××君」と匿名にしてある。
その上で「×××君の談話」という形で李法卿の証言が詳細に書いてある。
思うに、1956年の時点では李法卿がまだ存命中で、実名が分かると暗殺とか何らかの危害を加えられる危険性があったためであると推測される。
この「×××君」と匿名にしてあることこそが、逆に事実の信憑性を高めたと考えていいだろう。
その後、1970年代半ばには、李法卿氏はおそらく逝去された。だから危害が加わる恐れはないということと、梅良眉氏自身、年齢的限界もあるので、生きている内に真実を残したいと思って、実名を用いてあらためて証言を書いたということではないのだろうか。
そしてこの記録には参考文献がなかった。
つまりこれこそが第一次資料だったのである。
つぎに『剿匪戦史』を見てみた。
著者は蒋中正、すなわち蒋介石自身だった。国防部史政局による編纂で中華民国五十一年、すなわち1962年に書いている。その一〇三五頁には、「民国二十六年(1937年)秋、朱徳が第十八集団軍を引率して陝北を出発するとき、毛匪沢東(毛沢東のこと。蒋介石は毛沢東のことを言うとき、基本的に毛のあとに匪賊の匪の文字を付けている)はその傘下にある幹部たちを集めて指示を出した、となっている。朱徳が引率していたと、かなり具体的だ。そのとき集めた情報から、朱徳だったことが特定できるようになったのだろう。
◆百団大戦を戦った彭徳懐は粛清された
八路軍は主として小さなゲリラ戦だけをときどき戦い、それを八路軍の奮戦と戦勝として針小棒大に宣伝し、人民の心を八路軍側に引き寄せるようにせよ、という指示を毛沢東は出していた。同時に「絶対に第一線の大きな戦いに挑んではならない」とも、厳重に言い渡してあった。
なぜなら、もし日本軍に八路軍が強いとわかると、日本軍は八路軍をやっつけに来る。だから第一線で大きな戦いはしてはならないと、厳重に禁止していたのだ。
にもかかわらず、戦場の武将たちは戦果をあげたいと血気がはやる。
たとえば百団大戦。
これは彭徳懐・八路軍副総指揮官が百個の団を組織して1940年8月に日本軍と真正面から戦った戦いで、日本軍の補給網に多大な損害を与え、大きな戦果を挙げた。最初は20団ほどで戦おうとしたのだが、他の八路軍の戦意が高く、誰も黙って見ているわけにはいかなくなって、われもわれもと参戦し始め、気がつけば百団に膨れ上がっていたのだという。
八路軍は事実、戦えば勇猛果敢だった。だから戦いたい。
しかし毛沢東が第一線で戦うことを許さなかったのである。
それでも戦い出せば、もう負けるわけにはいかない。
のちに日本軍の対支派遣軍総司令官となる岡村寧次大将も、八路軍の強さに度肝を抜き、彭徳懐を高く評価している。
ところが毛沢東は彭徳懐を激しく非難し、「あれほど目立つ戦いをしてはダメだと言ったはずだ」と叱責した。
彭徳懐は新中国(中華人民共和国)誕生後、1958年の廬山会議で粛清され、文化大革命(1966年〜1976年)の中、激しい暴行を受けたのち獄死している。
八路軍が実際に抗日戦争に参加したのは、わずかなゲリラ戦だけであって、それ以外は、「宣伝」によって一般人民や国民党兵士などを洗脳しただけだった。第一線で戦ったのは国民党軍であって、西安事変のもくろみ通り、国民党軍を日本軍と戦わせて弱体化させ、その間に共産党は拡大していったのである。
◆習近平総書記のスピーチ
習近平総書記は、この厳然たる事実を直視する勇気を持っているだろうか?
また1930年代から洗脳され続けてきた中国人民は、感覚的に真実を見る心情を持ちうるだろうか?
7月30日午後に開催された中共中央政治局学習会で、習近平総書記は以下のように語っている。
「中国人民抗日戦争に対する研究を深く行う際、正しい歴史観を堅持し、企画と力の統合を強化し、歴史資料の収集と整理を強め、宣伝活動に力を入れなければならない。歴史に語ってもらう。史実に基づいて発言する。中国人民抗日戦争の重要な意義と、中国人民抗日戦争が世界反ファシズム戦争における重要な地位、及び中国共産党の重要な役割が中国人民抗日戦争を勝利へと導いた要などの重要な問題に対し研究を行うと同時に深入りした解釈をするべきだ」
中国共産党が抗日戦争で果たした役割が、どのようなものであったか、冷静に科学的に研究していく勇気を中国は持ってほしい。
それは決して日中戦争を起こした日本を正当化することにはつながらない。
しかし中国が「中国共産党こそが抗日戦争の前面で戦い、抗日戦争を勝利に導いた」として歴史認識カードを日本に突きつければ突きつけるほど、日本では嫌中家が増え、中国が批判している「日本の右傾化」をうながす。中国は本気で日本の右傾化を嫌っているのだろうか?
もしそうなら、「中華人民共和国は抗日戦争中、第一線で戦っている国民党軍を影からやっつけ、1945年8月15日以降は真正面からやっつけて、1949年10月1日に誕生した国である」ことを、直視すべきだろう。
遠藤誉
東京福祉大学国際交流センター長、筑波大学名誉教授、理学博士
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◆兵力の10%しか抗日戦争に使ってはならないと命令した毛沢東
1937年7月7日、北京の郊外で盧溝橋事件が起き日中全面戦争に突入した。中国では「7月7日」にちなんで、この事件を「七七事変」と称する。
前年1936年の夏以降、毛沢東は国民党側の張学良を説得し、蒋介石に国共合作(国民党と共産党の合作)を呼び掛けるように働きかけていた。なぜなら蒋介石・国民党軍による中共掃討作戦があまりに激しくて、このままでは中共は滅亡の危機にあったからだ。
中共側スパイに説得され、中共側に半ば寝返った張学良は、同年12月12日、西安に来た蒋介石を拉致監禁して国共合作を呑ませる(西安事変)。
その結果、中共軍は国民党軍に編制され、通称「八路軍」と「新四軍」になり、国民党政府から軍費をもらい、生き延びることができた。
七七事変が起きた一カ月ほど後の8月22日、中共中央は陝西省洛川(らくせん)で中共中央政治局拡大会議を開いた。これを「洛川会議」と称する。洛川会議で表面上は「中国共産党抗日十大綱領」なるものを決議発布しているが、同時に「極秘命令」を毛沢東は出している。
これはあまりに極秘であるため文字化せず、口頭でのみ部隊に伝えられたのだが、それを口外した者がいた。
その人の名は李法卿(きょう)。
八路軍(第十八集団軍)独立第一師楊成武部騎兵連共産支部書記という身分にあった八路軍の幹部だ。1940年になって八路軍から逃げ出した後に語ったものだとされている。八路軍が陝北を出発しようとしたとき、毛沢東は八路軍の幹部を集めて、つぎのように指示したという。
中日の戦いは、我が党の発展にとって絶好の機会だ。われわれが決めた政策は「70%は我が党の発展のために使い、20%は(国民党との)妥協のために使う。残りの10%だけを対日戦争のために使う」ということである。もし総部と連絡が取れなくなったような事態になっても、以下のことを守るように。この戦略は以下の三つの段階に分けることができる。
その一:(国民党との)妥協段階。この段階においては自己犠牲を以て表面上は、あたかも国民政府に服従しているようなふりをする。三民主義を唱えているようにふるまうが、しかし実際上は我が党の生存発展を覆い隠すためだ。
その二:競争段階。2,3年の時間を使って、我が党の政治と武力の基礎を築き、国民党政府に対抗でき、かつ国民政府を破壊できる段階に達するまで、この戦いを継続すること。同時に、国民党軍の黄河以北の勢力を消滅させよ!
その三:進撃段階。この段階に至ると、華中地区に深く入り込み根拠地を創って、中央軍(国民党軍)の各地区における交通手段を切断し、彼らが孤立して互いに連携できないように持って行く。これは我が党の反撃の力が十分に熟成するまで行い続ける。そののち最後に国民党の手中から指導的地位を奪うのである。
毛沢東の作戦能力はすさまじい。
本気でこれを実行させて、最終的には中共軍を勝利に導いたのだから。
◆情報の信憑性を求めて台北へ
この情報は1977年に梅良眉氏が著した『対日抗戦期間中共統戦策略之研究(対日抗戦期間における中国共産党の統一戦線戦略の研究)』(正中文庫)の第三章第四節「毛沢東が八路軍に出した秘密指示」(41頁〜42頁)に書いてある。ただ、この情報には引用文献があり、そこには
●『剿匪(しょうひ)戦史』第十一冊、1035頁(剿匪:中共掃討。蒋介石側から見れば中共は政府への反逆者なので匪賊と称していた。共匪とも)
●『中共党的策略路線(中国共産党の戦略路線)』、張浩之講演原稿付録
とある。
この本を探したが日本にはなく、唯一、台北の国家図書館に同一書名の本があることを突きとめ、筆者は台北に向かった。
台北の国家図書館で『中共党的策略路線』と『剿匪戦史』を手にしたときには、まるで遠い異国の宝島で宝物を見つけたようなときめきを覚えた。ページをめくるのももどかしく、まずは著者名を見る。
すると『中共党的策略路線』の著者というか編集者は、「司法行政部調査局」であった。つまり中華民国の行政部の編纂による。出版されたのは中華民国四十五年、すなわち1956年だ。ここには毛沢東が国共合作後に実行した戦略や内部指令が、ことこまかに書かれている。
あの時代、互いに裏切り、寝返り、欺き、スパイなどという言葉では表現しきれないほどの諜報活動が国共両軍ともに混然一体となって展開されていた。中共内部の極秘資料を入手することなど簡単なことだっただろう。
李法卿の証言に関しては、68頁に付録として書いてある。
ただし「十八集団軍某部共産党支部書記×××君」と匿名にしてある。
その上で「×××君の談話」という形で李法卿の証言が詳細に書いてある。
思うに、1956年の時点では李法卿がまだ存命中で、実名が分かると暗殺とか何らかの危害を加えられる危険性があったためであると推測される。
この「×××君」と匿名にしてあることこそが、逆に事実の信憑性を高めたと考えていいだろう。
その後、1970年代半ばには、李法卿氏はおそらく逝去された。だから危害が加わる恐れはないということと、梅良眉氏自身、年齢的限界もあるので、生きている内に真実を残したいと思って、実名を用いてあらためて証言を書いたということではないのだろうか。
そしてこの記録には参考文献がなかった。
つまりこれこそが第一次資料だったのである。
つぎに『剿匪戦史』を見てみた。
著者は蒋中正、すなわち蒋介石自身だった。国防部史政局による編纂で中華民国五十一年、すなわち1962年に書いている。その一〇三五頁には、「民国二十六年(1937年)秋、朱徳が第十八集団軍を引率して陝北を出発するとき、毛匪沢東(毛沢東のこと。蒋介石は毛沢東のことを言うとき、基本的に毛のあとに匪賊の匪の文字を付けている)はその傘下にある幹部たちを集めて指示を出した、となっている。朱徳が引率していたと、かなり具体的だ。そのとき集めた情報から、朱徳だったことが特定できるようになったのだろう。
◆百団大戦を戦った彭徳懐は粛清された
八路軍は主として小さなゲリラ戦だけをときどき戦い、それを八路軍の奮戦と戦勝として針小棒大に宣伝し、人民の心を八路軍側に引き寄せるようにせよ、という指示を毛沢東は出していた。同時に「絶対に第一線の大きな戦いに挑んではならない」とも、厳重に言い渡してあった。
なぜなら、もし日本軍に八路軍が強いとわかると、日本軍は八路軍をやっつけに来る。だから第一線で大きな戦いはしてはならないと、厳重に禁止していたのだ。
にもかかわらず、戦場の武将たちは戦果をあげたいと血気がはやる。
たとえば百団大戦。
これは彭徳懐・八路軍副総指揮官が百個の団を組織して1940年8月に日本軍と真正面から戦った戦いで、日本軍の補給網に多大な損害を与え、大きな戦果を挙げた。最初は20団ほどで戦おうとしたのだが、他の八路軍の戦意が高く、誰も黙って見ているわけにはいかなくなって、われもわれもと参戦し始め、気がつけば百団に膨れ上がっていたのだという。
八路軍は事実、戦えば勇猛果敢だった。だから戦いたい。
しかし毛沢東が第一線で戦うことを許さなかったのである。
それでも戦い出せば、もう負けるわけにはいかない。
のちに日本軍の対支派遣軍総司令官となる岡村寧次大将も、八路軍の強さに度肝を抜き、彭徳懐を高く評価している。
ところが毛沢東は彭徳懐を激しく非難し、「あれほど目立つ戦いをしてはダメだと言ったはずだ」と叱責した。
彭徳懐は新中国(中華人民共和国)誕生後、1958年の廬山会議で粛清され、文化大革命(1966年〜1976年)の中、激しい暴行を受けたのち獄死している。
八路軍が実際に抗日戦争に参加したのは、わずかなゲリラ戦だけであって、それ以外は、「宣伝」によって一般人民や国民党兵士などを洗脳しただけだった。第一線で戦ったのは国民党軍であって、西安事変のもくろみ通り、国民党軍を日本軍と戦わせて弱体化させ、その間に共産党は拡大していったのである。
◆習近平総書記のスピーチ
習近平総書記は、この厳然たる事実を直視する勇気を持っているだろうか?
また1930年代から洗脳され続けてきた中国人民は、感覚的に真実を見る心情を持ちうるだろうか?
7月30日午後に開催された中共中央政治局学習会で、習近平総書記は以下のように語っている。
「中国人民抗日戦争に対する研究を深く行う際、正しい歴史観を堅持し、企画と力の統合を強化し、歴史資料の収集と整理を強め、宣伝活動に力を入れなければならない。歴史に語ってもらう。史実に基づいて発言する。中国人民抗日戦争の重要な意義と、中国人民抗日戦争が世界反ファシズム戦争における重要な地位、及び中国共産党の重要な役割が中国人民抗日戦争を勝利へと導いた要などの重要な問題に対し研究を行うと同時に深入りした解釈をするべきだ」
中国共産党が抗日戦争で果たした役割が、どのようなものであったか、冷静に科学的に研究していく勇気を中国は持ってほしい。
それは決して日中戦争を起こした日本を正当化することにはつながらない。
しかし中国が「中国共産党こそが抗日戦争の前面で戦い、抗日戦争を勝利に導いた」として歴史認識カードを日本に突きつければ突きつけるほど、日本では嫌中家が増え、中国が批判している「日本の右傾化」をうながす。中国は本気で日本の右傾化を嫌っているのだろうか?
もしそうなら、「中華人民共和国は抗日戦争中、第一線で戦っている国民党軍を影からやっつけ、1945年8月15日以降は真正面からやっつけて、1949年10月1日に誕生した国である」ことを、直視すべきだろう。
遠藤誉
東京福祉大学国際交流センター長、筑波大学名誉教授、理学博士