2015年03月
2015年03月17日
江沢民の古巣「一汽」トップ落馬――自動車最大手の董事長(遠藤誉氏)
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日本政策学校の「田村塾」が開講されました。 塾生が40人を突破しました!ありがとうございます。
長春にある中国の自動車最大手国有企業「一汽」(イーチー)の董事長・徐健一が落馬した。一汽は江沢民元国家主席がスタートを切った古巣。WTO加盟の際に中国が最も力を入れた企業だ。その道筋と落馬の意味を考察する。
◆江沢民スタートの地――中国第一汽車集団(一汽)
江沢民(1926年〜)の実父・江世俊は日本の傀儡政権であった汪兆銘政府の宣伝部副部長を務めていた。国民党特務機関の一員でもあった。だから家は裕福で、小さいころからピアノ、ダンスや書道などを学ぶ裕福な生活を送り、大学も日本軍関係の子弟が行く南京中央大学に通っている。専門は電機学。日本軍系列だったので、外国語として日本語も学び、多少の日本語を話す。
酒が入って酔いがまわると、「月が出た出たぁ〜、月が出たぁ、ヨイヨイ。三池炭坑〜の、上に出たぁ〜」と、三池炭坑の「炭坑節(たんこうぶし)」が出てくることで有名だ。
ところが日本が敗戦すると、突然出自を偽り、実父の腹違いの(父親の妾の)弟で中国共産党の革命幹部であった江上青(江世候。1939年戦死)の養子であったと偽り出自を隠ぺいした。
46年4月に江沢民はあわてて中国共産党に入党し、革命烈士の子息として何とか生き延びている。47年に上海市にあるアメリカ資本の「海寧洋行」傘下の食品工場で動力科学技術工程師として働き始めた。49年5月に上海市が中国人民解放軍によって解放されると、この工場は「上海益民食品一廠」と改名。
本来なら、このまま一介の工場労働者として終わるはずの一生だったが、なんとこの工場の社長が、現在の習近平政権下で中共中央政治局委員を務めている汪洋(現在、国務院副総理)の母親だったのである。父親の汪道涵(1915年〜2005年)は当時、華東軍政委委員会工業部部長で、上海軍管会の重工業部門を担当していた。
汪道涵は、江沢民が養子に行ったと偽っている江上青の戦友だった。
中華人民共和国建国後、第一機械工業部の副部長(副大臣)になっていた汪道涵は、戦死した戦友を弔うために、まず江沢民を第一機械工業部の上海市直属機関である第二設計分局の電器科長に任ずる。53年のことである。江沢民、出世の第一歩が始まった。
ソ連の協力により第一次五カ年計画がスタートし、54年には第一機械工業部が自動車工業振興の任を担うことになった。すると汪道涵は早速江沢民を五カ年計画の大きな柱の一つである長春の「一汽(第一自動車)」に派遣した。一汽に派遣しておけば、その後、中央政府に呼びやすくなると考えたからだ。
こうして、こんにちの江沢民の地位がある。
◆WTO加盟のために必死になって力を入れた自動車産業
中国がWTO(世界貿易機関)に加盟するに当たって、WTO側は自動車などの輸入の際の関税引き下げを絶対条件とした。当時、たとえば100万円の日本車だと、2倍近くの関税がかかり、中国では200万円以上出さないと買えない。その関税を引き下げ、安い価格で高性能の日本車を販売すれば、中国の国産車は壊滅的打撃を受ける。
そこで中国は「東北大振興」という国家プロジェクトを掲げて、何とか国産車、特に乗用車(自家用車)の技術 を高めようと国を上げて邁進し始めた。それまでは軍用車や輸送トラックなどに力を入れていて、乗用車は外車に頼ることが多かった。
筆者が取材した当時(21世紀初頭)、長春市の市長だった祝業精は、この乗用車技術導入のために、先進諸外国と交渉をしていた責任者だった。
日中国交正常化以降は日野自動車をはじめ、スズキ、いすゞ、ダイハツなどが技術協力をしていてくれたが、90年代にWTO加盟のための技術協力を呼び掛けたとき、名乗りを上げたのはドイツのフォルクスワーゲンだった。「フォルクス」は大衆という意味で、「ワーゲン」は車という意味。まさに「大衆の車」の技術が欲しかった。こうしてフォルクスワーゲンは、中国では「大衆」という名で広くいきわたるようになる。
◆一汽は、江沢民にとって「別荘」のようなもの
その一汽、初期のころは必死だった。
しかし江沢民が上海閥として利権集団と化したころになると、一汽は江沢民の「北の別荘」のような位置づけになってしまう。
それが大きく目立ち始めたのは、中国が14%台を越えるGDP成長率を示し始めた2007年あたりからだ。これはつまり、江沢民利権集団の腹心・周永康がチャイナ・ナイン(胡錦濤時代の中共中央政治局常務委員会委員9人)入りした年である。
今般落馬した徐健一は、その周永康の親族がアウディ販売店を出すに当たって便宜を図っている。祝業精・元長春市長と会ったとき、筆者は実はこの徐健一・元董事長にも会っている。彼はそのとき、ドイツの高級車アウディの話ばかりしていた。
今ではA6L、A4L、Q5、Q3の4車種を生産している。
そのアウディ車販売などを通して、あの徐健一氏が周永康とつながり、江沢民の北の別荘地で腐敗にまみれていたとなると、なんとも言えぬ気持になる。
一汽が建てられたその地は、まさに1948年9月に食糧封鎖された長春を脱出するために潜った二重の包囲網「チャーズ」があった場所だ。
餓死体が敷き詰められていたあの荒野の高粱(こうりゃん)畑は、何という歴史を見てきたことだろう。革命のために犠牲になった数十万の中国の民の死体の山の上で、民を助けるために戦ったはずの共産党が、腐敗の温床と化している。
そこは、江沢民がスタートした古巣であり、砦の一つだった。
そこにメスが入ったことは、習近平政権の腐敗撲滅運動が新たな段階に入ったことを意味する。
(ヤフーより)
遠藤誉
東京福祉大学国際交流センター長、筑波大学名誉教授、理学博士
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◆江沢民スタートの地――中国第一汽車集団(一汽)
江沢民(1926年〜)の実父・江世俊は日本の傀儡政権であった汪兆銘政府の宣伝部副部長を務めていた。国民党特務機関の一員でもあった。だから家は裕福で、小さいころからピアノ、ダンスや書道などを学ぶ裕福な生活を送り、大学も日本軍関係の子弟が行く南京中央大学に通っている。専門は電機学。日本軍系列だったので、外国語として日本語も学び、多少の日本語を話す。
酒が入って酔いがまわると、「月が出た出たぁ〜、月が出たぁ、ヨイヨイ。三池炭坑〜の、上に出たぁ〜」と、三池炭坑の「炭坑節(たんこうぶし)」が出てくることで有名だ。
ところが日本が敗戦すると、突然出自を偽り、実父の腹違いの(父親の妾の)弟で中国共産党の革命幹部であった江上青(江世候。1939年戦死)の養子であったと偽り出自を隠ぺいした。
46年4月に江沢民はあわてて中国共産党に入党し、革命烈士の子息として何とか生き延びている。47年に上海市にあるアメリカ資本の「海寧洋行」傘下の食品工場で動力科学技術工程師として働き始めた。49年5月に上海市が中国人民解放軍によって解放されると、この工場は「上海益民食品一廠」と改名。
本来なら、このまま一介の工場労働者として終わるはずの一生だったが、なんとこの工場の社長が、現在の習近平政権下で中共中央政治局委員を務めている汪洋(現在、国務院副総理)の母親だったのである。父親の汪道涵(1915年〜2005年)は当時、華東軍政委委員会工業部部長で、上海軍管会の重工業部門を担当していた。
汪道涵は、江沢民が養子に行ったと偽っている江上青の戦友だった。
中華人民共和国建国後、第一機械工業部の副部長(副大臣)になっていた汪道涵は、戦死した戦友を弔うために、まず江沢民を第一機械工業部の上海市直属機関である第二設計分局の電器科長に任ずる。53年のことである。江沢民、出世の第一歩が始まった。
ソ連の協力により第一次五カ年計画がスタートし、54年には第一機械工業部が自動車工業振興の任を担うことになった。すると汪道涵は早速江沢民を五カ年計画の大きな柱の一つである長春の「一汽(第一自動車)」に派遣した。一汽に派遣しておけば、その後、中央政府に呼びやすくなると考えたからだ。
こうして、こんにちの江沢民の地位がある。
◆WTO加盟のために必死になって力を入れた自動車産業
中国がWTO(世界貿易機関)に加盟するに当たって、WTO側は自動車などの輸入の際の関税引き下げを絶対条件とした。当時、たとえば100万円の日本車だと、2倍近くの関税がかかり、中国では200万円以上出さないと買えない。その関税を引き下げ、安い価格で高性能の日本車を販売すれば、中国の国産車は壊滅的打撃を受ける。
そこで中国は「東北大振興」という国家プロジェクトを掲げて、何とか国産車、特に乗用車(自家用車)の技術 を高めようと国を上げて邁進し始めた。それまでは軍用車や輸送トラックなどに力を入れていて、乗用車は外車に頼ることが多かった。
筆者が取材した当時(21世紀初頭)、長春市の市長だった祝業精は、この乗用車技術導入のために、先進諸外国と交渉をしていた責任者だった。
日中国交正常化以降は日野自動車をはじめ、スズキ、いすゞ、ダイハツなどが技術協力をしていてくれたが、90年代にWTO加盟のための技術協力を呼び掛けたとき、名乗りを上げたのはドイツのフォルクスワーゲンだった。「フォルクス」は大衆という意味で、「ワーゲン」は車という意味。まさに「大衆の車」の技術が欲しかった。こうしてフォルクスワーゲンは、中国では「大衆」という名で広くいきわたるようになる。
◆一汽は、江沢民にとって「別荘」のようなもの
その一汽、初期のころは必死だった。
しかし江沢民が上海閥として利権集団と化したころになると、一汽は江沢民の「北の別荘」のような位置づけになってしまう。
それが大きく目立ち始めたのは、中国が14%台を越えるGDP成長率を示し始めた2007年あたりからだ。これはつまり、江沢民利権集団の腹心・周永康がチャイナ・ナイン(胡錦濤時代の中共中央政治局常務委員会委員9人)入りした年である。
今般落馬した徐健一は、その周永康の親族がアウディ販売店を出すに当たって便宜を図っている。祝業精・元長春市長と会ったとき、筆者は実はこの徐健一・元董事長にも会っている。彼はそのとき、ドイツの高級車アウディの話ばかりしていた。
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そのアウディ車販売などを通して、あの徐健一氏が周永康とつながり、江沢民の北の別荘地で腐敗にまみれていたとなると、なんとも言えぬ気持になる。
一汽が建てられたその地は、まさに1948年9月に食糧封鎖された長春を脱出するために潜った二重の包囲網「チャーズ」があった場所だ。
餓死体が敷き詰められていたあの荒野の高粱(こうりゃん)畑は、何という歴史を見てきたことだろう。革命のために犠牲になった数十万の中国の民の死体の山の上で、民を助けるために戦ったはずの共産党が、腐敗の温床と化している。
そこは、江沢民がスタートした古巣であり、砦の一つだった。
そこにメスが入ったことは、習近平政権の腐敗撲滅運動が新たな段階に入ったことを意味する。
(ヤフーより)
遠藤誉
東京福祉大学国際交流センター長、筑波大学名誉教授、理学博士
2015年03月16日
北岡伸一氏の侵略発言に朝日新聞が「訂正してお詫びします。」と。
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3月13日、安倍総理の「戦後70年談話」の内容を検討する「21世紀構想懇談会」第2回会合後のぶらさがりで、
座長代理の北岡伸一氏は、以下のように答えている。
(記者)
先日、座長代理は講演で、「侵略」と総理に言ってもらいたいと発言したが、侵略や植民地支配についてどのような説明を行ったか。
(北岡座長代理)
奥脇教授の発表が掲載されればわかると思うが、侵略というのは国際法上、歴史学上、また政治学上でもコンセンサスがある。それについて色々な意見があった。
(記者)
座長代理の意見は。
(北岡座長代理)
私はもちろん侵略だと思っている。歴史学的な。
――と述べた。
翌日(14日)の朝日新聞は、
北岡氏「侵略戦争」 70年談話有識者懇で認識――との見出しで記事を書いた。
その翌日(15日)の朝日新聞は、この件で「訂正」記事を掲載している。
14日付「北岡氏『侵略戦争』70年談話有識者懇で認識」の記事で、見出しのほか、本文中に北岡伸一・国際大学長が先の大戦について示した認識が「侵略戦争であった」とある部分は、「歴史的には侵略戦争だ」の誤りでした。懇談会の終了後、記者団の取材に応じた北岡氏は先の大戦について「私はもちろん侵略だと思っている。歴史学的には」と答えていましたが、「侵略戦争」という表現は用いていませんでした。確認が不十分でした。訂正してお詫びします。
――とのことだった。
これ、北岡氏からの抗議がなかったら、朝日新聞の誤報が事実となったわけだ。
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3月13日、安倍総理の「戦後70年談話」の内容を検討する「21世紀構想懇談会」第2回会合後のぶらさがりで、
座長代理の北岡伸一氏は、以下のように答えている。
(記者)
先日、座長代理は講演で、「侵略」と総理に言ってもらいたいと発言したが、侵略や植民地支配についてどのような説明を行ったか。
(北岡座長代理)
奥脇教授の発表が掲載されればわかると思うが、侵略というのは国際法上、歴史学上、また政治学上でもコンセンサスがある。それについて色々な意見があった。
(記者)
座長代理の意見は。
(北岡座長代理)
私はもちろん侵略だと思っている。歴史学的な。
――と述べた。
翌日(14日)の朝日新聞は、
北岡氏「侵略戦争」 70年談話有識者懇で認識――との見出しで記事を書いた。
その翌日(15日)の朝日新聞は、この件で「訂正」記事を掲載している。
14日付「北岡氏『侵略戦争』70年談話有識者懇で認識」の記事で、見出しのほか、本文中に北岡伸一・国際大学長が先の大戦について示した認識が「侵略戦争であった」とある部分は、「歴史的には侵略戦争だ」の誤りでした。懇談会の終了後、記者団の取材に応じた北岡氏は先の大戦について「私はもちろん侵略だと思っている。歴史学的には」と答えていましたが、「侵略戦争」という表現は用いていませんでした。確認が不十分でした。訂正してお詫びします。
――とのことだった。
これ、北岡氏からの抗議がなかったら、朝日新聞の誤報が事実となったわけだ。
国際金融センターをアメリカから中国に――習近平政権のもう一つの狙い(遠藤誉氏)
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3月6日、中国の財政部大臣は、中国が主導する国際金融機関「アジアインフラ投資銀行」参加国に言及した。中国はいま国際金融センターをアメリカから北京と上海に移そうとしている。言論の自由がない中で成功するのか?
◆国際金融センターをアメリカから北京と上海に移そうとしている中国
全人代が開幕した翌日の3月6日に開かれた記者会見で、中国財政部(部は日本の省)の楼継偉部長(部長:大臣)は、アジアインフラ投資銀行の参加国に関して、「ヨーロッパの一部の国が参加する見通しだ」ということを明らかにした。
アジアインフラ投資銀行というのは、2013年10月2日、中国主導でアジアのインフラ整備に資金を供給するために提案された構想で、英語ではAsian Infrastructure Investment Bank (AIIB)という(以下AIIBと略称)。 2014年10月24日、北京の人民大会堂にアジア21カ国の代表が集まり、AIIB設立の覚書に調印した。
AIIBの本部は北京に置かれ、総裁は中国国際金融有限公司の前董事長が就任することになっている。資金の50%以上である500億ドルを中国が出資して圧倒的主導権を中国(北京)が握る。インドはこれに不満を述べたが、「加盟国間の対話で支配構造を調整できる」とする中国に説得されて加盟を決定した。
2015年1月13日の段階では参加国が26カ国、3月6日の楼大臣の発表によれば27カ国に増大したとのこと。2015年内に動き始める。
韓国がこれに加盟してくれれば、アメリカのアジアにおけるプレゼンスを一段と低めることができた。そこで習近平国家主席はパククネ大統領との蜜月関係を深め、韓国を抱き込もうとしたのだが、アメリカが猛烈に反発。「中国に協力したら、これまでの米韓関係の信用に傷がつく」とパククネを脅し、彼女は習近平国家主席とオバマ大統領(&ケリー国務長官)との間で二面相を演じて見せたが、アメリカの勢いに負け、参加していない。
2010年〜2020年のアジアにおけるインフラ整備には8兆ドル以上の資金が必要だ。中国はそのため、すでに鉄道を中心としたインフラ建設に関して関係各国に中国資本の投入を決定している。
これまではアジア太平洋における経済成長及び経済協力を助長し、開発途上国の経済発展に貢献することを目的に設立された「アジア開発銀行(Asian Development Bank:ADB)」が国際開発金融機関として大きな役割を果たしてきた。しかしアジア開発銀行の最大の出資国は日本とアメリカで、両国とも出資比率15.65%を占めている(ちなみに中国は6.46%)。それはすなわち、東アジアの金融界を日米が主導しているということになる。
中国はこれを切り崩したい。
何と言っても中国は世界の外貨準備の60%に当たる4兆ドルを持っている。
◆「新開発銀行」新設(2014年7月。本部は上海)
中国やロシア、インド、ブラジル、南アフリカなどのBRICS5か国が設立していたBRICS銀行に、さらにチリ、インドネシア、ナイジェリアなどを含めた「新開発銀行」が、2014年7月15日に誕生した。
AIIBがアジア開発銀行に対抗するものであるとするなら、こちらの新開発銀行は世界銀行や国際通貨基金(IMF)と拮抗する国際開発金融機関に相当する。出資金はBRICS五カ国の占める割合が優先され、他の国が新たに加入することは拒まないが、BRICSが全体の出資比率の55%以上を占めるというラインは崩さない。五カ国間の投資比率は均等とする。
中国は長年にわたりIMFに対して中国の出資比率の増額を求めてきたが、アメリカがずっと難色を示してきた。
それならロシアと手を組んで新興国を中心に別の国際開発金融機関を作りましょう、として設立したのが、この新開発銀行だ。
実はIMFの主導権は本来ヨーロッパ諸国にあったが、それがアメリカにシフトしていっていることにヨーロッパは不満を持っている。そこで美しく知的な顔立ちのクリスティーヌ・ラガルドIMF専務理事(フランス)は2014年6月、「いずれIMFの本部が現在のワシントンから中国の北京に移転することになるかもしれない」と発言した。
中国の出資額を抑えこむアメリカに対して、それでもじわじわと出資額を延ばしてきている中国の存在は、ヨーロッパでは脅威でもあり頼もしくもあるのか。新開発銀行を別途設立してIMFに脅威を与えるくらいなら、いっそのことIMFで重要な役割を果たさせた方がいいのではないかとの思惑から言った言葉かもしれない。
このことから、楼財政部大臣が言った「ヨーロッパの一部の国」というのは、フランスである可能性がある。*
◆上海協力機構開発銀行の強化(本部上海)
上海協力機構は中国、ロシアを中心として、主に中央アジア五カ国が加わって動き始めた安全保障防衛組織だったが、中国が中央アジア五カ国から石油や天然ガスを輸入する新シルクロード経済ベルトを形成していることから、徐々に経済共同体の役割も果たすようになった。そこで、2010年11月25日に上海協力機構開発銀行を設立。
これは3月5日に李克強国民総理が発表した政府活動報告の中にある「鉄道建設」を中心とするアジア・インフラ投資銀行とともに、これからは南に延びる海のシルクロード経済ベルトへ(シーレーン確保)へと向かう可能性を持っている。
◆言論の自由がないところに国際金融センターは似合わない
実は昨年の香港デモ「雨傘革命」を描いた『香港バリケード 若者はなぜ立ち上がったのか』の執筆中、共同執筆者の安冨歩・東大教授と、この件に関して熱い議論を交わした。
筆者は「中国は一党支配体制を維持するため腐敗撲滅に力を入れているが、同時に一党支配を批判する言論を激しく弾圧している。しかし言論弾圧の中では腐敗は撲滅できない。言論を弾圧する一党支配があるからこそ、腐敗は生まれるのだ。そこには中国の根本的な矛盾がある」と、これまで書いて来た。
それに対して経済学からスタートしている安冨教授は、「言論の自由のないところには、絶対に国際金融センターは生まれない」と強く主張。その理由を以下のように述べている。
――(中国は)ありあまる資金を投入して国際金融の中心地を上海や北京に持ってこようとしているが、無理な相談である。そのやり方では巨大な人民元経済圏を創り出すことはできても、さまざまな通貨圏の間を取り持つ中心(センター)の機能を果たすことはできない。
そこには自由がないからである。むしろ「人民元経済圏」が拡大すればするほど、「ドル圏」「円圏」「ユーロ圏」などとの接点の重要性が高まり、香港の機能を必要とすることになるだろう(『香港バリケード 若者はなぜ立ち上がったのか』p.157 安冨歩コラム「自由のないところに国際金融中心地はできない」より)。
筆者も安冨論に賛成だ。
香港で雨傘革命が起きていた真っ最中に、北京ではAPEC首脳会談を前にして、国際金融センターをニューヨークやワシントンから、北京や上海へと移そうという議論と提携がなされていた。
香港が「オキュパイ・セントラル(金融街を占拠せよ)」運動によって国際金融センターとしての役割を麻痺させていた真っ最中のできごとだったのである。
習近平政権の戦略を読み解くには、多角的な視点が求められる。今後も香港との兼ね合いにおけるこの動きから、目が離せない。
*追記:フランスではなく、イギリスが参加の意思を表明しているようだ。アメリカは異議を申し立てている。
(ヤフーより)
遠藤誉
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日本政策学校で2月より自民党政務調査会 調査役 田村重信氏を塾長にお迎えし、日本政策学ef="http://www.naigai-group.co.jp/_2014/07/post-34.html">内外出版HPよりアマゾンでもどうぞ!
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3月6日、中国の財政部大臣は、中国が主導する国際金融機関「アジアインフラ投資銀行」参加国に言及した。中国はいま国際金融センターをアメリカから北京と上海に移そうとしている。言論の自由がない中で成功するのか?
◆国際金融センターをアメリカから北京と上海に移そうとしている中国
全人代が開幕した翌日の3月6日に開かれた記者会見で、中国財政部(部は日本の省)の楼継偉部長(部長:大臣)は、アジアインフラ投資銀行の参加国に関して、「ヨーロッパの一部の国が参加する見通しだ」ということを明らかにした。
アジアインフラ投資銀行というのは、2013年10月2日、中国主導でアジアのインフラ整備に資金を供給するために提案された構想で、英語ではAsian Infrastructure Investment Bank (AIIB)という(以下AIIBと略称)。 2014年10月24日、北京の人民大会堂にアジア21カ国の代表が集まり、AIIB設立の覚書に調印した。
AIIBの本部は北京に置かれ、総裁は中国国際金融有限公司の前董事長が就任することになっている。資金の50%以上である500億ドルを中国が出資して圧倒的主導権を中国(北京)が握る。インドはこれに不満を述べたが、「加盟国間の対話で支配構造を調整できる」とする中国に説得されて加盟を決定した。
2015年1月13日の段階では参加国が26カ国、3月6日の楼大臣の発表によれば27カ国に増大したとのこと。2015年内に動き始める。
韓国がこれに加盟してくれれば、アメリカのアジアにおけるプレゼンスを一段と低めることができた。そこで習近平国家主席はパククネ大統領との蜜月関係を深め、韓国を抱き込もうとしたのだが、アメリカが猛烈に反発。「中国に協力したら、これまでの米韓関係の信用に傷がつく」とパククネを脅し、彼女は習近平国家主席とオバマ大統領(&ケリー国務長官)との間で二面相を演じて見せたが、アメリカの勢いに負け、参加していない。
2010年〜2020年のアジアにおけるインフラ整備には8兆ドル以上の資金が必要だ。中国はそのため、すでに鉄道を中心としたインフラ建設に関して関係各国に中国資本の投入を決定している。
これまではアジア太平洋における経済成長及び経済協力を助長し、開発途上国の経済発展に貢献することを目的に設立された「アジア開発銀行(Asian Development Bank:ADB)」が国際開発金融機関として大きな役割を果たしてきた。しかしアジア開発銀行の最大の出資国は日本とアメリカで、両国とも出資比率15.65%を占めている(ちなみに中国は6.46%)。それはすなわち、東アジアの金融界を日米が主導しているということになる。
中国はこれを切り崩したい。
何と言っても中国は世界の外貨準備の60%に当たる4兆ドルを持っている。
◆「新開発銀行」新設(2014年7月。本部は上海)
中国やロシア、インド、ブラジル、南アフリカなどのBRICS5か国が設立していたBRICS銀行に、さらにチリ、インドネシア、ナイジェリアなどを含めた「新開発銀行」が、2014年7月15日に誕生した。
AIIBがアジア開発銀行に対抗するものであるとするなら、こちらの新開発銀行は世界銀行や国際通貨基金(IMF)と拮抗する国際開発金融機関に相当する。出資金はBRICS五カ国の占める割合が優先され、他の国が新たに加入することは拒まないが、BRICSが全体の出資比率の55%以上を占めるというラインは崩さない。五カ国間の投資比率は均等とする。
中国は長年にわたりIMFに対して中国の出資比率の増額を求めてきたが、アメリカがずっと難色を示してきた。
それならロシアと手を組んで新興国を中心に別の国際開発金融機関を作りましょう、として設立したのが、この新開発銀行だ。
実はIMFの主導権は本来ヨーロッパ諸国にあったが、それがアメリカにシフトしていっていることにヨーロッパは不満を持っている。そこで美しく知的な顔立ちのクリスティーヌ・ラガルドIMF専務理事(フランス)は2014年6月、「いずれIMFの本部が現在のワシントンから中国の北京に移転することになるかもしれない」と発言した。
中国の出資額を抑えこむアメリカに対して、それでもじわじわと出資額を延ばしてきている中国の存在は、ヨーロッパでは脅威でもあり頼もしくもあるのか。新開発銀行を別途設立してIMFに脅威を与えるくらいなら、いっそのことIMFで重要な役割を果たさせた方がいいのではないかとの思惑から言った言葉かもしれない。
このことから、楼財政部大臣が言った「ヨーロッパの一部の国」というのは、フランスである可能性がある。*
◆上海協力機構開発銀行の強化(本部上海)
上海協力機構は中国、ロシアを中心として、主に中央アジア五カ国が加わって動き始めた安全保障防衛組織だったが、中国が中央アジア五カ国から石油や天然ガスを輸入する新シルクロード経済ベルトを形成していることから、徐々に経済共同体の役割も果たすようになった。そこで、2010年11月25日に上海協力機構開発銀行を設立。
これは3月5日に李克強国民総理が発表した政府活動報告の中にある「鉄道建設」を中心とするアジア・インフラ投資銀行とともに、これからは南に延びる海のシルクロード経済ベルトへ(シーレーン確保)へと向かう可能性を持っている。
◆言論の自由がないところに国際金融センターは似合わない
実は昨年の香港デモ「雨傘革命」を描いた『香港バリケード 若者はなぜ立ち上がったのか』の執筆中、共同執筆者の安冨歩・東大教授と、この件に関して熱い議論を交わした。
筆者は「中国は一党支配体制を維持するため腐敗撲滅に力を入れているが、同時に一党支配を批判する言論を激しく弾圧している。しかし言論弾圧の中では腐敗は撲滅できない。言論を弾圧する一党支配があるからこそ、腐敗は生まれるのだ。そこには中国の根本的な矛盾がある」と、これまで書いて来た。
それに対して経済学からスタートしている安冨教授は、「言論の自由のないところには、絶対に国際金融センターは生まれない」と強く主張。その理由を以下のように述べている。
――(中国は)ありあまる資金を投入して国際金融の中心地を上海や北京に持ってこようとしているが、無理な相談である。そのやり方では巨大な人民元経済圏を創り出すことはできても、さまざまな通貨圏の間を取り持つ中心(センター)の機能を果たすことはできない。
そこには自由がないからである。むしろ「人民元経済圏」が拡大すればするほど、「ドル圏」「円圏」「ユーロ圏」などとの接点の重要性が高まり、香港の機能を必要とすることになるだろう(『香港バリケード 若者はなぜ立ち上がったのか』p.157 安冨歩コラム「自由のないところに国際金融中心地はできない」より)。
筆者も安冨論に賛成だ。
香港で雨傘革命が起きていた真っ最中に、北京ではAPEC首脳会談を前にして、国際金融センターをニューヨークやワシントンから、北京や上海へと移そうという議論と提携がなされていた。
香港が「オキュパイ・セントラル(金融街を占拠せよ)」運動によって国際金融センターとしての役割を麻痺させていた真っ最中のできごとだったのである。
習近平政権の戦略を読み解くには、多角的な視点が求められる。今後も香港との兼ね合いにおけるこの動きから、目が離せない。
*追記:フランスではなく、イギリスが参加の意思を表明しているようだ。アメリカは異議を申し立てている。
(ヤフーより)
遠藤誉
東京福祉大学国際交流センター長、筑波大学名誉教授、理学博士
2015年03月12日
中国のキツネ狩り――海外に逃亡した腐敗官僚を捕まえろ!(遠藤誉氏)
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3月8日、中国の王毅外相は外交問題記者会見でキツネ狩りに言及した。キツネ狩りとは海外に逃げた腐敗分子を逮捕することで、昨年の北京APEC首脳会議で複数の参加国とAPEC反腐敗協力ネットワー構築を締結した。その現状を追う。
◆キツネ狩り――APEC反腐敗法執行協力ネットワークの誕生
中国は習近平政権になってから、国内の「虎狩り」と「ハエ叩き」に力を入れてきたが、昨年からは海外に逃げた中国共産党の腐敗幹部(虎)や、その周りを飛び交いながら共に高跳びしたハエを逮捕する「キツネ狩り」を推進している。キツネ狩りは「人」だけを逮捕するのではなく、その人間が持ち逃げしたりマネーローンダリングしたりして海外に流してしまった「金」(不正蓄財)の回収も対象としている。
中国ではこの海外に逃げた人や流れた金のことを「外逃」(ワイ・タオ)と総称している。外逃してしまった金は、どこに流れてしまったのか、なかなか正体を突き止めることはできない。多くの場合、消えてしまうのである。しかし、2012年12月、アメリカの金融監督機構は、2011年までの11年間で、中国の腐敗幹部による不正蓄財流出額は3.79兆米ドル(455兆円)に上るという報告書を出した。年間、約40兆円の中国の富が海外に流れ、消えてなくなっていることになる。
そのため昨年11月、北京で開かれたAPEC首脳会議において習近平国家主席は「APEC反腐敗法律執行協力ネットワーク」(APEC Network of Anti-Corruption Authorities and Law Enforcement Agencies)なるものを設立させた(略称:ACT‐NET)。その上部組織はAPEC反腐敗工作組である。
3月8日、王毅外相はキツネ狩り行動に関して、「天羅地網」(上下四方に設けた法による包囲網)はますますその織り目を密にしているという言葉を用いて、「キツネはどこに隠れようと、もう逃げ場はない」と語調を強めた。
◆キツネは何匹捕えられたのか?
2015年1月8日、国家公安部は2014年後半の「キツネ狩り戦果」として、全世界69の地点から、689人のキツネを逮捕したと発表した。回収した「外逃」金額は30数億元(580億円強)。そう多くはないが、キツネに関しては10年間以上の外逃生活を続けていたものが117人いたと、戦果を誇っている。
ただ、毎年40兆円もの国家財産が消えていることを考えると、回収率は非常に低く、やはり「世界のどこかに消えてしまった金額」は、途方もなく多いと言わざるを得ない。
3月4日の全人代(全国人民代表大会)のウェブサイトは、「帯電高圧線を通して、共腐関係圏を撃破しよう」というタイトルの記事を掲載している。
「共腐」(Gong-fu)は「ゴン・フー」と発音するが、これは「共富」(Gong-fu)と全く同じ発音である。
「共富」は文字通り「共に富む」という意味だが、「共腐」という同じ発音の言葉は、トウ小平が1978年に改革開放を宣言するに当たり、「先富論」と「共富論」という形で改革開放のロードマップを示したことを自嘲的に暗示している。
「先に富むことができる者から先に富め」という先富論を唱えたトウ小平は、「先に富んだ者が、必ずまだ富んでない者を牽引して、共に富んでいかなければ、改革開放による経済成長は失敗する」と警告を出している。
この誰もが富んだ形になるはずの「共富」が、「共に腐敗し合う」という「共腐」になり、しかもその共同繁栄圏である「共腐関係圏」を形成したとなれば、中国の改革開放による経済発展は失敗したことを意味する。
かつて中国建国当時に叫ばれたスローガンであった「向前看」(シャン・チェン・カン)(前に向かって進め)が、改革開放後、同じ発音の「向銭看」(シャン・チェン・カン)(銭に向かって進め)に置き換えられたように、政府自身が自嘲的に「共富」を「共腐」ともじるようでは、もうお先は真っ暗という感をぬぐえない。
◆まもなく映画『キツネ狩り2014』がクランクイン
全人代の開幕を前にした今年3月3日、国家公安部と国家新聞出版広電(ラジオ・テレビ)総局は、中国の警察が外逃した腐敗幹部を国際社会で追跡する映画『キツネ狩り2014』(仮題)がクランクインすることを批准したと発表した。
中国語でキツネ狩りは「猟狐」と書く。映画のタイトルは今のところ『猟狐2014』となっている。
キツネが最も多く隠れているのがカナダ。
それは香港と関係がある。
1997年7月1日に香港が特別行政区としてイギリスから中国に返還されることを知った香港人たちは、雪崩を打ってイギリス連邦加盟国であるカナダのバンクーバーに逃げた。1989年6月4日に起きた天安門事件によって、中国がいかに非民主的であり、武力によって言論の自由を奪うかを知ったからだ。そのためバンクーバーは中国移民に埋め尽くされて、バンクーバーを「ホンコン」をもじって「ホンクーバー」と呼ぶようになったほどだ(詳細は『香港バリケード 若者はなぜ立ち上がったのか』p.46など)。
バンクーバーには中国の伝統的な文化とコネ社会が形作られている。世界各地のチャイナ・タウンが形成されていくときに、中華民族には特徴があり、どこかに結晶成長のコアがあると、そこに吸い寄せられるように集まっていく傾向がある(同書、p.47〜p.50)。そこで、やがて腐敗幹部がバンクーバーに吸い寄せられ、巨額の不正蓄財をたずさえて高級マンションを買いあさるようになった。結果、住宅価格の高騰を招き、まるでチャイナ・マネーが闊歩するように、街中、中国語の看板や広告が溢れ、もともとのバンクーバーの文化や雰囲気(風格?)をもチャイナ・マネーが買いつつある。
これはちょうど香港デモ「雨傘革命」の誘因構造とも重なっている。
その意味で、バンクーバーの元の住民であるカナダ人が、膨張する中国移民に抗議運動を起こす可能性も秘めている。
さて、今後何匹のキツネが捕まるのか。
そしてその地はどこなのか。
それにより、中国と国際社会の暗闇の一部が見えてくるだろう。
遠藤誉
東京福祉大学国際交流センター長、筑波大学名誉教授、理学博士
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中国ではこの海外に逃げた人や流れた金のことを「外逃」(ワイ・タオ)と総称している。外逃してしまった金は、どこに流れてしまったのか、なかなか正体を突き止めることはできない。多くの場合、消えてしまうのである。しかし、2012年12月、アメリカの金融監督機構は、2011年までの11年間で、中国の腐敗幹部による不正蓄財流出額は3.79兆米ドル(455兆円)に上るという報告書を出した。年間、約40兆円の中国の富が海外に流れ、消えてなくなっていることになる。
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2015年1月8日、国家公安部は2014年後半の「キツネ狩り戦果」として、全世界69の地点から、689人のキツネを逮捕したと発表した。回収した「外逃」金額は30数億元(580億円強)。そう多くはないが、キツネに関しては10年間以上の外逃生活を続けていたものが117人いたと、戦果を誇っている。
ただ、毎年40兆円もの国家財産が消えていることを考えると、回収率は非常に低く、やはり「世界のどこかに消えてしまった金額」は、途方もなく多いと言わざるを得ない。
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「共富」は文字通り「共に富む」という意味だが、「共腐」という同じ発音の言葉は、トウ小平が1978年に改革開放を宣言するに当たり、「先富論」と「共富論」という形で改革開放のロードマップを示したことを自嘲的に暗示している。
「先に富むことができる者から先に富め」という先富論を唱えたトウ小平は、「先に富んだ者が、必ずまだ富んでない者を牽引して、共に富んでいかなければ、改革開放による経済成長は失敗する」と警告を出している。
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2015年03月11日
鳩山由紀夫元総理のクリミア行きについて(高村正彦副総裁)
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以下、高村正彦自民党副総裁の記者懇冒頭発言です。
鳩山由紀夫元総理がロシアのビザを取ってクリミアに行ったということは、力による現状変更は認めないという日本の立場と相いれません。
元総理が行くということは、日本の立場について、国際社会に誤解をもたらすということで、国益に反する遺憾なことだと思います。
民主党の枝野幹事長が鳩山さんのことを「あの方は元自民党議員でもあり、元民主党議員でもある」と言って、民主党との関係性を薄くしようとしていると伝えられていますが、鳩山さんがクリミアに行ったことが問題なのは、元議員だからではなく、元総理大臣だからであって、民主党が鳩山由紀夫さんを総理大臣にしたということが、在任中だけでなく、いまだに国益を侵害していることについて、もう党を離れているということではなく、少しは責任を感じてもらいたいものだと思っています。
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元総理が行くということは、日本の立場について、国際社会に誤解をもたらすということで、国益に反する遺憾なことだと思います。
民主党の枝野幹事長が鳩山さんのことを「あの方は元自民党議員でもあり、元民主党議員でもある」と言って、民主党との関係性を薄くしようとしていると伝えられていますが、鳩山さんがクリミアに行ったことが問題なのは、元議員だからではなく、元総理大臣だからであって、民主党が鳩山由紀夫さんを総理大臣にしたということが、在任中だけでなく、いまだに国益を侵害していることについて、もう党を離れているということではなく、少しは責任を感じてもらいたいものだと思っています。
メルケル首相も王毅外相も見落としている――日本とドイツでは戦後状況が異なる(遠藤誉氏)
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今回の遠藤先生の指摘は極めて重要です。
3月9日、ドイツのメルケル首相が訪日し、日本の歴史認識に関して真実を認めるよう求め、まるで示し合わせていたように8日、中国の王毅外相が日本の歴史認識を非難した。しかし二人とも重要な事実を見落としている。
◆メルケル首相と王毅外相が見落としている重大な事実
日本が敗戦したとき、この世に中華人民共和国は存在していなかった。日本が国家として戦った国は「中華民国」である。
中国に話を限定するなら、日本は「中華民国」の領土の上で戦争をしたので、そこには蒋介石率いる国民党の軍隊もいれば、毛沢東が率いる中国共産党の軍隊もいた。国共合作(国民党と共産党が協力してともに日本と戦う)という時期もあったので、中国共産党の軍隊も日本軍と戦った時期があったし、また無辜の中国の民がその犠牲になったことはあった。
しかし日本は敗戦に当たって、国家としての「中華民国」に対して終戦協定として「日華平和条約」を1952年4月28日に結んでいる。戦後賠償に関しては蒋介石が要求しないと言ったために、友好的に戦後処理が終わっている。ただし、1971年に中華人民共和国が国連加盟し、72年の日中国交正常化の際に中国(中華人民共和国)が「中華民国」と国交を断絶することを条件としてきたので、「中華民国」とは国交を断絶し、以後、「台湾」と呼ぶようになった。
つまり戦争をした「中国」である「中華民国」とは戦後処理をきれいに終わらせ友好的に交流し、平和共存してきたのである(馬英九総統が激しい北京寄りになるまでは)。
これが、ドイツがヨーロッパの隣国と戦後処理を「うまく」行なってきた事実と、日本との第一の差である。メルケル首相はこの点に注目していない。
もっと大きな差は、日本は敗戦直後からアメリカに占領され、マッカーサーやトルーマンらの言う通りに動かなければならなかったことだ。
真珠湾攻撃により先制攻撃を受けたアメリカは、第二次世界大戦終盤になると、徹底して日本を集中攻撃し、東京大空襲などにより日本を火の海と化し、原爆投下により日本を降伏させた。
だから敗戦直後、占領軍としてのアメリカは日本の完全な武装解除を実現させるために、憲法第九条を認めさせたのである。
ところが、1950年6月に朝鮮戦争が始まるとアメリカの態度は一転。日本に自衛隊の前身である警察予備隊を作らせ、武器を製造させた。そのアメリカは共産圏と対立し、日本を、共産圏からアメリカ陣営を守るための極東の基地として位置づけるようになる。
その結果、日本は共産圏と対立する構造の中に組み込まれ、現在の中国と対立せざるを得ない立場になったのだ。日本には選択肢はなかった。
ようやく日中国交正常化が出来たのは、キッシンジャーが同盟国である日本にも知らせずに忍者外交により訪中し、米中国交正常化への道をつけてからのことだ。
このようにドイツのヨーロッパ近隣諸国における戦後処理と、日本の戦後処理は全く異なり、日本には選択の余地はなかった。アメリカの言う通りに動き、アメリカのご機嫌をうかがいながら、その意向に沿って動く以外になかったのだ。
メルケル首相も王毅外相も、その事実を直視していない。
もし歴史認識において「真の事実を直視しろ」と言うのなら、1945年8月15日時点、およびそれ以降の、極東におけるこの「事実」をこそ直視しなければならない。そうしなければ、日中の相克は永遠に続く。
◆中国に直視してほしい、もう一つの「事実」
中国にはもう一つ、直視してほしい事実がある。
それは国交正常化後に、日本がどれだけ友好的に中国を支援してきたかという事実だ。あのころ日本国民は本気で中国を信じ、熱い思いで中国を応援してきた。戦後賠償を毛沢東も周恩来も放棄したので、その代わりに巨額のODA(政府開発援助)を中国に注ぎ込み、それにより中国は文化大革命による壊滅的な経済的打撃から脱し、経済発展を遂げる礎(いしずえ)を築くことができたのである。
天安門事件により西側諸国が厳しい経済制裁を中国に科したとき、最初にその制裁を解除して中国に又もや熱い手を差し伸べたのは、ほかならぬ日本である。
しかし当時のソ連との間に中ソ対立があったからこそ、アメリカとも日本とも国交を正常化した中国は、1991年12月にソ連が崩壊すると対日姿勢は一変した。もう日本は必要でなくなったのである。
92年に領海法を制定して尖閣諸島(釣魚島)を中国の領土の中に組み込み、94年からは愛国主義教育を始めて、95年からは反日傾向を増強させていった。
日本国民の厚意を最初に裏切ったのは中国ではないのか――。
王毅外相は記者会見で「誰が最初に(日中関係悪化の)原因を作ったのか、胸に手を当てて考えるといい」という趣旨のことを言っている。
中国はその言葉を、自分自身に対して発するべきだろう。
王毅外相はまた、「被害者は、加害者が反省してこそ心が癒されるものだ」と言った。
この言葉も、中国は自分自身に対しても言って欲しいと筆者は切望する。
1947年〜48年、中国共産党軍は国民党軍を打倒するために、国民党が占拠していた長春を食糧封鎖した。国民党軍は空輸による食料補給で一人も餓死していないが、あのとき長春市内にいた数十万の無辜の民(中国人)は餓死している。
しかし中国はこれを中国共産党軍の汚点として、天安門事件同様に認めない。封印してしまっているのだ。その中で家族を餓死で失い、死体の上で野宿して恐怖のあまり記憶を喪失した者として、筆者は生きている限り、この事実を言い続ける。人類の歴史に刻むべき、この歴然とした事実を、中国は絶対に直視しようとはしない。それを直視してこそ、あの包囲網(チャーズ)内における犠牲者の魂は鎮魂されるのである。
中国には、自国民に対して、その義務がある。
そういうことができる中国になれば、こうした一方的な非難を日本に対してし続けるという姿勢も変わってくるであろうから、その意味でも筆者は命ある限り、この事実を主張し続けるつもりだ。
◆戦後70周年の総理大臣談話
王毅外相が8日、日本政府が発表する予定の「総理大臣談話」を暗示して、過去の談話を踏襲するよう言及すべきという趣旨のことを言ったのに対して、菅官房長官は「わが国の戦後70年間の歩みは、民主的で、人権や法の支配を守り、国際平和に貢献してきた。そこは全く不変だ。世界からも高い評価をいただいている」と述べた。
総理大臣談話に関して、日本政府はわざわざ有識者会議を設けているようだが、「有識者」は、日中関係における、このコラムで書いた事実をしっかり認識してほしい。
これは中国で生まれ育った筆者が、身をもって経験してきた厳然たる事実だ。
日中両国とも、互いに「事実」を認めるのは結構なことだろう。
しかし、その事実を直視する目は一方的であってはならないし、高圧的でも卑屈でもあってはならない。
一方、ドイツと中国が、この7年間、どれだけ深い蜜月関係を築いてきたかを考えれば、メルケル首相の「戦後70周年目!」における訪日と、中国の王毅外相の記者会見が、「偶然!」、時期を同じくしたとは考えにくい。
このタイミングでのメルケル首相の訪日を、「中国経済にも陰りが見えてきたから」とか「日中に対してバランスを考えたためでしょう」といった感じの、「めでたい」解説が散見されるが、日本人は誠に人がいいとしか言いようがない。あるいは、中国の外交戦略の狙いを見る目がないと言うべきか……。
中国がなぜ「反ファシスト戦勝70周年記念祭典」を「ロシアとともに!」盛大に行おうとしているのか、なぜ日本を敗戦に追いやった「反ファシスト側の最大の国であるアメリカ」と組んでいないのか。
そのことを考えれば理由は歴然としている。
日米同盟があるため、アメリカを困らせるためだ。アジア回帰しようとするアメリカのアジアにおけるプレゼンスを低めたいからである。ターゲットは日本ではない。
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今回の遠藤先生の指摘は極めて重要です。
3月9日、ドイツのメルケル首相が訪日し、日本の歴史認識に関して真実を認めるよう求め、まるで示し合わせていたように8日、中国の王毅外相が日本の歴史認識を非難した。しかし二人とも重要な事実を見落としている。
◆メルケル首相と王毅外相が見落としている重大な事実
日本が敗戦したとき、この世に中華人民共和国は存在していなかった。日本が国家として戦った国は「中華民国」である。
中国に話を限定するなら、日本は「中華民国」の領土の上で戦争をしたので、そこには蒋介石率いる国民党の軍隊もいれば、毛沢東が率いる中国共産党の軍隊もいた。国共合作(国民党と共産党が協力してともに日本と戦う)という時期もあったので、中国共産党の軍隊も日本軍と戦った時期があったし、また無辜の中国の民がその犠牲になったことはあった。
しかし日本は敗戦に当たって、国家としての「中華民国」に対して終戦協定として「日華平和条約」を1952年4月28日に結んでいる。戦後賠償に関しては蒋介石が要求しないと言ったために、友好的に戦後処理が終わっている。ただし、1971年に中華人民共和国が国連加盟し、72年の日中国交正常化の際に中国(中華人民共和国)が「中華民国」と国交を断絶することを条件としてきたので、「中華民国」とは国交を断絶し、以後、「台湾」と呼ぶようになった。
つまり戦争をした「中国」である「中華民国」とは戦後処理をきれいに終わらせ友好的に交流し、平和共存してきたのである(馬英九総統が激しい北京寄りになるまでは)。
これが、ドイツがヨーロッパの隣国と戦後処理を「うまく」行なってきた事実と、日本との第一の差である。メルケル首相はこの点に注目していない。
もっと大きな差は、日本は敗戦直後からアメリカに占領され、マッカーサーやトルーマンらの言う通りに動かなければならなかったことだ。
真珠湾攻撃により先制攻撃を受けたアメリカは、第二次世界大戦終盤になると、徹底して日本を集中攻撃し、東京大空襲などにより日本を火の海と化し、原爆投下により日本を降伏させた。
だから敗戦直後、占領軍としてのアメリカは日本の完全な武装解除を実現させるために、憲法第九条を認めさせたのである。
ところが、1950年6月に朝鮮戦争が始まるとアメリカの態度は一転。日本に自衛隊の前身である警察予備隊を作らせ、武器を製造させた。そのアメリカは共産圏と対立し、日本を、共産圏からアメリカ陣営を守るための極東の基地として位置づけるようになる。
その結果、日本は共産圏と対立する構造の中に組み込まれ、現在の中国と対立せざるを得ない立場になったのだ。日本には選択肢はなかった。
ようやく日中国交正常化が出来たのは、キッシンジャーが同盟国である日本にも知らせずに忍者外交により訪中し、米中国交正常化への道をつけてからのことだ。
このようにドイツのヨーロッパ近隣諸国における戦後処理と、日本の戦後処理は全く異なり、日本には選択の余地はなかった。アメリカの言う通りに動き、アメリカのご機嫌をうかがいながら、その意向に沿って動く以外になかったのだ。
メルケル首相も王毅外相も、その事実を直視していない。
もし歴史認識において「真の事実を直視しろ」と言うのなら、1945年8月15日時点、およびそれ以降の、極東におけるこの「事実」をこそ直視しなければならない。そうしなければ、日中の相克は永遠に続く。
◆中国に直視してほしい、もう一つの「事実」
中国にはもう一つ、直視してほしい事実がある。
それは国交正常化後に、日本がどれだけ友好的に中国を支援してきたかという事実だ。あのころ日本国民は本気で中国を信じ、熱い思いで中国を応援してきた。戦後賠償を毛沢東も周恩来も放棄したので、その代わりに巨額のODA(政府開発援助)を中国に注ぎ込み、それにより中国は文化大革命による壊滅的な経済的打撃から脱し、経済発展を遂げる礎(いしずえ)を築くことができたのである。
天安門事件により西側諸国が厳しい経済制裁を中国に科したとき、最初にその制裁を解除して中国に又もや熱い手を差し伸べたのは、ほかならぬ日本である。
しかし当時のソ連との間に中ソ対立があったからこそ、アメリカとも日本とも国交を正常化した中国は、1991年12月にソ連が崩壊すると対日姿勢は一変した。もう日本は必要でなくなったのである。
92年に領海法を制定して尖閣諸島(釣魚島)を中国の領土の中に組み込み、94年からは愛国主義教育を始めて、95年からは反日傾向を増強させていった。
日本国民の厚意を最初に裏切ったのは中国ではないのか――。
王毅外相は記者会見で「誰が最初に(日中関係悪化の)原因を作ったのか、胸に手を当てて考えるといい」という趣旨のことを言っている。
中国はその言葉を、自分自身に対して発するべきだろう。
王毅外相はまた、「被害者は、加害者が反省してこそ心が癒されるものだ」と言った。
この言葉も、中国は自分自身に対しても言って欲しいと筆者は切望する。
1947年〜48年、中国共産党軍は国民党軍を打倒するために、国民党が占拠していた長春を食糧封鎖した。国民党軍は空輸による食料補給で一人も餓死していないが、あのとき長春市内にいた数十万の無辜の民(中国人)は餓死している。
しかし中国はこれを中国共産党軍の汚点として、天安門事件同様に認めない。封印してしまっているのだ。その中で家族を餓死で失い、死体の上で野宿して恐怖のあまり記憶を喪失した者として、筆者は生きている限り、この事実を言い続ける。人類の歴史に刻むべき、この歴然とした事実を、中国は絶対に直視しようとはしない。それを直視してこそ、あの包囲網(チャーズ)内における犠牲者の魂は鎮魂されるのである。
中国には、自国民に対して、その義務がある。
そういうことができる中国になれば、こうした一方的な非難を日本に対してし続けるという姿勢も変わってくるであろうから、その意味でも筆者は命ある限り、この事実を主張し続けるつもりだ。
◆戦後70周年の総理大臣談話
王毅外相が8日、日本政府が発表する予定の「総理大臣談話」を暗示して、過去の談話を踏襲するよう言及すべきという趣旨のことを言ったのに対して、菅官房長官は「わが国の戦後70年間の歩みは、民主的で、人権や法の支配を守り、国際平和に貢献してきた。そこは全く不変だ。世界からも高い評価をいただいている」と述べた。
総理大臣談話に関して、日本政府はわざわざ有識者会議を設けているようだが、「有識者」は、日中関係における、このコラムで書いた事実をしっかり認識してほしい。
これは中国で生まれ育った筆者が、身をもって経験してきた厳然たる事実だ。
日中両国とも、互いに「事実」を認めるのは結構なことだろう。
しかし、その事実を直視する目は一方的であってはならないし、高圧的でも卑屈でもあってはならない。
一方、ドイツと中国が、この7年間、どれだけ深い蜜月関係を築いてきたかを考えれば、メルケル首相の「戦後70周年目!」における訪日と、中国の王毅外相の記者会見が、「偶然!」、時期を同じくしたとは考えにくい。
このタイミングでのメルケル首相の訪日を、「中国経済にも陰りが見えてきたから」とか「日中に対してバランスを考えたためでしょう」といった感じの、「めでたい」解説が散見されるが、日本人は誠に人がいいとしか言いようがない。あるいは、中国の外交戦略の狙いを見る目がないと言うべきか……。
中国がなぜ「反ファシスト戦勝70周年記念祭典」を「ロシアとともに!」盛大に行おうとしているのか、なぜ日本を敗戦に追いやった「反ファシスト側の最大の国であるアメリカ」と組んでいないのか。
そのことを考えれば理由は歴然としている。
日米同盟があるため、アメリカを困らせるためだ。アジア回帰しようとするアメリカのアジアにおけるプレゼンスを低めたいからである。ターゲットは日本ではない。
(ヤフーより)
遠藤誉
東京福祉大学国際交流センター長、筑波大学名誉教授、理学博士
2015年03月10日
日本論語研究会の会場が変更になりました。
日本論語研究会、今週、3月14日(土)から場所が変わります。
会場がTKP市ヶ谷カンファレンスセンターに変更になります。そして、日本政策学校後援になります。
今回は、女性の陸上自衛官 2等陸佐の荒川ゆかり氏が登場します。
是非、ご参加ください!
第113
1、日 時 3月14日(土)16時30分〜18時
2、場 所 TKP市ヶ谷カンファレンスセンター(新宿区市谷八幡町8番地TKP市ヶ谷ビル)
3、講 師 荒川ゆかり(防衛省 陸上自衛隊 2等陸佐)
(テーマ、陸上自衛隊 女性自衛官として)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
第114回
1、日 時 4月11日(土)16時30分〜18時
2、場 所 TKP市ヶ谷カンファレンスセンター(新宿区市谷八幡町8番地TKP市ヶ谷ビル)
3、講 師 小林麻紀(外務省 中南米局 中東カリブ課長)
(テーマ、日本外交の一翼を担って)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
〇参加費 無料です。
〇問い合せ先 田村重信(代表幹事)
Eメールstamura@hq.jimin.or.jp へ連絡下さい。
電話―3581−6211(職場)
(参考)日本論語研究会の講演日程等は、日本論語研究会のホームページhttp://www.rongoken.com/と代表幹事のブログhttp://tamtam.livedoor.biz/archives/cat_50011952.htmlに掲載しています。
会場がTKP市ヶ谷カンファレンスセンターに変更になります。そして、日本政策学校後援になります。
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是非、ご参加ください!
第113
1、日 時 3月14日(土)16時30分〜18時
2、場 所 TKP市ヶ谷カンファレンスセンター(新宿区市谷八幡町8番地TKP市ヶ谷ビル)
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(テーマ、陸上自衛隊 女性自衛官として)
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第114回
1、日 時 4月11日(土)16時30分〜18時
2、場 所 TKP市ヶ谷カンファレンスセンター(新宿区市谷八幡町8番地TKP市ヶ谷ビル)
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(テーマ、日本外交の一翼を担って)
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〇参加費 無料です。
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Eメールstamura@hq.jimin.or.jp へ連絡下さい。
電話―3581−6211(職場)
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中国建国史上最悪の環境汚染――環境保護大臣、厳罰を表明(遠藤誉氏)
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全人代開幕中の3月7日、中国の環境保護大臣は記者会見を行い、「中国建国以来、最悪の環境汚染だ」と叫び、新環境保護法による厳罰化を宣言した。環境汚染と党幹部腐敗との相関、および新環境保護法を解説する。
◆環境汚染の元凶は賄賂(わいろ)という腐敗
なぜ中国の環境汚染がここまでひどくなったかというと、その元凶は党幹部の腐敗にある。
たとえばある工場の設置申請の場合をとってみよう。
企業側は、工場設置に当たり「営業許可証」なるものをもらわなければならない。これまでは営業許可を下ろす際には、必ず既定の「環境基準」を満たしていなければならなかった。
ところが環境基準を満たして工場を設置するには膨大なコストがかかる。設置した後の環境保護のためにかかるコストも尋常ではない。
そこで、賄賂がものを言う。
営業許可証を下ろすためには、その設置場所の行政レベルの地方政府の認可が必要だが、許認可権に関しては非常に多くの行政部門が関係してくる。
中央行政省庁の名前で言うならば、たとえば商務部(部は日本の省に相当)、環境保護部、衛生・計画生育委員会(のうちの元衛生部に相当する部門)、国土資源部、財政部、科学技術部、工業・情報化部、水利部などがあり、場合によっては食品薬品監督管理総局や林業部などが関わってくることもある。
地方では、その部門の下位の「局」とか「庁」、さらにその支部などがあり、それぞれの部局に中国共産党書記がいる。この書記が許認可権を持っていたので、そこに「賄賂」を送り、環境基準を満たしていることにしてもらって、目をつぶってもらっていたのである。
しかも許認可には何段階もあるので、その段階を踏むごとに賄賂を渡さなければならないから、環境保護のためのコストとほぼ変わらないと思うが、環境保護のためには、設備に対する初期投資だけでなく、それを維持するための費用が掛かるので利潤が少なくなるため、やはり賄賂を渡してしまった方が早い。その後も何かと便宜を図ってくれる。
ここに巨大な腐敗の温床があり、それが改革開放後30数年間も続いてきたので、中国は歴史上最悪の、「もうこのままでは誰も生きていけない」程度まで環境が悪化してしまった。
そこで、中国政府は、この許認可制度を撤廃して、環境保護部に処罰権を与え、反則した企業やその責任者には厳しい処罰を与えることにしたのである。
◆新環境保護法――環境保護部に与えられた4つの処罰権
これまで環境保護部には処罰権がなく、唯一持っていた処罰権は罰金を科すことで、それも上限があり、100万元(1900万円)だった。
ところが今般発表された新環境保護法では、環境保護部に以下のような処罰権を与えることになった。
1. 罰金の上限を取り払った。
2. 新環境保護法に違反した企業の責任者を拘留する権限を持つ。
3. 同じく違反した企業and/or責任者の財産を差し押さえる権限を持つ。
4. 同じく違反した企業の生産・製造を制限あるいは禁止する権限を持つ。
このように、違反した企業を環境保護部が直接処罰することができるようになる。
許認可ではなく、企業の自浄と自己管理能力に任せて、違反したら法で罰するという構造改革をし、その厳格な運用を今後は強化するようにするというわけだ。
さて、そこに新たな腐敗の温床は出て来ないのだろうか……?
2月23日付の本コラム「第二の中央が習近平を窮地に――公安閥が残した終わりなき災禍」でも書いたように、何と言っても司法や公安、検察が関係党幹部と癒着しマフィア化していたような地方政府において、法の執行がどこまで実行できるのか、少々疑問だ。
一党支配体制という根本的構造改革を行わない限り、腐敗を撲滅できるような真の構造改革はできないのではないかと懸念する。
それでも新常態(ニューノーマル)化により、「経済成長の量から質への転換」を図り、GDP成長率を7%にまで落としてでも、環境保護に対するコストをかけさせる決意だけは本気のようだ。
そうしなければ、一党支配体制も崩壊してしまうのだから。その「待ったなし」の緊迫感が、この記者会見からは見えてくる。
(ヤフーより)
遠藤誉
東京福祉大学国際交流センター長、筑波大学名誉教授、理学博士
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全人代開幕中の3月7日、中国の環境保護大臣は記者会見を行い、「中国建国以来、最悪の環境汚染だ」と叫び、新環境保護法による厳罰化を宣言した。環境汚染と党幹部腐敗との相関、および新環境保護法を解説する。
◆環境汚染の元凶は賄賂(わいろ)という腐敗
なぜ中国の環境汚染がここまでひどくなったかというと、その元凶は党幹部の腐敗にある。
たとえばある工場の設置申請の場合をとってみよう。
企業側は、工場設置に当たり「営業許可証」なるものをもらわなければならない。これまでは営業許可を下ろす際には、必ず既定の「環境基準」を満たしていなければならなかった。
ところが環境基準を満たして工場を設置するには膨大なコストがかかる。設置した後の環境保護のためにかかるコストも尋常ではない。
そこで、賄賂がものを言う。
営業許可証を下ろすためには、その設置場所の行政レベルの地方政府の認可が必要だが、許認可権に関しては非常に多くの行政部門が関係してくる。
中央行政省庁の名前で言うならば、たとえば商務部(部は日本の省に相当)、環境保護部、衛生・計画生育委員会(のうちの元衛生部に相当する部門)、国土資源部、財政部、科学技術部、工業・情報化部、水利部などがあり、場合によっては食品薬品監督管理総局や林業部などが関わってくることもある。
地方では、その部門の下位の「局」とか「庁」、さらにその支部などがあり、それぞれの部局に中国共産党書記がいる。この書記が許認可権を持っていたので、そこに「賄賂」を送り、環境基準を満たしていることにしてもらって、目をつぶってもらっていたのである。
しかも許認可には何段階もあるので、その段階を踏むごとに賄賂を渡さなければならないから、環境保護のためのコストとほぼ変わらないと思うが、環境保護のためには、設備に対する初期投資だけでなく、それを維持するための費用が掛かるので利潤が少なくなるため、やはり賄賂を渡してしまった方が早い。その後も何かと便宜を図ってくれる。
ここに巨大な腐敗の温床があり、それが改革開放後30数年間も続いてきたので、中国は歴史上最悪の、「もうこのままでは誰も生きていけない」程度まで環境が悪化してしまった。
そこで、中国政府は、この許認可制度を撤廃して、環境保護部に処罰権を与え、反則した企業やその責任者には厳しい処罰を与えることにしたのである。
◆新環境保護法――環境保護部に与えられた4つの処罰権
これまで環境保護部には処罰権がなく、唯一持っていた処罰権は罰金を科すことで、それも上限があり、100万元(1900万円)だった。
ところが今般発表された新環境保護法では、環境保護部に以下のような処罰権を与えることになった。
1. 罰金の上限を取り払った。
2. 新環境保護法に違反した企業の責任者を拘留する権限を持つ。
3. 同じく違反した企業and/or責任者の財産を差し押さえる権限を持つ。
4. 同じく違反した企業の生産・製造を制限あるいは禁止する権限を持つ。
このように、違反した企業を環境保護部が直接処罰することができるようになる。
許認可ではなく、企業の自浄と自己管理能力に任せて、違反したら法で罰するという構造改革をし、その厳格な運用を今後は強化するようにするというわけだ。
さて、そこに新たな腐敗の温床は出て来ないのだろうか……?
2月23日付の本コラム「第二の中央が習近平を窮地に――公安閥が残した終わりなき災禍」でも書いたように、何と言っても司法や公安、検察が関係党幹部と癒着しマフィア化していたような地方政府において、法の執行がどこまで実行できるのか、少々疑問だ。
一党支配体制という根本的構造改革を行わない限り、腐敗を撲滅できるような真の構造改革はできないのではないかと懸念する。
それでも新常態(ニューノーマル)化により、「経済成長の量から質への転換」を図り、GDP成長率を7%にまで落としてでも、環境保護に対するコストをかけさせる決意だけは本気のようだ。
そうしなければ、一党支配体制も崩壊してしまうのだから。その「待ったなし」の緊迫感が、この記者会見からは見えてくる。
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