2010年02月
2010年02月26日
労組と選挙―組織丸抱えの時代遅れ(朝日新聞社説)
今日の朝日新聞社説が民主党の労組依存を批判しています。
以下、掲載します。
政治とカネをめぐり、こんどは民主党を支持する労働組合に厳しい目が注がれている。
昨年の衆院選で北海道5区から当選した小林千代美氏の陣営が、北海道教職員組合(北教組)から1600万円を違法に受け取っていた疑いがあるとして、札幌地検が政治資金規正法の違反容疑で捜査を続けている。
小林氏の選対幹部だった連合札幌元会長は、運動員に報酬を渡す約束をしたとして公選法違反の罪で一審で有罪判決を受け、控訴中だ。
小林氏は前回落選し、資金難に苦しんでいた。「選対に任せきりだった」と言うが、問われているのは労組丸抱えのこうした選挙手法そのものだと自覚すべきだろう。
北教組から出された資金は、組合員が返上した主任手当をプールした巨額の預金の利息などが充てられた可能性も出ているという。連合札幌元会長の判決では、過去の地方選挙や2005年の小林氏の選挙でも、連合の「裏金」が提供されたと指摘している。
労組のこうした支出は、きちんとした手続きを経たものだったのか。組合員がチェックできるような仕組みや、組合幹部の説明責任も求められる。
公務員は地位を利用した選挙運動を禁じられ、なかでも教員は厳しい中立性を求められる。組織力を誇る北教組で、先生による行きすぎた運動はなかったのか。そんな疑念もわく。
近年、民主党候補を選挙で応援した労組の摘発が相次いでいる。03年の衆院選では宮城1・2区の陣営の労組幹部が、電話作戦を有償で外部委託していた。04年の参院選前には、山梨県教職員組合などでつくる政治団体が、教員から集めた寄付を収支報告書に記載していなかった。
いまだに地方組織が弱体なため、選挙のたびに労組に依存する。この党のそんな体質が浮かび上がる。
組合が候補者を抱え込み、半ば強制的に組合員が動員され、ときに不透明な資金が出され、違法すれすれの運動を展開する。企業ぐるみの選挙と同じ構図が続く。そうした選挙風土からは脱すべきではないか。
政権が交代し、連合傘下の多くの労組が与党を支持する側になった。だが組合員の政治意識は多様なはずだ。
個人の意思で選挙運動に加わり、投票するのが民主主義の大原則だ。資金や動員だけがものを言うのではなく、政策本位の選挙にしたい。
労組が現場の声を政策に反映させようとすることは大事だが、政党との一定の緊張関係も必要だ。
参院選を前に、小沢一郎幹事長は労組を含む支持組織固めに余念がない。労組は何より集票マシン。そんな発想であれば、時代遅れもはなはだしい。そろそろ卒業したい。
以下、掲載します。
政治とカネをめぐり、こんどは民主党を支持する労働組合に厳しい目が注がれている。
昨年の衆院選で北海道5区から当選した小林千代美氏の陣営が、北海道教職員組合(北教組)から1600万円を違法に受け取っていた疑いがあるとして、札幌地検が政治資金規正法の違反容疑で捜査を続けている。
小林氏の選対幹部だった連合札幌元会長は、運動員に報酬を渡す約束をしたとして公選法違反の罪で一審で有罪判決を受け、控訴中だ。
小林氏は前回落選し、資金難に苦しんでいた。「選対に任せきりだった」と言うが、問われているのは労組丸抱えのこうした選挙手法そのものだと自覚すべきだろう。
北教組から出された資金は、組合員が返上した主任手当をプールした巨額の預金の利息などが充てられた可能性も出ているという。連合札幌元会長の判決では、過去の地方選挙や2005年の小林氏の選挙でも、連合の「裏金」が提供されたと指摘している。
労組のこうした支出は、きちんとした手続きを経たものだったのか。組合員がチェックできるような仕組みや、組合幹部の説明責任も求められる。
公務員は地位を利用した選挙運動を禁じられ、なかでも教員は厳しい中立性を求められる。組織力を誇る北教組で、先生による行きすぎた運動はなかったのか。そんな疑念もわく。
近年、民主党候補を選挙で応援した労組の摘発が相次いでいる。03年の衆院選では宮城1・2区の陣営の労組幹部が、電話作戦を有償で外部委託していた。04年の参院選前には、山梨県教職員組合などでつくる政治団体が、教員から集めた寄付を収支報告書に記載していなかった。
いまだに地方組織が弱体なため、選挙のたびに労組に依存する。この党のそんな体質が浮かび上がる。
組合が候補者を抱え込み、半ば強制的に組合員が動員され、ときに不透明な資金が出され、違法すれすれの運動を展開する。企業ぐるみの選挙と同じ構図が続く。そうした選挙風土からは脱すべきではないか。
政権が交代し、連合傘下の多くの労組が与党を支持する側になった。だが組合員の政治意識は多様なはずだ。
個人の意思で選挙運動に加わり、投票するのが民主主義の大原則だ。資金や動員だけがものを言うのではなく、政策本位の選挙にしたい。
労組が現場の声を政策に反映させようとすることは大事だが、政党との一定の緊張関係も必要だ。
参院選を前に、小沢一郎幹事長は労組を含む支持組織固めに余念がない。労組は何より集票マシン。そんな発想であれば、時代遅れもはなはだしい。そろそろ卒業したい。
基地移設にはまず軍事的視点で(帝京大学教授・志方俊之)
産経新聞【正論】帝京大学教授・志方俊之 基地移設にはまず軍事的視点で
2010.2.26
いかなる問題を解決するにしても、本質的な検討要件の優先順位を定め、この順序に従って議論することが必須だ。普天間基地移設問題では、その手順が全く無視されている。軍事基地の問題だから移設先を考える際には、第1段階で、基地にした場合の軍事的意味(有意性)を考えねばならない。
すべての候補地をゼロベースで見直すと言っても、この有意性のないところは選択肢とはなり得ない。論議の前にこれらを排除し、残された候補地案について次の段階に進まなければならない。第2段階では、各案について政治・経済、外交上の影響を勘案し、最終的移転先を決める、二段構えのアプローチが必要なのだ。
≪今の検討作業は順序が逆だ≫
迷走の原因は、この第1の論議を意図的に避け、いきなり第2の政治・経済、外交に関する論議を始めたことにある。また、第2の論議を始めるに当たっても、普天間基地移設は日米間の外交課題だから、まずは外交的視点から論議し、しかる後に国内政治や経済の順で論議しなければならない。
国内政治を最優先して議論を始めれば、政党間で立場は大きく異なる。5月中に決めるには、論議を正しいアプローチで再開する必要があるが、まずは検討委員会で、連立各党が提案する各移設先案の軍事的有意性について書面で提示させ、国民の前で大いに論議すべきだ。
その後に、外交的、政治的、経済的な論議を再開させれば、むしろ、それが5月までの近道で国民にも理解しやすい。選挙目当てでゼロベースの見直しを装う政治パフォーマンスは、国民の政治不信を招き、結果として地元となる住民の感情を弄(もてあそ)ぶことになる。
≪明確な日米役割分担が存在≫
さて、現在の普天間基地の軍事的有意性はどのようなところにあるのだろうか。日米安保体制における両国の軍事的役割分担から点検しよう。この際、日米安保体制は核戦力と通常戦力の両面について考えなければならない。
核戦力について答えは明確だろう。わが国は非核政策を堅持し、米国がわが国に「核の傘」を提供している。通常戦力についても明確である。わが国の通常戦力、自衛隊は戦闘目的で海外に出ていくことをしない。その代わりに米軍の前方展開部隊は日本に駐留し、グローバルに睨(にら)みを効かしながら、日本の安全に貢献している。
専門的にはそれを「戦力投影」というのだが、在日米軍のこの戦力投影のポテンシャル(潜在力)が、わが国と中東産油国間の長大なシーレーンの安全や、朝鮮半島や台湾海峡など周辺地域の安定に寄与しているのだ。
この役割分担こそが両国間のギブ・アンド・テークで、これはわが国が、日米安保体制下で主体的に決めてきたことである。この関係を見直し、より対等なものを求めるのならば、わが国は米国による核の傘提供の有無について見直すとともに、自衛隊に米国の戦力投影の能力の一部を持たせることも考えねばならない。果たして、それを策定に着手する新「防衛計画の大綱」に盛り込むとでもいうのだろうか。
≪「近からず遠からず」の意味≫
さて普天間問題に戻るが、在日米軍は、前方展開部隊として戦力投影の役割を担う。しかし、あまり朝鮮半島や台湾海峡に近い地域に駐留すると、航空機や艦艇が偶発的に衝突する事案が起きやすい。一方、グアム島やテニアン島など遠くに駐留すれば、緊急時に馳(は)せ参ずることが難しい。
要するに、「近からず遠からず」の、間合いの取れる地域に駐留することが軍事的に不可欠なのだ。わが国が極東旧ソ連軍の脅威に直面していた冷戦時でさえ米軍は北海道に駐留せず、青森・三沢まで離れて間合いを取っていた。
米海兵隊の戦力は、地上戦闘部隊、その訓練演習施設、直接支援の航空機部隊、揚陸艦艇部隊から成り立っている。緊急時に短時間でこれらを結合させるには、4つの戦力要素が地理的に200ないし300キロメートルの範囲内に展開されていなければならない。
九州に移設する案は、地上戦闘部隊との距離が遠過ぎ、かつ十分な地積を持つ訓練演習場を近くに得られない。沖縄南方の下地島案は遠過ぎ、滑走路はあってもヘリ部隊を守る地上戦闘部隊を置くことはできない。結局、軍事的有意性を持つ移転先は、陸海空3自衛隊によってしっかりと守られている沖縄本島(県内移設)でしかないのだ。
嘉手納空軍基地への統合案もあるが、緊急時に同基地は駆けつけてくる空軍機で満杯となり、とても海兵隊航空部隊のオペレーションをさばくことはできない。
突き詰めると、沖縄・辺野古への移設案しか選択肢は考えられない。これには、陸上案も出ているが、陸上案は騒音公害や落下物の危険性などの問題が残る。部分的修正はあったとしても、結局、日米合意のあるV字型沖出し案を中心に置いた案こそが、国の防衛と地域住民への配慮を両立させ得るベストの案として残り得よう。
2010.2.26
いかなる問題を解決するにしても、本質的な検討要件の優先順位を定め、この順序に従って議論することが必須だ。普天間基地移設問題では、その手順が全く無視されている。軍事基地の問題だから移設先を考える際には、第1段階で、基地にした場合の軍事的意味(有意性)を考えねばならない。
すべての候補地をゼロベースで見直すと言っても、この有意性のないところは選択肢とはなり得ない。論議の前にこれらを排除し、残された候補地案について次の段階に進まなければならない。第2段階では、各案について政治・経済、外交上の影響を勘案し、最終的移転先を決める、二段構えのアプローチが必要なのだ。
≪今の検討作業は順序が逆だ≫
迷走の原因は、この第1の論議を意図的に避け、いきなり第2の政治・経済、外交に関する論議を始めたことにある。また、第2の論議を始めるに当たっても、普天間基地移設は日米間の外交課題だから、まずは外交的視点から論議し、しかる後に国内政治や経済の順で論議しなければならない。
国内政治を最優先して議論を始めれば、政党間で立場は大きく異なる。5月中に決めるには、論議を正しいアプローチで再開する必要があるが、まずは検討委員会で、連立各党が提案する各移設先案の軍事的有意性について書面で提示させ、国民の前で大いに論議すべきだ。
その後に、外交的、政治的、経済的な論議を再開させれば、むしろ、それが5月までの近道で国民にも理解しやすい。選挙目当てでゼロベースの見直しを装う政治パフォーマンスは、国民の政治不信を招き、結果として地元となる住民の感情を弄(もてあそ)ぶことになる。
≪明確な日米役割分担が存在≫
さて、現在の普天間基地の軍事的有意性はどのようなところにあるのだろうか。日米安保体制における両国の軍事的役割分担から点検しよう。この際、日米安保体制は核戦力と通常戦力の両面について考えなければならない。
核戦力について答えは明確だろう。わが国は非核政策を堅持し、米国がわが国に「核の傘」を提供している。通常戦力についても明確である。わが国の通常戦力、自衛隊は戦闘目的で海外に出ていくことをしない。その代わりに米軍の前方展開部隊は日本に駐留し、グローバルに睨(にら)みを効かしながら、日本の安全に貢献している。
専門的にはそれを「戦力投影」というのだが、在日米軍のこの戦力投影のポテンシャル(潜在力)が、わが国と中東産油国間の長大なシーレーンの安全や、朝鮮半島や台湾海峡など周辺地域の安定に寄与しているのだ。
この役割分担こそが両国間のギブ・アンド・テークで、これはわが国が、日米安保体制下で主体的に決めてきたことである。この関係を見直し、より対等なものを求めるのならば、わが国は米国による核の傘提供の有無について見直すとともに、自衛隊に米国の戦力投影の能力の一部を持たせることも考えねばならない。果たして、それを策定に着手する新「防衛計画の大綱」に盛り込むとでもいうのだろうか。
≪「近からず遠からず」の意味≫
さて普天間問題に戻るが、在日米軍は、前方展開部隊として戦力投影の役割を担う。しかし、あまり朝鮮半島や台湾海峡に近い地域に駐留すると、航空機や艦艇が偶発的に衝突する事案が起きやすい。一方、グアム島やテニアン島など遠くに駐留すれば、緊急時に馳(は)せ参ずることが難しい。
要するに、「近からず遠からず」の、間合いの取れる地域に駐留することが軍事的に不可欠なのだ。わが国が極東旧ソ連軍の脅威に直面していた冷戦時でさえ米軍は北海道に駐留せず、青森・三沢まで離れて間合いを取っていた。
米海兵隊の戦力は、地上戦闘部隊、その訓練演習施設、直接支援の航空機部隊、揚陸艦艇部隊から成り立っている。緊急時に短時間でこれらを結合させるには、4つの戦力要素が地理的に200ないし300キロメートルの範囲内に展開されていなければならない。
九州に移設する案は、地上戦闘部隊との距離が遠過ぎ、かつ十分な地積を持つ訓練演習場を近くに得られない。沖縄南方の下地島案は遠過ぎ、滑走路はあってもヘリ部隊を守る地上戦闘部隊を置くことはできない。結局、軍事的有意性を持つ移転先は、陸海空3自衛隊によってしっかりと守られている沖縄本島(県内移設)でしかないのだ。
嘉手納空軍基地への統合案もあるが、緊急時に同基地は駆けつけてくる空軍機で満杯となり、とても海兵隊航空部隊のオペレーションをさばくことはできない。
突き詰めると、沖縄・辺野古への移設案しか選択肢は考えられない。これには、陸上案も出ているが、陸上案は騒音公害や落下物の危険性などの問題が残る。部分的修正はあったとしても、結局、日米合意のあるV字型沖出し案を中心に置いた案こそが、国の防衛と地域住民への配慮を両立させ得るベストの案として残り得よう。
普天間移設、キャンプ・シュワブ陸上案提示へ
2月26日3時5分配信 読売新聞
沖縄県の米軍普天間飛行場移設問題で、政府が3月に米政府に正式に提示する最有力の移設案が25日、明らかになった。
同県名護市辺野古などにまたがる米軍キャンプ・シュワブ陸上部に500メートル級の滑走路を建設するとともに、海兵隊の部隊の訓練を国内の他の島に移転する計画がセットになっている。
米側は訓練への影響が大きいなどとして反対することが予想されるため、政府としては、次善策として、陸上部に1500メートル級の滑走路を建設する案を提示することも検討している。
北沢防衛相は25日、都内で開かれた国民新党の衆院議員のパーティーであいさつし、同党がこの移設案を軸に提唱していることに触れ、「だいたい方向性は(自分も)同じであり、その方向に今、進んでいる」と述べ、政府内で陸上部への移設案が最有力案として検討されていることを明らかにした。
シュワブ陸上部案については、2005年の日米協議で、訓練に支障が出るうえ、騒音被害や環境悪化が広がるなどとして、米側が拒否した経緯がある。米側はこの際、シュワブ内の射撃場が使用しにくくなることなど、技術面での難点を複数挙げたため、政府は、沖縄県内の米軍基地内に日本政府の負担で射撃場を建設することも検討している。
訓練の具体的な移転先としては、鹿児島県の徳之島のほか、沖縄県内の離島が検討されている。
ただ、米側は06年の日米合意に基づくシュワブ沿岸部への移設計画が最善だとの姿勢を崩しておらず、新たな案には難色を示す公算が大きい。また、沖縄県や名護市は普天間の「国外・県外移設」を求めており、名護市辺野古など周辺3区の区長は25日、陸上部案に反対する要請書を政府に提出した。
.最終更新:2月26日3時5分
沖縄県の米軍普天間飛行場移設問題で、政府が3月に米政府に正式に提示する最有力の移設案が25日、明らかになった。
同県名護市辺野古などにまたがる米軍キャンプ・シュワブ陸上部に500メートル級の滑走路を建設するとともに、海兵隊の部隊の訓練を国内の他の島に移転する計画がセットになっている。
米側は訓練への影響が大きいなどとして反対することが予想されるため、政府としては、次善策として、陸上部に1500メートル級の滑走路を建設する案を提示することも検討している。
北沢防衛相は25日、都内で開かれた国民新党の衆院議員のパーティーであいさつし、同党がこの移設案を軸に提唱していることに触れ、「だいたい方向性は(自分も)同じであり、その方向に今、進んでいる」と述べ、政府内で陸上部への移設案が最有力案として検討されていることを明らかにした。
シュワブ陸上部案については、2005年の日米協議で、訓練に支障が出るうえ、騒音被害や環境悪化が広がるなどとして、米側が拒否した経緯がある。米側はこの際、シュワブ内の射撃場が使用しにくくなることなど、技術面での難点を複数挙げたため、政府は、沖縄県内の米軍基地内に日本政府の負担で射撃場を建設することも検討している。
訓練の具体的な移転先としては、鹿児島県の徳之島のほか、沖縄県内の離島が検討されている。
ただ、米側は06年の日米合意に基づくシュワブ沿岸部への移設計画が最善だとの姿勢を崩しておらず、新たな案には難色を示す公算が大きい。また、沖縄県や名護市は普天間の「国外・県外移設」を求めており、名護市辺野古など周辺3区の区長は25日、陸上部案に反対する要請書を政府に提出した。
.最終更新:2月26日3時5分
2010年02月24日
伊吹文明政権構想会議座長の新綱領解説(下)
目指す国家像、自民党と民主党の違い
これまで述べてきた「現状認識」を前提に、わが党が「党の性格と党風」を大切に党運営を行い、「党の政策の基本的考え方」に基づいて政策を企画・立案・実施できれば、どのような日本になるのかを述べたのが、「わが党は誇りと活力ある日本像を目指す」です。自民党の国家ビジョン・理想とする国家像です。
1、家族、地域社会、国の一員であるという帰属意識をしっかりと持って、まず、一人ひとりの国民が自立をする。しかし、努力しても無理な人たちはお互いに温かく助け合っていく国民がある。
2、美しい自然と温かい人間関係の下で、その国民は、家族、地域社会の中で「和と絆」を大切にして、日々を暮らす。
3、政府と自治体は、独断専行ではなく、合意形成を怠らず民主的に運営される。
4、努力するものが報われ、努力する機会と能力に恵まれぬものを皆で支えていく。その条件は政府がつくる。
5、全ての人に公正な政策を実行する政府。一部の団体、地域、人たちに皆の負担をばらまく政策はやらない。次の世代が納める税金を、今の世代が勝手に使い道を決めてしまうような国債発行依存の財政からの脱却に努力する。
立党50年時の綱領にある「小さな政府を」という考え方・精神は変わっていませんが、「小さな」、「大きな」の基準が何なのかは、人口構成、国内総生産(GDP)の大きさにより変わってくるので、むしろ不必要なことをしない政府という感覚でしょうか。
6、世界平和への責務・義務を果たし、人類共通の価値観に貢献する有徳の国・日本を目指す。
さて、この綱領で、民主党とどこが違うのかという質問が出ます。わが党と民主党との最大の違いは、綱領があるかないかです。
民主党には、昔の社会党綱領の下で議員をやっていた人が、今閣僚席に数人座っています。この方々は、社会主義を捨てて、民主党に参加したのでしょうか。また、わが党の中で、ポストに就けない、権力闘争に敗れたからといって出ていった人も多い。
目先の市民の生活が大切で、国より個人だという市民運動家の方もいる。民主党は、綱領がないというよりも、こうした人たちの混合政党であるから、政策を判断する共通の理念を統一できない。
その結果として、当面の選挙対策的場当たり政策がまかり通るのが残念な現実です。共産党は、共産主義で統一をされている。社民党の性格は変わってきたけれども、最終的には社会主義的なものへ移っていくことが書かれています。
ところが、民主党には綱領がありません。選挙が不利だから離党する、大臣になりたいから他党にいくなどいう政治家が集まる政党では、綱領は持てないのは当然です。綱領を共有するから同志が集まり、党があるのです。政治理念ではなく、当面の損得で行動をする政治家は必ずや後世の批判を受けるでしょう。心すべき点です。
谷垣総裁はじめ執行部には新綱領に従って、今後毅然として党運営を行うことを望みます。幹事長は綱領の精神で党運営にあたる。政調会長はこの基本で全ての政策を取捨選択する。全党員がこの綱領の下で一致協力し、苦しくても我慢して各々が持ち場で努力する。その雰囲気をつくり、最後の責任をとるのが総裁です。そうすれば、わが党への良識ある国民の信頼は必ず回復するはずです。
さあ、新しい気持ちで再出発しましょう。
これまで述べてきた「現状認識」を前提に、わが党が「党の性格と党風」を大切に党運営を行い、「党の政策の基本的考え方」に基づいて政策を企画・立案・実施できれば、どのような日本になるのかを述べたのが、「わが党は誇りと活力ある日本像を目指す」です。自民党の国家ビジョン・理想とする国家像です。
1、家族、地域社会、国の一員であるという帰属意識をしっかりと持って、まず、一人ひとりの国民が自立をする。しかし、努力しても無理な人たちはお互いに温かく助け合っていく国民がある。
2、美しい自然と温かい人間関係の下で、その国民は、家族、地域社会の中で「和と絆」を大切にして、日々を暮らす。
3、政府と自治体は、独断専行ではなく、合意形成を怠らず民主的に運営される。
4、努力するものが報われ、努力する機会と能力に恵まれぬものを皆で支えていく。その条件は政府がつくる。
5、全ての人に公正な政策を実行する政府。一部の団体、地域、人たちに皆の負担をばらまく政策はやらない。次の世代が納める税金を、今の世代が勝手に使い道を決めてしまうような国債発行依存の財政からの脱却に努力する。
立党50年時の綱領にある「小さな政府を」という考え方・精神は変わっていませんが、「小さな」、「大きな」の基準が何なのかは、人口構成、国内総生産(GDP)の大きさにより変わってくるので、むしろ不必要なことをしない政府という感覚でしょうか。
6、世界平和への責務・義務を果たし、人類共通の価値観に貢献する有徳の国・日本を目指す。
さて、この綱領で、民主党とどこが違うのかという質問が出ます。わが党と民主党との最大の違いは、綱領があるかないかです。
民主党には、昔の社会党綱領の下で議員をやっていた人が、今閣僚席に数人座っています。この方々は、社会主義を捨てて、民主党に参加したのでしょうか。また、わが党の中で、ポストに就けない、権力闘争に敗れたからといって出ていった人も多い。
目先の市民の生活が大切で、国より個人だという市民運動家の方もいる。民主党は、綱領がないというよりも、こうした人たちの混合政党であるから、政策を判断する共通の理念を統一できない。
その結果として、当面の選挙対策的場当たり政策がまかり通るのが残念な現実です。共産党は、共産主義で統一をされている。社民党の性格は変わってきたけれども、最終的には社会主義的なものへ移っていくことが書かれています。
ところが、民主党には綱領がありません。選挙が不利だから離党する、大臣になりたいから他党にいくなどいう政治家が集まる政党では、綱領は持てないのは当然です。綱領を共有するから同志が集まり、党があるのです。政治理念ではなく、当面の損得で行動をする政治家は必ずや後世の批判を受けるでしょう。心すべき点です。
谷垣総裁はじめ執行部には新綱領に従って、今後毅然として党運営を行うことを望みます。幹事長は綱領の精神で党運営にあたる。政調会長はこの基本で全ての政策を取捨選択する。全党員がこの綱領の下で一致協力し、苦しくても我慢して各々が持ち場で努力する。その雰囲気をつくり、最後の責任をとるのが総裁です。そうすれば、わが党への良識ある国民の信頼は必ず回復するはずです。
さあ、新しい気持ちで再出発しましょう。
2010年02月23日
「恕」とは何か
皇太子さま50歳の誕生日の記者会見・最後の部分で、
「忠恕」のうちの「恕」、すなわち他人への思いやりの心を持つことが、これからの世の中でますます大切になってくると思えてなりません。
――とおっしゃられました。
このことについて、日本論語研究会で「四年目の日本論語研究会」というテーマで僕が講演しました。その部分を掲載します。
はじめに
子貢問いて曰く、「一言にして以って終身之を行うべきもの有りや。」と。
子曰く「其れ恕か。己の欲せざる所は、人に施すこと勿かれ。」と。
最初の頃から「日本論語研究会」に参加されている方は聞いたことがあると思われますが、実はこの一節を素読するのは三度目でございます。
四年目を迎えた最初でございますので、何が良いかなと工夫しましたけれども、やはりこの言葉が良いのではと思いました。
一言でいって、「一生を通じて、何をやったら良いのか」という事を子貢さんが孔子に質問された訳です。そしたら孔子先生が、「それは、『恕』という言葉ですよ」と言われた。 『恕』という言葉は「思いやり」という意味です。
アサヒビール名誉顧問の中條先生(既に二回、論語研究会で講演)は、「相手を立てれば蔵が建つ」と言っておられ、『恕』というのは、相手の立場に身を置いて考える事が大切だ、と言われている。
『恕』と言ってすぐ分かる人がいますけれども、何だろうと思う人もいますから、それで子貢さんに対しては、もう少し『恕』という事を詳しく説明したのが「己の欲せざる所は、人に施すこと勿れなんだよ」と言う話なんです。
これは、「自分でして貰いたくないという事は、人にはしちゃいけません」と。自分で嫌だと思うことを人にさせるという事はいけません、という事なのですね。
これと似た言葉がありますよ。
「自分で、これはして貰いたいなあという事を、相手にもしてあげなさい。」これはキリスト教の「愛」という言葉ですね。
それから仏教では「慈悲」という言葉がありますけれども、それと同じ言葉なのですね。
そういう意味では、我々が一生を通じて、心に留めて置かなければいけない事はですね、やっぱり人に対する、他人に対する思いやり、それがやっぱり最も大事だと思います。
ところが今日、現実の日本の社会を見ますと、「俺が俺が」、「自分が自分が」、という事がちょっと多過ぎますね。利己主義とかエゴイズムとか有りますけれども、そうではなくて、もうちょっと人の為にやるという気持ちを持ったら良いんじゃないか。
そうしたら・その行動の結果が、正に中條さんが言うように、「相手を立てれば蔵が建つんだよ」、と言う事になる訳でございます。
「忠恕」のうちの「恕」、すなわち他人への思いやりの心を持つことが、これからの世の中でますます大切になってくると思えてなりません。
――とおっしゃられました。
このことについて、日本論語研究会で「四年目の日本論語研究会」というテーマで僕が講演しました。その部分を掲載します。
はじめに
子貢問いて曰く、「一言にして以って終身之を行うべきもの有りや。」と。
子曰く「其れ恕か。己の欲せざる所は、人に施すこと勿かれ。」と。
最初の頃から「日本論語研究会」に参加されている方は聞いたことがあると思われますが、実はこの一節を素読するのは三度目でございます。
四年目を迎えた最初でございますので、何が良いかなと工夫しましたけれども、やはりこの言葉が良いのではと思いました。
一言でいって、「一生を通じて、何をやったら良いのか」という事を子貢さんが孔子に質問された訳です。そしたら孔子先生が、「それは、『恕』という言葉ですよ」と言われた。 『恕』という言葉は「思いやり」という意味です。
アサヒビール名誉顧問の中條先生(既に二回、論語研究会で講演)は、「相手を立てれば蔵が建つ」と言っておられ、『恕』というのは、相手の立場に身を置いて考える事が大切だ、と言われている。
『恕』と言ってすぐ分かる人がいますけれども、何だろうと思う人もいますから、それで子貢さんに対しては、もう少し『恕』という事を詳しく説明したのが「己の欲せざる所は、人に施すこと勿れなんだよ」と言う話なんです。
これは、「自分でして貰いたくないという事は、人にはしちゃいけません」と。自分で嫌だと思うことを人にさせるという事はいけません、という事なのですね。
これと似た言葉がありますよ。
「自分で、これはして貰いたいなあという事を、相手にもしてあげなさい。」これはキリスト教の「愛」という言葉ですね。
それから仏教では「慈悲」という言葉がありますけれども、それと同じ言葉なのですね。
そういう意味では、我々が一生を通じて、心に留めて置かなければいけない事はですね、やっぱり人に対する、他人に対する思いやり、それがやっぱり最も大事だと思います。
ところが今日、現実の日本の社会を見ますと、「俺が俺が」、「自分が自分が」、という事がちょっと多過ぎますね。利己主義とかエゴイズムとか有りますけれども、そうではなくて、もうちょっと人の為にやるという気持ちを持ったら良いんじゃないか。
そうしたら・その行動の結果が、正に中條さんが言うように、「相手を立てれば蔵が建つんだよ」、と言う事になる訳でございます。
皇太子さま50歳会見より
(2010.2.23 05:01、産経ニュースより)
皇太子さま50歳会見から、これはという部分を引用しました。
【問1】50歳といえば、論語で「天命を知る」とされる年齢です。
今の率直なお気持ち、公私両面での抱負をお聞かせください。
昨年、天皇陛下が、中国国家副主席とご引見された際、天皇が行う国際親善、公務のあり方が議論となりました。
皇室のご活動については、憲法で定める「国事行為」以外に明確には規定されておりません。
「象徴天皇」のあり方を含めたご公務に対する考え方や、殿下が度々、語られてきた「時代に即した新しい公務」の現状と今後の取り組みについてお聞かせください。
《皇太子さま》自分としては、もう50になったのかという感じがする一方で、まだまだ研鑽(けんさん)を積まないといけないという、これからだという思いがいたしております。
ご質問の冒頭にあった「天命を知る」という孔子の言葉は、自分がこの世に生まれた使命を知るという意味ですが、単に知るだけではなく、この世のためにいかす、つまり、人のために尽くすという意味を含んでいるように思います。
孔子の言葉といいますと、確か天皇陛下が50歳になられた時の会見で、「夫子(ふうし)の道は忠恕(ちゅうじょ)のみ」との孔子の言葉で質問に答えていらっしゃいます。
「忠恕」とは、自分自身の誠実さとそこから来る他人への思いやりのことであり、この精神は一人一人はもとより、日本国にとっても「忠恕」の生き方が非常に大切なのではないかとおっしゃっておられます。「忠恕」と「天命を知る」という教えに基づいて、他人への思いやりの心を持ちながら、世の中のため、あるいは人のために私としてできることをやっていきたいと改めて思っております。
また、教えと言えば、大学を卒業の会見の折にお話ししていることですが、歴代天皇のご事蹟を学ぶ中で、第95代の花園天皇が、当時の皇太子、後の光厳天皇にあてて書き残した書に、まず徳を積むことの重要性を説き、そのためには学問をしなければいけないと説いておられることに感銘を受けたことを思い出します。
そして、花園天皇の言われる「学問」とは、単に博学になるということだけではなくて、人間として学ぶべき道義や礼義をも含めての意味で使われた言葉です。私も、50歳になって改めて学ぶことの大切さを認識しています。
50年というと、すなわち半世紀ですので、その年月には重みがあります。日本はこの50年の間に、著しい経済発展と社会の大きな変革を経て大きく変わりました。 現在、冬季オリンピック大会がカナダのバンクーバーで行われておりますけれども、私の最初のオリンピックの記憶は昭和39年の東京オリンピックにさかのぼります。
そして、その後の万国博覧会などを通じて、小さいころより戦後の日本の発展、世界の中の日本を体験してきました。同時に、両陛下から、私が生まれる以前の時代のことなどについても折々にお話を伺うことができたことはとても有り難いことでした。そして、私自身も公私両面で、大きな変化を経験してきました。
公の面では、両陛下のお導きにより皇太子に至る道を歩んでまいりました。私の面では、両陛下の温かい愛情の下で育ち、外国留学を含めて様々な経験をさせていただき、雅子との結婚、愛子の誕生により心温まる安らぎのある家庭を持つに至っております。
「天命を知る」年齢に達するに当たって、両陛下を始めこれまでお世話になりました多くの方々へのご恩を忘れず、更なる自己研鑽に努める気持ちを新たにしております。それとともに、ご高齢になられた両陛下をお助けしていくことの大切さにも思いを強く致しております。
「象徴天皇」の在り方を含めた公務に対する考え方についてのご質問ですが、私は、これらの点については、陛下が繰り返しお述べになってこられたところ、すなわち、過去の天皇が歩んでこられた道と、そしてまた、天皇は日本国、そして国民統合の象徴であるとの日本国憲法の規定に思いを致して、国民と苦楽を共にしながら、国民の幸せを願い、象徴とはどうあるべきか、その望ましいあり方を求め続けるということが大切なのだと思います。
「時代に即した新しい公務」については、この50年の間に日本社会が大きく変化しましたが、この変化は将来も続くものであり、変化に応じて公務に対する社会の要請も変わってくることになると思います。そして、社会の新しい要請にこたえていくことは大切なことであると考えております。
かつて、私は今後の関心ある分野として水の問題や環境問題、子どもと高齢者に関する事柄などを述べたことがありますが、これらの分野に限らず、新たな公務に対する社会の要請は出てくると思いますので、これらの公務に真摯に取り組んでまいりたいと思っております。
【問5】昨年は、天皇皇后両陛下のご結婚50年、陛下のご即位20年の祝賀行事が行われ、政権交代や裁判員制度スタートなど歴史に残る出来事もありました。この1年を振り返り、殿下にとって印象に残った出来事やご感想をお聞かせください。
《皇太子さま》この1年の印象に残る出来事と言えば、まず両陛下のご結婚50年・陛下のご即位20年にかかわる様々な行事でした。私どももそれらの多くの行事に参加させていただくことにより、改めて両陛下の歩んでこられた道に思いをはせるとともに、多くのことを学ぶことができました。そのほかにも、ご指摘の政権交代や裁判員制度のスタートも印象に残る出来事でありましたが、アメリカのオバマ大統領の就任も歴史的な出来事だったと思います。
また、ハイチでの地震で多くの人命が失われるという実に悲しい出来事がありました。日本国内でも、昨年7月の九州・中国地方を襲った集中豪雨などの自然災害がありました。現在なお、こうした災害により多くの人々が亡くなったり、生活の場を失ったりする現実があることには心が痛みます。先月、阪神・淡路大震災15周年追悼式典に出席しましたが、今なお癒えない悲しみを乗り越えながら、その経験を、安心して暮らせる街や社会の実現につなげようと懸命に努力している人々の姿に深い感銘を受けました。
そのようなときに何よりも大切なのは、寛容の精神を持ち、他の人々を思いやり、互いに助け合う気持ちだと思います。阪神・淡路大震災の際にも、国の内外を越えて、多くの人々から支援の手が差し伸べられました。ハイチの地震でも同じだと伺っています。そうした思いやりの気持ちを持ち続けながら、一日一日を大切に過ごし、必要なときには実際に行動に移していくことが大事だと思います。
また、この1年は、内外の経済面での難しさと、それに伴う国民の厳しい状況への思いが強かった年でもありました。皆様が共に手を携えてこの困難な状況を乗り越えていかれることを心から願っております。
こうした状況を考えると、この会見の冒頭で述べた言葉に戻ることになりますが、「忠恕」のうちの「恕」、すなわち他人への思いやりの心を持つことが、これからの世の中でますます大切になってくると思えてなりません。
皇太子さま50歳会見から、これはという部分を引用しました。
【問1】50歳といえば、論語で「天命を知る」とされる年齢です。
今の率直なお気持ち、公私両面での抱負をお聞かせください。
昨年、天皇陛下が、中国国家副主席とご引見された際、天皇が行う国際親善、公務のあり方が議論となりました。
皇室のご活動については、憲法で定める「国事行為」以外に明確には規定されておりません。
「象徴天皇」のあり方を含めたご公務に対する考え方や、殿下が度々、語られてきた「時代に即した新しい公務」の現状と今後の取り組みについてお聞かせください。
《皇太子さま》自分としては、もう50になったのかという感じがする一方で、まだまだ研鑽(けんさん)を積まないといけないという、これからだという思いがいたしております。
ご質問の冒頭にあった「天命を知る」という孔子の言葉は、自分がこの世に生まれた使命を知るという意味ですが、単に知るだけではなく、この世のためにいかす、つまり、人のために尽くすという意味を含んでいるように思います。
孔子の言葉といいますと、確か天皇陛下が50歳になられた時の会見で、「夫子(ふうし)の道は忠恕(ちゅうじょ)のみ」との孔子の言葉で質問に答えていらっしゃいます。
「忠恕」とは、自分自身の誠実さとそこから来る他人への思いやりのことであり、この精神は一人一人はもとより、日本国にとっても「忠恕」の生き方が非常に大切なのではないかとおっしゃっておられます。「忠恕」と「天命を知る」という教えに基づいて、他人への思いやりの心を持ちながら、世の中のため、あるいは人のために私としてできることをやっていきたいと改めて思っております。
また、教えと言えば、大学を卒業の会見の折にお話ししていることですが、歴代天皇のご事蹟を学ぶ中で、第95代の花園天皇が、当時の皇太子、後の光厳天皇にあてて書き残した書に、まず徳を積むことの重要性を説き、そのためには学問をしなければいけないと説いておられることに感銘を受けたことを思い出します。
そして、花園天皇の言われる「学問」とは、単に博学になるということだけではなくて、人間として学ぶべき道義や礼義をも含めての意味で使われた言葉です。私も、50歳になって改めて学ぶことの大切さを認識しています。
50年というと、すなわち半世紀ですので、その年月には重みがあります。日本はこの50年の間に、著しい経済発展と社会の大きな変革を経て大きく変わりました。 現在、冬季オリンピック大会がカナダのバンクーバーで行われておりますけれども、私の最初のオリンピックの記憶は昭和39年の東京オリンピックにさかのぼります。
そして、その後の万国博覧会などを通じて、小さいころより戦後の日本の発展、世界の中の日本を体験してきました。同時に、両陛下から、私が生まれる以前の時代のことなどについても折々にお話を伺うことができたことはとても有り難いことでした。そして、私自身も公私両面で、大きな変化を経験してきました。
公の面では、両陛下のお導きにより皇太子に至る道を歩んでまいりました。私の面では、両陛下の温かい愛情の下で育ち、外国留学を含めて様々な経験をさせていただき、雅子との結婚、愛子の誕生により心温まる安らぎのある家庭を持つに至っております。
「天命を知る」年齢に達するに当たって、両陛下を始めこれまでお世話になりました多くの方々へのご恩を忘れず、更なる自己研鑽に努める気持ちを新たにしております。それとともに、ご高齢になられた両陛下をお助けしていくことの大切さにも思いを強く致しております。
「象徴天皇」の在り方を含めた公務に対する考え方についてのご質問ですが、私は、これらの点については、陛下が繰り返しお述べになってこられたところ、すなわち、過去の天皇が歩んでこられた道と、そしてまた、天皇は日本国、そして国民統合の象徴であるとの日本国憲法の規定に思いを致して、国民と苦楽を共にしながら、国民の幸せを願い、象徴とはどうあるべきか、その望ましいあり方を求め続けるということが大切なのだと思います。
「時代に即した新しい公務」については、この50年の間に日本社会が大きく変化しましたが、この変化は将来も続くものであり、変化に応じて公務に対する社会の要請も変わってくることになると思います。そして、社会の新しい要請にこたえていくことは大切なことであると考えております。
かつて、私は今後の関心ある分野として水の問題や環境問題、子どもと高齢者に関する事柄などを述べたことがありますが、これらの分野に限らず、新たな公務に対する社会の要請は出てくると思いますので、これらの公務に真摯に取り組んでまいりたいと思っております。
【問5】昨年は、天皇皇后両陛下のご結婚50年、陛下のご即位20年の祝賀行事が行われ、政権交代や裁判員制度スタートなど歴史に残る出来事もありました。この1年を振り返り、殿下にとって印象に残った出来事やご感想をお聞かせください。
《皇太子さま》この1年の印象に残る出来事と言えば、まず両陛下のご結婚50年・陛下のご即位20年にかかわる様々な行事でした。私どももそれらの多くの行事に参加させていただくことにより、改めて両陛下の歩んでこられた道に思いをはせるとともに、多くのことを学ぶことができました。そのほかにも、ご指摘の政権交代や裁判員制度のスタートも印象に残る出来事でありましたが、アメリカのオバマ大統領の就任も歴史的な出来事だったと思います。
また、ハイチでの地震で多くの人命が失われるという実に悲しい出来事がありました。日本国内でも、昨年7月の九州・中国地方を襲った集中豪雨などの自然災害がありました。現在なお、こうした災害により多くの人々が亡くなったり、生活の場を失ったりする現実があることには心が痛みます。先月、阪神・淡路大震災15周年追悼式典に出席しましたが、今なお癒えない悲しみを乗り越えながら、その経験を、安心して暮らせる街や社会の実現につなげようと懸命に努力している人々の姿に深い感銘を受けました。
そのようなときに何よりも大切なのは、寛容の精神を持ち、他の人々を思いやり、互いに助け合う気持ちだと思います。阪神・淡路大震災の際にも、国の内外を越えて、多くの人々から支援の手が差し伸べられました。ハイチの地震でも同じだと伺っています。そうした思いやりの気持ちを持ち続けながら、一日一日を大切に過ごし、必要なときには実際に行動に移していくことが大事だと思います。
また、この1年は、内外の経済面での難しさと、それに伴う国民の厳しい状況への思いが強かった年でもありました。皆様が共に手を携えてこの困難な状況を乗り越えていかれることを心から願っております。
こうした状況を考えると、この会見の冒頭で述べた言葉に戻ることになりますが、「忠恕」のうちの「恕」、すなわち他人への思いやりの心を持つことが、これからの世の中でますます大切になってくると思えてなりません。
普天間問題で鳩山政権迷走
普天間問題が揺れています。
最近の動向を読売ニュース等から整理してみました。
普天間決着まで海兵隊移転進めぬ…米上院小委員長といった動きもあります。
防衛相「普天間、3月から対米交渉開始を」(2010年2月21日23時14分 読売新聞)
北沢防衛相は21日、福岡県大野城市で開かれた楠田大蔵防衛政務官の会合で講演し、政府・与党の検討委員会による沖縄の米軍普天間飛行場の移設先選定について「今月中に案を絞り込み、地元と米国に対するすりあわせを3月からスタートできるようにすることが最も大事だ」と述べ、来月から対米交渉や地元との調整を始める意向を示した。
講演で、防衛相は中国の潜水艦の日本近海での活発な活動を強調し、その対処の観点から「沖縄における米海兵隊の存在は極めて重要だ」と述べ、普天間の移設先は沖縄県内が望ましいとの認識を示した。社民党が主張するグアム移設案に対しては、沖縄の海兵隊が全面移転すれば日本近海の防衛線を「防御できない」と否定的な考えを示した。
普天間飛行場の移設先について、検討委員会での与党各党の具体案はいまだ正式に提示されていない。防衛相は20日の福田良彦・山口県岩国市長との会談で、検討委員会が複数の案を出し、政府が対米交渉を行う可能性に言及している。
普天間移設で首相「ベターでなく、ベスト探す」
(2010年2月20日22時55分 読売新聞)
鳩山首相は20日、平野官房長官が沖縄県の米軍普天間飛行場移設問題を巡り、同日の仲井真弘多知事との会談で「ベター」な選択との表現で、県内移設の可能性を示唆したことに関し、「ベターでなく、私どもはベストを探す」と強調した。
東京都内で記者団に語った。そのうえで「沖縄の皆さんに理解され、米国にも分かってもらえて、与党3党それぞれが分かったと言えるような案を作ることがベストだ」とも語った。
一方、北沢防衛相は20日、視察先の山口県岩国市で記者会見し、政府・与党による検討委員会が今月中に普天間飛行場の移設案を集約するよう、平野長官に要望していることを明らかにした。防衛相は「5月までの解決を逆算すれば、一日も早い集約を要請したい」と述べた。また、米側との協議方法を慎重に検討する姿勢を示した。
これに先立ち、防衛相は福田良彦・岩国市長ら地元関係者と米軍厚木基地(神奈川県)の空母艦載機部隊の米海兵隊岩国基地への移駐問題などを巡り意見交換した。地元側は2006年に日米が合意した米軍再編のロードマップ(行程表)にある普天間飛行場移設を見直す以上、同じ行程表にある空母艦載機の移駐も見直し対象にすべきだと主張した。
普天間決着まで海兵隊移転進めぬ…米上院小委員長
(2010年2月20日18時52分 読売新聞)
【ワシントン=小川聡】日本と米領グアムの歴訪を終えたジェームズ・ウェッブ米上院東アジア太平洋問題小委員長は19日、声明を発表し、沖縄県の米軍普天間飛行場の移設先が確定するまで海兵隊8000人のグアム移転に関する予算を認めない考えを示唆した。
米政府は2011会計年度予算教書で海兵隊グアム移転費4億2687万ドルを議会に要求している。
声明では「日本政府が沖縄内に普天間を移設すると決断するのを待っている」と県内移設を求める立場を明示。その上で「日本政府が5月に決断を発表するまでは、海兵隊8000人のグアム移転と同時に沖縄南部の人口密集地にある基地の移設を進めることはできない」としている。グアム移転の完了期限である14年までの実現見通しに関しては「現実的な議論がなされていない」などと懸念を表明した。
「普天間決着まで海兵隊移転手続きは停止」米有力議員
(2010年2月22日5時8分、朝日)
【ワシントン=伊藤宏】米上院外交委員会東アジア太平洋小委員会のウェッブ委員長は、2月中旬の東京、沖縄、グアム訪問を踏まえて声明を発表し、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先が決まるまでは、在沖縄海兵隊約8千人のグアム移転手続きは進めない考えを示した。
19日付の声明は、普天間飛行場の移設が計画通り進められるかに懸念を示したうえで、「日本政府は5月までに決定をするとしている。それまでは沖縄県南部の人口密集地にある米軍基地や、8千人の海兵隊のグアム移転は進められない」とした。
また、普天間飛行場移設と海兵隊グアム移転の2014年の完了期限について「現実的な議論がなされていないと懸念する。さらに開かれた議論が必要だ」と指摘した。
普天間県内決着も…知事と会談の官房長官(2010年2月20日12時21分 読売新聞)
平野官房長官は20日午前、沖縄県庁で仲井真弘多同県知事と会談し、米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)の移設問題を協議した。
知事が「県外移設がベストだ」と述べたのに対し、平野氏は「常にベストを求めていくが、ベターになるかもしれない。そういうことも理解したうえで判断してもらわないといけない」と述べ、政府・与党の検討の結果、県内移設で決着することもあり得るとの考えを示唆した。
政府・与党内で、米軍キャンプ・シュワブ陸上部(名護市など)への移設案に肯定的な意見が出ていることについては「ゼロベースだ。政府として米国と内々にやっているとかそういうことは全くない。明言しておく」と強調。5月末までに最終結論を出す方針も伝えた。
名護市の稲嶺進市長が同市への移設に反対していることにも触れ、「市長選の結果、民意は尊重しなければならないが、県民の負担軽減、危険性除去をベースに、国の安全保障とのバランスを見据えながら考えないといけない」と語った。
仲井真氏は「頭越しにならないよう、意見交換、相談するステージを作ってほしい」と要請した。
「シュワブ陸上部」移設案、政府内に肯定意見(2010年2月20日02時06分 読売新聞)
沖縄県の米軍普天間飛行場移設問題で、国民新党が提案する米軍キャンプ・シュワブ陸上部(名護市など)への移設案について、政府内で19日、肯定的な意見が上がった。
ただ、「県外移設」を主張する社民党が強く反対するなど、政府・与党、米国、地元の賛否は激しく分かれている。
北沢防衛相は19日の記者会見で、シュワブ陸上案について、「かつて(沖縄の)楚辺(そべ)通信所がキャンプ・ハンセンに移った時、そんなに大きな反対運動は起きなかった。歴史的なものに学ぶべきところはあるかもしれない」と述べ、前向きに検討する考えを示した。
米軍楚辺通信所(読谷(よみたん)村)は1996年、当時の大田昌秀県知事が米軍用地として土地を強制使用するのに必要な代理署名を拒否して政治問題化した。日米は同年、同通信所を米軍キャンプ・ハンセン(金武(きん)町など)に「県内移設」することを決め、事態を収拾した。
陸上案を評価する声があるのは、米軍基地間の移設であれば、県民の負担軽減をアピールできるうえ、予想される反対派の妨害を防げることなどが理由だ。
しかし、米側は2005年の日米協議で、訓練に支障が出るなどとして陸上部案を拒否。名護市の稲嶺進市長も市内への移設反対を鳩山首相に伝えている。首相は同日夜、記者団に「あらゆる選択肢を視野に入れ、検討している」と述べた。
普天間移設、首相「連立維持する形の結論出す」
(2010年2月19日20時07分 読売新聞)
鳩山首相は19日夜、沖縄県の米軍普天間飛行場の移設問題について、「連立内閣だから、社民党、国民新党にも理解していただけるような解決策を作り出していく。少なくとも最終的に連立政権を維持する形の結論を出す」と述べ、与党の結束を重視する意向を示した。
首相官邸で記者団の質問に答えた。国民新党は同県内の米軍キャンプ・シュワブ陸上部への移設案などをまとめたが、社民党は県外移設を主張している。
最近の動向を読売ニュース等から整理してみました。
普天間決着まで海兵隊移転進めぬ…米上院小委員長といった動きもあります。
防衛相「普天間、3月から対米交渉開始を」(2010年2月21日23時14分 読売新聞)
北沢防衛相は21日、福岡県大野城市で開かれた楠田大蔵防衛政務官の会合で講演し、政府・与党の検討委員会による沖縄の米軍普天間飛行場の移設先選定について「今月中に案を絞り込み、地元と米国に対するすりあわせを3月からスタートできるようにすることが最も大事だ」と述べ、来月から対米交渉や地元との調整を始める意向を示した。
講演で、防衛相は中国の潜水艦の日本近海での活発な活動を強調し、その対処の観点から「沖縄における米海兵隊の存在は極めて重要だ」と述べ、普天間の移設先は沖縄県内が望ましいとの認識を示した。社民党が主張するグアム移設案に対しては、沖縄の海兵隊が全面移転すれば日本近海の防衛線を「防御できない」と否定的な考えを示した。
普天間飛行場の移設先について、検討委員会での与党各党の具体案はいまだ正式に提示されていない。防衛相は20日の福田良彦・山口県岩国市長との会談で、検討委員会が複数の案を出し、政府が対米交渉を行う可能性に言及している。
普天間移設で首相「ベターでなく、ベスト探す」
(2010年2月20日22時55分 読売新聞)
鳩山首相は20日、平野官房長官が沖縄県の米軍普天間飛行場移設問題を巡り、同日の仲井真弘多知事との会談で「ベター」な選択との表現で、県内移設の可能性を示唆したことに関し、「ベターでなく、私どもはベストを探す」と強調した。
東京都内で記者団に語った。そのうえで「沖縄の皆さんに理解され、米国にも分かってもらえて、与党3党それぞれが分かったと言えるような案を作ることがベストだ」とも語った。
一方、北沢防衛相は20日、視察先の山口県岩国市で記者会見し、政府・与党による検討委員会が今月中に普天間飛行場の移設案を集約するよう、平野長官に要望していることを明らかにした。防衛相は「5月までの解決を逆算すれば、一日も早い集約を要請したい」と述べた。また、米側との協議方法を慎重に検討する姿勢を示した。
これに先立ち、防衛相は福田良彦・岩国市長ら地元関係者と米軍厚木基地(神奈川県)の空母艦載機部隊の米海兵隊岩国基地への移駐問題などを巡り意見交換した。地元側は2006年に日米が合意した米軍再編のロードマップ(行程表)にある普天間飛行場移設を見直す以上、同じ行程表にある空母艦載機の移駐も見直し対象にすべきだと主張した。
普天間決着まで海兵隊移転進めぬ…米上院小委員長
(2010年2月20日18時52分 読売新聞)
【ワシントン=小川聡】日本と米領グアムの歴訪を終えたジェームズ・ウェッブ米上院東アジア太平洋問題小委員長は19日、声明を発表し、沖縄県の米軍普天間飛行場の移設先が確定するまで海兵隊8000人のグアム移転に関する予算を認めない考えを示唆した。
米政府は2011会計年度予算教書で海兵隊グアム移転費4億2687万ドルを議会に要求している。
声明では「日本政府が沖縄内に普天間を移設すると決断するのを待っている」と県内移設を求める立場を明示。その上で「日本政府が5月に決断を発表するまでは、海兵隊8000人のグアム移転と同時に沖縄南部の人口密集地にある基地の移設を進めることはできない」としている。グアム移転の完了期限である14年までの実現見通しに関しては「現実的な議論がなされていない」などと懸念を表明した。
「普天間決着まで海兵隊移転手続きは停止」米有力議員
(2010年2月22日5時8分、朝日)
【ワシントン=伊藤宏】米上院外交委員会東アジア太平洋小委員会のウェッブ委員長は、2月中旬の東京、沖縄、グアム訪問を踏まえて声明を発表し、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先が決まるまでは、在沖縄海兵隊約8千人のグアム移転手続きは進めない考えを示した。
19日付の声明は、普天間飛行場の移設が計画通り進められるかに懸念を示したうえで、「日本政府は5月までに決定をするとしている。それまでは沖縄県南部の人口密集地にある米軍基地や、8千人の海兵隊のグアム移転は進められない」とした。
また、普天間飛行場移設と海兵隊グアム移転の2014年の完了期限について「現実的な議論がなされていないと懸念する。さらに開かれた議論が必要だ」と指摘した。
普天間県内決着も…知事と会談の官房長官(2010年2月20日12時21分 読売新聞)
平野官房長官は20日午前、沖縄県庁で仲井真弘多同県知事と会談し、米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)の移設問題を協議した。
知事が「県外移設がベストだ」と述べたのに対し、平野氏は「常にベストを求めていくが、ベターになるかもしれない。そういうことも理解したうえで判断してもらわないといけない」と述べ、政府・与党の検討の結果、県内移設で決着することもあり得るとの考えを示唆した。
政府・与党内で、米軍キャンプ・シュワブ陸上部(名護市など)への移設案に肯定的な意見が出ていることについては「ゼロベースだ。政府として米国と内々にやっているとかそういうことは全くない。明言しておく」と強調。5月末までに最終結論を出す方針も伝えた。
名護市の稲嶺進市長が同市への移設に反対していることにも触れ、「市長選の結果、民意は尊重しなければならないが、県民の負担軽減、危険性除去をベースに、国の安全保障とのバランスを見据えながら考えないといけない」と語った。
仲井真氏は「頭越しにならないよう、意見交換、相談するステージを作ってほしい」と要請した。
「シュワブ陸上部」移設案、政府内に肯定意見(2010年2月20日02時06分 読売新聞)
沖縄県の米軍普天間飛行場移設問題で、国民新党が提案する米軍キャンプ・シュワブ陸上部(名護市など)への移設案について、政府内で19日、肯定的な意見が上がった。
ただ、「県外移設」を主張する社民党が強く反対するなど、政府・与党、米国、地元の賛否は激しく分かれている。
北沢防衛相は19日の記者会見で、シュワブ陸上案について、「かつて(沖縄の)楚辺(そべ)通信所がキャンプ・ハンセンに移った時、そんなに大きな反対運動は起きなかった。歴史的なものに学ぶべきところはあるかもしれない」と述べ、前向きに検討する考えを示した。
米軍楚辺通信所(読谷(よみたん)村)は1996年、当時の大田昌秀県知事が米軍用地として土地を強制使用するのに必要な代理署名を拒否して政治問題化した。日米は同年、同通信所を米軍キャンプ・ハンセン(金武(きん)町など)に「県内移設」することを決め、事態を収拾した。
陸上案を評価する声があるのは、米軍基地間の移設であれば、県民の負担軽減をアピールできるうえ、予想される反対派の妨害を防げることなどが理由だ。
しかし、米側は2005年の日米協議で、訓練に支障が出るなどとして陸上部案を拒否。名護市の稲嶺進市長も市内への移設反対を鳩山首相に伝えている。首相は同日夜、記者団に「あらゆる選択肢を視野に入れ、検討している」と述べた。
普天間移設、首相「連立維持する形の結論出す」
(2010年2月19日20時07分 読売新聞)
鳩山首相は19日夜、沖縄県の米軍普天間飛行場の移設問題について、「連立内閣だから、社民党、国民新党にも理解していただけるような解決策を作り出していく。少なくとも最終的に連立政権を維持する形の結論を出す」と述べ、与党の結束を重視する意向を示した。
首相官邸で記者団の質問に答えた。国民新党は同県内の米軍キャンプ・シュワブ陸上部への移設案などをまとめたが、社民党は県外移設を主張している。