2009年10月

2009年10月22日

鳩山政権、普天間基地の移設問題で先送りが許されなくなった

 ゲーツ米国防長官は、普天間基地の移設問題について、岡田外務大臣らに対して、「(現行の日米合意が)唯一実現可能な案だ」と述べ、現行計画の履行を強く求めた。

 ゲーツ国防長官は、今回の訪日で早期決断を迫った。
 これは、米側としては当然のことだ。
 もうこれ以上(13年間も議論)、普天間移設問題を先送りしたら、海兵隊8000人のグアム移転や沖縄での米軍基地施設の返還という画期的な地元負担軽減策が全て白紙となってしまう。
 そんなことはあってはならない。
 鳩山政権の外交・安保政策がアキレス腱だと言われていたが、今回それが露呈した格好だ。
 政府の対応は、今までの米軍再編計画を着実に実行する他に道はない。
 しかし、鳩山政権は、普天間移設を県外か国外に移設させるという、非現実的な考えを早く改めようとしない。
 現行計画は非常に長い交渉の末、日米が合意に至った経緯がある。
 政権が交代したからといって、国家間合意を軽々に白紙に戻すようなことは日米の信頼関係を大きく損なうものであり、そのことを認識すべきである。

 鳩山政権が、この問題を先送りしたら、米軍再編計画が白紙となり、日米関係が悪化する。

郵政新社長に大蔵省(現財務省)事務次官とは

 民主党は、郵政新社長に大蔵省(現財務省)事務次官の斎藤次郎氏を決めた。
 これにはあいた口がふさがらない。
 民主党は、日銀の総裁人事をめぐっては元財務次官の武藤敏郎氏の起用に強く反対した。
 官僚OBだからという理由だ。
 ところが今回は官僚OBだ。どうなっているのか民主党は。

 今朝の新聞・テレビは、民主党の「脱官僚」の看板は偽りか?と批判している。
 その中で、産経新聞(10月22日)の主張「郵政新社長 「脱官僚」の看板は偽りか」を以下に掲載する。


 日本郵政の新社長に決まり、記者会見する斎藤次郎氏=21日夕、東京・丸の内日本郵政グループの持ち株会社である日本郵政の新社長に元大蔵省(現財務省)事務次官の斎藤次郎・東京金融取引所社長が内定した。郵政民営化の見直しを進めるため、政府が「自主的辞任」を促した西川善文社長の後任だ。

 しかし大蔵次官といえば官僚中の官僚だ。斎藤氏の起用は政権公約で「脱官僚」「天下り根絶」を掲げる鳩山政権の方針と明らかに矛盾する。

 思いだされるのは野党時代の対応だ。
 一昨年の参院選で多数を制した民主党は、政府提出の国会同意人事で「党利党略」と言われても仕方ないような反対を繰り返した。日銀の総裁人事をめぐっては元財務次官の武藤敏郎氏の起用に強く反対し、総裁職が一時不在となる異常事態を招いた。官僚OBだというのが理由で、その後の副総裁人事でも財務省出身者らが相次いで不同意になった。

 今回の人事を主導した亀井静香郵政改革担当相は「斎藤氏が大蔵次官だったのは10年以上昔の話」と主張するが、武藤氏も財務省を退官してから日銀副総裁を長年務めていた。自民党の大島理森幹事長が「どういう一貫性があるのか」と批判するのも当然だ。
 平野博文官房長官も記者会見でこの矛盾を突かれ、明確に答えられなかった。政権を取ったら「脱官僚の解釈も変わった」では国民は納得できない。二重基準だといわれても仕方あるまい。

 鳩山政権は先月末、官僚OBの独立行政法人への再就職について、原則禁止を決めたが、これでは脱官僚を掲げながら、「結局官僚依存を強めている」と批判されても反論できないだろう。逆に官僚側の増長を許す結果にもなりかねない。

 郵政グループのかじ取りが、民間出身者から官僚OBに移ることで改革に大きくブレーキがかかるのは間違いない。郵政改革は、民営化で郵貯と簡保という巨大な金融事業を見直し、官に集まりすぎていた資金を民間に流れるように変えることに主眼がある。

 斎藤氏は平成5年の細川護煕(もりひろ)首相時代の事務次官で、民主党の小沢一郎幹事長とは親交が深い。同政権が打ち出して挫折した「国民福祉税」構想の立案者とされている。だが、民間企業の経営手腕については未知数だ。

 鳩山首相は、郵政改革をどこへ導こうとしているのか。自らの口で国民に説明すべきだ。

shige_tamura at 10:08|PermalinkComments(3)TrackBack(0)clip!民主党 

2009年10月21日

国の内外に悪影響を及ぼす鳩山政権の外交・安保政策

 来日中のゲーツ米国防長官は、甘い人ではない。
 米国の国防に責任をもち、アフガンで死傷者がでても米軍は駐留している。

 普天間移設ができないと普天間飛行場はそのままになり、海兵隊のグアム移転も頓挫する。
 沖縄の負担は、そのまま続く。

 今回の米軍再編、沖縄の負担軽減は日本側から米側を説得し、それがもととなって計画が進んでいる。
 米側は、現状維持でも何ら問題がない。
 この問題は、そもそも日本側から言いだしたものだ。
 それを日本という国家が変わったならば分かるが、政権交代しただけで変わるのは問題だ。
 国家の外交・安保政策の基本は、政権交代しても変わってはいけないものだ。

 かつて細川政権が誕生した時は、外交・安保政策は自民党政権の政策を踏襲することで問題を起こさなかった。
 ところが、今回の政権交代で鳩山政権は、外交・安保政策を変更しようとして、国の内外に悪影響を及ぼしている。


(以下、参考)

<普天間移設>「海兵隊移転波及も」ゲーツ氏、現行案迫る
10月21日12時9分配信 毎日新聞


 鳩山由紀夫首相と北沢俊美防衛相は21日午前、来日中のゲーツ米国防長官と相次いで個別に会談した。この後、防衛相と共同記者会見した長官は、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)のキャンプ・シュワブ(同県名護市)沿岸部への移設問題で、「普天間の代替施設なしに米海兵隊のグアム移転はない」と述べ、在日米軍再編の日米合意の一つである米海兵隊移転という沖縄の負担軽減に絡めて、現行計画の実施を強く迫った。

 会見で長官は「普天間は再編の要だ。グアム移転なしに、沖縄で兵員の縮小と土地の返還もない。今の案は全員にとって一番いい案だ」と強調。さらに「すべての代替案を詳細に検討した結果、政治的に維持不可能で実行不可能という結果になった。期限については、できるだけ早く進展する必要がある」と現行計画を遅滞なく、早期に実施するよう求めた。沖縄県知事らが代替施設の沖合移動を求めていることについては「滑走路を数十メートル変えるのは、沖縄県民、日本政府の問題だ」と理解を示した。

 2010年1月に期限が切れる海上自衛隊のインド洋での給油活動では、長官は中断を容認したうえで代替案について「財政的にアフガンの国軍と警察の拡大、維持を支援することは、世界の大国に相当する貢献と期待している」と具体案を明示して期待感を示した。

 一方、首相は会談で普天間問題について「現在、真剣な検証が行われており、いかに国民や沖縄県民の理解を得ていくかという観点から、しっかりとした答えを見いだしていきたい」と沖縄県民の意向などを踏まえて時間をかけて最終的な結論を出す考えを示し、理解を求めた。ただ北沢防衛相は共同会見で「日米両国にとって、あまり時間をかけることは建設的ではない。長官にも申し上げた」と語り、判断の時期をめぐり政府内の認識の違いが浮き彫りになった。【仙石恭】

成功は一日で捨て去れ(柳井正著、新潮社)

柳井「私は、個人と私企業こそが社会を変えることができると信じています。
 決して国や、政府や、行政ではありません。」という柳井氏の言葉は、かつての渋沢栄一氏をほうふつさせる。
 柳井氏は、尊敬する人物として松下幸之助氏とピーター・F・ドラッカー氏を上げている。
 この本は、元気が出る。勇気がわく。
 ユニクロがなぜ伸びるかがあますところなく書かれている。
 柳井氏は、知恵を吐き出す。それは、常に新たな挑戦をし、行動しているからだ。
 この本、多くのことが勉強になる。今回は、以下の箇所を紹介する。


 サラリーマン社会の浸透の果てに

 唐突な話に聞こえるかも知れないが、ぼくほ、今の日本の閉塞感、言ってみれば、ていたらくの一番の原因は、国民が総じて将来に対し希望を持てなくなっていることから発していると考えている。

 それは、社会全体が老齢化・成熟化してきたということと、非常に残念なことだけれども、精神的なものよりも物質的なものを重視し、偏重するという近年の傾向がそうさせているのではないだろうか。これは、日本人の品格の衰退だ。

 先進諸国のなかでは、日本人が特に、より物質的なものを求める傾向を持っている。日本人自身は、あいかわらず精神的なものに重きを置いていると思っているかもしれないが、今の若者たちとか、世間一般の人々の生活を見てみると、精神性を重視しなくなった気がしてならない。ここが一番の問題で、現在のようなほんとうに困窮し複雑な時代だからこそ、物質偏重ではなく精神性に重きを置くべきなのだ。つまり、精神性イコール希望に重きを置く、ということだ。そのような思考方法に変えていかないと、将来に希望を持ちながら生活するという具合にはならない。

 会社を経営するという立場で言うと、経営者が経営理念と会社の将来像を明確に指し示しリーダーシップを持って行動すれば、全社員がモラルや倫理感を持ちながら同じベクトルで仕事をするようになるのではないだろうか。先ほどの精神性重視と同じ類の話である。

 戦後の日本は復興期、高度成長期を通して、起業する人が増え、大企業と中小企業の二重構造時代が長らく続いた。その後、サラリーマン社会が世の中に浸透していったあと、今度は自営業者が減り、中小商店も急速に減っていく。中小企業も減っていき、残っている企業経営者も疲弊する一方だ。このままでは赤字会社の比率はますます増えていくだろう。

 サラリーマン社会の浸透というのは、自分が意思を持ってこうするのだ、というよりも、他人からこうしてくれと指示されない限り動かない、そんな思考の人が増えていることを示している。それでは、だめだと思う。

 本来、ビジネスの世界では、指示待ちで給料をもらうだけのサラリーマンというのは存在しないはずだ。というのは、もし会社全体が立ち行かなくなったなら、自分はどうすべきかを考えて主体的に行動するはず。そうでなければ、だめになっていく会社とともに、自分もだめになっていくのを待つだけということになってしまう。すべての社員がそうとは考え難いが、そういう傾向の社員が増えているのも事実だ。サラリーマンではなく、自分自身で考え行動する自律・自立型の社員=ビジネスマンを会社内で育成しなければ会社は成長しない。


 坊ちゃん嬢ちゃん礼賛と物質至上主義

 それでは、指示待ちのサラリーマン思考蔓延の根本原因はどこにあるか。それは、家庭教育でしっかりとしつけをしないことにあるのではないだろうか。

 まずは、子供を大人のように扱う。これはまったく誤っている。元々、モラルや社会のルールを何も知らない子供は、やはり子供なのだ。当然だけれど、社会のルールや礼儀作法であるしつけ、あるいは生活していくための知識など、知っておくべきことは最低限知っておかないと大人にはなり得ない。それらをすべて飛ばして、最初から子供を大人のように扱ってしまっている。
 いわゆるゆとり教育の弊害なのかもしれない。
 そうして育ってきた人たちは「甘え」に慣れ親しみ、自分を律すること、我慢することに慣れていない。

 人間は一人では絶対に生きられない。仕事でも一般生活でも当然、共同で活動する場面が多い。そんな時、人間として共同生活する場合の最低限のルールは、まずは親、その次に初等教育の教師が教えないといけない。それらがすっ飛ばされた結果、ほんとうは子供なのだけれど大人の格好をしている人が増えているのではないだろうか。

 それともう一つは、ぼくが大学を卒業して何年か後のことだったと思うが、坊ちゃんや嬢ちゃんを賛美することが流行った。それは、週刊誌・月刊誌などいろんな雑誌が創刊された時期と重なる。

 坊ちゃん嬢ちゃんたちは自助努力を嫌い、親に甘え、他人に甘え、いつも誰かが自分を助けてくれるだろうと考える。これは、「物質を賛美する」ということと相通じている。

 そういう世の中に日本がなってしまったのが間違いなのではないかと思う。精神的な充実感などよりも、物質的な「もの」を選ぶほうが上質と考える。そんな極めて表面的なカッコよさだけを求める、上辺だけの社会に日本がなってしまったのではないだろうか。非常に残念に思う。先ほどの、しつけ教育されていない甘い人間が増えていることと重なって見える。

shige_tamura at 15:49|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!本の紹介 

鳩山政権の地方の声を聞くということは?

 内政問題は、多少間違っても修正すればよいが、外交問題は違う。
 外交問題は、相手国があることで、首相や閣僚の発言のブレが大きな問題となって取り返しのつかないことになる。

 民主党は、地方の声を大事にするといっている。

 しかし、八ツ場ダム中止は、地方の意見を一切聞かず一方的に中止を通告し、地元では大混乱している。これは、民主党が、マニフュストを変更すれば丸く収まるのだが。

 ところが、沖縄の普天間移設問題では、鳩山首相が「沖縄県の総意を聞きたい」といって、沖縄は大混乱。沖縄は、ホンネとタテマエがあり、沖縄県の総意となれば、「普天間の県外移設」となる。しかし、沖縄の人は、「県外移設は理想論で、現実には普天間は動かない」ということを知っている。そこで、苦渋の選択ということで、県内の名護市キャンプシュワブへの移設で動いている。

 民主党は、選挙で民意が変わったといって、普天間移設について沖縄だけ地方の意見を聞きたいという。これは、この問題を先延ばしするためである。
 八ツ場ダムは小渕優子議員が当選し、地元の民意は八ツ場ダムの推進だ。

 鳩山政権は、地方の意見を聞くことにおいて、八ツ場ダムと普天間移設では明らかに対応が違う。
 これは、地方の意見を真摯に聞くというのではなく、民主党にとって、地方の意見を聞いた方が都合の良い時には聞くが、そうでないときは無視するという方式だ。
 これは、鳩山政権の手法である。
 だが、この使い分けは国内では通じても、外交問題では通じない。

 鳩山政権は、外交問題で国の信頼を失墜させることになるだろう。
極めて残念である。

果たされるのか民主党公約・長寿医療制度(後期高齢者医療制度)

 民主党は夏の衆院選のマニフェストで長寿医療制度(後期高齢者医療制度)を廃止し、各種医療保険を段階的に統合、地域保険として一元化することを公約した。
 長妻昭厚生労働大臣も9月17日未明の就任会見で「(長寿医療制度を)廃止する」と明確に言い切った。
 ところが、内閣発足から1カ月あまり。いまだに、どのような手順で廃止するのか、まったく示せないでいる。民主党は本気で公約を実現しようとしているのか。


 民主党は社民党などとともに昨年5月、参院に「後期高齢者医療制度廃止法案」を提出。6月に多数を背景に審議らしい審議もせず強行採決で可決、衆院に送付した。
 同法案は長寿医療制度を即時廃止して、従来の老人保健制度(老健制度)に戻すよう求めるもの。審議の中でも、民主党の質疑者は「廃止をして元に戻すことが最善」と述べ、「まずは廃止」を強調した。
 また、昨年の参院山口の補欠選挙でも同党は、長寿医療制度の即時廃止を掲げて戦った。

 しかし、ここにきて「廃止ありき」の同党の姿勢が揺らいでいる。
 すぐにでも廃止するかのような勢いだった長妻大臣は、就任会見と同じ日の午後に行われた会見で「基本的に廃止し、元に戻し、また別の制度にすると混乱が起こる。廃止して速やかに移行すれば、一つのステップで済む。両方のメリット、デメリットを十分検討する」と述べ、一転して即時廃止論に慎重姿勢を示した。

 さらに10月9日の記者会見では「後期高齢者医療制度に代わる新しい制度と言うことですが、これは本当に拙速に物事を進め、患者さん、保険者、利用者、地方自治体が混乱すると元も子もない話になりますので、われわれとしては、スケジュールを立てて実行していきたい」と述べ、一元化の制度設計が整ってから同制度を廃止する考えを表明した。

 当然のことだ。自民党は「対案もなく廃止を主張するのは無責任だ」と主張してきた。そうしたわが党に対し、民主党は罵詈雑言に等しい批判を繰り返してきた。そうした経緯を振り返ると、「何をいまさら」の感を禁じ得ない。

 しかし、この発言は事実上、公約実現を断念したものと受け取ることもできる。
表向き、2、3年で新制度を構築する意向のようだが、制度の成り立ちが違う医療保険を一元化し、地域保険に統合するには多くの課題が横たわる。とても4年間の衆院議員の任期中に解決できるような問題ではない。結果として、長寿医療制度は廃止されないまま存続することになる。
 「論語」に「過ちては改むるに憚ること勿れ」とある。
 民主党はもはや野党ではない。「できなかったら、ごめんなさいと言えばいい」といったごまかしは許されない。素直にこれまでの認識不足を認め、長寿医療制度をより良き制度へ改善することに力を注ぐべきではないか。

 今年の1月に民間シンクタンク「日本医療政策機構」が行った世論調査によると、「基本的に現行制度を維持すべき」が、70歳以上では56%に及んだ。一方、「長寿医療制度を廃止してもとの医療制度に戻す」は33%。「もとの医療制度でも現行の制度でもない全く新しい制度をつくる」はわずか5%に過ぎなかった。

 また、毎日新聞が衆院選後に行った47都道府県知事へのアンケートでは、「(長寿医療制度)の廃止に賛成したのは茨城・橋本昌知事だけ」だった(9月6日付毎日新聞)。同制度は、国民の間に着実に定着してきている。
 わが国は、前例のない超高齢化社会を迎えようとしている。現在約1300万人の75歳以上の人口は、平成37年には2100万人を超えるとも言われる。

 高齢者が安心して医療を受けられる制度を確立することが不可欠だ。このため10年以上の歳月をかけて作られたのが、長寿医療制度だ。
 民主党も平成17年のマニフェストで「透明で独立性の高い、新たな高齢者医療制度の創設を含む医療・医療保険制度の改革に取り組む」と明記し、長寿医療制度と同様の制度を目指していたはずだ。これ以上、高齢者医療制度を政争の具にすることは許されない。
(以上、自由民主10月27日号より)


 結局、長妻大臣は、反対するのは得意だが、何も対案がないということが証明された格好だ。

shige_tamura at 11:09|PermalinkComments(2)TrackBack(0)clip!民主党 

2009年10月20日

ジェームス・アワー氏の「日米関係への鳩山政権の誤解」

 日米関係が揺れています。
 その問題点を今朝(10月20日)の産経新聞【正論】米バンダービルト大学日米研究協力センター ジェームス・アワー氏が「日米関係への鳩山政権の誤解」というテーマで論評しています。
 僕もアワー氏と何度かお会いしましたが、日米の安保政策を熟知されています。
 これは、参考になります。


 ≪「日本らしい」対応の結果≫

 日米双方に新政権が発足して、両国関係の行方が注目されている。鳩山由紀夫首相は「日本が米国とより対等な関係になる」ことを主張する。しかし過去45年間私の記憶の限りでは、米国は一貫して「(日本に)もっと積極的に発言する」よう求めてきた。従って鳩山氏が意味する「対等」の概念がいまひとつピンとこない。

 私は日米関係についての誤解が存在していると思っている。念頭にある4点を論じてみたい。今回の「政権交代」に期待する人たちは心に留めておいてほしい。

 誤解(1)。それは、日本は1945年から今日まで、米国に対して従属的立場にあった、というものである。確かにその間、米国は軍事的に日本より数段、強力であった。だが、日本は、米国と運命をともにすることを要求されているわけではなかった。米国による日本占領が終わり、米国との同盟を結んだ日本は、自らその道を選んだ。それは日本自らの選択の問題だったのである。

 事実、日本の経済が復興し、その競争力が増した1970年までに、多くの米国の議員が、日米同盟は米国にとって不平等であると不服を唱え始めた。日本は米国から離れることも可能だった。それをしなかったのは、米国が命令したからではなく、自国の判断によって、非常に割の良いとても「日本らしい」決断をしたのだ。

 ≪米国にとってこそ不平等≫

 誤解(2)。ここでは「日米関係は、日本のアジア諸国との関係深化の妨げとなる」という。しかし、これもよく考えてほしい。

 冷戦終了までの20年間、日本は、太平洋艦隊だけでも100隻以上の潜水艦を有した旧ソ連による危険な軍事的威嚇に直面していた。確かに、冷戦は終息して旧ソ連の脅威はなくなったが今日でも日本は、予測不可能な北朝鮮の独裁政権による脅威を受けている。今後の中国の行方についても相当な懸念がある。

 日本はかつて植民地であった朝鮮や中国に繰り返し謝罪し、うまくやっていくために多大な努力を払ってきた。だが、こうした日本の努力は報いられておらず、特に中国の一部では、いまだに平気で偏見に満ちた反日教育を行い、日本がまだ十分に謝罪していないという批判をやめていない。しかもそれを、国内の腐敗への批判をそらすために利用している。

 仮に、日本が自国の安全保障を米国に依存せず、国防への独自の取り組みを強めるとしたらどうだろう。日本の安保防衛政策に対するアジア諸国による批判は、ますます大きくなるだろう。日本の米国離れがアジア諸国に好意的に受け入れられると考えるのは、あまりに認識が甘い。

 誤解(3)は、日本と米国がもっと対等な関係ならば日本の負担は軽減されるだろう、というものである。しかし、これも違う。

 よくある説明では、いくつかの在日米軍基地では見逃せない公害が発生している、あるいは、駐留米兵の犯罪者は、正式に起訴されるまで日本の警察に引き渡されないといったことが、不平等の証であるという。私に言わせれば、こうした問題は特に日米同盟の履行に見られる不平等と比べると、些細(ささい)な事柄である。

 米国は日米同盟によって、日本の周囲の核保有国を睨(にら)み、日本への軍事攻撃や、インド洋、南西太平洋上でのシーレーン途絶などがないよう安保策を提供している。米国は、中国を重要視して、民主的で自由市場経済の強豪日本を無視することはしたくない。そこでいう「日本無用論」は誤りだ。もしも日本が、米国と一層対等になるための努力をほとんど、あるいは、全くしないなら、米国は日本の「もっと先」を見るだけだ。

 日本は2001年後半以来、インド洋で給油活動をしてきた。これはそれほど危険な活動ではないが、米国は日本の活動を有り難く思っている。少なくとも日本は「何か」を行っていた。しかし鳩山政権は、代替案も示さずにこの任務に終止符を打ちたいと言う。

 ≪問題は役割と任務の遂行≫

 誤解(4)は、同盟関連の支援を縮小すれば、日本の安全保障を損ねることなくコストを削減できる、というもの。確かに、同盟の米国にとっての重要度は冷戦時ほどではない。日本が在日米軍の移転を要求するとしたら、米国は不本意ながらも承諾するだろう。だがその場合でも、北朝鮮や中国が自国の軍事能力を縮小するとは思えない。日本は安全な地域にあるわけでもないのに、その軍事費は国民総生産(GNP)の1%程度に留まる。日本が平和で繁栄を享受できるのは、米国との安全保障体制があるからだ。

 以上4つの誤解を解いたうえで、言えることは、現在の日本がさらに応分の役割と任務を果たせば、米国とより対等の関係を持つことが可能になるということ。そして、繰り返すが、それをするもしないも日本側の自由ということだ。これまでも日本政府が自由意思でそうしてきたように、鳩山政権も何が日本の国益なのかを賢明に考慮されることを望む。

2009年10月16日

保守の旗を立て道義大国めざす 稲田朋美

 これぞ保守の理念です。
【正論】衆議院議員、弁護士・稲田朋美 保守の旗を立て道義大国めざす
(10.16)を掲載します。

 ≪「国民政党」自民の自覚が…≫

 今回の選挙は民主党が勝ったのではなく、自民党が負けたのである。国民は民主党がよいと思ったのではなく、自民党がだめだと判断したのだ。私事で恐縮だが、私も選挙戦前半は民主党の政策のでたらめさを訴えていた。しかし有権者の反応はいまひとつで、地元紙、地元テレビは、すべてわが陣営不利という調査結果を伝え、一体何と戦っているのかわからない不安があった。

 戦う相手が自民党への不信感であり、政治に対する信頼の失墜だと気づいたとき、訴えるべきことは民主党の悪ではなく、私の政治信条であり、ふるさと福井とこの国に対する思いだと悟った。後半戦は、「私には守りたいものがある。それは家族であり、ふるさと福井であり、愛する日本だ」という一点を愚直に訴え続けた。

 もともと政治の根本は人への信頼である。時々刻々と変わっていく国際情勢や経済状況のなかでマニフェストだけで政治はできない。危機に臨んで瞬時に正しい判断ができる人か、全身全霊を傾けてまじめに政治に取り組む政治家かどうかを有権者はみている。

 国民が自民党にこの国をまかせられないと思った理由もここにある。「一体政治家は永田町で何をやっているのだ」という怒りであり、不信感である。選挙に勝って政権を維持することにのみ目を奪われ「国民政党」であることを忘れ、人気取りに走った自民党に「否」をつきつけたのが今回の選挙だった。

 選挙期間中、私の選挙カーを地域の人々が神社の前で待っていてくれた。農作業の途中で田んぼから上がってきてくれた人、ごく普通のおっかさんたち、そして地域の活動を支える人々。自民党はこういった地域の人々に支えられ、「国民政党」として戦後を歩んできた。地域に根ざした、まじめに生きている人々に支持された本来の自民党の姿を取り戻さなければならない。

 ≪立党精神に立ち返ること≫

 そのために、1つは立党の精神に立ち戻って「道義大国」をめざすと宣言すること、2つ目はポピュリズム(大衆迎合主義)からの決別、そして3つ目は「伝統と創造」の理念に基づいた保守の旗を立てることである。

 民主党になくて自民党にあるものが1つだけある。それは立党の精神だ。自民党の立党宣言には、真の改革の続行、自主独立、国民道義の確立が謳(うた)われている。なかでも国民道義の確立は、日本が市場原理主義、拝金主義から本当の豊かさを求める国に生まれかわるための答えである。日本は単に経済大国というのではなく道義大国をめざすと宣言をするのだ。小さくても強く、高い倫理観と社会正義が貫かれていることで世界中から尊敬される国「道義大国日本」をめざす、と。

 人も政党も国も、めざすべき目標があれば、たとえ苦しくてもそのために努力をすることを厭(いと)わないし、それを不幸とも思わない。自民党が「国民政党」として再生するためにも国民全体の進むべき大きな目標を掲げることが不可欠なのだ。昨年の総裁選では、衆参で当選1回の有志19人で、4人の総裁候補に立党の精神に基づいた理念を語れと申し入れたが、そのときは党全体が下野を予想しておらず、今ほどの危機感がなかったからか、総裁候補の心を動かすことはできなかった。

 ≪まず政治家自身がまじめに≫

 しかし、今はちがう。政権与党という看板がなくなった今、何を国民に訴えるのか。政治理念しかない。谷垣禎一新総裁のいう「みんなでやろうぜ」は、自民党国会議員に対してだけでなく、今回惜しくも落選した元議員、全国の党員・党友、そしてまじめに生きるすべての国民に向けられたものでなければならない。もっとも、今の自民党に「道義大国」を国民に訴える資格があるのかを、まず自問しなければならない。国民に訴える前に自民党内の道義の再構築が必要である。まじめに生きている人々に支持されるには政治家自身がまじめでなければならない。国民からどう思われるかマスコミにどう取り上げられるかを気にして媚(こ)びるのではなく、真剣に政策を議論し、各政治家が信念に基づいて行動することが必要だ。

 下野した原因を謙虚に反省し、地道に有権者と対話する。政治は国民の幸福のためにあるという政治の原点に立ち戻り、地に足の着いた政治活動に専念する以外に自民党再生の道はない。

 そして保守の旗をたてることだ。保守とは特別のことではない。家族と地域共同体に価値をおき、まじめに生きる人々の生活を守ることが私のいう保守である。夫婦別姓や外国人参政権など家族や国民の絆(きずな)を弱める法案には党として反対の論陣を張る。そして伝統を守りつつも新しい自民党、新しい日本を創造する保守の旗をたてることである。道は険しくて遠い。しかし、だからといって私たちの代で唯一の保守政党である自民党を終わらせるわけにはいかない。そのための闘いはすでにはじまっている。(いなだ ともみ)

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