2009年04月
2009年04月30日
日本論語研究会の予定と「幸福な職場」
昨日、劇団東京フェステバル”連劇”第一弾!「幸福な職場」を観にいってきました。これは、学芸大学駅前の「千本木桜」劇場の僕の知り合いの三田社長から、「日本でいちばん大切にしたい会社」が演劇になるとの知らせからでした。
いまどきの劇が社会批判のものが多い中で、心の暖まる話、元気が出る話を劇にすることは素晴らしいと感じました。僕が、ブログや日本論語研究会の講演でも「日本でいちばん大切にしたい会社」を紹介し、こうした考え方が日本中に広まって欲しいとのことでPRしてきました。
それが、劇になるということで、奮発して花を贈ることにしたのです。
そして、厚かましく三田社長に頼んで「日本論語研究会のご案内」も劇を見に来られる方に配布していただくことになったのです。
「幸福な職場」と日本論語研究会の共通点は、少しでも日本を良くしたいという思いからです。
「幸福な職場」には、若い人たちで超満員でした。
写真は、「幸福な職場」の専務・社長を演じた俳優の中西晶大さんです。
「日本論語研究会」の予定
*会場は、全て慶應大学・三田キャンパスです
(港区三田2−15−45)(JR田町、地下鉄三田下車)
第49回
1、日 時 5月16日(土)16時30分〜18時
2、場 所 慶應義塾大学 第1校舎1階 102番教室
3、講 師 松元 崇(たかし)(内閣府政策統括官、前財務省主計局次長)
(テーマ、「大恐慌を駆け抜けた男 高橋是清(これきよ)」)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
第50回
1、日 時 6月6日(土)16時30分〜18時
2、場 所 慶應義塾大学 第1校舎1階 102番教室
3、講 師 山田英雄(JPファミリー生きがい振興財団理事長、元警察庁長官)
(テーマ、「日本を良くするために」)
第51回
1、日 時 7月18日(土)16時30分〜18時
2、場 所 慶應義塾大学 第1校舎1階 109番教室
3、講 師 岩越豊雄(社・国民文化研究会理事、寺小屋・「石塾」主宰)
(テーマ、続・子供と声を出して読みたい『論語』百章〜「二宮尊徳と論語」〜)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
〇参加費 300円(家族は2人以上で500円、学生は無料です)
〇問い合せ先 田村重信(代表幹事)
Eメールstamura@hq.jimin.or.jp へ連絡下さい。電話―3581−6211(職場)
(参考)日本論語研究会の日程(2週間前と1週間前に2回)と研究会の内容などは、ブログに掲載しています。 ブログ「たむたむの自民党VS民主党」http://tamtam.livedoor.biz/
憲法審査会が民主党などの反対で動かない。
憲法審査会が民主党など野党の反対で動かない状況にある。
これは、民主党が「憲法論議は政局を考えるとマイナス」との意向があるようだ。
以下、産経新聞の記事を掲載します。
小坂憲次衆院議院運営委員長は21日の議運委理事会で、国民投票法で発足が義務付けられながらたなざらしとなっている憲法審査会の「審査会規程」の制定について、23日の議運委理事会と委員会までに採択できるよう各党に要請した。
自民、公明両党は賛意を示したが、野党は「持ち帰って検討する」と述べるにとどめた。
自民、公明両党は23日の衆院議院運営委員会理事会に、国民投票法で設置された憲法審査会を運営するための「審査会規程案」を正式に提出した。規程は民主党など野党側の消極的な姿勢で制定されない状態が続いている。同日の議運委で自民党理事の渡辺博道衆院議員は「法制定後2年間も放置しているのは極めて不正常」と強調した。小坂憲次議運委員長は憲法記念日の5月3日までの制定を目指している。
憲法記念日前の「審査会規程」制定 野党反発で不可能に
4月30日7時56分配信 産経新聞
法手続き的には設置されたことになっている衆参両院の憲法審査会が、実際には、委員数などを定める「審査会規程」がないために始動できていない問題で、与党が目指した5月3日の憲法記念日前の規程制定が不可能な事態となった。衆院側では議院運営委員会で与党が規程案を提案したが、民主党など野党が反発し協議は暗礁に乗り上げた。野党が多数の参院側では規程案の提案にもいたっていない。
自民、公明両党は4月23日の衆院議運委で規程案の衆院本会議での採決を求める動議を提出した。27日には、国民投票法制定に尽力した中山太郎元衆院憲法調査特別委員長からも意見聴取した。
しかし民主党は「審査会設置に反対はしないが、まず与野党が合意できる環境づくりを優先させるべきだ」(玄葉光一郎衆院議員)などとして、規程制定に同調していない。
民主党は衆参両院で同時に規程を制定するよう求めているが、民主党が主導権を持つ参院議運委では論議が進んでいない。小坂憲次衆院議運委員長(自民)は「衆院が先行して規程を制定しても、参院が制定するまで、衆院も委員の選任などは凍結する」との妥協案を内示したが、民主党の態度は硬いままだ。
自民党の細田博之幹事長は、党ホームページに「拝啓 小沢代表殿」と題する一文を載せ、民主党の姿勢を「法治国家において許されない行為だ。連立政権をめざす小沢・民主党とすれば、憲法改正・日米安保に絶対反対の社民党、共産党の意見を無視できないことも、民主党の中においてさえ、考え方がバラバラでなかなか一本化できない深い事情も、容易に推察できる」と批判している。
ただ、与党も野党の反対を押し切ってまで規程案の採決を行わない方針だ。このまま「違法状態」(船田元・自民党憲法審議会会長代理)が大型連休後に持ち越され、憲法記念日という節目を過ぎれば、審査会問題が忘れ去られる恐れもある。
<憲法審査会問題>
平成19年5月の国民投票法制定に伴う国会法改正で、同年8月、衆参両院に常設機関として憲法問題を論議する憲法審査会が設置された。審査会の審議には、委員数や議事手続きを定める「規程」を衆参両院がそれぞれ決めなければならない。だが、審査会の設置そのものに反対する共産、社民両党や国民投票法制定の経緯に反発する民主党の慎重姿勢で、規程が制定されない異常事態が1年8カ月も続いている。
これは、民主党が「憲法論議は政局を考えるとマイナス」との意向があるようだ。
以下、産経新聞の記事を掲載します。
小坂憲次衆院議院運営委員長は21日の議運委理事会で、国民投票法で発足が義務付けられながらたなざらしとなっている憲法審査会の「審査会規程」の制定について、23日の議運委理事会と委員会までに採択できるよう各党に要請した。
自民、公明両党は賛意を示したが、野党は「持ち帰って検討する」と述べるにとどめた。
自民、公明両党は23日の衆院議院運営委員会理事会に、国民投票法で設置された憲法審査会を運営するための「審査会規程案」を正式に提出した。規程は民主党など野党側の消極的な姿勢で制定されない状態が続いている。同日の議運委で自民党理事の渡辺博道衆院議員は「法制定後2年間も放置しているのは極めて不正常」と強調した。小坂憲次議運委員長は憲法記念日の5月3日までの制定を目指している。
憲法記念日前の「審査会規程」制定 野党反発で不可能に
4月30日7時56分配信 産経新聞
法手続き的には設置されたことになっている衆参両院の憲法審査会が、実際には、委員数などを定める「審査会規程」がないために始動できていない問題で、与党が目指した5月3日の憲法記念日前の規程制定が不可能な事態となった。衆院側では議院運営委員会で与党が規程案を提案したが、民主党など野党が反発し協議は暗礁に乗り上げた。野党が多数の参院側では規程案の提案にもいたっていない。
自民、公明両党は4月23日の衆院議運委で規程案の衆院本会議での採決を求める動議を提出した。27日には、国民投票法制定に尽力した中山太郎元衆院憲法調査特別委員長からも意見聴取した。
しかし民主党は「審査会設置に反対はしないが、まず与野党が合意できる環境づくりを優先させるべきだ」(玄葉光一郎衆院議員)などとして、規程制定に同調していない。
民主党は衆参両院で同時に規程を制定するよう求めているが、民主党が主導権を持つ参院議運委では論議が進んでいない。小坂憲次衆院議運委員長(自民)は「衆院が先行して規程を制定しても、参院が制定するまで、衆院も委員の選任などは凍結する」との妥協案を内示したが、民主党の態度は硬いままだ。
自民党の細田博之幹事長は、党ホームページに「拝啓 小沢代表殿」と題する一文を載せ、民主党の姿勢を「法治国家において許されない行為だ。連立政権をめざす小沢・民主党とすれば、憲法改正・日米安保に絶対反対の社民党、共産党の意見を無視できないことも、民主党の中においてさえ、考え方がバラバラでなかなか一本化できない深い事情も、容易に推察できる」と批判している。
ただ、与党も野党の反対を押し切ってまで規程案の採決を行わない方針だ。このまま「違法状態」(船田元・自民党憲法審議会会長代理)が大型連休後に持ち越され、憲法記念日という節目を過ぎれば、審査会問題が忘れ去られる恐れもある。
<憲法審査会問題>
平成19年5月の国民投票法制定に伴う国会法改正で、同年8月、衆参両院に常設機関として憲法問題を論議する憲法審査会が設置された。審査会の審議には、委員数や議事手続きを定める「規程」を衆参両院がそれぞれ決めなければならない。だが、審査会の設置そのものに反対する共産、社民両党や国民投票法制定の経緯に反発する民主党の慎重姿勢で、規程が制定されない異常事態が1年8カ月も続いている。
2009年04月28日
新憲法はこうなる(田村重信著、講談社)
憲法記念日を前に、憲法について分かりやすい良い本はないか?との問い合わせがありました。
それには、「僕の本が良いですよ」と紹介しています。
Q&Aが好評です。
本の表紙の「赤富士」は写真です。幸運を呼ぶ「赤富士」です。家で僕の本を飾っておられる方もいるようです。僕は、この本の表紙にこだわりました。
憲法改正50のポイント
この本を読んでもまだ憲法9条は輝いていますか?
5年以内に必ずこうなる!
Q
「日本の憲法は世界に誇る理想憲法」といわれます。その中心が、やはり憲法第9条だと思いますが、戦争放棄規定を設けているのは日本だけですよね?
A
それはまったく違います。確かに今の憲法の第9条第1項には、「国際紛争を解決する手段としては、永久にこれ(国権の発動たる戦争、武力による威嚇、武力の行使)を放棄する」とあります。しかし、第2次世界大戦の敗戦国であるイタリアでも「国際紛争解決の手段としての戦争を放棄」(憲法第11条)を設けていますし、ドイツでも、基本法第26条で「侵略戦争の遂行を準備する行為は違憲である。このような行為は処罰されなければならない」と明文化されています。(中略)国連憲章第2条第4項でも「すべての加盟国は(中略)武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない」と規定しています。ですから、戦争放棄というのは、世界共有のものなのです。同じような規定を持つ国は、他にフランス、ブラジル、韓国、タイなどもあります。だから、「日本には、戦争放棄の素晴らしい理想憲法があるから、世界中がこれを手本にすれば、世の中は平和になる」という主張は、どうにも独善的な感じがしてなりません。
――<第6章 新憲法はこうなる「早わかり憲法改正Q&A50」>
それには、「僕の本が良いですよ」と紹介しています。
Q&Aが好評です。
本の表紙の「赤富士」は写真です。幸運を呼ぶ「赤富士」です。家で僕の本を飾っておられる方もいるようです。僕は、この本の表紙にこだわりました。
憲法改正50のポイント
この本を読んでもまだ憲法9条は輝いていますか?
5年以内に必ずこうなる!
Q
「日本の憲法は世界に誇る理想憲法」といわれます。その中心が、やはり憲法第9条だと思いますが、戦争放棄規定を設けているのは日本だけですよね?
A
それはまったく違います。確かに今の憲法の第9条第1項には、「国際紛争を解決する手段としては、永久にこれ(国権の発動たる戦争、武力による威嚇、武力の行使)を放棄する」とあります。しかし、第2次世界大戦の敗戦国であるイタリアでも「国際紛争解決の手段としての戦争を放棄」(憲法第11条)を設けていますし、ドイツでも、基本法第26条で「侵略戦争の遂行を準備する行為は違憲である。このような行為は処罰されなければならない」と明文化されています。(中略)国連憲章第2条第4項でも「すべての加盟国は(中略)武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない」と規定しています。ですから、戦争放棄というのは、世界共有のものなのです。同じような規定を持つ国は、他にフランス、ブラジル、韓国、タイなどもあります。だから、「日本には、戦争放棄の素晴らしい理想憲法があるから、世界中がこれを手本にすれば、世の中は平和になる」という主張は、どうにも独善的な感じがしてなりません。
――<第6章 新憲法はこうなる「早わかり憲法改正Q&A50」>
拝啓 小沢代表殿(自由民主党 幹事長 細田 博之)
自民党のホームページに載っていますが、好評のため転載しました。
今回のテーマは、『憲法審査会』です。
憲法審査会は平成19年8月に設置されましたが、発足できないまま既に2年が経過しようとしています。野党の反対で委員定数などを定める「憲法審査会規程」が制定できないためで、これでは、「国会の怠慢」の極みであると言われても仕方ありません。
私たちは、「委員定数を50人。議決は出席委員の過半数。憲法改正原案の審査の際に公聴会の開催を義務づける」などを柱とした与党案を提示しています。ところが、民主党をはじめとする野党は審査会設置を決めた国会法改正の採決のあり方を不満とし、頑なに反対しているのです。成立した法律の内容や成立までの手続きに不満があるからと言って成立した法律を無視し放置しておくことは、法治国家において許されない行為です。
小沢さん!民主党は参議院の第一党なのですから、国会の責任を果たすために、野党の代表としてぜひリーダーシップを発揮していただきたいと思います。
もっとも、これは小沢代表にとって酷な話かもしれません。連立政権をめざす小沢・民主党とすれば、憲法改正・日米安保に絶対反対の社民党・共産党の意見を決して無視できないことも、民主党の中においてさえ、考え方がバラバラでなかなか一本化できない深い事情も、容易に推察できるからです。
しかし、現行憲法には衆参それぞれ2/3の賛成がなければ、一言たりとも改正できないという高いハードルがあることを、小沢さんもご存じでしょう。
まず、審査会を発足させようではありませんか。
小沢さん! 間もなく62回目の憲法記念日です。一日も早く憲法審査会を発足させること、これが国会の責務であるとお思いになりませんか。
平成21年4月27日 自由民主党 幹事長 細田 博之
今回のテーマは、『憲法審査会』です。
憲法審査会は平成19年8月に設置されましたが、発足できないまま既に2年が経過しようとしています。野党の反対で委員定数などを定める「憲法審査会規程」が制定できないためで、これでは、「国会の怠慢」の極みであると言われても仕方ありません。
私たちは、「委員定数を50人。議決は出席委員の過半数。憲法改正原案の審査の際に公聴会の開催を義務づける」などを柱とした与党案を提示しています。ところが、民主党をはじめとする野党は審査会設置を決めた国会法改正の採決のあり方を不満とし、頑なに反対しているのです。成立した法律の内容や成立までの手続きに不満があるからと言って成立した法律を無視し放置しておくことは、法治国家において許されない行為です。
小沢さん!民主党は参議院の第一党なのですから、国会の責任を果たすために、野党の代表としてぜひリーダーシップを発揮していただきたいと思います。
もっとも、これは小沢代表にとって酷な話かもしれません。連立政権をめざす小沢・民主党とすれば、憲法改正・日米安保に絶対反対の社民党・共産党の意見を決して無視できないことも、民主党の中においてさえ、考え方がバラバラでなかなか一本化できない深い事情も、容易に推察できるからです。
しかし、現行憲法には衆参それぞれ2/3の賛成がなければ、一言たりとも改正できないという高いハードルがあることを、小沢さんもご存じでしょう。
まず、審査会を発足させようではありませんか。
小沢さん! 間もなく62回目の憲法記念日です。一日も早く憲法審査会を発足させること、これが国会の責務であるとお思いになりませんか。
平成21年4月27日 自由民主党 幹事長 細田 博之
拝啓 小沢代表殿(自由民主党 幹事長 細田 博之)
自民党のホームページに載っていますが、好評のため転載しました。
今回のテーマは、『党首討論』です。
私たちは、国民の前で政策を堂々と議論することが政治に欠かせない大きな使命だと考えています。
小沢代表もそう思うからこそ、自由党の党首時代に、『党首討論』の必要性を強く主張し、その導入にこだわったのではありませんか。
しかし、麻生総裁になってから『党首討論』が実施されたのは1回だけです。
新年早々1月5日に召集された今国会では、全く行われていないのです。
自民党から何度も要請しているにもかかわらず、拒否し続けています。
小沢代表はなぜ、逃げ続けるのでしょうか。
100年に一度の経済危機。いまほど政治の力が必要とされている時はないのです。
私たちはこれまで、日本がこの経済危機を乗り切るための対策を次々打ち出し、実行してきました。さらにこの度、景気の底割れを回避する緊急対策と将来を見据えた総合的な対策からなる過去最大の補正予算を提出したところです。
これらの対策について民主党はどう考えるのでしょうか。
まず小沢さん、民主党の代表であるあなたとわが党の代表である麻生総裁とが、真剣に議論することから始めるべきです。
私たち政治家には、明日の日本を託されている責任があるのです。
小沢代表! 地方行脚をしている時間がおありなら、日本のため、国民のために
ぜひ『党首討論』をお受けいただきたい。重ねてお願い申し上げます。
平成21年4月23日 自由民主党 幹事長 細田 博之
今回のテーマは、『党首討論』です。
私たちは、国民の前で政策を堂々と議論することが政治に欠かせない大きな使命だと考えています。
小沢代表もそう思うからこそ、自由党の党首時代に、『党首討論』の必要性を強く主張し、その導入にこだわったのではありませんか。
しかし、麻生総裁になってから『党首討論』が実施されたのは1回だけです。
新年早々1月5日に召集された今国会では、全く行われていないのです。
自民党から何度も要請しているにもかかわらず、拒否し続けています。
小沢代表はなぜ、逃げ続けるのでしょうか。
100年に一度の経済危機。いまほど政治の力が必要とされている時はないのです。
私たちはこれまで、日本がこの経済危機を乗り切るための対策を次々打ち出し、実行してきました。さらにこの度、景気の底割れを回避する緊急対策と将来を見据えた総合的な対策からなる過去最大の補正予算を提出したところです。
これらの対策について民主党はどう考えるのでしょうか。
まず小沢さん、民主党の代表であるあなたとわが党の代表である麻生総裁とが、真剣に議論することから始めるべきです。
私たち政治家には、明日の日本を託されている責任があるのです。
小沢代表! 地方行脚をしている時間がおありなら、日本のため、国民のために
ぜひ『党首討論』をお受けいただきたい。重ねてお願い申し上げます。
平成21年4月23日 自由民主党 幹事長 細田 博之
地下鉄サリン事件戦記(福山隆著、光人社)
著者は、元陸上自衛隊第32普通科連隊長で、地下鉄サリン事件に直接コミットし、命がけの任務であった。また、氏は、韓国の駐在武官でもあり、インテリジェンスにも詳しい。
今回の本は、体験を通してのものだけあって迫力がある。また、地下鉄サリン事件以降の日本及び米国の取り組みについてもきちんとフォローされていて、資料的価値も高い。
今回は、2か所、「安全確認で自らマスクをはずす」と「オウムによるハニー・トラップ作戦」を掲載する。これを読むと本を買わずにいられなくなると思う。
安全確認で自らマスクをはずす
築地駅での除染は約一時間程度で終了しました。次の行動に移ろうとしていると、駅の職員から「築地駅はいつから使用可能でしょうか?」との質問がありました。確かにサリン液体の除染は終了しましたが、駅構内ですでに蒸気となったサリンがどれほど残留しているのか、その残留サリンが人体に影響を与えるのか否かを判断することは非常に難しいことです。
当時すでに空気中の化学剤を検知する機器は陸上自衛隊にはありましたが、事件発生直前に警察に貸し出してしまい、築地駅にはその器材を携行していませんでした。また、仮に検知器材を携行し検知できた場合でも、「検知の結果問題ありません」と回答して駅職員の方が信じてくれるでしょうか? 翌早朝にはたくさんの乗客が乗り降りするのに。
当時の米軍のマニュアルでも、現場の安全性の確認のためには、最終的には誰かがマスクをはずすことによって確認する手続きとなっていました。結局、私自身がマスクをはずすことで確認する方法を採ることにしました。もちろん、マスクをはずすにもやり方があり、縮瞳が生じるか否かを確認しながら行ないます。私は、東京消防庁の化学機動中隊の隊員の方と現場に降り、電車内で次のような方法で安全確認を行ないました。
まず、マスクの端を少し開け、すぐに閉じて一分間程度待つ。これで縮瞳が起これば暗く感じるはずだ。暗くはならないのを自分自身確認する。再びマスクの端を開け、外気を入れてすぐに閉じる。自己診断で視野が暗くならないことを確認。以下、同様のことを何度か繰り返したが、暗くはなりませんでした。
「これなら大丈夫! はずそう」と、意を決してマスクに手をかけ、一気にはずしました。
この間、もし私に異常が起きれば、化学機動中隊の隊員が地下鉄構内から地上に担ぎ出す手はずになっていました。こうして、しばらくその場に留まり異常の有無を確認しましたが、異常は自覚されませんでした。
私は、化学機動中隊の隊員と共に地上に出て、駅職員の方々に告げました。
「もう、大丈夫です。駅の使用は可能です」
オウムによるハニー・トラップ作戦
警察官の中にもオウム信者がいたが、オウムは自衛隊員も信者として獲得しようと狙っていたようだ。以下は、連隊のある隊員が明らかにした話である。
地下鉄サリン事件の数カ月前、彼は、合気道の大会を見に日本武道館に行った。会場で、女の子が近づき、声をかけてきた。とても可愛い女の子だったという。
「あなた自衛隊員ですか?」
「そうですが、何か」
「あなたも合気道をやるのですか?」
「少しやっています」
「カッコいいわね。でも、もっと強くなるためには、心を強くすることが大事よ。一度、富士の麓の上九一色村にある施設に行ってみませんか?」
こんな会話で交際が始まり、彼女と何度か会った。そして、遂に上九一色村のオウムの施設に行く約束をしてしまっていた。しかし、約束の日の直前に地下鉄サリン事件が起こり、彼は、オウムの施設に行かずに済んだ。
オウムが32連隊の隊員獲得に食指を伸ばしているのが発覚したのは、治安機関からの情報だった。押収した「ハニー」役の女の子のノートの中に、トラップを仕掛けようとした男性の名前が多数残されていたからだ。
警察によるオウムの強制捜査があと一年も遅れていれば、32連隊隊員の中にもオウム信者が生まれ、連隊の活動に大きな影響が出ていたかもしれない。
今回の本は、体験を通してのものだけあって迫力がある。また、地下鉄サリン事件以降の日本及び米国の取り組みについてもきちんとフォローされていて、資料的価値も高い。
今回は、2か所、「安全確認で自らマスクをはずす」と「オウムによるハニー・トラップ作戦」を掲載する。これを読むと本を買わずにいられなくなると思う。
安全確認で自らマスクをはずす
築地駅での除染は約一時間程度で終了しました。次の行動に移ろうとしていると、駅の職員から「築地駅はいつから使用可能でしょうか?」との質問がありました。確かにサリン液体の除染は終了しましたが、駅構内ですでに蒸気となったサリンがどれほど残留しているのか、その残留サリンが人体に影響を与えるのか否かを判断することは非常に難しいことです。
当時すでに空気中の化学剤を検知する機器は陸上自衛隊にはありましたが、事件発生直前に警察に貸し出してしまい、築地駅にはその器材を携行していませんでした。また、仮に検知器材を携行し検知できた場合でも、「検知の結果問題ありません」と回答して駅職員の方が信じてくれるでしょうか? 翌早朝にはたくさんの乗客が乗り降りするのに。
当時の米軍のマニュアルでも、現場の安全性の確認のためには、最終的には誰かがマスクをはずすことによって確認する手続きとなっていました。結局、私自身がマスクをはずすことで確認する方法を採ることにしました。もちろん、マスクをはずすにもやり方があり、縮瞳が生じるか否かを確認しながら行ないます。私は、東京消防庁の化学機動中隊の隊員の方と現場に降り、電車内で次のような方法で安全確認を行ないました。
まず、マスクの端を少し開け、すぐに閉じて一分間程度待つ。これで縮瞳が起これば暗く感じるはずだ。暗くはならないのを自分自身確認する。再びマスクの端を開け、外気を入れてすぐに閉じる。自己診断で視野が暗くならないことを確認。以下、同様のことを何度か繰り返したが、暗くはなりませんでした。
「これなら大丈夫! はずそう」と、意を決してマスクに手をかけ、一気にはずしました。
この間、もし私に異常が起きれば、化学機動中隊の隊員が地下鉄構内から地上に担ぎ出す手はずになっていました。こうして、しばらくその場に留まり異常の有無を確認しましたが、異常は自覚されませんでした。
私は、化学機動中隊の隊員と共に地上に出て、駅職員の方々に告げました。
「もう、大丈夫です。駅の使用は可能です」
オウムによるハニー・トラップ作戦
警察官の中にもオウム信者がいたが、オウムは自衛隊員も信者として獲得しようと狙っていたようだ。以下は、連隊のある隊員が明らかにした話である。
地下鉄サリン事件の数カ月前、彼は、合気道の大会を見に日本武道館に行った。会場で、女の子が近づき、声をかけてきた。とても可愛い女の子だったという。
「あなた自衛隊員ですか?」
「そうですが、何か」
「あなたも合気道をやるのですか?」
「少しやっています」
「カッコいいわね。でも、もっと強くなるためには、心を強くすることが大事よ。一度、富士の麓の上九一色村にある施設に行ってみませんか?」
こんな会話で交際が始まり、彼女と何度か会った。そして、遂に上九一色村のオウムの施設に行く約束をしてしまっていた。しかし、約束の日の直前に地下鉄サリン事件が起こり、彼は、オウムの施設に行かずに済んだ。
オウムが32連隊の隊員獲得に食指を伸ばしているのが発覚したのは、治安機関からの情報だった。押収した「ハニー」役の女の子のノートの中に、トラップを仕掛けようとした男性の名前が多数残されていたからだ。
警察によるオウムの強制捜査があと一年も遅れていれば、32連隊隊員の中にもオウム信者が生まれ、連隊の活動に大きな影響が出ていたかもしれない。
2009年04月27日
自助論(S・スマイルズ著、竹内均訳、三笠書房)
この本は、今から140年前に日本語訳が『西国立志編』とのタイトルで、福沢諭吉の『学問のすすめ』(340万部)と並んで明治の青年たちによって広く読まれ、100万部ほど売れた「天は自ら助くる者を助く」という独立自尊のスローガンが明治の青年たちを奮い立たせた。(当時人口は、3500万人)
かつてイギリスは、最盛期を支えたのは自助の心をもった国民であった。それが、勢いがやや衰えているのは、自助の心をもつ人の数が減った。それは、成熟病が災いしたというのである。
今の日本も自由と繁栄で自助の心が減っている。
今の我々こそ、この本を読むべきであろう。今回、改めて再読してみて、「これこそ、今の我々の必読の書!」である。
僕は、この本以上にマーカーで線を引いた本は他にはない。今回3か所掲載します。
「外からの支配」よりは「内からの支配」を
政治とは、国民の考えや行動の反映にすぎない。どんなに高い理想を掲げても国民がそれについていけなければ、政治は国民のレベルにまで引きさげられる。逆に、国民が優秀であれば、いくらひどい政治でもいつしか国民のレベルにまで引き上げられる。つまり、国民全体の質がその国の政治の質を決定するのだ。これは、水が低きに流れるのと同じくらい当然の論理である。
立派な国民がいれば政治も立派なものになり、国民が無知と腐敗から抜け出せなければ劣悪な政治が幅をきかす。国家の価値や力は国の制度ではなく国民の質によって決定されるのである。
われわれ一人一人が勤勉に働き、活力と正直な心を失わない限り、社会は進歩する。反対に、怠惰とエゴイズム、悪徳が国民の間にはびこれば社会は荒廃する。
われわれが「社会悪」と呼びならわしているものの大部分は、実はわれわれ自身の堕落した生活から生じる。だから、いくら法律の力を借りてこの社会悪を根絶しようとしても、それはまた別な形をとって現われ、はびこっていくにちがいない。国民一人一人の生活の状態や質が抜本的に改善されて初めて、このような社会悪はなくなる。
また、法律を変え、制度を手直ししたからといって、高い愛国心や博愛精神が養えるわけでもない。むしろ、国民が自発的に自分自身を高めていけるよう援助し励ましていくほうが、はるかに効果は大きい。
これまで述べた通り、すべては人間が自らをどう支配するかにかかっている。それに比べれば、その人が外部からどう支配されるかという点は、さほど重要な問題ではない。
たとえば、暴君に統治された国民は確かに不幸である。だが、自分自身に対する無知やエゴイズムや悪徳のとりこになった人間のほうが、はるかに奴隷に近い。
奴隷のような心を持った国民は、単に国のリーダーや制度を変えただけでは囚われの身から解放されはしない。
政治の力だけで国民を救えるというのは実に危険な幻想なのだが、このような考えはいつの時代にもはびこりやすい。しかも、多大な犠牲を払って国の変革が成し遂げられようと、国民の心が変わらなければ、その変革はほとんど効を奏さないだろう。
人間が無知やエゴイズムや悪徳の束縛から逃れられるかどうかは、ひとえにその人間の人格にかかっている。そして国民一人一人の人格の向上こそが、社会の安全と国の進歩の確たる保証となるのだ。
ジョン・スチュワート・ミルは、その点をしっかりと見抜いている。彼はこう語った。
「人は専制支配下に置かれようとも、個性が生きつづける限り、最悪の事態に陥ることはない。逆に個性を押しつぶしてしまうような政治は、それがいかなる名前で呼ばれようとも、まさしく専制支配に他ならない」
「ひょうたんザル」の教訓
世俗の成功は、金をいくら貯めたかではかられる。この成功は、確かに目もくらむほどすばらしいものに映る。誰もがそれを多少なりともほめたたえるが、それは無理もない話だ。
利口で、根気強くチャンスを抜け目なく狙っている人間なら、上手に世渡りをして成功を収めることも十分に可能だろう。しかし、そのような人間が常に立派な人格と善良な資質を持っているかといえば、いちがいにそうとはいえない。ものごとの道理は金より大切であるが、その点を少しも理解していない人間でさえ金持ちにはなれるのだ。
しかも、そんな金持ちは実際はとてつもなくみじめで貧しい人間だ。富は、何ら人間の道徳的価値の証明にはならない。ツチボタルがその光で自分の薄汚ない姿を照らし出すように、きらびやかに輝く富も往々にしてその所有者の下劣さを浮き立たせるのである。
金の亡者となりはてた人間を見ていると、欲張りなサルの話が思い出される。
アルジェリアのカビール地方の農民は、ひょうたんを木にしっかりとくくりつけ、中に米粒を入れておく。ひょうたんには、サルの手がちょうど入るくらいの穴が開いている。
夜になると、サルは木のところに来てひょうたんの穴に手を突っこみ、米粒をわしづかみにする。そして掘った手をそのまま引きぬこうとするのだが、きつくて抜けない。手をゆるめればいいのに、そこまで知恵が回らないのだ。夜が明けると農民に生け捕りにされるわけだが、その時のサルは、米粒をしっかり握りしめたまま実に間の抜けた顔をしているという。
これは、まさしく人間の戯画に他ならない。この話の持つ教訓は、われわれの生活にも広く当てはめて考えることができるだろう。
だいたいにおいて、金の力は過大評価されている。世に役立つ偉大な業績の多くは、金持ちや寄付金番付に名を連ねた人間ではなく、財政的には恵まれない人間によって成し遂げられてきた。偉大な思想家や探検家、発明家、そして芸術家に大金持ちはいないし、むしろその多くは、世間的な境遇の面からいえば貧しい生活を強いられてきた。
富は、行動を刺激するよりむしろ行動を妨げる。多くの場合、富は幸運を呼ぶと同時に不幸の種ともなる。大きな財産を相続した若者は、安易な生活に流されがちだ。望むものが何でも手に入るため、かえって生活にあきあきしはじめる。戦い取るような特別の目標もないから、手もちぶさたの毎日を持て余すようになる。彼のモラルや精神力は、いつまでも眠りからさめることがない。それは、まるで波にもてあそばれるイソギンチャクそのものの生活だ。
もちろん、金持ちにも正しい精神を持った人間はいる。そのような人は、怠惰をめめしいものとして一蹴するだろう。富や財産につきまとうそれなりの責任を自覚すれば、もっと立派な仕事をめざすようになるかもしれない。だが、いかんせんこうした例はほとんどないのが世の常だ。
真の人格者
真の人格者は、他人の行動をコテンパンに批判して事態をさらに悪化させるより、自分が多少傷ついても辛抱するほうを選ぶ。また、自分より恵まれない境遇にいる人の弱さや失敗や過ちには寛大な心で接しようとする。富や力や才能に驕らず、成功しても有頂天にならず、失敗にもそれほど落胆しない。他人に自説を無理に押しつけたりせず、求められた時にだけ自分の考えを堂々と披瀝する。人の役に立とうという場合でも、恩着せがましいそぶりはみじんも見せない。
これが真の人格者である。日常生活のどんなこまごました場面でも、自分をさておいてまで他人のためにつくそうとする―そこにこそ、真の人格者のあるべき姿が如実に示されているのである。
かつてイギリスは、最盛期を支えたのは自助の心をもった国民であった。それが、勢いがやや衰えているのは、自助の心をもつ人の数が減った。それは、成熟病が災いしたというのである。
今の日本も自由と繁栄で自助の心が減っている。
今の我々こそ、この本を読むべきであろう。今回、改めて再読してみて、「これこそ、今の我々の必読の書!」である。
僕は、この本以上にマーカーで線を引いた本は他にはない。今回3か所掲載します。
「外からの支配」よりは「内からの支配」を
政治とは、国民の考えや行動の反映にすぎない。どんなに高い理想を掲げても国民がそれについていけなければ、政治は国民のレベルにまで引きさげられる。逆に、国民が優秀であれば、いくらひどい政治でもいつしか国民のレベルにまで引き上げられる。つまり、国民全体の質がその国の政治の質を決定するのだ。これは、水が低きに流れるのと同じくらい当然の論理である。
立派な国民がいれば政治も立派なものになり、国民が無知と腐敗から抜け出せなければ劣悪な政治が幅をきかす。国家の価値や力は国の制度ではなく国民の質によって決定されるのである。
われわれ一人一人が勤勉に働き、活力と正直な心を失わない限り、社会は進歩する。反対に、怠惰とエゴイズム、悪徳が国民の間にはびこれば社会は荒廃する。
われわれが「社会悪」と呼びならわしているものの大部分は、実はわれわれ自身の堕落した生活から生じる。だから、いくら法律の力を借りてこの社会悪を根絶しようとしても、それはまた別な形をとって現われ、はびこっていくにちがいない。国民一人一人の生活の状態や質が抜本的に改善されて初めて、このような社会悪はなくなる。
また、法律を変え、制度を手直ししたからといって、高い愛国心や博愛精神が養えるわけでもない。むしろ、国民が自発的に自分自身を高めていけるよう援助し励ましていくほうが、はるかに効果は大きい。
これまで述べた通り、すべては人間が自らをどう支配するかにかかっている。それに比べれば、その人が外部からどう支配されるかという点は、さほど重要な問題ではない。
たとえば、暴君に統治された国民は確かに不幸である。だが、自分自身に対する無知やエゴイズムや悪徳のとりこになった人間のほうが、はるかに奴隷に近い。
奴隷のような心を持った国民は、単に国のリーダーや制度を変えただけでは囚われの身から解放されはしない。
政治の力だけで国民を救えるというのは実に危険な幻想なのだが、このような考えはいつの時代にもはびこりやすい。しかも、多大な犠牲を払って国の変革が成し遂げられようと、国民の心が変わらなければ、その変革はほとんど効を奏さないだろう。
人間が無知やエゴイズムや悪徳の束縛から逃れられるかどうかは、ひとえにその人間の人格にかかっている。そして国民一人一人の人格の向上こそが、社会の安全と国の進歩の確たる保証となるのだ。
ジョン・スチュワート・ミルは、その点をしっかりと見抜いている。彼はこう語った。
「人は専制支配下に置かれようとも、個性が生きつづける限り、最悪の事態に陥ることはない。逆に個性を押しつぶしてしまうような政治は、それがいかなる名前で呼ばれようとも、まさしく専制支配に他ならない」
「ひょうたんザル」の教訓
世俗の成功は、金をいくら貯めたかではかられる。この成功は、確かに目もくらむほどすばらしいものに映る。誰もがそれを多少なりともほめたたえるが、それは無理もない話だ。
利口で、根気強くチャンスを抜け目なく狙っている人間なら、上手に世渡りをして成功を収めることも十分に可能だろう。しかし、そのような人間が常に立派な人格と善良な資質を持っているかといえば、いちがいにそうとはいえない。ものごとの道理は金より大切であるが、その点を少しも理解していない人間でさえ金持ちにはなれるのだ。
しかも、そんな金持ちは実際はとてつもなくみじめで貧しい人間だ。富は、何ら人間の道徳的価値の証明にはならない。ツチボタルがその光で自分の薄汚ない姿を照らし出すように、きらびやかに輝く富も往々にしてその所有者の下劣さを浮き立たせるのである。
金の亡者となりはてた人間を見ていると、欲張りなサルの話が思い出される。
アルジェリアのカビール地方の農民は、ひょうたんを木にしっかりとくくりつけ、中に米粒を入れておく。ひょうたんには、サルの手がちょうど入るくらいの穴が開いている。
夜になると、サルは木のところに来てひょうたんの穴に手を突っこみ、米粒をわしづかみにする。そして掘った手をそのまま引きぬこうとするのだが、きつくて抜けない。手をゆるめればいいのに、そこまで知恵が回らないのだ。夜が明けると農民に生け捕りにされるわけだが、その時のサルは、米粒をしっかり握りしめたまま実に間の抜けた顔をしているという。
これは、まさしく人間の戯画に他ならない。この話の持つ教訓は、われわれの生活にも広く当てはめて考えることができるだろう。
だいたいにおいて、金の力は過大評価されている。世に役立つ偉大な業績の多くは、金持ちや寄付金番付に名を連ねた人間ではなく、財政的には恵まれない人間によって成し遂げられてきた。偉大な思想家や探検家、発明家、そして芸術家に大金持ちはいないし、むしろその多くは、世間的な境遇の面からいえば貧しい生活を強いられてきた。
富は、行動を刺激するよりむしろ行動を妨げる。多くの場合、富は幸運を呼ぶと同時に不幸の種ともなる。大きな財産を相続した若者は、安易な生活に流されがちだ。望むものが何でも手に入るため、かえって生活にあきあきしはじめる。戦い取るような特別の目標もないから、手もちぶさたの毎日を持て余すようになる。彼のモラルや精神力は、いつまでも眠りからさめることがない。それは、まるで波にもてあそばれるイソギンチャクそのものの生活だ。
もちろん、金持ちにも正しい精神を持った人間はいる。そのような人は、怠惰をめめしいものとして一蹴するだろう。富や財産につきまとうそれなりの責任を自覚すれば、もっと立派な仕事をめざすようになるかもしれない。だが、いかんせんこうした例はほとんどないのが世の常だ。
真の人格者
真の人格者は、他人の行動をコテンパンに批判して事態をさらに悪化させるより、自分が多少傷ついても辛抱するほうを選ぶ。また、自分より恵まれない境遇にいる人の弱さや失敗や過ちには寛大な心で接しようとする。富や力や才能に驕らず、成功しても有頂天にならず、失敗にもそれほど落胆しない。他人に自説を無理に押しつけたりせず、求められた時にだけ自分の考えを堂々と披瀝する。人の役に立とうという場合でも、恩着せがましいそぶりはみじんも見せない。
これが真の人格者である。日常生活のどんなこまごました場面でも、自分をさておいてまで他人のためにつくそうとする―そこにこそ、真の人格者のあるべき姿が如実に示されているのである。
民主党政権に反対する著名人というコーナー
民主党政権に反対する著名人というコーナーがあり、森田実・元共産党員の評論家・昨年までは民主党政権支持者、義家弘介・ヤンキー先生・教育者・自由民主党所属の参議院議員、津川雅彦・ 俳優、池田信夫・ 経済学者、櫻井よしこ・ 評論家、大江康弘・参議院議員(改革クラブ)他の中に僕の名前がありました。
ちょっと、興味のわくブログです。一度、見てください。
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