2008年02月
2008年02月20日
「小沢民主党は信用できるか」(高市早苗編著、PHP研究所)


僕が、2005年6月に「なぜか誰も書かなかった民主党研究」(成甲書房)をだしてから、ようやく今回待望の「小沢民主党は信用できるか」(PHP研究所)という、本格的な民主党批判の本が出版された。
書店の店頭にはまもなく並ぶ。
この本は、民主党に政権を任せても大丈夫か?について、15名の識者が原稿を寄せている。
編著は、高市早苗衆議院議員だ。高市議員から僕は、「民主党はなぜ、頼りないのか」(成甲書房)について丁寧なメールを直接いただいたこともある。
15名とは、中西輝政京都大学教授、堺屋太一、平沼赳夫、櫻井よしこ、遠藤浩一、岡崎久彦、竹中平蔵、山崎 元、潮 匡人、財部誠一、北川正恭、櫻田 淳、山田 宏杉並区長、木村英哉の各氏である。
編集者は、「この本は、民主党を支持する人に是非読んでもらいたい」と言っていました。
2008年02月19日
道路特定財源に関するQ&A
Q 道路特定財源はなぜ必要なのですか。
A 国民の安心・安全な暮らしの要である道路整備のために必要です。
ガソリン税などは昭和二十九年に特定財源化され、四十九年に暫定税率が導入されました。インフラが未整備だった当時、国民の生活基盤、日本経済を活性化する産業基盤のために、まず道路を整備し、その恩恵を受ける方に負担してもらう形で導入しました。受益者負担の原則に従って特定財源があり、これを五年ごとに見直し、どこに道路をつくるかを議論しながら現在に至っています。
小泉内閣時代に特定財源を見直して、一般財源化する考え方が出されました。
道路整備に使われていたガソリン税を、道路整備を上回った部分は納税者の理解を得ながら一般財源化を図ることとし、昨年は千八百億円程度、今年は千九百億円程度を予定しています。その使い道も道路に関係するところに活用しようと考えています。
まだ必要な道路があるので今後十年間五十九兆円の「道路の中期計画」が出されました。日本の将来の国の姿を描くうえで必要な計画です。
五十九兆円は上限で、今後、コスト縮減や合理化を図って進めていきます。具体的には、毎年国会で議論する予算の中で決めていきます。
Q 暫定税率を廃止するとどのような影響があるのですか。
A 地域住民の生活はもちろん、地方活性化にも支障をきたします。
道路特定財源の、国の税収分は三兆三千億円で、そのうち暫定税率分が一兆七千億円あります。暫定税率がなくなると本税一兆六千億円だけとなります。道路を整備する際に地方に道路整備臨時交付金と補助金を合わせて一兆二千億円渡しているので、国には四千億円しか残らなくなります。二万二千キロに及ぶ国道の管理や除雪費などに四千億円ほどを費やす現状からすると、ゼロになってしまいます。
地方は直接的に九千億円、道路整備臨時交付金七千億円と合わせて一兆六千億円の減収となり、税収上大きな穴が空きます。
そもそも地方は道路特定財源で足りない分、一般税収を工面して道路整備を行っています。さらには過去に借入れをして道路建設費などに充て、その分を毎年返済している自治体は、暫定税率がなくなればそれすら賄えなくなります。
そういう事態になれば、本来、社会福祉や教育など他の分野にまわすはずの予算も切り詰めなければならなくなり、安心・安全な住民生活を保障できなくなります。暫定税率がなくなることは単純に税収不足という問題ではなく、住民の日常生活や地域の活性化に重大な影響を与えるのです。
A 国民の安心・安全な暮らしの要である道路整備のために必要です。
ガソリン税などは昭和二十九年に特定財源化され、四十九年に暫定税率が導入されました。インフラが未整備だった当時、国民の生活基盤、日本経済を活性化する産業基盤のために、まず道路を整備し、その恩恵を受ける方に負担してもらう形で導入しました。受益者負担の原則に従って特定財源があり、これを五年ごとに見直し、どこに道路をつくるかを議論しながら現在に至っています。
小泉内閣時代に特定財源を見直して、一般財源化する考え方が出されました。
道路整備に使われていたガソリン税を、道路整備を上回った部分は納税者の理解を得ながら一般財源化を図ることとし、昨年は千八百億円程度、今年は千九百億円程度を予定しています。その使い道も道路に関係するところに活用しようと考えています。
まだ必要な道路があるので今後十年間五十九兆円の「道路の中期計画」が出されました。日本の将来の国の姿を描くうえで必要な計画です。
五十九兆円は上限で、今後、コスト縮減や合理化を図って進めていきます。具体的には、毎年国会で議論する予算の中で決めていきます。
Q 暫定税率を廃止するとどのような影響があるのですか。
A 地域住民の生活はもちろん、地方活性化にも支障をきたします。
道路特定財源の、国の税収分は三兆三千億円で、そのうち暫定税率分が一兆七千億円あります。暫定税率がなくなると本税一兆六千億円だけとなります。道路を整備する際に地方に道路整備臨時交付金と補助金を合わせて一兆二千億円渡しているので、国には四千億円しか残らなくなります。二万二千キロに及ぶ国道の管理や除雪費などに四千億円ほどを費やす現状からすると、ゼロになってしまいます。
地方は直接的に九千億円、道路整備臨時交付金七千億円と合わせて一兆六千億円の減収となり、税収上大きな穴が空きます。
そもそも地方は道路特定財源で足りない分、一般税収を工面して道路整備を行っています。さらには過去に借入れをして道路建設費などに充て、その分を毎年返済している自治体は、暫定税率がなくなればそれすら賄えなくなります。
そういう事態になれば、本来、社会福祉や教育など他の分野にまわすはずの予算も切り詰めなければならなくなり、安心・安全な住民生活を保障できなくなります。暫定税率がなくなることは単純に税収不足という問題ではなく、住民の日常生活や地域の活性化に重大な影響を与えるのです。
朝日新聞の誤りとおわび
少し遅くなりましたが、朝日新聞の「尼崎市長の発言捏造疑惑」について、「夕刊フジ 2月16日付」の記事を紹介します。
朝日が平謝り「おわび」−尼崎市長の発言捏造疑惑
おわび・・・9日付「『特定財源維持』の署名 不参加6市長が判明」の記事にある白井文(あや)兵庫県尼崎市長の発言のうち、「国交省近畿地方整備局の人が『道路のことで話したい』とやってきて、署名を求められた」の部分は誤っていました。おわびして発言を削除します。
白井市長に改めて発言内容を確認したところ、国交省職員の訪問を受けたが、道路特定財源に関する署名は求められていませんでした。当初の取材の過程で市長発言の確認が不十分でした。(朝日新聞 2月15日付)
朝日新聞が兵庫県尼崎市の白井文市長の発言をめぐる記事捏造疑惑に関して、15日付朝刊1面におわび記事を掲載した。道路特定財源をめぐり、同市長が、国交省職員から暫定税率維持の「署名を求められた」と発言したとする記事について、「発言を削除します。(中略)取材の過程で市長発言の確認が不十分でした」と平謝りした。
朝日によると、改めて白井氏に確認したところ、国交省職員の訪問は受けたが、署名は求められなかったという。
問題になっていたのは、9日付朝刊1面『「道路に全部使う」は違う ガソリン値下げでも議論を』の見出しがついた記事。「道路整備促進期成同盟会全国協議会」が全国1800の市町村長を対象に集めた、道路特定財源と暫定税率の維持を求める署名を拒否した6人の首長の意見を列挙した。
このうち、<白井氏は「国交省近畿地方整備局の人が『道路のことで話したい』とやってきて、署名を求められた」と打ち明けた>とする部分について、民主党の山井和則氏が13日の衆院予算委で「国交省の職員が署名を求めていたとすれば、署名は自作自演で意味がない」と冬柴国土交通相に迫った。
これに対し冬柴氏は、「白井氏が『そんなことは一切言っていない』と言っている」と気色ばんで否定した。白井氏も、本紙の取材に対し「そういった事実は一切なかつたし、取材の際にもそのようにお答えした」と否定していた。
朝日新聞は13日、本紙の取材に「お尋ねの件については、取材に基づいて記事にしたものです」と回答していた。
朝日が平謝り「おわび」−尼崎市長の発言捏造疑惑
おわび・・・9日付「『特定財源維持』の署名 不参加6市長が判明」の記事にある白井文(あや)兵庫県尼崎市長の発言のうち、「国交省近畿地方整備局の人が『道路のことで話したい』とやってきて、署名を求められた」の部分は誤っていました。おわびして発言を削除します。
白井市長に改めて発言内容を確認したところ、国交省職員の訪問を受けたが、道路特定財源に関する署名は求められていませんでした。当初の取材の過程で市長発言の確認が不十分でした。(朝日新聞 2月15日付)
朝日新聞が兵庫県尼崎市の白井文市長の発言をめぐる記事捏造疑惑に関して、15日付朝刊1面におわび記事を掲載した。道路特定財源をめぐり、同市長が、国交省職員から暫定税率維持の「署名を求められた」と発言したとする記事について、「発言を削除します。(中略)取材の過程で市長発言の確認が不十分でした」と平謝りした。
朝日によると、改めて白井氏に確認したところ、国交省職員の訪問は受けたが、署名は求められなかったという。
問題になっていたのは、9日付朝刊1面『「道路に全部使う」は違う ガソリン値下げでも議論を』の見出しがついた記事。「道路整備促進期成同盟会全国協議会」が全国1800の市町村長を対象に集めた、道路特定財源と暫定税率の維持を求める署名を拒否した6人の首長の意見を列挙した。
このうち、<白井氏は「国交省近畿地方整備局の人が『道路のことで話したい』とやってきて、署名を求められた」と打ち明けた>とする部分について、民主党の山井和則氏が13日の衆院予算委で「国交省の職員が署名を求めていたとすれば、署名は自作自演で意味がない」と冬柴国土交通相に迫った。
これに対し冬柴氏は、「白井氏が『そんなことは一切言っていない』と言っている」と気色ばんで否定した。白井氏も、本紙の取材に対し「そういった事実は一切なかつたし、取材の際にもそのようにお答えした」と否定していた。
朝日新聞は13日、本紙の取材に「お尋ねの件については、取材に基づいて記事にしたものです」と回答していた。
2008年02月15日
日本論語研究会の予定

(港区三田2−15−45)(JR田町、地下鉄三田下車)
今回
第35回
1、日 時 2月23日(土)16時30分〜18時
2、場 所 慶應義塾大学 大学院校舎1階 311号室
3、講 師 川斉正(なりまさ) 財団法人 水府明徳会会長
東京海上日動火災保険株式会社・総務部長
(テーマ、水戸・徳川家のこと)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
第36回
1、日 時 3月15日(土)16時30分〜18時
2、場 所 慶應義塾大学 第1校舎1階 102教室
3、講 師 安岡正泰・(財)郷学研究所・安岡正篤記念館理事長
(テーマ、論語と活学)
第37回 (予定)
1、日 時 4月12日(土)16時30分〜18時
2、場 所 慶應義塾大学 場所未定
3、講 師 岩越豊雄・(社)国民文化研究会理事、寺子屋「石塾」主宰、
元小田原市立小学校校長
(テーマ、教育再生のために−親子で『論語』を素読する気運を−)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
〇参加費 300円(家族は2人以上で500円、学生は無料です)
〇問い合せ先 田村重信(代表幹事)
Eメールstamura@hq.jimin.or.jp へ連絡下さい。電話―3581−6211(職場) 事務局〒105−0002 港区三田2−15−45 慶大・南館20510
日本論語研究会03−5427−1328(直通) FAX 03−5418−6584(共同)
(参考)日本論語研究会の日程(2週間前と1週間前に2回)と研究会の内容などは、ブログに掲載しています。 ブログ「たむたむの自民党VS民主党」http://tamtam.livedoor.biz/
岩国市長選挙について

それは、岩国が米軍再編に関連したもので、沖縄とならんで注目されているからであり、米空母艦載機の岩国移転に反対の井原勝介現市長に対抗して立候補したのは自民党の現職衆議院議員の福田良彦氏(37才)だったからでもあった。
今回敗れた井原勝介前市長はこの移転に反対し、平成18年3月、自らの発議で住民投票を実施、反対が投票者の87%を占めていた。
また翌月の旧岩国市などの8市町村が新設合併に伴う市長選でも計画撤回を訴えた井原氏が、相手候補にダブルスコアー以上の差をつけて圧勝していた。
10月には市議会選挙が行われ、平成19年3月には、市議会が米空母艦載機の岩国移転「容認」決議を可決した。
米空母艦載機の岩国移転に反対の井原市長に対して、国は移転反対を理由に新市庁舎の補助金35億円の支給を見送った。
市側は財源に合併特例債を充てた予算案を提出したが、今度は受け入れ派多数の市議会が4回否決し、井原市長は平成19年12月、辞職して選挙となった。
井原市長は、「市民に迷惑をかけられない。私の首と引き換えに予算を通して欲しい」として辞表を出した。それを受けて市議会は、予算案を修正して可決した。
井原市長は、自らの主張が議会に受け入れられないなかったのだから、辞職したら出直し選挙に出るべきではなかった。当選しても、議会は井原市長の考えを受け入れないからだ。そこを、井原氏は、「市民が応援してくれる、落選することはない」と考えたのだろう。
だから、中国新聞(2月13日)の記事にあったが、
「どうして」―。開票が終盤を迎えた十日午後十一時、岩国市今津町の事務所で、井原氏が消え入るような声でつぶやいた。静まりかえる支持者。井原氏の目に涙が浮かんだ。
となったのである。
選挙は、やってみないとわからない。井原氏は絶対に勝てると考えた。
相手候補の福田良彦氏は、衆議院議員を辞めて立候補したのだ。まさに「背水の陣」であった。この気迫の違いが勝負を決したのだろう。
以下、地元の中国新聞(2月13日)を引用する。
当時の井原勝介市長は
緊急連載―イワクニの選択 上
「基地」より生活争点に
米空母艦載機の岩国移転を争点とした岩国市の出直し市長選は、容認派の推す無所属新人で自民党前衆議院議員の福田良彦氏(37)が、移転に反対を貫く無所属で前市長の井原勝介氏(57)を小差でかわし、初当選した。
「どうして」―。開票が終盤を迎えた十日午後十一時、岩国市今津町の事務所で、井原氏が消え入るような声でつぶやいた。静まりかえる支持者。井原氏の目に涙が浮かんだ。
国が交付を見送った市の新庁舎建設の補助金。代替財源に合併特例債を充てる予算案の五度目の提案をした昨年十二月。「このクビと引き換えに通してほしい」と井原氏は辞職し、出直し市長選に臨んだ。
二〇〇六年三月の旧市の住民投票、同年四月の市長選に続き「三度目の民意」を問うと、移転問題を最大の争点に掲げた。国の姿勢を「アメとムチ」と批判を続けた。
(略)
井原陣営は、著名な政治評論家らが応援に駆け付け、「地方自治と民主主義を守る闘い」と訴えた。国との協議の打開に向け、「福田康夫首相に直談判して解決を図る」と声を高めた。
中国新聞社が市内二十ヶ所の投票所で投票を終えた有権者六百三十三人に聞いた出口調査では、新市長に期待する施策「地域経済の活性化」が52.8%で最多。「米軍再編問題」39.8%は、「財政問題への対応」39.0%とほぼ並んだ。
こうして艦載機の移転問題は、最大の争点から微妙にずれた。・・・
2008年02月14日
「政治主導の時代」(保岡興治著、中央公論新社)

これは、政治を勉強する人の必読書といって良いものだ。
保岡興治先生とは、憲法問題や国家戦略本部で一緒に仕事をした関係で、それらが本としてまとめられたことに敬意を表したい。
保岡興治先生は、政治家もできるが弁護士でもあり、すぐにでも大学教授が務まる人材である。
保岡先生は、他の政治家があまり熱心にやらない仕事をもくもくとこなす。
それは、どうしてだろうと思っていたら、それがこの本で分かった。
それは、西郷隆盛の血を引いているということである。
本には以下の記述がある。
「西郷さんが西南戦争で亡くなったあとの明治二九(一八九六)年、奄美大島の島民からの依頼を受けた勝海舟が、西郷さんの謫居近くに建立された碑に捧げた一文は次のようなものです。
天の此人に大任をくださむとするや、先ず其しん志をくるしめ其身を空乏すと、まことなる哉此言、唯友人西郷氏に於てこれを見る、今年君の謫居せられし旧所に碑石を設くるの拳あり、島民我が一言を需む、我卒然としてこれを誌し以てこれに応ず。
この碑文の前半は『孟子』を出典とするもので、『孟子』には「天がある人に大きな任務をくだそうとするときには、必ず先ずその人の精神を苦しめ、その筋骨を疲れさせ、その身体を飢えさせ、その行いを空しくさせ、その人の行為と意志とを背反させて思い通りにさせないものである」とあります。
勝海舟は碑文に「西郷さんは、この奄美大島での流謫の苦しい日々があったからこそ、志が強固なものとなり、明治維新という歴史的偉業を成し遂げたのである」と刻みました。海洋性の明るく温かい奄美の人々の人情の機微や、豊かな美しい自然に触れ、人々に愛された西郷さんは、あの有名な「敬天愛人」という思想をここで育んだともいわれています。」
という個所である。まさに、保岡先生は、途中に落選経験もあり、政治家として何をすべきかについて、「敬天愛人」を貫いているということである。
僕は、国家戦略本部で一緒に仕事をしたとき、一番強い印象があったのは、次の記述の個所である。
「平成十五(二〇〇三)年四月十七日、わたしはマニフェスト導入に関する国家戦略本部の提言の方向性を決めるために、赤坂の「四川飯店」で、事務局長の杉浦正健さん、塩崎恭久君、山本一太君らと打ちあわせを持ちました。
そこで、今回の提言では秋の衆議院解散・総選挙とその前に行われる党総裁選を見据えて、総裁選挙で選ばれた者の公約を総選挙の公約の基本とする方針を明確に打ち出すことを決めたのです。」
まだまだたくさん参考になる箇所がある。
今後の政治を考えるキーワードは「政治主導」であり、それはどうすれば実現できるのか?そのことが、この本に書いてある。
保岡先生は、数多くの議員立法に関与したことでも有名である。
是非ともご一読をおすすめします。
2008年02月13日
絶えない飲酒運転
元外務大臣の柿沢弘治氏の長男で、民主党の東京都議会議員である柿沢未途氏が、酒気帯び運転で事故を起こした。
道路交通法違反容疑で書類送検される見通しだ。
柿沢氏は、二〇〇八年二月九日、東京都板橋区の首都高速五号線の下り車線を乗用車で走行中に中央分離帯に衝突。その際、警視庁高速道路交通警察隊の検査で基準値を超えるアルコールが検出され、酒気帯びが判明した。
二〇〇六年一二月八日には、岩手県議会議員で民主党岩手県連の政調会長だった川村農夫氏が飲酒運転で現行犯逮捕され、その後、議員辞職。
しかも川村氏は、数日後、岩手県議会で可決される予定だった飲酒運転根絶のための罰則強化などを国に求める意見書案の取りまとめ役の一人だった。
民主党はまず、党内の相次ぐ飲酒運転を撲滅することが先決だ。
民主党の東京都議会議員の猪爪まさみ氏のブログ(二〇〇六年一二月二〇日)によると、二〇〇六年末に「『党関係者の飲酒・酒気帯び運転に対し厳格な予防措置を求める』通達について」と題する「民主党幹事長通達」があったという。
昨今、飲酒・酒気帯び運転による交通事故が多発し、社会問題となっております。公職にあるもの、政党関係者は法規に定められる以上に自らを律すべきことは当然であり、飲酒・酒気帯び運転を行った場合、事故の有無にかかわらず党としても厳しい対応をすべきと考え、添付文書の通りの幹事長通達を発することとします。
主な内容は次のとおり。
一 党本部職員に対し、飲酒運転・酒気帯び運転を行ったものについては、事故の有無にかかわらず規則に準拠して原則懲戒解雇の厳格な処分を行う。
二 党都道府県連・総支部職員に対しても同様の処分を行うよう要請する。都道府県連・総支部所属議員が飲酒運転・酒気帯び運転を行った場合、議員辞職の勧告等厳しい措置をとるよう要請する。
三 党所属国会議員・公認候補者が、飲酒運転・酒気帯び運転を行った場合、議員辞職の勧告等厳しい措置をとる。
以上
昨今、飲酒運転による悲惨な死傷事故が後を絶たず、社会問題化している。高い倫理観、道徳観が求められる政治家が、このような反社会的行為を犯すことは許されない。
道路交通法違反容疑で書類送検される見通しだ。
柿沢氏は、二〇〇八年二月九日、東京都板橋区の首都高速五号線の下り車線を乗用車で走行中に中央分離帯に衝突。その際、警視庁高速道路交通警察隊の検査で基準値を超えるアルコールが検出され、酒気帯びが判明した。
二〇〇六年一二月八日には、岩手県議会議員で民主党岩手県連の政調会長だった川村農夫氏が飲酒運転で現行犯逮捕され、その後、議員辞職。
しかも川村氏は、数日後、岩手県議会で可決される予定だった飲酒運転根絶のための罰則強化などを国に求める意見書案の取りまとめ役の一人だった。
民主党はまず、党内の相次ぐ飲酒運転を撲滅することが先決だ。
民主党の東京都議会議員の猪爪まさみ氏のブログ(二〇〇六年一二月二〇日)によると、二〇〇六年末に「『党関係者の飲酒・酒気帯び運転に対し厳格な予防措置を求める』通達について」と題する「民主党幹事長通達」があったという。
昨今、飲酒・酒気帯び運転による交通事故が多発し、社会問題となっております。公職にあるもの、政党関係者は法規に定められる以上に自らを律すべきことは当然であり、飲酒・酒気帯び運転を行った場合、事故の有無にかかわらず党としても厳しい対応をすべきと考え、添付文書の通りの幹事長通達を発することとします。
主な内容は次のとおり。
一 党本部職員に対し、飲酒運転・酒気帯び運転を行ったものについては、事故の有無にかかわらず規則に準拠して原則懲戒解雇の厳格な処分を行う。
二 党都道府県連・総支部職員に対しても同様の処分を行うよう要請する。都道府県連・総支部所属議員が飲酒運転・酒気帯び運転を行った場合、議員辞職の勧告等厳しい措置をとるよう要請する。
三 党所属国会議員・公認候補者が、飲酒運転・酒気帯び運転を行った場合、議員辞職の勧告等厳しい措置をとる。
以上
昨今、飲酒運転による悲惨な死傷事故が後を絶たず、社会問題化している。高い倫理観、道徳観が求められる政治家が、このような反社会的行為を犯すことは許されない。
2008年02月12日
松下幸之助の人生と人間観(その6、終わり)
PHP総合研究所主任研究員、金子将史氏
渋沢栄一と松下幸之助
そろそろお時間でもありますので、まとめさせていただきます。
幸之助とも交流があった山本七平さんが、渋沢栄一さんと松下幸之助を並べて、面白いことを言っております。
この二人は西洋の技術は輸入したんだけれども、経営というものはあくまでも日本的なものであり、伝統的であったと。そういう意味で二人には共通するところがあったと。
そういう二人が「不倒翁」と言われるように大きな失敗をすることもなく非常に長い間、成功を収めることができた、このことの意味を日本人は考える必要があるんじゃないか、そう山本七平さんが言っております。
渋沢の場合、幼少からの素養であった『論語』を手放さなかったわけであります。松下にはそういう特定の教科書はなかったわけですけれども、本日ご紹介しましたように、松下の考えは、全部非常に平易なといいますか、当たり前といいますか、日本人が、「素直にしなさい」といったように親から日頃言われているような身近な考え方を、自分なりに考え直して体系にしたものです。
それを自分の経営の基礎にしていったわけであります。
最近は、どこかでMBAを取ってきて「ナントカ経営」だということが多くて、あっという間にある考え方が流行っては廃れてしまうことが多いわけですけれども、そういうことではなく、自分が育ってく過程で自然に身に付いているものをさらに鍛え直して、そういうものをベースにして経営というものを考えていったと、それがこの二人なわけですね。
そのことが、その二人の経営者が誰よりも長く成功し、また単に事業が成功したというだけではなくて、ある意味今なお、私たちに考え方の指針というものを与える存在であり続けている一つの大きな理由なんだろうなということであります。
もちろん渋沢にしても松下にしても、彼らが作り出した具体的な経営のスタイルはもしかしたら時代に合わなくなっているものがあるのかもしれません。ただ、その根底にある考え方にはやはり汲むべきところがあるような気がするわけであります。
今、現代の渋沢なり、現代の松下という人がいるかどうかは、ちょっと覚束ないところがございます。松下という人は、物作りが非常に主流の、産業資本が非常に強い時代の経営のスタイルを作り出したと思うんですけど、今はグローバリゼーションということもありますし、また金融が非常に強くなっておるわけです。
こういう金融主導の資本主義がどこまでいつまで強いものであり続けるかどうか、まだわかりませんけれども、少なくともいろんな形で世の中が変わって行く中で、それでも日本なりの経営のスタイルを見つけていくというようなことが、たぶんこれからも必要であり、おそらくその時、松下という人の生き方を振り返ることが、大きな指針になるのだろうと私も思います。
非常に長々としゃべって参りましたけれども、時間となりましたのでこれで終わらせていただきます。ありがとうございました。