2007年09月
「吉田松陰について」(その2)田村重信講演
第二八回日本論語研究会
日時 二〇〇七年六月九日(土)一七時一〇分〜一八時
場所 慶應義塾大学大学院校舎一階三一一号室
講師 田村重信(日本論語研究会代表幹事)
演題 「吉田松陰について」
(二)幾多の苦難の中で
嘉永五年(一八五二年)四月、江戸に戻って、五月に藩命によって萩に帰る。そして、一二月に東北旅行が脱藩の罪とされて、父親の百合之助に預けられるわけです。この頃から松陰という名前を使い始めるわけです。
なぜ罪になったのかというと、関所を通過するための旅券を過書(かしょ)というんですが、これには殿さまの印(いん)がいるんですね。でも萩まで帰ると二ヵ月はかかる。だからそれをもらわなかったんです。
この旅行では、水戸藩で「日本は天皇が治める国(皇国)」という教えを受けて、「外敵を打ち負かす」という攘夷(じょうい)論を考えるようになるわけです。
嘉永六年(一八五三年)一月二六日、諸国遊学が認められて、江戸に行きまして、名前を寅次郎(とらじろう)に改めます。
そして今度は、西洋兵学に絞って、一生懸命、佐久間象山から教わるわけです。それで六月、黒船(アメリカの艦隊)来航を聞いて、三浦半島の浦賀に見に行きます。九月には、ロシア艦隊の長崎来航を知って、乗船を計画して江戸を立ちます。ところが一〇月二七日、長崎に着いたら、その時は既に艦隊出航後で、計画を中止することになるわけです。
だから吉田松陰は最初、ロシアに行こうとしたんですね。でもダメになったので、今度はアメリカに行こうとしたわけです。
そして安政一年(一八五四年)三月二七日、海外情勢を知りたくて、金子重之助(しげのすけ)さんと一緒に伊豆半島の下田沖のアメリカ艦に乗船を図ろうとするんですが、これを断わられちゃうんですね。それで結局失敗するんです。
その時の話が「ペリー提督日本遠征記」というものに記録されております。
「この事件は、厳しい法律を破り、知識を増やそうと命を賭けた二人の教養ある日本人の激しい知識欲を示している。日本人はまさに研究好きで、常に知識能力を増大しようとしている。この興味深い国の前途は、何と有望なことだろう」
その意味でアメリカ人のペリーは、松陰らの情熱に感激したわけです。
そして松陰は、鎖国(さこく)の国禁(こっきん)を破ったので自首するんですね。 それで四月一五日、伝馬町(てんまちょう)の獄(ごく)に入れられるわけですが、その時、道中で、籠担ぎの人足にアヘン戦争、インド事情、黒船のことを話すんですね。
後に松陰は、「この道中ほど愉快なことはなかった」と述べています。
そして松陰と金子さんの二人は、僅か一畳の牢屋に入れられるわけですね。
その際に、松陰は番人から本を借りたりするわけですが、この時、松陰は金子さんにこう述べています。
「金子くん、学問は、出世や金のためにするものではない。聖賢(せいけん)を学び、聖賢に一歩でも近づき、自分自身を完成させるためのもの。死をまえにした今こそ、損得(そんとく)からはなれた学問ができるのです」
すごい発想ですよね。
大変な時だからこそ素直な学問ができるということを言い切るわけです。
そして、牢屋に入る前の道中、江戸に入った時ですが、赤穂浪士たちが眠る高輪の泉岳寺の前で一句詠んでいるわけです。
「かくすればかくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂」
これは日本人の心栄えは、正しいと信じる道が死に通じるとしても、赤穂浪士のように、死を覚悟して進みたいものだ、と言うわけです。
それで今度は、一〇月、萩に送られて、野山獄(のやまごく)に入れられるわけです。そして松陰二一回猛士(もうし)の号(ごう)を使うようになります。ここには一年二ヵ月間いるわけですが、この時、読んだ本の数は六一八冊だったそうです。
安政二年(一八五五年)、獄中で「孟子」の講義を始めます。
本当に仲の良かった金子さんが獄中で病死するわけです。松陰はたいそう悲しみました。その後、十二月、松陰も病気のため、杉家に帰されまして、杉家でも再び「孟子」の講義を行いました。この杉家にいる時は、読んだ本が五〇五冊だそうです。
何でそんなに「孟子」のことを講義するのかと言いますと、松陰はこう述べています。
「家が富み、たのしく、なんの心配もないものは、孟子を読んでも真剣になれず、身につきません。貧しかったり、苦難の時に、人ははげみます。はげめば孟子から教えられることは無限にあります。私たちは喜ぶべきことに、逆境にあります…」
こう言うんですね。それで「孟子」を勉強したわけです。
だから獄中にはいろんな方がいるわけで、学のある方もいる。冨永弥兵衛(とみながやへい)さんなんかがそうです。
冨永さんというのは、藩校の明倫館(めいりんかん)で山県大華(やまがたたいか)に学びまして、一三歳の時に藩主の前で「大学」を講義して褒(ほ)められ、小姓役(こしょうやく)として、殿さまの傍に使える役目になった。
ところが若くして出世したため、傲慢になって、まわりの人間がくだらなく見えて、罵(ののし)り出したんですね。
因人の冨永さんのあだ名はというと?
「有隣」というあだ名です。
「有隣堂」という有名な本屋さんがありますね。横浜などの神奈川県を中心に。
「有隣」とは、どういう意味かと申しますと、「心や行いの正しい立派な人の隣には、必ず人が集まる。人が集まれば、理想も実現できる」ということです。
一人では何もできません。しかし人が集まればいろんなことができる。
「人を妬み、嫌えば、隣人は得られない。あなたがこの言葉を胸に、人の欠点を責めることなく、長所をほめたたえ、相手の気持ちをさっしてやれば、あなたの隣に人有り、です。」と言うのです。
その頃、松陰は藩主の敬親(たかちか)さんの「余は天皇家につながる子孫にて、今、この時代を迎えている。祖先の思いに報いるため、私財を投げ打ち、外敵を防ぎ、天皇のお心を安らかにしてあげたい。これが余の志である。家臣は文武を磨き、わが志を果たせるように努めよ」という言葉を知るわけなんですね。
松陰は、天皇を大切にしなければいけないと、強く思うわけです。
日時 二〇〇七年六月九日(土)一七時一〇分〜一八時
場所 慶應義塾大学大学院校舎一階三一一号室
講師 田村重信(日本論語研究会代表幹事)
演題 「吉田松陰について」
(二)幾多の苦難の中で
嘉永五年(一八五二年)四月、江戸に戻って、五月に藩命によって萩に帰る。そして、一二月に東北旅行が脱藩の罪とされて、父親の百合之助に預けられるわけです。この頃から松陰という名前を使い始めるわけです。
なぜ罪になったのかというと、関所を通過するための旅券を過書(かしょ)というんですが、これには殿さまの印(いん)がいるんですね。でも萩まで帰ると二ヵ月はかかる。だからそれをもらわなかったんです。
この旅行では、水戸藩で「日本は天皇が治める国(皇国)」という教えを受けて、「外敵を打ち負かす」という攘夷(じょうい)論を考えるようになるわけです。
嘉永六年(一八五三年)一月二六日、諸国遊学が認められて、江戸に行きまして、名前を寅次郎(とらじろう)に改めます。
そして今度は、西洋兵学に絞って、一生懸命、佐久間象山から教わるわけです。それで六月、黒船(アメリカの艦隊)来航を聞いて、三浦半島の浦賀に見に行きます。九月には、ロシア艦隊の長崎来航を知って、乗船を計画して江戸を立ちます。ところが一〇月二七日、長崎に着いたら、その時は既に艦隊出航後で、計画を中止することになるわけです。
だから吉田松陰は最初、ロシアに行こうとしたんですね。でもダメになったので、今度はアメリカに行こうとしたわけです。
そして安政一年(一八五四年)三月二七日、海外情勢を知りたくて、金子重之助(しげのすけ)さんと一緒に伊豆半島の下田沖のアメリカ艦に乗船を図ろうとするんですが、これを断わられちゃうんですね。それで結局失敗するんです。
その時の話が「ペリー提督日本遠征記」というものに記録されております。
「この事件は、厳しい法律を破り、知識を増やそうと命を賭けた二人の教養ある日本人の激しい知識欲を示している。日本人はまさに研究好きで、常に知識能力を増大しようとしている。この興味深い国の前途は、何と有望なことだろう」
その意味でアメリカ人のペリーは、松陰らの情熱に感激したわけです。
そして松陰は、鎖国(さこく)の国禁(こっきん)を破ったので自首するんですね。 それで四月一五日、伝馬町(てんまちょう)の獄(ごく)に入れられるわけですが、その時、道中で、籠担ぎの人足にアヘン戦争、インド事情、黒船のことを話すんですね。
後に松陰は、「この道中ほど愉快なことはなかった」と述べています。
そして松陰と金子さんの二人は、僅か一畳の牢屋に入れられるわけですね。
その際に、松陰は番人から本を借りたりするわけですが、この時、松陰は金子さんにこう述べています。
「金子くん、学問は、出世や金のためにするものではない。聖賢(せいけん)を学び、聖賢に一歩でも近づき、自分自身を完成させるためのもの。死をまえにした今こそ、損得(そんとく)からはなれた学問ができるのです」
すごい発想ですよね。
大変な時だからこそ素直な学問ができるということを言い切るわけです。
そして、牢屋に入る前の道中、江戸に入った時ですが、赤穂浪士たちが眠る高輪の泉岳寺の前で一句詠んでいるわけです。
「かくすればかくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂」
これは日本人の心栄えは、正しいと信じる道が死に通じるとしても、赤穂浪士のように、死を覚悟して進みたいものだ、と言うわけです。
それで今度は、一〇月、萩に送られて、野山獄(のやまごく)に入れられるわけです。そして松陰二一回猛士(もうし)の号(ごう)を使うようになります。ここには一年二ヵ月間いるわけですが、この時、読んだ本の数は六一八冊だったそうです。
安政二年(一八五五年)、獄中で「孟子」の講義を始めます。
本当に仲の良かった金子さんが獄中で病死するわけです。松陰はたいそう悲しみました。その後、十二月、松陰も病気のため、杉家に帰されまして、杉家でも再び「孟子」の講義を行いました。この杉家にいる時は、読んだ本が五〇五冊だそうです。
何でそんなに「孟子」のことを講義するのかと言いますと、松陰はこう述べています。
「家が富み、たのしく、なんの心配もないものは、孟子を読んでも真剣になれず、身につきません。貧しかったり、苦難の時に、人ははげみます。はげめば孟子から教えられることは無限にあります。私たちは喜ぶべきことに、逆境にあります…」
こう言うんですね。それで「孟子」を勉強したわけです。
だから獄中にはいろんな方がいるわけで、学のある方もいる。冨永弥兵衛(とみながやへい)さんなんかがそうです。
冨永さんというのは、藩校の明倫館(めいりんかん)で山県大華(やまがたたいか)に学びまして、一三歳の時に藩主の前で「大学」を講義して褒(ほ)められ、小姓役(こしょうやく)として、殿さまの傍に使える役目になった。
ところが若くして出世したため、傲慢になって、まわりの人間がくだらなく見えて、罵(ののし)り出したんですね。
因人の冨永さんのあだ名はというと?
「有隣」というあだ名です。
「有隣堂」という有名な本屋さんがありますね。横浜などの神奈川県を中心に。
「有隣」とは、どういう意味かと申しますと、「心や行いの正しい立派な人の隣には、必ず人が集まる。人が集まれば、理想も実現できる」ということです。
一人では何もできません。しかし人が集まればいろんなことができる。
「人を妬み、嫌えば、隣人は得られない。あなたがこの言葉を胸に、人の欠点を責めることなく、長所をほめたたえ、相手の気持ちをさっしてやれば、あなたの隣に人有り、です。」と言うのです。
その頃、松陰は藩主の敬親(たかちか)さんの「余は天皇家につながる子孫にて、今、この時代を迎えている。祖先の思いに報いるため、私財を投げ打ち、外敵を防ぎ、天皇のお心を安らかにしてあげたい。これが余の志である。家臣は文武を磨き、わが志を果たせるように努めよ」という言葉を知るわけなんですね。
松陰は、天皇を大切にしなければいけないと、強く思うわけです。
2007年09月26日
小沢一郎と日本共産党
『WiLL』(11月号)に「悪魔の密約」「小沢一郎と日本共産党」中西輝政氏の論文が掲載されている。
タイトルにあるように、小沢一郎と日本共産党の関係である。
今回の参議院の首班指名選挙でも、2回目には共産党が小沢一郎氏に投票した。
最近の小沢氏の左より政策は、こうした共産党と社民党との協力関係から来ている。 民主党の政策が、テロ特措法反対の主張など社民・共産両党と同じ主張になった理由もおわかりいただけると思う。
今回の論文で気になったことを掲載する。(詳しくは、『WiLL』をお読み下さい
皆さんはどうお考えになられますか?
小沢とヒトラーの共通手法(41−42頁)
そもそも、年金問題を政治のテーマにすることは、「我が政党に票を入れれば、年金をこれだけ給付します」と有権者に賄賂を握らせ、国民を総買収するようなものである。このような手法は、民主主義の「最大の恥部」に触れる極めて危険な行為だと言える。
実際にその手法を最大限に駆使し、民主主義を崩壊させたのがヒトラーであった。1920年代、大量の失業者を抱えるドイツでは国民への給付問題が大テーマとなっていた。ヒトラー率いるナチス党は、この状況を利用して、政権を取れば年金支給額や失業保険額を大幅に増やすと訴えたのである。
これを大衆は熱狂的に支持した。ナチス党は年金問題が争点となった1930年代の総選挙で107議席を獲得し、一躍、国家的な大政党にのし上がった。これがドイツの民主主義を崩壊させる上で決定的な役割を果たしたのである。
ヨーロッパではこの反省から、年金を政治の大テーマには決してしない。年金制度の大改革を行う時は与野党の協議体を作るなど、必ず超党派体制を作って取り組んでいる。「年金」をあえて政争のテーマにするのは、反民主主義の価値観をもって体制転覆を狙う勢力なのである。
以前から、日本共産党は、民主党の内部で社民党と同じような考えを持っている勢力、近年では主に医者や女性団体出身者、NGO出身者など民主党の一番真ん中を占めている若い勢力の一人ひとりをオルグしているという噂が一貫してある。もしそうなら民主党という政党は、民主主義国家の二大政党の一角を占めるような、まっとうな市民社会政党ではない、ということになる。
階級闘争理念を持っていたり、反体制運動に携わってきた人たちがその思想や人脈を温存したまま党内に潜伏していることになるからである。目に見えない水面下で、どんどん勢力を広げている可能性すらある。そういう部分を民主党は持っており、何よりもこれが「民主党の暗部」なのである。
(略)民主党の暗部は単なる腐敗問題ではない。この国の現体制の帰趨に直接関わる重大問題だと言える。
(略)
かつての小沢一郎氏は金丸金脈や土建業界などと水面下でのつながりを持っていたが、今はもう一つの「戦後日本の闇勢力」、つまり社保庁労組の例で見られるように、日本の自由を危機的状況に陥れる共産主義の闇勢力とつながっているのである。だからこそ、年金問題の大仕掛けも「政治とカネ」のあれほど徹底した追及もできたのである。
(略)
タイトルにあるように、小沢一郎と日本共産党の関係である。
今回の参議院の首班指名選挙でも、2回目には共産党が小沢一郎氏に投票した。
最近の小沢氏の左より政策は、こうした共産党と社民党との協力関係から来ている。 民主党の政策が、テロ特措法反対の主張など社民・共産両党と同じ主張になった理由もおわかりいただけると思う。
今回の論文で気になったことを掲載する。(詳しくは、『WiLL』をお読み下さい
皆さんはどうお考えになられますか?
小沢とヒトラーの共通手法(41−42頁)
そもそも、年金問題を政治のテーマにすることは、「我が政党に票を入れれば、年金をこれだけ給付します」と有権者に賄賂を握らせ、国民を総買収するようなものである。このような手法は、民主主義の「最大の恥部」に触れる極めて危険な行為だと言える。
実際にその手法を最大限に駆使し、民主主義を崩壊させたのがヒトラーであった。1920年代、大量の失業者を抱えるドイツでは国民への給付問題が大テーマとなっていた。ヒトラー率いるナチス党は、この状況を利用して、政権を取れば年金支給額や失業保険額を大幅に増やすと訴えたのである。
これを大衆は熱狂的に支持した。ナチス党は年金問題が争点となった1930年代の総選挙で107議席を獲得し、一躍、国家的な大政党にのし上がった。これがドイツの民主主義を崩壊させる上で決定的な役割を果たしたのである。
ヨーロッパではこの反省から、年金を政治の大テーマには決してしない。年金制度の大改革を行う時は与野党の協議体を作るなど、必ず超党派体制を作って取り組んでいる。「年金」をあえて政争のテーマにするのは、反民主主義の価値観をもって体制転覆を狙う勢力なのである。
以前から、日本共産党は、民主党の内部で社民党と同じような考えを持っている勢力、近年では主に医者や女性団体出身者、NGO出身者など民主党の一番真ん中を占めている若い勢力の一人ひとりをオルグしているという噂が一貫してある。もしそうなら民主党という政党は、民主主義国家の二大政党の一角を占めるような、まっとうな市民社会政党ではない、ということになる。
階級闘争理念を持っていたり、反体制運動に携わってきた人たちがその思想や人脈を温存したまま党内に潜伏していることになるからである。目に見えない水面下で、どんどん勢力を広げている可能性すらある。そういう部分を民主党は持っており、何よりもこれが「民主党の暗部」なのである。
(略)民主党の暗部は単なる腐敗問題ではない。この国の現体制の帰趨に直接関わる重大問題だと言える。
(略)
かつての小沢一郎氏は金丸金脈や土建業界などと水面下でのつながりを持っていたが、今はもう一つの「戦後日本の闇勢力」、つまり社保庁労組の例で見られるように、日本の自由を危機的状況に陥れる共産主義の闇勢力とつながっているのである。だからこそ、年金問題の大仕掛けも「政治とカネ」のあれほど徹底した追及もできたのである。
(略)
福田内閣について
福田内閣・閣僚名簿発表 13人が再任
(9月25日19時42分配信 毎日新聞)
福田内閣の閣僚が25日、決まった。町村信孝・官房長官は同日午後7時20分すぎ、記者会見し発表した。安倍改造内閣で防衛相だった高村正彦氏が外相に横滑りし、舛添要一厚生労働相は再任された。閣僚のうち、2人が新任、2人が横滑りで、13人が再任だった。新閣僚は以下の通り(敬称略)。
◇総理 福田康夫
◇総務 増田寛也(再任)
◇法務 鳩山邦夫(再任)
◇外務 高村正彦
◇財務 額賀福志郎(再任)
◇文部科学 渡海紀三朗
◇厚生労働 舛添要一(再任)
◇農林水産 若林正俊(再任)
◇経済産業 甘利明(再任)
◇国土交通 冬柴鉄三(再任)
◇環境 鴨下一郎(再任)
◇防衛 石破茂
◇官房 町村信孝
◇国家公安 泉信也(再任)
◇沖縄・北方、科学技術 岸田文雄(再任)
◇金融、行革 渡辺喜美(再任)
◇経済財政 大田弘子(再任)
◇少子化、男女共同参画 上川陽子(再任)
以上が福田新内閣のメンバーだが、僕なりのコメントをします。
官房長官に重量級の安定感のある町村信孝前外相をあてたことは良い事です。
これで、日本のインテリジェンスに関する問題が大きく進むと思います。
石破茂氏を防衛大臣にしたのは、臨時国会の最大の焦点がテロ特措法のためで、防衛問題の日本一の論客です。国会論戦が楽しみです。
他は、安倍内閣の大半の閣僚を留任させました。
麻生太郎氏が入閣しなかったのは、連続して大臣等を歴任したから休憩したかったのでしょう。充電も必要です。
(9月25日19時42分配信 毎日新聞)
福田内閣の閣僚が25日、決まった。町村信孝・官房長官は同日午後7時20分すぎ、記者会見し発表した。安倍改造内閣で防衛相だった高村正彦氏が外相に横滑りし、舛添要一厚生労働相は再任された。閣僚のうち、2人が新任、2人が横滑りで、13人が再任だった。新閣僚は以下の通り(敬称略)。
◇総理 福田康夫
◇総務 増田寛也(再任)
◇法務 鳩山邦夫(再任)
◇外務 高村正彦
◇財務 額賀福志郎(再任)
◇文部科学 渡海紀三朗
◇厚生労働 舛添要一(再任)
◇農林水産 若林正俊(再任)
◇経済産業 甘利明(再任)
◇国土交通 冬柴鉄三(再任)
◇環境 鴨下一郎(再任)
◇防衛 石破茂
◇官房 町村信孝
◇国家公安 泉信也(再任)
◇沖縄・北方、科学技術 岸田文雄(再任)
◇金融、行革 渡辺喜美(再任)
◇経済財政 大田弘子(再任)
◇少子化、男女共同参画 上川陽子(再任)
以上が福田新内閣のメンバーだが、僕なりのコメントをします。
官房長官に重量級の安定感のある町村信孝前外相をあてたことは良い事です。
これで、日本のインテリジェンスに関する問題が大きく進むと思います。
石破茂氏を防衛大臣にしたのは、臨時国会の最大の焦点がテロ特措法のためで、防衛問題の日本一の論客です。国会論戦が楽しみです。
他は、安倍内閣の大半の閣僚を留任させました。
麻生太郎氏が入閣しなかったのは、連続して大臣等を歴任したから休憩したかったのでしょう。充電も必要です。
2007年09月25日
自由民主党・公明党連立政権合意
「自由民主党・公明党連立政権合意」の全文です。
われわれは、今般、自由民主党において新総裁が選出されたことに鑑み、自由民主党、公明党両党の連立政権発足以来の政権合意を尊重し、先の参議院選挙で示された民意を真摯に受けとめ、新たな連立政権において若者が希望を持って未来を切り開き、お年寄りが安心して暮らせるくにづくりを進め、国際社会への平和と安定に一層貢献する。
参議院選挙で与党である自由民主党、公明党に対して示された民意について両党は、構造改革路線は確固として継続させなければならないが、改革を急ぐ余り、そこから取り残された人たちや地域、弱者に対するセーフティネットが十分でなかったことを率直に反省し、負担増・格差の緩和など国民生活に重きを置いた方向の政策を断行することが必要と考える。
その実現をめざすため、まず「政治とカネ」の透明化を進め、政治に対する国民の信頼を取り戻さなければならない。
両党はこれまでの成果の上に、以下に掲げる重点政策の課題に全力で取り組む決意を改めて確認する。
〔今後取り組むべき重点政策課題〕
一、経済財政運営
名目成長率二%台を達成するための成長戦略を継続させるとともに、財政再建に向けた方針を着実に進める。
国際競争力強化のための取り組みを強化する。
中小零細企業に対する金融・経営支援の強化や事業承継税制の抜本見直しなど、中小企業支援策の拡充を図るとともに、下請けいじめや不当なダンピング等市場における競争の過熱により生じた歪については、放置することなくこれを是正する。また、原油など原材料高騰を価格転嫁できる取引慣行の適正化を促す。
二、地域再生
地方と都市の格差を是正し、地域コミュニティの再生や必要なインフラの整備など、地域活性化推進のための施策を大胆に講じるとともに、地域に必要な財源を確保しつつ、地方自治体間の財政力格差の是正に向け早急に対応する。
また、地方分権を一層推進するため、国と地方の役割分担や国の関与のあり方の見直し等に徹底的に取り組む。
三、年金
年金記録問題について、徹底的な問題解決を図るとともに、社会保険庁の日本年金機構への円滑な移行に万全を期す。
平成十六年の年金改革の道筋に沿って、平成二十一年度までに基礎年金の国庫負担割合を二分の一に引き上げる。無年金・低年金を防止する施策の充実等を図るとともに、引き続き年金制度のあり方を含め社会保障制度の一体見直しの検討を進める。
四、医療
医師不足に対応して先に決めた緊急対策に加え、ドクターヘリの配備促進、救急患者の受入れを確実に行うためのシステム作りなど救急医療の整備等、更なる医療体制の整備強化について検討する。
また、高齢者医療制度については、来年四月に実施が予定されている七〇歳から七十四歳までの窓口負担の一割から二割への引き上げ及び七十五歳以上の新たな後期高齢者医療制度における被扶養者からの保険料徴収の凍結について、早急に結論を得て措置する。
五、少子化対策・子育て支援
出産・育児に安心して取り組めるよう産科医・小児科医不足を解消し、児童手当の拡充、保育サービス・妊産婦支援の充実など子育て支援策を強化する。
平成二〇年度に実施予定の母子家庭に対する児童扶養手当の一部削減の凍結について、早急に結論を得て措置する。
六、障害者施策等
障害者自立支援法について抜本的な見直しを検討するとともに、障害者福祉基盤の充実を図る。
「ユニバーサル社会形成推進法(仮称)」の制定について検討する。
七、雇用
若者が希望をもてるよう、フリーターの常用雇用化や、ニートの自立支援、正規雇用への転換促進策など総合的な雇用対策を推進する。
派遣労働や短時間労働など雇用形態による処遇の格差是正を図る。
八、男女共同参画社会の実現
雇用・家庭生活・地域社会における男女共同参画を促進する。
九、教育再生
国民一人ひとりが所得や地域に関わらず、人格の向上を目指すとともに、豊かで充実した生活を享受し、社会の発展に寄与するため、教育再生と科学技術の振興に必要な施策及び財源措置を講じる。
十、農林水産
食料自給率の向上、担い手育成策の充実、経営安定化対策など農業の構造改革を推進するとともに、環境・国土の保全などに役立つ農林水産業のさまざまな役割に着目した支援策を拡充する。また、国産材の活用を誘導するなど林業育成策を推進する。
十一、環境
京都議定書の六%削減約束達成のため温暖化対策を抜本的に強化するとともに、洞爺湖サミットの成功を目指し、米中など全ての主要排出国が参加する枠組みの構築に主導力を発揮する。わが国の優れた省エネ・環境技術による国際協力を推進する。
十二、外交・安全保障
強固な日米同盟と国連中心主義を踏まえ、積極的な「アジア重視の外交」を展開する。また、核軍縮・不拡散体制の維持・強化を推進し、「核廃絶」を目指し、世界をリードする。
国際社会と協力して「テロとの戦い」を継続することを確認し、このため、今国会において、海上自衛隊による対テロ抑止活動を引き続き可能とするための法整備を行う。
十三、拉致問題
拉致問題の一日も早い解決をめざす。
十四、行革
歳出削減と税金の無駄遣いを一掃するため、事業仕分け作戦等を徹底し、内閣における推進体制を確立する。
権限・予算を背景とした「天下り」の根絶など公務員制度改革を推進し、国民に奉仕する行政サービスを徹底する。
頑張った者が報われる能力・実績主義の徹底など公務員がやる気を出し、持てる能力を存分に発揮できる制度と環境を整備する。
十五、政治資金
政治資金については、一円以上の全ての支出に領収書等添付を義務付け、その公開のあり方については、独立した第三者機関の設置など国民の理解が得られるよう、内外の意見を十分に勘案して具体的な成案を得るべく政党間において協議し、今国会で成案を得ることを目指す。
平成十九年九月二十五日
自由民主党
総 裁 福 田 康 夫
公 明 党
代 表 太 田 昭 宏
われわれは、今般、自由民主党において新総裁が選出されたことに鑑み、自由民主党、公明党両党の連立政権発足以来の政権合意を尊重し、先の参議院選挙で示された民意を真摯に受けとめ、新たな連立政権において若者が希望を持って未来を切り開き、お年寄りが安心して暮らせるくにづくりを進め、国際社会への平和と安定に一層貢献する。
参議院選挙で与党である自由民主党、公明党に対して示された民意について両党は、構造改革路線は確固として継続させなければならないが、改革を急ぐ余り、そこから取り残された人たちや地域、弱者に対するセーフティネットが十分でなかったことを率直に反省し、負担増・格差の緩和など国民生活に重きを置いた方向の政策を断行することが必要と考える。
その実現をめざすため、まず「政治とカネ」の透明化を進め、政治に対する国民の信頼を取り戻さなければならない。
両党はこれまでの成果の上に、以下に掲げる重点政策の課題に全力で取り組む決意を改めて確認する。
〔今後取り組むべき重点政策課題〕
一、経済財政運営
名目成長率二%台を達成するための成長戦略を継続させるとともに、財政再建に向けた方針を着実に進める。
国際競争力強化のための取り組みを強化する。
中小零細企業に対する金融・経営支援の強化や事業承継税制の抜本見直しなど、中小企業支援策の拡充を図るとともに、下請けいじめや不当なダンピング等市場における競争の過熱により生じた歪については、放置することなくこれを是正する。また、原油など原材料高騰を価格転嫁できる取引慣行の適正化を促す。
二、地域再生
地方と都市の格差を是正し、地域コミュニティの再生や必要なインフラの整備など、地域活性化推進のための施策を大胆に講じるとともに、地域に必要な財源を確保しつつ、地方自治体間の財政力格差の是正に向け早急に対応する。
また、地方分権を一層推進するため、国と地方の役割分担や国の関与のあり方の見直し等に徹底的に取り組む。
三、年金
年金記録問題について、徹底的な問題解決を図るとともに、社会保険庁の日本年金機構への円滑な移行に万全を期す。
平成十六年の年金改革の道筋に沿って、平成二十一年度までに基礎年金の国庫負担割合を二分の一に引き上げる。無年金・低年金を防止する施策の充実等を図るとともに、引き続き年金制度のあり方を含め社会保障制度の一体見直しの検討を進める。
四、医療
医師不足に対応して先に決めた緊急対策に加え、ドクターヘリの配備促進、救急患者の受入れを確実に行うためのシステム作りなど救急医療の整備等、更なる医療体制の整備強化について検討する。
また、高齢者医療制度については、来年四月に実施が予定されている七〇歳から七十四歳までの窓口負担の一割から二割への引き上げ及び七十五歳以上の新たな後期高齢者医療制度における被扶養者からの保険料徴収の凍結について、早急に結論を得て措置する。
五、少子化対策・子育て支援
出産・育児に安心して取り組めるよう産科医・小児科医不足を解消し、児童手当の拡充、保育サービス・妊産婦支援の充実など子育て支援策を強化する。
平成二〇年度に実施予定の母子家庭に対する児童扶養手当の一部削減の凍結について、早急に結論を得て措置する。
六、障害者施策等
障害者自立支援法について抜本的な見直しを検討するとともに、障害者福祉基盤の充実を図る。
「ユニバーサル社会形成推進法(仮称)」の制定について検討する。
七、雇用
若者が希望をもてるよう、フリーターの常用雇用化や、ニートの自立支援、正規雇用への転換促進策など総合的な雇用対策を推進する。
派遣労働や短時間労働など雇用形態による処遇の格差是正を図る。
八、男女共同参画社会の実現
雇用・家庭生活・地域社会における男女共同参画を促進する。
九、教育再生
国民一人ひとりが所得や地域に関わらず、人格の向上を目指すとともに、豊かで充実した生活を享受し、社会の発展に寄与するため、教育再生と科学技術の振興に必要な施策及び財源措置を講じる。
十、農林水産
食料自給率の向上、担い手育成策の充実、経営安定化対策など農業の構造改革を推進するとともに、環境・国土の保全などに役立つ農林水産業のさまざまな役割に着目した支援策を拡充する。また、国産材の活用を誘導するなど林業育成策を推進する。
十一、環境
京都議定書の六%削減約束達成のため温暖化対策を抜本的に強化するとともに、洞爺湖サミットの成功を目指し、米中など全ての主要排出国が参加する枠組みの構築に主導力を発揮する。わが国の優れた省エネ・環境技術による国際協力を推進する。
十二、外交・安全保障
強固な日米同盟と国連中心主義を踏まえ、積極的な「アジア重視の外交」を展開する。また、核軍縮・不拡散体制の維持・強化を推進し、「核廃絶」を目指し、世界をリードする。
国際社会と協力して「テロとの戦い」を継続することを確認し、このため、今国会において、海上自衛隊による対テロ抑止活動を引き続き可能とするための法整備を行う。
十三、拉致問題
拉致問題の一日も早い解決をめざす。
十四、行革
歳出削減と税金の無駄遣いを一掃するため、事業仕分け作戦等を徹底し、内閣における推進体制を確立する。
権限・予算を背景とした「天下り」の根絶など公務員制度改革を推進し、国民に奉仕する行政サービスを徹底する。
頑張った者が報われる能力・実績主義の徹底など公務員がやる気を出し、持てる能力を存分に発揮できる制度と環境を整備する。
十五、政治資金
政治資金については、一円以上の全ての支出に領収書等添付を義務付け、その公開のあり方については、独立した第三者機関の設置など国民の理解が得られるよう、内外の意見を十分に勘案して具体的な成案を得るべく政党間において協議し、今国会で成案を得ることを目指す。
平成十九年九月二十五日
自由民主党
総 裁 福 田 康 夫
公 明 党
代 表 太 田 昭 宏
福田康夫新総裁のお人柄
福田康夫新総裁のお人柄に迫ってみました。
ちょうど『新憲法はこうなる』(講談社)の原稿に、分量の関係でカットされた福田康夫新総裁のことがパソコンに残っていましたので、ブログで披露します。
(三)政治家の原点に返って
自民党は、政権公約の実現を果たすために、小泉首相を本部長とする新憲法制定推進本部を二〇〇四年一二月に設置した。翌年一月には、森喜朗前首相を委員長にして新憲法起草委員会が発足した。
新憲法起草委員会には、「前文に関する小委員会」、「天皇に関する小委員会」、「安全保障及び非常事態に関する小委員会」、「国民の権利及び義務に関する小委員会」、「国会に関する小委員会」、「内閣に関する小委員会」、「司法に関する小委員会」、「財政に関する小委員会」、「地方自治に関する小委員会」、「改正及び最高法規に関する小委員会」の一〇の小委員会を設け、二月から精力的に各委員会での議論が行われた。
(略)
自民党は発足時、理念の一つである「党の政綱」に、「現行憲法の自主的改正を始めとする独立体制の整備を強力に実行」と明記した。
憲法改正は、自民党の立党の原点であり、大義なのである。
さて、筆者は事務局の立場で、起草委員会全般と「天皇に関する小委員会」と「安全保障及び非常事態に関する小委員会」を担当した。
てんてこ舞の日々を送った。
筆者は長年にわたり、自民党政務調査会において、主に安全保障政策を取り扱ってきた。そのため、「安全保障及び非常事態に関する小委員会」(安全保障小委員会)における業務は、全く支障はない。
安全保障小委員会は、最も人気のある委員会で、委員長は、元官房長官の福田康夫衆議院議員、委員長代理は舛添要一参議院議員が務めた。
福田氏は、舛添氏の他に、外交、安全保障の専門家として、衆議院から石破茂元防衛庁長官、岩屋毅国防部会長、参議院から武見敬三元外務政務次官を指名し、幹事会を設けての検討も行った。
筆者は、福田、舛添両氏と緊密に連絡を取りながら、委員会及び幹事会の議論のための資料を整え、意見集約がスムーズにいくよう論点整理をし、「自衛隊の海外における主要な活動」に関する説明も行った。
その際、福田氏から私の携帯電話に直接本人から連絡が入るのだ。
リリリン、リリリン・・・。
「ハイ、田村です」
「福田です。田村君、今度の安全保障小委員会の会議までに論点を整理しておいてください。よろしくね」
「ハイ、了解しました」
将来の首相候補として名前が浮上している人物だけに、かなり緊張する。
リリリン、リリリン・・・。
「ハイハイ、田村です」
「田村君、福田です。次回の安全保障小委員会で、自衛隊の海外での活動に関する根拠法とその問題点について整理して、あなたに専門家の立場から国会議員に説明してもらいたい。これは舛添さんも同意見ですので、舛添さんとも連絡をとっておいてください」
「ハイ、舛添先生とよく連絡を取ってご指示通りに行ないます」
確かに筆者は慶應義塾大学大学院の講師として、「憲法特殊講座」において、これまで「日本の安全保障」を講じてきたが、福田氏から「専門家」と言われては非常に恐縮してしまう。
こうして、憲法改正の焦点である九条問題は、筆者の得意分野であったため、それなりの対応を迅速に図ることができた。