2007年05月

2007年05月31日

朝まで生テレビに関するブログ

サミールWatchブログより
朝まで生テレビ

 「ヒゲの隊長」佐藤正久隊長オフィシャルページで「今月のテーマは日本国憲法」との告知があったので久々に観ました。ただ観るだけでも随分と久しぶり、ましてや待ち構えてというのは初めてです。

顔ぶれだけ見ても、かなり濃厚な人選です。
ただし、護憲色がかなり強くもあります。

司会: 田原 総一朗
進行: 渡辺宜嗣、長野智子
パネリスト:
平沢 勝栄(自民党・衆議院議員)
高木 陽介(公明党・衆議院議員)
細野 豪志(民主党・衆議院議員)
仁比 聡平(日本共産党・参議院議員)
辻元 清美(社民党・衆議院議員)

伊藤 真(伊藤塾塾長)
今井 一(ジャーナリスト)
潮匡人(帝京大学准教授)
香山 リカ(精神科医)
姜 尚中(東京大学教授)
小林 節(慶応大学教授)
竹花 光範(駒澤大学教授)
田村 重信(慶応大学講師)
森本 敏(拓殖大学海外事情研究所所長)


 中身は案の定、広く憲法改正と言っても憲法第9条、特に2項の解釈と集団的自衛権に関する論戦が時間の大半を占めました。
 番組の最後で視聴者アンケートがおよそ6:4の割合で護憲派優勢だったのですが、面白いなと思ったのが(これは私の勝手な感想ですが)

・コメンテーターの顔ぶれを見れば、「結論として護憲路線に持って行きやすい」構成なのが明らか。

・これまで自衛隊を預かってきた政権与党だからこそ、自衛隊の安全確保の観点から現行法の矛盾点を何とかするベクトルに向かう。

・一方、護憲の立場は必ずしも自衛隊をセットで考える訳ではないので、憲法を変える事のリスクのみが論点の主軸となる。

・結果、論点がいつまでもかみ合わない。

 せっかくこれだけのパネリストが集まったのだから、それぞれの立場のメリット/デメリットを聴きたかったのですが、多分この手の問題は「自衛隊を預かる」、もしくは自衛隊そのものの立場になってみないと歩みよりは到底出来ないのでしょう。

 だからこそ、ヒゲの隊長は今後、もっと世に出て欲しいし、これまで沈黙を守ってきた自衛隊の声を代弁して貰わなければと思うのです。

 余談ですが、番組内での改憲vs護憲の印象は改憲派が専ら慶応大学講師の田村重信さんのほぼ一人完投、護憲派は姜尚中さんをはじめ辻元清美さん、細野豪志さんほか見事な中継ぎでした。
 各論陣の「テレビ慣れ」と勢いが、そのままアンケート結果に反映された感じです。


以上、参考になりました。

安岡正泰氏の「父・安岡正篤氏と『論語』」(その2)

安岡慶応
第二六回日本論語研究会
日時 平成一九年四月二一日(土)一六時三〇分〜一八時
場所 慶應義塾大学第一校舎一階三一一教室
講師 安岡正泰(財団法人郷学研究所・安岡正篤記念館理事長)
演題 「父・安岡正篤氏と『論語』」


(二)安岡正篤の人間像

 父の学問というものを見て参りますと、人物学、人間学に尽きる。東洋思想を中心にした人物学、人間学。
 では、そういう学問を追及した父の軌跡を辿ってみたいと思うんですが、お手元の 資料に「『王陽明研究』新序」というものが書いてございます。
 今は、「王陽明研究」という本として明徳出版社から出ておりますが、元を辿れば、父が二五歳の時、東大の卒業記念で出版したものです。
 この「新序」というところを読んで頂きますと、父が追求したものが分かると思います。

 「高等学校・大学時代、私は熱烈な精神的要求から、悶々(もんもん)として西洋近代の社会科学から、宗教・哲学・文学などの書を貪(むさぼ)り読んだ。ダンテ、ドストエフスキー、トルストイ、ニーチェ、ワイルド、マルクスなども耽(たん)読した。
 セネカや、モンテインやパスカル、アミエルなども好んで渉獵(しょうりょう)した。

 しかしどうも不満や焦躁の念に駆られ、深い内心の持敬や安立に役立たず、いつのまにか、やはり少年の頃から親しんだ東洋先哲の書に返るのであった。
 
 その頃東洋の先哲とか、その書など、今も大して変わりはないが、要するに前世紀の遺物のように見なして、若い学生達はほとんど顧みる者もなかった。私が漢籍などを読んでいると、異端というより、むしろ奇物変人視されたものである。それでも私は意としなかった」

 父は大阪の田舎から上京した。東京では寮生活をしておりましたから、寮の仲間は西欧思想に関する本を読んでいる。そこで自分も勉強しなければいけないと、いろんな本を読んだそうであります。
 
 授業は出なかった。自宅か図書館で生活していた。
 洋書も原文で読んだそうですね。マルクスの「資本論」も原書、ドイツ語で読んでいた。赤線を入れ、栞を挟み読んでいた。そのくらい昔の大学生というのは勉強していたんですね。
 
 続きを読みます。
 「爾来私は出世街道を断念して、ひたすら内心の至上命令にしたがって生活した。学問も一つの目的から資料を集め、これ等を比較検討して、何等かの結論を出してゆくような客観的・科学的なことよりも、自分の内心に強く響く、自分の生命・情熱・霊魂を揺り動かすような文献を探求し、遍参した。丁度竹の根が地中に蔓延して、処々に筍を出すように、学問し執筆した」

 そして、日本の先哲の名前が並び、「特に、歴史的社会的に脊骨ができたように思えたのは、史記と資治通鑑(しじつがん)を読破したことであった」とあります。
 「史記」はご存知だと思いますが、「資治通鑑」は耳新しいのではないでしょうか。
 これは古代から唐末までの「史書」でございます。北宋の司馬光が書いたものです。「史書」を分類してみますと、史記、十八史略、そして「資治通鑑」等でございます。論語、孟子、大学、中庸というのは「経書」ですね。
 
 父は「資治通鑑(しじつがん)」を読んだ。この時代に活躍した偉人、帝王、学者といった人物像が活き活きと記されている。
 
 そういう中で父は人物学、人間学というものを勉強し、先哲という者を現代に蘇らせ、光を当て、取り上げたのではないかと思います。
 
 そして「大学時代棄身になってよく学問した」とありますが、父は何でも捨て身なってやりました。「浮付(うわつ)いた気持ちでやるものではない」と言っておりました。

 「そこの頃から私は一面強烈に革命を考えるようになった。しかし東洋先哲の学問の力であろう、今日の学生のように浅薄皮相な集団活動に趨(はし)らず、まず深い政治哲学を持った優れた同志の糾合を考えた。それが私の社会生活を築きあげる不思議な原動力となってしまった。
 
 当時第一次大戦の後で、社会的思想的混乱が甚だしく、共産主義革命思想運動も、正直で強烈であったが、それに対して勃然(ぼつぜん)として民族主義に立つ昭和維新運動が始まった。私はいつのまにかその激流の中にあった。

 しかし私はまた次第にそれらの思想・運動の浅薄さ、躁がしさ、矯激性(きょうげきせい)などにうんざりして、専ら講学と青年子弟の養成に深入りしていった」

 こうして父は東洋思想に基づく教化活動に身を置くようになりました。
 いわゆる昭和維新の頃でありますが、この時、行動を共にした人物が、大川周明、北一輝ですね。
 そういう人物と一時は同志的になりましたが、またそれらの「思想・運動の浅薄さ、躁がしさ、矯激性などにうんざり」して袂を分かった。
 そのように、この「新序」によって父の生涯が読み取れるんではないかと思います。


2007年05月30日

党首討論 安倍首相VS小沢代表

安倍 晋三今日、15時からの「党首討論 安倍首相VS小沢代表」が終わった。

テーマは、年金問題。宙に浮いた保険料納付記録約5,000万件への対応がテーマとなった。

これは、与野党が争うものでなく、一刻もはやく対処策を講じて、年金に対する国民の信頼を回復することである。

なぜ、こんなことになったのか?
この原因究明が大事である。

責任を取らない役所体質が問題となる。
とくに労組の体質であろう。

かつて国鉄がおかしかったのは、労組が原因で、駅員の態度が悪かった。それが、民営・分割によって、体質が一変した。

社会保険庁は、年金記録が命なのに、それがなくなったとは、いったいぜんたい、どうなっているの?

あきれてものが言えない。

教育についても、日教組が問題である。

日教組が大きな間違いをやっている、先生たちが怠けていないか。
先生の質に問題があるようだ。

日本の先生は、先生一人に生徒は一二人。
昭和六二年、義務教育を受けている生徒の総数は1500万。先生は69万。
これで適正だった。

それが、今生徒数は940万。ところが先生は逆に増えて72万。
なんでこうなるのか。

日本の先生は、移動させられない。
教育公務員特例法によって、「移動なんて私はいや!」と言ったら移動させられない。

何でかと言ったら「私、ここで生まれ育った。外に行くのいや」と。
「それならしょうがないね」。となる。

そうなると分校ばっかりできる。生徒が10人いて、先生が5人も6人もいる。
そういう制度を直さないといけないわけである。

今、学校教育で武道をやってもいいことになった。
ところが武道を教える先生がいない。
先生の60%が女の先生、女の先生に武道をやれる人が少ない。

男の先生も「そんなきついことできない」と言う。

結局、武道を教える先生がいない。

そこで特任制度で、武道の先生に来てもらう。
しかし、武道の先生といったら警察官出身者となる。

すると「警察権力が学校に入るのはダメ」と言って日教組が反対する。

こういう状況がある。

というように、社会保険庁も労組の体質に根ざしている。
だから、労組に応援される民主党は、社会保険庁及び労組に対する対応が甘い。

この点をみながら、年金の宙に浮いた保険料納付記録問題を考えていく必要があるようだ。


shige_tamura at 16:36|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!安倍晋三 

安岡正泰氏の「父・安岡正篤氏と『論語』」(その1)

安岡慶応
今こそ、人間学が必要です。

そこで今回から、「日本論語研究会」での安岡正泰氏の講演「父・安岡正篤氏と『論語』」の講義録ができましたので、何回かに分けて掲載します。

第二六回「日本論語研究会」
日時 平成一九年四月二一日(土)一六時三〇分〜一八時
場所 慶應義塾大学第一校舎一階三一一教室

講師 安岡正泰(財団法人郷学研究所・安岡正篤記念館理事長)
演題 「父・安岡正篤氏と『論語』」



はじめに

 ご紹介を頂きました安岡でございます。どうぞ宜しくお願い致します。今日は日本論語研究会にお招き頂きまして、皆さんにお会いすることができ、大変有難く思っております。
 ところで、安岡正篤の「篤(ひろ)」という字を多くの人は「あつ」と呼ぶんです。なかなか「ひろ」と呼んでくれない。
 父も、いちいち「まさひろ」と説明するのが面倒だったんでしょう。晩年は「せいとく」と言っていました。
 ある時、私が講演で父の名前を「せいとく」と呼びましたら、父の熱心な信奉者が「あなたは父親の名前も呼べないのか」と言いに来ました(笑)。
 
 「いやいや『まさひろ』ですよ。父は、なかなか『まさひろ』と呼んで下さる方がおられないので自分で『せいとく』と呼んでいたんですよ」と申し上げましたら、「まぁそれならいいでしょう」とおっしゃっておりました(笑)。
 
 それで今日は論語を中心に、中国の古典を通じて、父が追求してきた人物学というものに絡めてお話したいと思います。


(一)「平成」元号の考案者

 父が亡くなりまして、もう二五年になります。ですから四半世紀になるわけです。その間、随分、いろんな方々から父の人間像について、また、その息子として、どんな教育を受けてきたのかということをしばしば問われてきました。

 息子が客観的に父親の人物像をお話しすることは非常に難しい。ましてや中国古典の大家であった父のことを不肖の息子が「こうでした」と簡単に言えるものではない。
親子の関係というのは師弟関係とは違って、より先天的であり、自然的であり、「情」というものを軸にしたものであると思います。

 今、親子の関係を巡って、いろんな事件が起きておりますが、「情」というものを一番に考えるべきである。

 そういう面で父の背中を見て育った私としては、父の後半生は、ある意味では老荘的な考えがウエートを占めており、無為自然な人であったと思います。

 平成に入り、しばらくして、私のところに産経新聞の政治部の記者が来られました。 私は日本通運におりましたが、政治部の記者とはあまり馴染みがありませんで、通常、社会部か経済部の方が来られます。

 「政治部の方が来られるというのは珍しいが、どういうことか」と聞きましたら、「平成元号の考案者を調べたところ、どうもあなたのお父さんのようなので、その経緯を聞きたい」と言われました。

 時を同じくして、他者の政治部の記者も多数来られました。
 私は何も聞かされていない。仮に知っていたとしても、内閣が公表していないのに、家族がそれを申し上げることはできません。

 ですから「分かりません。私は次男坊だから、長男のところに行ったらどうか」と言いましたら、「もうお兄さんのところに行きました。知らないそうです。『弟のところに行きなさい』と言われました」とおっしゃいまして、記者をタライ回しにした(笑)。
そこで結局、最後まで父の面倒を見ていた妹のところに行くように言いました。
 
 しかし「兄二人がいるのに何で妹の私のところに来るのですか。私は何も知りません」と言って、記者を帰したそうです。
 当時、よく記者から「偉大なお父さんをお持ちになって大変ですね。どういう思いで育ったんですか」と言われましたが、普通の親子関係と変わりはないわけで、そういうことで父親の人物像について、いろんな方から聞かれるようになりました。

(続く)


「朝まで生テレビ」を見た人からのメール公開 (続編)

かんてい


横浜の中華街にて
(写  真)


「朝まで生テレビ」を見た人からのメール公開 (続編)をお送りします。



 朝まで生テレビ、お疲れさまでした。とても初めてとは思えぬ堂々たる、理路整然とした姿勢に感服しました。
 民主党も共産党もタジタジでしたね。新憲法草案策定の中枢にいらっしゃっただけあって、大変説得力がありました。



 朝生見ましたよ!田村先生はすごい人なんですね。
 すごい恐モテですが一番しゃべりがよかったですね。



 田村氏の主張に同感です。
国民投票法の小沢民主の態度は選挙目当て。
細野ごうしも認めてました。
 田村氏が指摘していた通り、民主幹部はたびたび条文化した憲法私案を出すと言ってきましたがいまだ出せず。
 政権を担えないとみずから示しているようなものです。



 テレビ見ました。朝まで(^^)v本の紹介もよかったですね。
国会議員とか法学者より田村先生が一番光ってましたよ!
最初から最後まで勢いがありましたよね。



観たよ。
一番田村さんが目立ってたね。
共産党を打ち負かした場面は痛快だったよ。



なかなか面白かったね。
田村先生は自民党の人だったよね?慶応の講師だっけ?どっちにしても話が一番わかりやすかったよ。
カン?とかいう人は話が硬いね。



憲法問題で百出の生テレビ、見ました。
ますますのご活躍を期待しております。
沖縄にお越しの折りには、ご連絡いただければありがたい。
再会を楽しみにしております。



田村さんのテレビで論客ぶり拝見いたしました。
小林節先生の憲法改正におけるスタンスが「微妙」なことは知りませんでした。



テレビ朝日「朝まで生テレビ!」〇〇でございます。
先日は、お忙しいところ番組にご出演いただき誠にありがとうございました。

これから3年、さまざまな角度から憲法論議がなされると思います。
番組でもまたこのような議論の場を設けたいと思います。
その際は、是非またご出演いただければと思います。
よろしくお願いいたします。


2007年05月29日

「朝まで生テレビ」を見た人からのメール公開

平沢 勝栄「朝まで生テレビ」に出演した平沢勝栄先生が今朝の自民党国防三部会(国防部会・安全保障調査会・基地対策特別委員会合同会議)に出席されました。先生は、朝早くからよく勉強されています。

そこで、写真を写しました。
僕とは「朝まで生テレビ」の戦友です。 


ここで、「朝まで生テレビ」を見た人からのメールが届きました。8通一挙公開します。



「朝まで・・・」をみました。共産党を叱りつつ、姜 尚中の誤りを指摘したりと爽快でした。自民党の主張もはっきり指摘され、民主党議員に対して早く条文化せよと主張すべき事をいっていただき、全く同感でした。ありがとうございました。



 朝生、拝見しました。入場されたときにはかなり顔がこわばっておられたんですが、始まってからは、かなりエンジンがかかってこられて、初めてとは思えない議論への参加で、さすがだと思いました。
 田村さんが、かなり議論に食い込んでいて、大変面白かったです。今回の朝生で相当知名度もアップし、そして、相当面白い展開ができていたので、これからもテレビ出演依頼がたくさん出てくるかもしれませんね。とにかく、さすが、田村さんだと思いました。
 ちなみに、最後の本の紹介のときも、私もちょっと笑ってしまいました。
 とりあえず、感想をお伝えしました。
PS 姜尚中さんは、先輩・後輩の仲でいらっしゃるんですね。お互いに激しいバトルになっていないのはなんでかなあと思っていました。



 朝生拝見しました。田村さんの発言、とってもよかったですね。今まで17年の安保関係業務に携わった蓄積が発言に込められていて、説得力がありました。議論の流れを変えていました。 
 出席者も一様に、あっそうだね!という感じで聞き入っているのが印象的でした。 今後も楽しみにしています。



「朝まで生テレビ!」、拝見させていただきました。
 12回にわたる、核心を突いたご発言。法案や憲法をわかりやすく説明することの難しさを日々実感している私にとりまして、文字通り「お手本」です。
 引き続きご指導のほど、よろしくお願い申しあげます。



 見ました! 理路整然と田村さん説明しているのに やはりあの辻元議員は! それに共産党の議員は可哀想なくらいのLevelでした。
 自主憲法制定に向け頑張りましょう!



 朝までテレビみました。
 ご活躍されていましたね、お疲れ様でした。
 大変勉強になりました。



 「朝生」拝見しました。
 初出演とはとても思えない落ち着きと的確な発言で、出演者のなかでも一番輝いていたと思います。
 あらためて田村さんの憲法問題に関する該博な知識に感服いたしました。
 それもこれも、現場での実績の賜物だと思います。
 まずは感想をお伝えしたくて。



 ご無沙汰しております。こちらに赴任して、ちょうど10か月経ちました。
 ブログは時々読んでいますが、久しぶりに、田村さんのお元気な姿と辛口コメントを視聴して、ますますのご活躍を喜んでいます。
 日々の・・・解決に追われていると、憲法改正問題や集団的自衛権問題など議論したり考えたりする心の余裕がなかったので、ノスタルジーを感じながら、視聴することができました。いつもの朝生と違って、比較的冷静に大人の議論が進められていたように思いました。


「日本論語研究会」の予定

*会場は、全て慶應大学・三田キャンパスです
 (港区三田2−15−45)(JR田町、地下鉄三田下車)

今回
第28回  
1、日 時 6月9日(土)16時30分〜18時
2、場 所 慶應義塾大学  大学院校舎1階 311号室
3、講 師 高 永戞淵灰Α▲茱鵐船腑襦法Ε灰螢国際研究所 首席研究員 
      (テーマ、韓国と日本の儒教文化の相違点)
田村 重信・日本論語研究会代表幹事(テーマ、吉田松陰について)



第29回  
1、日 時 7月28日(土)16時30分〜18時
2、場 所 慶應義塾大学  研究室棟 1階・AB会議室
3、講 師 渋澤 健・渋沢家5代目子孫、シブサワ・アンド・カンパニー代表取締役      (テーマ、巨人・渋沢栄一の「富を築く100の教え」)
     

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

〇参加費 300円(家族は2人以上で500円、学生は無料です)

〇問い合せ先  田村重信(代表幹事)
 Eメールstamura@hq.jimin.or.jp へ連絡下さい。電話―3581−6211(職場)   

事務局〒105−0002 港区三田2−15−45 慶大・南館20510
日本論語研究会03−5427−1328(直通) FAX 03−5418−6584(共同)

(参考)日本論語研究会の日程(2週間前と1週間前に2回)と研究会の内容などは、ブログに掲載しています。 ブログ「たむたむの自民党VS民主党」http://tamtam.livedoor.biz/




松岡農林水産大臣の「不徳の致すところ」

 5月28日、松岡利勝農林水産大臣が自殺した。
これには、安倍政権に激震が走った。
政治とお金は、古くて新しい政治の永遠のテーマでもある。

 攻撃に強い人間は、守りに弱い。

 なぜ、『人間の品格』が大事か、というのか。
 
 「品格」とは、外見だけではなく、中身の大切さを示す言葉である。
 人間は有頂天になると、物事の本質や正しい姿が見えなくなり、思わぬ失敗を起こす。そのため常に苦難の時にどう対応するかという「心構え」、「心持ち」を保つ必要がある。
 人生、「山あり谷あり」で、谷の時、苦難・危機の時にどう対応すべきか、心構えをあらかじめ考えておく必要がある。
 「逆境の時の備え」を怠れば、いざという時に冷静な対応ができなくなる。
 「品格」は、まさに、どんな状況に陥っても変わらない「心構え」、「心持ち」なのである。
 
 松岡利勝大臣は、自殺するとは、逆境に弱かったのだろう。

 松岡大臣は遺書で「国民の皆様、後援会の皆様」と題し「このたびは私自身の不明、不徳の致すところで誠に申し訳ない。ご迷惑をおかけしておわびを申し上げます」と書かれていたという。

 僕は、政治の本のサインに「為政以徳」と書く。
 これは、上に立つ政治家が徳をもって政治をしないといけない、ということだ。
松岡大臣は、自ら「不徳の致すところで誠に申し訳ない」と言っている。
 
 偉くなればなるほど、徳が必要なのである。


 今、日本にとって大事なことは日本人のかつての良さを取り戻すことだ。
それには「学問は学問のための学問にあらず、商売は商売のための商売にあらず、政治は政治家のための政治にあらず」ということだ。
 渋沢栄一の「論語を経済活動に生かす」という精神と政治家は「大義名分をただすため身命を惜しまない」という武士道の精神を取り戻すことである。

(「君子は義に喩(さと)り、小人は利に喩(さと)る」)・・・・・・
                                 
 日本にとって大事なことは、日本のかつてのよさを取り戻すことだと、それには今私は大学でも教えていますが、「学問は学問のための学問にあらず」ということ。
 だから、学校秀才じゃだめで、やはり、実際の問題をよくわかって、自分で学んだことを世間で役立つようにするということである。これはまさに孔子の教えである。

 それから、「商売は商売のための商売にあらず」、これも大事である。
 渋沢栄一さんという偉大な明治の商売人がいる。
 JR京浜東北線の王子駅があるが、そこに渋沢記念館がある。この渋沢栄一さんというのは日本の銀行や鉄道、海運業、ホテル、ガス会社やビール会社など、五〇〇ぐらいの会社を創った人である。
 もともと役人だったが、民間の企業が大事なんだということで、商売をはじめた。

 この渋沢さんは「論語とそろばん」という姿勢の人で、必ず論語とそろばんを手に持って、論語を勉強しながら、商売に役立てていた。だから、儲かりさえすればいいという商売は渋沢さんはやらなかった。世の中を良くするために商売をした。それは何かというと、嘘をつかないということである。

 日本の品物は、良いものを作って信用がある。
 日本の場合はデパートに行くと定価販売だ。それは、その値段でも良いものだからである。
 ところが、日本以外の国というのは、台湾でも韓国でもそうだが、買い物に行くと、必ず安くしろ安くしろという話になる。
 日本は定価販売です。それは品物が良いからです。
 
 だから、近年起こったような雪印や不二家の話などは、言語道断で、嘘をついて商売をするというのは、やってはいけないことである。
 そんなことをするから、日本の信用が失墜する。

 渋沢栄一という偉大な商売人が何を根拠に商売をやったかというと、論語である。だから、「商売は商売のための商売にあらず」ということを心がけなければいけない。


 政治は、政治家のための政治ではない。
 国民が豊かになるために、政治があるのだ。今の政治家は自分がいいポストにつきたいとか、偉くなりたいという、権力闘争のような話ばかりが多い。
 ちょっとそこはおかしいのではないか。
 もっと原点に帰って「論語」を読めばいい。

 「論語」にはまさにそれが出ている。
 日本の政治がかつて良かったのは、やはり「論語」を勉強していたからだ。だから、しっかりした政治家が出てきた。

 どうして、第二次世界大戦でおかしくなったかというと、あのときの指導者は「論語」を読んでいなかったからだ。それで渋沢栄一の「論語をビジネスに活かすという精神と、政治家は大義名分を正すため、身命を惜しまないという武士道の精神を取り戻すことだと思います」ということで、君子は、義に喩(さと)り、小人は利に喩(さと)るということで、君子は私的な利益ではなく公の利益、国民全体の利益を考えてやらなければいけないということだ。


 私の高校の恩師からの年賀状に、佐佐木信綱さんの和歌が書かれていた。

「利のやっこ 位のやっこ 多き世に 我は我が身の 主(あるじ)なりけり」。

和歌は五七五七七の五句三十一音からなっている。

「利のやっこ」は利益や目先のこと。
「やっこ」というのは家来や下僕、身の自由をなくしたものと広辞苑に書かれている。また、こういう意味もある。遊女などの遊び女の言動におとこだてのふうをするものと書いてある。

 お金や地位の虜になってはいけない。これらにふりまわされる人になってしまうということである。こうなってはいけないということだ。


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