講演録

2012年11月25日

講義録(3、終わり)・「憲法9条と自衛隊」田村重信・集団的自衛権

櫻井よしこ
 尾崎行雄記念財団「咢堂塾」特別記念講演会
【講師】田村重信氏(自由民主党政務調査会調査役)講演「日本の防衛政策」
12月12日(水)18時〜20時 尾崎行雄記念財団(憲政記念館、参加費無料)のお知らせ。


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 自民党の政権公約が発表されてから、「国防軍」「集団的自衛権」などが大きくクローズアップされています。
 そこで、今、なぜ憲法改正が必要なのか?
 9月15日、櫻井よしこ氏からの依頼で国家基本問題研究会で「憲法9条と自衛隊」のテーマで講義しました。
 その講義録を掲載します。
 これを読めば、お分かりいただけるかと思います。その(3、終わり)です。


 集団的自衛権


 集団的自衛権を教科書的に説明します。

 集団的自衛権は「国際法上、国家は、集団的自衛権、すなわち、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利を有しているものとされている。
 我が国は、主権国家である以上、国際法上、当然に集団的自衛権を有しているが、これを行使して、我が国が直接攻撃されていないにもかかわらず他国に加えられた武力攻撃を実力で阻止することは、憲法第9条の下で許容される実力の行使の範囲を超えるものであり、許されないと考えている。

 自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その実力の行使すなわち、これを超えるものであると考えられるからである。

 なお、我が国は、自衛権の行使に当たっては我が国を防衛するため必要最小限度の実力を行使することを旨としているものであるから、集団的自衛権の行使が憲法上許されないことによって不利益が生じるというようなものではない。
――とするのが政府の解釈である。

 最近の防衛問題の焦点の一つが、この集団的自衛権を巡る論争である。

 国連憲章、サンフランシスコ平和条約、日米安保条約では集団的自衛権の保有につき条約で認めていながら、憲法の建前からは行使できないというのはおかしいとの指摘である。

 これに関連した議論として、「武力行使との一体化」論がある。

 これは、我が国が直接攻撃を受けていないにもかかわらず、他国の武力行使と一体化するような活動を行うことは、憲法上許されないと解する考え方である。

 具体的に言えば、米国などに対して行っている補給などの支援活動について、米国などが行っている武力行使と一体化することになり、憲法に違反することになるのではないかということである。

 こうした関係から、周辺事態安全確保法、テロ対策特措法、イラク復興支援特措法などの法律は、武力行使と一体化しない、戦闘行為が行われている地域と一線を画する場所で行うということを法文上規定することで、我が国が行う支援活動は、米国などの武力行使と一体化することにならないように明確化されている。

 最近では、日本における自衛隊の位置づけや自衛権の解釈の問題、個別的自衛権及び集団的自衛権に対する考え方が、各国の一般常識とは異なっているのではないか、特に、集団的自衛権の行使を可能とすべきではないかとの意見が表明されるようになってきている。

 これらの議論は、我が国が集団的自衛権の行使を禁じていることで、米軍の軍事作戦が極めて複雑なものとなってしまい、さまざまな場面で、日米が共同で紛争の抑止にあたる場合に支障を来すことになるのではないかとの懸念の一端を表すものであり、政府の従来からの集団的自衛権行使に対する解釈は、同盟の信頼性確保の上での制約ともなっており、日米同盟の「抑止力」を減退させる危険性をはらんでいるとの指摘である。

 また、「集団的自衛権の行使」、「国連の集団安全保障への参加」などに関わる政府の憲法解釈が、平常時の多国間共同訓練、国連平和維持活動(PKO)、周辺事態における各種支援・協力活動、在外邦人等の輸送(NEO:Noncombatant Evacuation Operations)、についてさえ制約となっているとの考えも指摘されるようになってきている。

 集団的自衛権の行使が可能となるということは、日米間の防衛協力が一層進み、「抑止力」がより強化されるとともに、それが、アジア・太平洋地域全体の平和と安定に寄与することになると考えられるが、さらには、人や物、情報の流れるスピードが極めて迅速になり、安全保障上の問題がグローバル化している今日において、我が国のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する急迫不正の侵害が、そのまま我が国に対する侵害に直結する可能性も増大しているという点も十分考慮しなければならない要素であろう。

 他方、集団的自衛権の行使が可能となれば、我が国の主体的判断がより必要とされることになることも確かである。

 集団的自衛権の行使について、ケース・バイ・ケースで我が国自らが国益を重視して主体的に判断することになり、冷徹な現状判断と国益の判断が必要となるからである。
 集団的自衛権の行使を可能と(あるいは明確化)する方法には、
〃法改正、
∪府の解釈の変更、
新たな法律の制定による合憲の範囲の明確化、
す餡颪侶莎帖
などが考えられるが、いずれにせよ、国際協力、日米安保体制、我が国の平和と安全の確保をより万全なものとするといった観点から、「集団的自衛権の行使」と併せて、小沢一郎氏から「国連の集団安全保障への参加」への途を切り開く必要があるという指摘が出てきている点についても留意する必要があろう。

 また、安倍晋三総理は、平成19年(2007年)5月、総理の下に「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」を開催し、四つの類型(仝海における米艦の防護、∧胴颪妨かうかもしれない弾道ミサイルの迎撃、9餾歸な平和活動における武器使用、て韻弦駭■丕烹漏萋阿覆匹忙臆辰靴討い訛捷颪粒萋阿紡个垢觚緤支援)についての提言を取りまとめ、平成20年(2008年)6月、福田総理に報告書を提出した。

 四類型のうち、仝海における米艦の防護、∧胴颪妨かうかもしれない弾道ミサイルの迎撃が集団的自衛権に関するものです。

 最近では、日本における自衛隊の位置づけや自衛権の解釈の問題、個別的自衛権及び集団的自衛権に対する考え方が、各国の一般常識とは異なっているのではないか、特に、集団的自衛権行使の行使を可能とすべきではないかとの意見が表明されるようになってきました。

 自民党総裁選も始まり、話題になるでしょう。また、大阪市長の橋下さんも昨日(9月13日)、「集団的自衛権行使すべきだ。」と言っておりましたね。

 では、どうすれば集団的自衛権の行使は可能となるのか。

 集団的自衛権の行使を可能とする方法には、先にも述べましたが、一つは、憲法改正、二つ目は、政府解釈の変更、これは外交評論家の岡崎久彦さんなんかが言っています。「総理が解釈変えたと言えばいい。」と言うんですけれども、なかなかそうはならない。三つ目は、新たな法律を作るということですね。合憲の範囲を明確にする。四つ目は、国会決議。と色々、考えられます。

 集団的自衛権の行使の問題は、外務省が物凄く熱心で、安倍総理の時に集団的自衛権の行使を明言しましたが、小泉総理の時からそういう動きがありまして、そのときは明確にしませんでした。

 その後、安倍総理は、第百六十六回国会(平成19年)の施政方針演説で
「時代に合った安全保障のための法的基盤を再構築する必要があると考えます。いかなる場合が憲法で禁止されている集団的自衛権の行使に該当するのか、個別具体的な類型に即し、研究を進めてまいります」と述べ、総理の下に「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」を設置したのです。

 これは集団的自衛権行使を可能とするために解釈変更するにしても、今までの政府の答弁がありますから、勝手にできない。法治国家ですから簡単ではない。そこで、内閣官房の官僚が色々考えて四分類にしてそれを検討・整備していこうとなったわけです。

 再度繰り返しますが、一つ目が、公海における米艦の防護、二つ目が、米国に向かうかもしれない弾道ミサイルの迎撃、三つ目が、国際的な平和活動における武器使用、四つ目が、国連PKO活動などに参加している他国の活動に対する後方支援の四類型について検討したんです。

 要するにこれは集団的自衛権に関係するのは二つです。
 米艦防護と弾道ミサイルの問題。他は集団的自衛権ではなくて、自衛隊の武器使用の問題になる。そういうことで問題を整理して、提言を出したということですね。

 国連憲章、日米安保条約には、個別的または集団的自衛権を害するものではない、ということが明記されています。国際法上には日本はその権限を有している。

 国際法上は可能であるのに、日本ができないのはおかしいということが言われますが、日本は憲法の規定がありますから、憲法を変えれば可能になる。

 憲法がありますから、国際的には常識であっても、それをやればいいじゃないか、ということにはならないわけです。


〇国連憲章
(第五一条)
この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、
安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又
は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国
がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置
は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持又は回復のために必要と認める行動
をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすもの
ではない。

〇日米安保条約(前文)
日本国及びアメリカ合衆国は、両国の間に伝統的に存在する平和及び友好の関係を
強化し、並びに民主主義の諸原則、個人の自由及び法の支配を擁護することを希望し、また、両国の間の一層緊密な経済的協力を促進し、並びにそれぞれの国における経済的な安定及び福祉の条件を助長することを希望し、国際連合憲章の目的及び原則に対する信念並びにすべての国民及びすべての政府とともに平和のうちに生きようとする願望を再確認し、両国が国際連合憲章に定める個別的または集団的自衛の固有の権利を有していることを確認し、両国が極東における国際の平和及び安全の維持に共通の関心を有することを考慮し、相互協力及び安全保障条約を締結することを決意し、よって、次のとおり協定する。


 集団安全保障

 もう一つは集団安全保障、これが一般の人とかジャーナリストの人はわからないんですね。集団的自衛権と集団安全保障の違いがほとんど分からない人がいて、新聞の記事などでも間違いがあります。

 集団安全保障とは、国際法上武力の行使を一般的に禁止する一方、紛争を平和的に解決すべきことを定め、これに反して平和に対する脅威、平和の破壊又は侵略行為が発生した場合に、国際社会が一致協力してこのような行為を行った者に対して適切な措置をとることにより平和を回復しようとする概念であり、国連憲章には、その具体的措置が定められています。

〇国連憲章(第43条)
1 国際の平和及び安全の維持に貢献するため、すべての国際連合加盟国は、安全保
障理事会の要請に基き且つ一又は二以上の特別協定に従って、国際の平和及び安全の
維持に必要な兵力、援助及び便益を安全保障理事会に利用させることを約束する。こ
の便益には、通過の権利が含まれる。
2 前記の協定は、兵力の数及び種類、その出動準備程度及び一般的配置並びに提供
されるべき便益及び援助の性質を規定する。
3 前記の協定は、安全保障理事会の発議によって、なるべくすみやかに交渉する。
この協定は、安全保障理事会と加盟国との間又は安全保障理事会と加盟国群との間に
締結され、且つ、署名国によって各自の憲法上の手続に従って批准されなければなら
ない。

 集団安全保障について、柳井俊二元駐米大使は、「集団的自衛権と国連の集団的措置は別物」ということで、「国家が判断する自衛権と、国連が集団的に決める措置というのは質的に違う。」「歴代自民党政権の答弁では、集団的自衛権は行使できないと言ってるが、国連軍に入って、国連の措置に協力できないという答弁は一つもない。そこは議論していない。少なくとも空白だった。だから集団的措置に協力できないとは言ってない。もし、国連軍や多国籍軍ができて、ちゃんと国連安保理のお墨付きがある場合は、日本だってそれに参加できるはずだ。集団的自衛権の話を入れるからおかしくなる。」(『世界週報』2004 年7月13日号)と述べています。

 集団安全保障については、憲法論議では少なくとも空白だった。だから集団的措置を協力できないとは言っていない。
 もし、国連軍や多国籍軍ができて、国連安保理の御墨付きがある場合、ちゃんと日本もそれに参加できるんだというのです。これに集団的自衛権の話を入れるからおかしくなるというのです。

 しかし、憲法との関連から言えば次のようになります。
 憲法前文には、憲法の基本原則の一つである平和主義、国際協調主義の理念がうたわれており、これらの理念は国際紛争を平和的手段により解決することを基本とする国連憲章と相通ずるものがあります。
 したがって、最高法規である憲法に反しない範囲内で、第98条第2項に従い、国連憲章上の責務を果たしていくことになるが、もとより集団的安全保障に係る措置のうち憲法第九条によって禁じられている武力の行使または武力による威嚇に当る行為については、我が国としてこれを行うことが許されない。
 だから集団安全保障に関わる措置のうち、憲法9条の問題があり、これは海外における武力行使の問題がありますから、そことの関係があるんですね。
 その集団安全保障の措置があるといっても、武力行使に関わるところはなかなか難しいという現実があります。
 平成4年、湾岸戦争のあと、小沢一郎さんが幹事長を辞めて、「自民党 国際社会における日本の役割に関する特別調査会(俗称:小沢調査会)」というものを作りました。
 これを僕も担当していて、よくわかるんですけれども、ここでは集団的自衛権は、憲法上行使できないんだから、これはこれでもうしょうがない。横に置いておこう。それよりも国連の集団安全保障をクローズアップしていこう。ということで提言を取りまとめたんですね。
 日本は国連中心主義で行くべきであり、そのため集団安全保障は極めて重要であり、国連決議があれば自衛隊は多国籍軍参加は可能という考え方を示したのです。
 そしたらですね、小沢調査会の提言を取りまとめたら、ビックリしたんですが、社会党の書記局の人間が「僕に会いたい」ということで来るんですよ。
 どうしてなのかと思って会いますと、国連の安保重視というのは、社会党が従来考えていた考え方と一緒なんだと。何故かというと、社会党は日米安保いらないという訳ですから。じゃあ、どうやって国際的な安全保障措置を考えるかというと、国連の安全保障措置によるんだと。というところで一致しているんだ。という話。

 小沢さんは日米安保重視と国連安保を重視、社会党は日米安保破棄と国連重視という意味で、小沢さんと社会党の主張が合うというのはぐるっと回って、国連重視という点で合うということなのです。
 そんなことで奇妙な体験をしました。


 集団的自衛権行使と国家安全保障基本法案


 今、一番注目されている集団的自衛権行使の問題について、一番熱心なのは、石破(茂)さんです。
 何年もかけてあるい意味で自分のライフワークだと。

「俺は集団的自衛権が行使できればいい」、そのために政治家やっていると言っています。そのためには、国家安全保障基本法というものを作って、それで集団的自衛権を行使できるようにする。その議論を自民党内ですることによって、一部、集団的自衛権の行使が可能になるという。これは相当時間がかかりましたけれども、ようやく7月6日の総務会で、国家安全保障基本法案の概要が、了解されました。

 それで自民党としては、選挙公約に「日本の平和と安全を守っていくために、日米同盟を強化し、集団的自衛権の一部行使を認めるなど、政府の体制の整備を進めます」ということで、総選挙で支持を得て、それで与党になって国家安全保障基本法を国会に出すことによって、それが了解できる。
 集団的自衛権の一部を行使できるということ、具体的にここまで進んできているということなんです。

 集団的自衛権に関して、憲法改正と、この国家安全保障基本法との関係なんですが、従来の内閣法制局の解釈というのは、現行憲法のどこにも自衛権の規定はない。
しかし、主権国家として、「座して死を待つはずがない。」故に、必要最小限の自衛権は持ちうるというのが法理。この解釈は、現行憲法が機能する間は維持されるということです。
 一方、解釈における必要最小限度のこの適用できる範囲は、ここ数年の情勢の変化により、変わるんだ。また変わらなければならない。そしてそれは情勢に応じた政治判断として行われるということで、そこに着目してやっていこうということなんです。

 そこで昭和56(1981)年当時、冷戦最中において、むしろ我が国が地政学的に反共の防波堤であり、我が国の防衛のために米軍の来援を確実にすることが重要であって、必要最小限の範囲を、個別的自衛権の範囲で問題はなかった。
 当時の衆議院議員稲葉誠一君提出の「憲法、国際法と集団的自衛権」に関する質問に対する答弁書で「集団的自衛権の行使が憲法上許されないことによって不利益が生じるというようなものではない。」というのであった。
 しかし、今日、日本が日米同盟を強化して対応すべき脅威が非常に多様化して、例えば近い将来、北朝鮮が米本土に達する長射程ミサイルを完成させ、まだ我が国もICBMを迎撃できるミサイル防衛能力を整備した時にですね、我が国が当該ミサイルを迎撃することは、我が国の必要最小限の自衛権の範囲と解すべきだと。
 つまり現在、あるいは近い将来において、我々が政治判断する集団的自衛権の一部を必要最小限と解すべき状況にある。という考えです。

 必要最小限という文言をとらえて、クリアしようというのが、国家安全保障基本法案の考え方なんですね。

 法案には、国際連合憲章に定められた自衛権の行使については、必要最小限度とすることなっています。


 憲法改正のポイント


 憲法改正のポイントですが、これはやっぱり9条を変えなければどうにもならない。
「自衛隊は軍隊ではない」というわけですから。集団的自衛権という問題もありますから、それ以上に、日本には軍隊がないという。それでいながら自衛隊があるみたいな話ですから、それでは何としてでも憲法第9条を変えてですね、それからもう一つは、非常事態の問題。
 日本国憲法というのは平和時のことしか憲法に書いていない。有事のことは一切書いていない。そういうおかしな憲法。そういう意味では有事のこと。すなわち非常事態の規定についてはキチッと入れないといけないということなんです。
 有事法制を議論している時に、日本は有事法制を作ってはいけないんだ。憲法からみると有事法制は、憲法違反なのではないかというような議論もあったことがありますので、そういうのをキッチリ出す必要がある。

 それから憲法の前文ですね、やっぱり憲法の前文というのがおかしい訳だから、なにせ日本が悪かったから戦争が起きたという話ですから、日本さえ悪いことをしなかったら、周りの人はみんないい人なんだから、そんな書き方で、そういう状況ではない訳ですから。
 日本だって一生懸命、平和を考えようとしているわけだから。そこはだからきちんと考えていく必要があるということなんですね。(以下、略)

shige_tamura at 09:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2012年11月24日

講義録(2)・「憲法9条と自衛隊」田村重信

国家基本
 尾崎行雄記念財団「咢堂塾」特別記念講演会
【講師】田村重信氏(自由民主党政務調査会調査役)講演「日本の防衛政策」
12月12日(水)18時〜20時 尾崎行雄記念財団(憲政記念館、参加費無料)のお知らせ。


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 自民党の政権公約が発表されてから、「国防軍」「集団的自衛権」などが大きくクローズアップされています。
 そこで、今、なぜ憲法改正が必要なのか?
 9月15日、櫻井よしこ氏からの依頼で国家基本問題研究会で「憲法9条と自衛隊」のテーマで講義しました。
 その講義録を掲載します。
 これを読めば、お分かりいただけるかと思います。(その2)


 冷戦の終焉と湾岸戦争ショック


 次が冷戦の終焉と湾岸戦争ショックです。
 これは1989年に、冷戦が終ったということ説が一つあります。それはドイツのベルリンの壁が崩壊し、その年にマルタ島で米ソ首脳会談がありました。またその年にですね、中国では、天安門事件がありました。

 1991年にソ連邦が崩壊しロシアになった。だからその時に冷戦が終わったという説です。1989年という説と、もしくは1991年という二つの説があります。
 それと日本として非常に大きかったのが、湾岸戦争ですね。
 湾岸戦争によってですね。日本は、たくさんお金を出したんですが、あまり評価されなかった。
 湾岸戦争が終わってから、海上自衛隊の掃海艇がペルシャ湾へ行った。その激励のため僕は、山崎拓議員、村上正邦議員他と一緒にバーレーンに行きました。同時に、クウェートにも行き、当時クウェートが湾岸戦争に尽力した各国に「感謝し、協力してくれた、助けてくれた国」に対しての感謝意見広告をアメリカの新聞等に出した。 しかし、その中に日本の国名が無かった。そこで、これはどういうことか?ということで、山団長からクウェートの皇太子に質問した。
 皇太子は「それは軍事的に貢献があったところだけにしたんだ」ということを明確にしたんです。
 でも今回、掃海艇を出したから、「心から感謝します。」ということだったんです。

 この時に、結局、国際貢献というのは、それは何かというと人的貢献=軍事貢献なんです。
 それで日本は慌てて、掃海艇を出す前の当初は、多国籍軍の後方支援をするための国連平和協力法案を作ったんですが、これはやはり国会答弁をうまくできなくて、憲法との問題が一番大きいわけですけれども、それで廃案となった訳です。
 その結果、掃海艇を出したのです。

 その後、国際貢献を必要性からPKOの法案を作った。
 これもPKOの法律でも、海外での武力行使はできないとかありますから、政府の憲法解釈と齟齬がないように参加5原則を決め、PKOの法律となるわけです。
 この5原則は全部法律の条文として埋め込まれている。そうすることによって、PKOの法律ができたわけです。

 そういう意味では、冷戦の終焉と湾岸戦争は、日本にとってもの凄く大きなショックだったんですね。
 ちょうど僕が国防を担当することになったのは、湾岸戦争が終わった海上自衛隊の掃海部隊が出発した後ぐらいから国防部会担当となりました。

 その頃、防衛関係の法律というのは、二つです。
 自衛隊法と防衛庁設置法ぐらいだった。
 ところが今は、たくさん法律ができまして、どういうわけかその法律の全部に僕が関係しました。部分的には、関係している役所の方、政治家の方がいますけれども、僕は今までのそうした法律関係の全部に関わっています。

 その成果が、一つのこの本になっている訳です。『日本の防衛法制 第二版』(田村重信編著、内外出版)という解説書になりました。700ページを超える本になりました。


 自衛隊は、軍隊ではない。集団的自衛権の行使は?


 「自衛隊は、軍隊ではない。」ということの説明をしたいと思います。
 憲法9条は、「憲法第9条は、自衛権を認め、戦争放棄、戦力不保持を規程」ということですが、政府の第9条解釈は、「我が国が独立国である以上、憲法第9条は、主権国家としての我が国固有の自衛権を否定するものではない」ということです。
 戦争の放棄については、国際紛争を解決する手段としての戦争、武力による威嚇、武力の行使を放棄するというものです。
 戦力の不保持については、第9条第2項で、「戦力」の保持を禁止している。
 だから、戦力である軍隊は存在しないことになっている、となるのです。

 そして、自衛隊の保持については、第9条第1項は、「独立国家に固有の自衛権までも否定する趣旨のものではなく、自衛のための必要最小限度の武力を行使することは認められている」ということから、自衛のための必要最小限度の組織である自衛隊は、「武力の行使ができる組織」ということになるわけです。

 『文藝春秋』(10月号)にも阪田雅裕元内閣法制局長官が「9条解釈」について言っていましたけれども、一つは、「自衛隊は違憲ではない」、もう一つは、「海外での武力行使はできない。」、この二点に尽きると。
 これを踏まえて集団的自衛権は行使できないということになる。

 憲法9条の意味は、「集団的自衛権を認めることは、日本国民に現実に危害が及んでいないときに、よその国にでかけて行って戦争することができる。国際法上、権利があることは全てやらないといけないか、そうではない。」というような言い方をされています。
 例えば、オーストリア憲法は、国際法では認められている軍事同盟に加入する権利を否定していると言うのです。


 芦田修正の意味


 次に「芦田修正」の問題にいきます。
 これは芦田均さんが、政府原案(総司令部案)の第9条1項の冒頭に「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」と挿入し、さらに2項の冒頭に「前項の目的を達するため」という文言を衆議院の審議の過程で挿入した。
 この修正により、日本が防衛のためであれば軍隊の保持が解釈上可能になったことに極東委員会が気づき、ソ連などの強い要請によって、いわゆる文民統制条項ですね「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」(第66条2項)という文言が挿入されたのである。
 それが入ったということですね。

 だから、集団的自衛権が憲法上認められるということは、芦田修正からいけば、「我が国は世界に平和主義をアピールしながらも、自衛のための戦力を持てるようになる」これを活用すればうまくいくのではないかという説がありますけれども、政府解釈はそれを取っていないんですね。

 それは芦田修正を巡る議論ということです。
 平成24年2月の衆議院予算委員会で、石破茂衆議院議員が、いわゆる芦田修正について、自衛隊合憲の根拠になっているのではとの質問に、政府はそうじゃないんだと反論しているわけです。
 それは政府がとっている解釈は、芦田修正に依拠して政府は、自衛隊の合憲性を説明しているのではという議論が同予算委員会でなされましたが、政府の藤村官房長官の答弁で、

「政府解釈、今日までずっと答弁してきたのは、これは短く言ってしまいますと、1項で侵略戦争を禁じている。それから、2項で全ての戦力と交戦権の保持を禁じている。
 その結果、自衛戦争も禁じているのではないか。
 そこで、しかし、国際法上、日本は国家として当然の権利である自衛権を有するということですので、したがって、自衛行動は憲法上許される。自衛のための、戦力に至らない必要最小限の実力という保持もこれは合憲である。
 そこで、自衛隊は、自衛のための、戦力に至らない必要最小限の実力であるために合憲であるという……」という説明がなされていて、いわゆる芦田修正にはよっていないことが改めて確認されたところである。
―ということです。


 国内と海外で異なる自衛隊の立場


 一番おかしいと思うのは、国内と国外で自衛隊の立場が違うということですね。
 日本の国会で「我が国には、軍隊はあるのか」といった場合、「無いんだ。」という答弁になるんですね。

 それは佐藤栄作総理の答弁なんかも「自衛隊を、今後とも軍隊と呼称することはいたしません。はっきり申し上げておきます。」(昭和42年3月31日)ということなんです。
 これがそのまま、ずっときておりまして、平成2年(3月31日)の中山太郎外務大臣の答弁も「自衛隊は、憲法上必要最小限度を超える実力を保持し得ない等の厳しい制約を課せられております。通常の観念で考えられます軍隊ではありませんが、国際法上は軍隊として取り扱われておりまして、自衛官は軍隊の構成員に該当いたします。」と述べている訳です。
 小泉純一郎首相も平成13年10月に同様の発言をしています。

 自衛隊は、国際法上軍隊として扱われている一方、日本国内では軍隊ではなく「自衛隊」と呼称するというように、二重の扱いがなされるところとなっている。
 ここが僕は憲法改正すべき、一番重要なところだと思います。

 日本の憲法からいえば、「軍隊ではない」、「外国からみれば軍隊だろう」、「でも国内では政府答弁上、軍隊ではない」ということになるんです。
 ここをやっぱり、きちんと整理するということが、今後の憲法改正の最大の課題なのではないかと。
(続く)

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講義録(1)・「憲法9条と自衛隊」田村重信

櫻井よしこ
 尾崎行雄記念財団「咢堂塾」特別記念講演会
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12月12日(水)18時〜20時 尾崎行雄記念財団(憲政記念館、参加費無料)のお知らせ。


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 自民党の政権公約が発表されてから、「国防軍」「集団的自衛権」などが大きくクローズアップされています。
 そこで、今、なぜ憲法改正が必要なのか?
 9月15日、櫻井よしこ氏からの依頼で国家基本問題研究会で「憲法9条と自衛隊」のテーマで講義しました。
 その講義録を掲載します。
 これを読めば、お分かりいただけるかと思います。

 
 平成二四年九月一四日
 国家基本問題研究会
 田 村 重 信


 日本の国益


 先日、櫻井よしこ先生とお会いした時に、国益の話が出ましたので、その話からしてみたいと思います。
 国益とは何か。
 2009年7月、尾崎記念財団の『世界と議会』という冊子に「日本の防衛政策私論」という論文を書きまして、その最初に国益とは何かということを書きました。

 国の安全保障・防衛政策を考える上で重要なのは、「国益」がいずこにあるかを明確にすることである。
 国益とは何か、ズバリ、国家が続くということだ、と述べました。

 米国の場合は、国益、国家目標を明確にしています。
 国益を、〇牾菘に重要な国益、⊇斗廚聞餘廖↓人道的及びその他の利益の三点に分類し、さらに国家目標を、(胴颪琉汰簡歉磴龍化、∧胴颪侶从冏鳳匹梁タ福↓3こ阿砲ける民主主義、自由、市場経済体制、人権などの価値観の促進・拡大としています。

 これらを達成するために、米国は、グローバルな国家戦略と国家安全保障戦略を策定し、その下で、外交政策と国防政策等が立案され、遂行されています。これにより、米国は力強いダイナミズムを体現し、世界を先導する国として存在し続けているのです。

 一方、日本はどうかというと、
 日本では、国益も国家目的も明確な定義がなされていない。なんとなく明確な定義が有るようで無いような感じがします。まさに国益とは、平和と繁栄の継続だと考えられます。

「盛者必衰の理」の言葉が示すように、歴史上、栄華を誇った国家でも必ず衰え或いは滅亡しています。国家の平和と繁栄のために、国家を継続しなければなりません。
 そのためには、日本ですから、やっぱり日本及び日本人、日本民族としてのアイデンティティ、あるいは価値観というものを共有してやっていくことが重要なことだと思います。

 それが元になって、国家の安全保障、経済、社会保障が総合的に推進されなければ、国を継続することができなくなります。

 諸外国との相互依存関係が強まった現代社会においては、一国のみで生存してはいけず、他国からの影響を受けざるを得ないわけです。

 しかし、「日本人としての価値観」、すなわち、自由と民主主義を愛し、基本的人権を尊重し、そして永く伝えられてきた文化だとか伝統を教え・伝え、育んでいくという強い意志こそが、日本を存続させ、日本が世界で価値ある存在であり続ける基本ではないかと思います。

 国家は、様々な困難を乗り越え、そして繁栄するために、国民ひとりひとりが愚直なまでに伝統を継承し、自らの意義を問い続け、そして、それを発露していく。伝統に支えられたこの努力こそが日本のアイデンティティであり、国家の基本となるものであると考えます。

 また、断絶することなく継続してきた日本という国家は、世界においても稀有な存在であり、その根底には、自らの身を省みず国家・国民の安寧だけを一心に考えてこられた天皇の存在があります。戦後の象徴となった後も国民の心の支えであり、国家の柱としてあり続けています。このことは日本人として誇りとすべきことです。

 日本が長く続く、その中心、基本には、最も大事なものがあります。
 それは日本で最も長く続いてきているもので、それが天皇であり、我々は、ここをきちんと大切にしていく気持ちが非常に大事なのだと、と考えているわけです。


 軍隊の持てない憲法=吉田・野坂 論争

 それでは本題の「憲法9条と自衛隊」について説明したいと思います。
 日本国憲法ができたときはまさに「軍隊が持てない憲法」ということで出発したわけです。「吉田・野坂 論争」というのが有名です。
 昭和21年6月28日、衆議院の憲法草案審議の際の吉田首相と野坂参三議員(日本共産党)との質疑に現れています。

 野坂さんは、「戦争には我々の考え方では二つの種類がある。一つは正しくない不正の戦争である。これは日本の帝国主義者が満州事変以来起こしたあの戦争、他国征服、侵略の戦争がある。これは正しくない。同時に、同時に侵略された国が祖国を守るための戦争は我々は正しい戦争と言って差しつかえないと思う」と言っている。

 それについて吉田さんは、「国家正当防衛権による戦争は正当なりとせらるるようであるが、私はかくのごときことを認めることが有害であると思うのであります。近年の戦争の多くは国家防衛権の名において行なわれたることは顕著なる事実であります。故に正当防衛権を認めることが戦争を誘発するゆえんであると思うのであります。野坂氏のご意見のごときは有害無益の議論と私は考えます」ということで、
皆さんも良くご存じのことで、吉田さんはマッカーサー・ノートと全く同じ考え方を示している。

 この背景には、吉田首相と占領下の総司令部との厳しい関係があり、また、日本が国際社会に復帰するためには戦争放棄の憲法が有利に働くということもあった。
 当時の国民に対して、食糧の確保が重要であって、憲法とか政治というのは、そのためには横に置いておくということでありました。


 警察予備隊の発足

 そういうことで出発したのですが、ところがそれに大きな変化がありました。
 それは冷戦の激化です。
 冷戦の激化と占領政策の変更。これは朝鮮戦争によって大きく変化したということ。冷戦の激化によって、マッカーサーは理想的な戦争放棄の考え方を変更せざるを得なくなった。
 それは、昭和25年(1950年)6月25日の朝鮮戦争の勃発による。その結果、7月8日、マッカーサーは吉田首相に、7万5千人の警察予備隊の創設を求めた緊急指令を出すことになる。マッカーサーは、国際軍事情勢の激変を読み違い、日本の軍隊不保持の政策を訂正せざるを得なくなった、ということですね。それは当然ですね。

 朝鮮戦争になれば、日本を守っていた米軍が、米国の在日駐留軍が朝鮮半島に行ってしまうということですから、じゃあ日本の安全はどうするか、自分のことは自分で守らなきゃダメだよということになったわけです。

 米国の命令によって警察予備隊が創設されることになります。
 その当時の「警察予備隊の実力は戦力にあたらない」という答弁になる。その戦力にあたらないという答弁が、「自衛の目的といえども戦力は保持できない」から「自衛のための必要最小限度を超えるものはダメ」というその後の自衛隊の憲法解釈にも影響を及ぼすということになるんですね。


 西ドイツとの違い

 だからこの時に、警察予備隊ができて、このあと保安隊ができて、そしてその後、自衛隊ができていくわけですね。それがどうやってできていくかというと、法律を改正することによってできていくわけです。

 敗戦国の西ドイツ、現在のドイツですね。同じでした。
 ドイツも憲法に変わる基本法がある訳ですけれども、軍隊不保持でした。
 ドイツの場合もやっぱり、朝鮮戦争がキッカケで、西対東の争い。そのなかでどうするかというようなことも色々あってですね、軍隊を持っていなかったけれども、どうするか?当時、猛烈に国内で憲法改正論議を行って、憲法を改正してですねドイツは軍隊を持ったということです。

 それに比べれば、日本は、まだドイツに相当遅れている状況だということですね。

 戦後一番決着を付けないといけないのは、軍隊の問題について憲法第9条を改正するということになる訳です。
(続く)

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2012年04月16日

講義録・佐藤一斎の生涯(福井昌義・日本論語研究会幹事)(その4、終わり)

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 佐藤一斎の生涯(福井昌義・日本論語研究会幹事)
 これは4月7日(土)慶應義塾大学に於いての「日本論語研究会」での講義録です。非常に良い内容です。
 以下、掲載します。


(『言志四録』から六つ)

 最後に、『言志四録』の中から私の好きな言葉を6つ紹介します。
 原文の部分は、二度読みます。

 惴聖嶇拭26条
 事を慮るは周詳ならんことを欲し、
 事を処するは易簡ならんことを欲す。

(現代語訳)

 物事を考える場合には、周到かつ綿密でありたい。
 そして実行する段階になったら、素早く行いなさい。
―となります。
 私の経験上、考えながら行動すると、たいがい失敗します。考えるときは、とことん考えて、行動するときは心配事を断ち切って無心になることが大切です。
 ビジネス『論語』活用法の著者である、経営コンサルタントの小宮一慶氏は、「ビジネスで成功する人は、皆例外なくせっかち」と述べられています。つまり、すぐ行動することにより、失敗も成功も良いことも悪いことも、経験する回数が多くなります。経験値が上がれば人間は、一つ上の階段を登ることができます。
 せっかちであれば、事前の準備がしっかりできるので、気持ちに余裕が生まれます。
 ですから私は、大きなメリットがあると思います。

◆惴聖峺縅拭33条
 春風をもって人に接し、
 秋霜をもって自ら粛む。

(現代語訳)

 春風のような暖かさで人に接し、秋の霜のような峻厳さで自分の行ないを正す。
 つまり、「他人には優しく、自分には厳しく」ということを表した言葉です。ところが、世の中はこの言葉とは逆に自分に甘い人が多い気がします。自分の至らぬ点などおかまいなしで、人の欠点ばかりを指摘し、他人の忠告に耳を傾けようとしません。そうすることにより、人がどんどん離れて行きます。
 思い当たる人は、この言葉を肝に銘じてはいかがでしょうか。

『言志後録』68条

 好みて大言をなす者あり。
 その人必ず小量なり。
 好みて壮語をなす者あり。
 その人必ず怯愞なり。
 ただ言語の大ならず壮ならず、中に含蓄ある者、
 多くはこれ識量弘恢の人物なり。

(現代語訳)

 世の中には、よく大きなことをいう者がいるが、そんな人はだいたい度量が狭い。
 また、強がりをいう人がいるが、そんな人は必ず臆病な人である。
 大言でもなく、壮語でもなく、言葉の奥に深い意味を含んでいる人こそ、見識が高く、度量も広い人物である。
 私もそうなれるよう、研鑽を積んで行きます。「弱い犬ほどよく吠える」の格言通りではないでしょうか。

ぁ惴聖峺縅拭198条

 人主の学は、智仁勇の三字に在り。
 よくこれを自得せば、ひとり終身受用して尽きざるのみならず、
 しかも掀天掲地の事業、憲を後昆に垂るべき者も、また断じてこれを出でじ。

(現代語訳)

 リーダーになる者が学ぶべきことは、智・仁・勇の三文字にある。
「智者は惑わず」「仁者は憂えず」「勇者は恐れず」の三つを身につければ、生涯道を誤ることもなく、驚天動地の事業も成し遂げられるし、後世に立派な手本を遺すことができよう。
 この三文字を身につけて断固として実行しよう。
 となります。『論語』にも出てくる有名な言葉です。
「智者」は、分析力・判断力の高い人物。「仁者」は、周りの人を人として認めて接する、思いやりの心を持った人物。「勇者」は、困難な状況でも是非の判断に沿い行動する人物。を指しています。
 ちなみに、1993年(平成5年)7月22日、自民党両院議員総会で宮沢喜一氏が、総理退陣を表明した際の最後の挨拶に、「智者は惑わず」「仁者は憂えず」「勇者は恐れず」を引用しています。

 今、橋下徹さんの大阪維新の会が話題を集めていますが、当時は、細川さんの日本新党、小沢さん・羽田さんの新生党、武村さん・鳩山さんの新党さきがけ、が結成され注目されました。残念なことに、現在残っている政党は一つもありません。その後、誕生した新進党、それから保守新党、政党名に新という文字が入ると長く続きません。今、国民新党が連立維持派と連立離脱派に対応が分かれ危ないところです。
昨日ニュースを見ていたら、亀井静香氏が代表のまま離党すると記者会見してましたね。
 大切なのは、継続すること、続けることです。
 

 一斎の学問は大きく分けると二つのことに尽きるのではないでしょうか。
 一つは自分自身を治めること、もう一つは治者の心得のことであります。
 治者とは政治家や官僚のことで、その立場にいる者は、どんな見方、考え方をしたらいいのか、つまりリーダー論と考えていいでしょう。
 そしてその根底のあるのは徳(人としての道)を明らかにすることです。徳を明らかにするとは国を治めること。国を治めることを明らかにするためには家を治めること。家を治めるとは、要するに自分を治めることであります。さらに、自分を治めるとは自分の心を深く治めることです。つまり、自分の心を治めることが、真理に到達します。
 話が少しそれたので、元に戻します。

ァ惴聖嵌嬾拭13条

 一燈を提げて暗夜を行く。
 暗夜を憂うることなかれ。
 ただ一燈を頼め。

(現代語訳)

 暗い夜道を一つの提灯を提げて行く。どんなに暗くても心配する必要はない。
 ただ一つの信念を信頼して進めばよいのだ。ここでの一燈とは、「私にはこれがある。」と思えるもののことを指します。何か一つでも得意なものがあれば、困難を乗り越えられることを表しています。

Α惴聖耊録』125条

 口舌をもって諭す者は、人従うことを肯ぜず。
 躬行をもって率いる者は、人効うてこれに従う。
 道徳をもって化する者は、
 すなわち人自然に服従して痕跡を見ず。

(現代語訳)

 口先だけで人を諭そうとしても、誰も従ってはくれない。みずから先頭に立って実行すれば、人はみなこれに見習うものである。そしてさらに道徳をもって感化すれば、人は自然に一人残らず心服してついてきてくれる。
 この言葉からやはり、リーダーは率先垂範が大切であることを教えてくれます。
 連合艦隊司令長官として真珠湾攻撃を指揮した、山本五十六元帥の言葉に「やって見せ、言って聞かせ、させてみて、誉めてやらねば、人は動かじ。」とあります。
 また、世界のホンダといわれた本田宗一郎氏は生前、日本人は、失敗ということを恐れすぎるようである。どだい、失敗を恐れて何もしないなんて人間は最低なのである。と述べられています。


(何もしたがらない原因)

 一般的に、何もしたがらない原因は三つあると思います。
 一つ目は、変化を嫌がる心です。新たなことにチャレンジすると苦労は避けて通れません。それを嫌がって、怠けてしまうのです。
 二つ目は、失敗を恐れる心です。「失敗したらどうしよう。」「失敗したら恥ずかしい」と考え、自分をかばうために行動しないのです。
 三つ目は、手順がわからないという不安です。意欲はあるものの、どうやってよいのか、手順と方法がわからない。だから行動につなげられません。
 これら三つのうちのどれか一つ、または複数を言い訳にして、「また今度にしよう」と先延ばしにしてしまうのです。

 山本五十六元帥、本田宗一郎の言葉から、一番よくないことは、何もしないことだと私自身強く感じます。

 先程私が読んだ『言志録』26条にあったように、「何かやろうと思ったら、すぐ行動する。」これに尽きるのではないでしょうか。
 今回『言志四録』を読んで感じたことは、一斎の教えは、決して過激なものではありません。


(上り坂・下り坂・ま坂)

 人間の生き方の基本を短い言葉でわかりやすく表現しています。
 彼が亡くなり153年も経っています。
 当時とは比べものにならないほど、科学技術が進歩・発展していることは間違いない事実です。しかし我々が日常生活で悩むことと言ったら、仕事や人間関係がほとんどではないでしょうか。
 そのことは、生活する環境が違っても当時とあまり変わっていないと思います。私自身ブレない生き方ができるように、今後も一斎の言葉を意識し日々精進して行きます。

 ある人が坂には、三つあると言いました。
 上り坂・下り坂・そしてま坂です。

 私が29歳で慶応義塾大学の教壇に立つことができたのは、ま坂に入ります。私にとって最高に運の良いま坂になりました。
 最後になりますが、本日それぞれの御用を割いてお越し下さった皆様に、心より感謝申し上げます。
 次の阿部祐太さんに、バトンタッチし、終わりとします。
 ご清聴、ありがとうございました。
天人




カラオケDAMにぼくの歌「天に向かって!」が入りました。
「日本を美しく!」も入ってますので、2曲になりました。よろしく!

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2012年04月13日

講義録・佐藤一斎の生涯(福井昌義・日本論語研究会幹事)(その3)

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 佐藤一斎の生涯(福井昌義・日本論語研究会幹事)
 これは4月7日(土)慶應義塾大学に於いての「日本論語研究会」での講義録です。非常に良い内容です。
 以下、掲載します。


(佐藤一斎の生涯)

 前置きが少し長くなりましたが、ここから本題、佐藤一斎の生涯についてお話します。
 一斎は、歴史上の有名な人物にものすごい影響を与えています。が、しかし、本人の知名度はお世辞にも高いとは、言えません。
 そこで今回どういう人物なのか調べて見ようと、思い立ったことが発表の動機です。
 皆さん、お手元の略年譜をご覧下さい。

 一斎は、1772年(安永元年)10月20日、美濃岩村藩(現在の岐阜県)の江戸下屋敷で佐藤信由の次男として生まれました。
 一斎が生まれる以前に、長男を幼くして亡くしていたため、佐藤家では、三男小菅信久を長女の婿として養子に迎えます。そこへ一斎が生まれたので困った父は、一斎を信久の養子にして家督を継がせることにします。ところがそこへ信久に長男・信義が生まれたので、一斎は跡目をその子に譲って一家を興すことになります。
 この一件があって、一斎の独立心は早くから培われたようです。幼い頃から読書を好み、武芸にもすぐれていました。特に書は名筆家といわれた父・信由譲りの才能を発揮して、頭角を現していたようです。

 少年時代に書いた書は、現在、東京国立博物館に残されています。

 その努力のかいもあって、13歳頃には成人と同じ扱いを受けていたそうです。
 1792年(寛政4年)21歳のとき、儒学で身を立てることを決意し、大坂の碩学・中井竹山に入門します。この竹山という人物は、寛政の改革をした松平定信が政治の指南を仰いだ儒学の大家であります。竹山は一斎の入門を喜び、厳しく朱子学を指導します。1805年(文化2年)、34歳で林家の塾長になります。
 このときすでに一斎の名は高く、門下生が全国から集まります。
 そして、不朽の名著『言志四録』を書き始めたのは、1813年(文化10年)42歳のときです。林家の塾長として講義する間や、終わった後の時間を使って書いています。
『言志四録』は、4つの段階で構成され、『言志録』、『言志後録』、『言志晩録』、『言志耋録』となります。

 私は、一斎について勉強するまでそのことを知らず、『言志四録』というタイトルで1つの本だと思い込んでいました。
 第1編の『言志録』は、246条からなり、11年かけて完成しています。
 第2編の『言志後録』は、255条からなり、10年かけて完成しています。
 第3編の『言志晩録』は、292条からなり、12年かけて完成しています。
 最終編の『言志耋録』は、340条からなり、2年かけて完成しています。
 トータルしますと、1,133条からなります。
 最終編の『言志耋録』を書き終えたとき、一斎は82歳になっています。

 『言志録』を書き始めたとき42歳だったので、何とすごいことに40年間という歳月を費やして、『言志四録』を完成させています。
 この執筆期間には社会の変化が著しく、取り上げるテーマや内容も多岐にわたり、倫理・道徳から政治・経済、芸術・文化と幅広くなっています。
 短い言葉でわかりやすく表現していることから、政財界から文化人、学生にいたるまで広い階層に歓迎され、大きな感銘を与えました。

 なお、『言志録』の書名の由来については定かではありませんが、『論語』からとられているという説があります。
 孔子が弟子の顔淵と子路に「お前たちの志を聞かせてくれないか。」と問いかけます。二人がそれぞれの志を述べた後、今度は子路が孔子に向かって、「願わくば、先生の志を教えて下さい。」と言います。孔子は、「老人には安心されるように、友達からは信頼され、若者には慕われるようになることだ。」と言われたそうです。
 おそらく、この『論語』の記述から名づけられたのでしょう。

 1854年(安政元年)83歳のとき、日米和親条約締結に際し、日本代表の交渉役・林復斎をサポートし、外交文書作成に尽力します。
 そして、1859年(安政6年)9月24日、88歳で帰らぬ人となります。

 墓は、東京都港区六本木の高明山深広寺にあります。
 偶然ではありますが、同じ年の翌月10月27日、吉田松陰が29歳の若さで亡くなっています。
 余談ですが坂の上の雲で登場する「日本騎兵の父」「最後の武士」などと呼ばれた
秋山好古は、一斎が亡くなった年、1859年(安政6年)1月7日に誕生しました。
(続く)

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2012年04月12日

講義録・佐藤一斎の生涯(福井昌義・日本論語研究会幹事)(その2)

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 佐藤一斎の生涯(福井昌義・日本論語研究会幹事)
 これは4月7日(土)慶應義塾大学に於いての「日本論語研究会」での講義録です。非常に良い内容です。
 以下、掲載します。


(今日一日を一生懸命生きる)

 『言志晩録』175条に、

 心は現在なるを要す。
 事未だ来らざるに、向うべからず。
 事已に往けるに、追うべからず。
 わずかに追いわずかに向うとも、すなわちこれ放心なり。
――とあります。

 現代語訳にしますと、

 時間は時々刻々と移り変わるが、自分の心は「現在」に据えておかなければならない。
 時機が到来していないものを迎えることは不可能だし、また過ぎ去って行ってしまったものを追いかけても追いつけない。
 少しでも過去のことに未練をもって追いかけたり、まだやっても来ないものに気を揉んだりするのは、「心の不在」を示すものである。
 大切なことは、今日一日を一生懸命生きることです。

 今日という日は、今日しかありません。


(小泉元総理はなぜ長期政権が可能だったか?)

 『論語』や佐藤一斎の勉強といった人間学を小泉元総理はしっかり学んでいたからこそ、歴代3位の1980日という長期政権を築くことができたと私は考えます。
 歴代3位の記録は抜かれましたが、中曽根康弘元総理についても同様のことが言えると考えます。
 ちなみに私が大学在学中2001年4月から2005年3月にかけまして、ずっと総理は、小泉氏が努めていました。
 残念ながら、その後の総理が1年足らずで変わってしまうので、もっとしっかりして欲しいという気持ちになります。


(佐藤一斎の『重職心得箇条』)

 それに対して小泉内閣で外務大臣として入閣した田中真紀子氏は、外務省問題で官僚との対立があり、1年持たず去っています。問題が起こっている最中、小泉総理は、田中氏に一斎の『重職心得箇条』をプレゼントしています。このとき彼女は、「こんな江戸時代のカビの生えた話など要らないわよ。」と言い放ったそうです。
 とてもではありませんが、『重職心得箇条』の内容を少しでも知っていれば、そんな発言はできないと考えます。

 『重職心得箇条』は、1826年(文政9年)一斎が55歳のとき、重臣向けに書いた指導書です。当時、他に類書がないことから引っ張りだことなり、噂を聞いた諸大名が大金を払って書き写したという逸話があります。

 全部で17条からなります。

 そのうち、第11条と第12条をここでご紹介します。

 第11条

 胸中を豁大寛宏にすべし。
 僅少の事を大造に心得て、狭迫なる振舞あるべからず。
 仮令才ありても其用を果さず。
 人を容るる気象と物を蓄る器量こそ、誠に大臣の体と云うべし。

(現代語訳)

 広くて大きいゆるやかな心の持ち主であることが重職には求められる。
 些細なことに大袈裟に反応して、こせこせ立ち回るようでは、たとえ、どれほど優れた才能の持ち主であろうと、重職失格である。
 どんな人間でも受け容れる広い心、どんな物事でも抱え込める大きな器量こそが、本当の大臣(重職)の姿といえよう。

 第12条

 大臣たるもの胸中に定見ありて、見込みたる事を貫き通すべき元より也。
 然れども又虚懐公平にして人言を採り、沛然と一時に転化すべき事もあり。
 此虚懐転化なきは我意の弊を免れがたし。能々視察あるべし。


(現代語訳)

 大臣たるものは、胸中に確固たる思想・信念を持ち、決めたことを貫き通すようでなくてはならない。しかしながら、虚心坦懐に他人の意見を聞いて、それが正しい意見ならば公平にそれを採用し、自分が下した決定を急遽変更することはかまわない。
 この虚心坦懐に他人の意見を聞き入れる柔軟な気持ちと公平な眼こそが、大臣に必要な資質なのである。もしこれに欠けていると、何がなんでも自分の意見をゴリ押しする弊害の原因となる。よくよく自省することである。

 17条全部理解しなくても、1つでも2つでも知っていれば結果は、違っていたのではないでしょうか。

 今から約11年前の自民党総裁選のとき、小泉元総理と田中真紀子元外務大臣の人気はすごかったと記憶しています。当時、私はテレビでそのすごさに圧倒されました。
 現在、冷静に考えて思うことは、小泉元総理が、国民的人気があるだけでなく、指導者のあり方をきちんと勉強していたのに対し、田中真紀子氏は国民的人気だけで、指導者のあり方を残念ながら勉強していなかったと言えます。
 この差が、在任期間に表れています。
 奥様の田中真紀子氏の方がクローズアップされますが、ご主人の田中直紀氏が、野田内閣の防衛大臣として今大変苦労していますね。
(続く)

shige_tamura at 10:07|PermalinkComments(0)TrackBack(1)clip!

2012年04月11日

講義録・佐藤一斎の生涯(福井昌義・日本論語研究会幹事)(その1)

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 佐藤一斎の生涯(福井昌義・日本論語研究会幹事)
 これは4月7日(土)慶應義塾大学に於いての「日本論語研究会」での講義録です。非常に良い内容です。
 以下、掲載します。


(はじめに)

 皆さん、こんばんは。福井昌義です。いつもこの会の受付を担当し、それが終わると一番後ろの席で話を聞いています。それが今日は一番前に立って話をするということで、今から大変緊張しています。(笑)
 不慣れなものですから、どうぞお手柔らかにお願い致します。

 さてこの日本論語研究会は、過去にプロ野球コミッショナーの加藤良三先生、自民党衆議院議員の小泉進次郎先生、元警察庁長官の山田英雄先生といった名のあるすごい方々が講演なさっています。
 その中において、私のような慶応義塾大学出身でない29歳の若者にチャンスを頂いたことに田村(重信、日本論語研究代表幹事)先生はじめ皆様方に心より感謝申し上げます。
 ちなみに、29歳で話をさせて頂くのは、小泉進次郎衆議院議員以来、約2年振りです。

  
(佐藤一斎は、生涯現役・生涯学習の体現者)

 ここで、皆さんに2つ質問があります。

◎中学・高校の歴史の授業で佐藤一斎を学んだと思う方手を挙げて下さい。
(いらっしゃらないようですね。私も学校の授業で学んでいません。安心しました。)

◎佐藤一斎を知っている方、いらっしゃいますか?
(これは、さすがに多いですね。)
 ご協力ありがとうございます。

 佐藤一斎は、江戸末期の儒学者であり、70歳のとき幕府が設立した唯一の大学である昌平坂学問所の儒官となります。今で言えば、東京大学の総長にあたる人です。 当時の日本には全国に230余りの藩の学校がありましたが、その藩校の中で優秀な成績を収めた者が、さらに昌平坂学問所に進学したのです。ですから、一斎は、優秀な人たちの中の頂点に立つ人であったわけです。

 70歳という年齢は、一般的には第一線の現役職業生活からリタイアしています。このことからも、自らが生涯現役・生涯学習の体現者であったといえます。
 体格が立派で威風堂々としており、眼光は炯々と輝いていたらしいです。老齢になってからも自分で講義を行い、他人に代講させなかったと言います。
 その際には、必ず傍らに刀を置き、右手の扇子を膝に立てて端然たる姿勢で教えていたという、言い伝えが残されています。
 門下生に対し、広い視野でものを見、判断できるよう厳しく教育したそうです。
 一斎の教育の基本理念は、『言志録』第2条の「太上は天を師とし、その次は人を師とし、その次は経を師とす」という言葉に明確に表明されています。
 現代語訳にしますと、「宇宙の真理を学びとれるのが最上級の人物、優れた人物から学びとれるのが第二級の人物、賢者の書から学びとれるのが第三級の人物。」となります。

 天とは、「自然こそ最良の師である」ということを指しています。
 人間には天から与えられた使命が必ずあり、それを果たすことがその人間の生きる価値である。そのことを追求せよ、と語っています。
 もちろん、優れた人物・賢者の書からの学びも重要ですが、そこには人それぞれの 好き嫌いがあり、万人の師とはいきません。それが、順位となって表れています。


(門下生は3,000人)

 驚くべきことに門下生の数は、3,000人とも言われています。
 一斎は、幕府の儒官ですから本来は朱子学専門ですが、その広い見識は陽明学まで及び、仲間たちから「陽朱陰王」の別名を頂いたほどで、その両方から英傑が現れています。
 朱子学系では、安積艮斎、大橋訥庵、中村正直などがおり、陽明学系には佐久間象山、山田方谷、横井小楠、渡辺崋山らがいます。江戸期の財政改革を行った人物としては、代表的日本人に登場する米沢藩の上杉鷹山が有名ですが、山田方谷も松山藩の財政の立て直しを短期間のうちに成し遂げています。佐久間象山門下からは坂本龍馬、勝海舟、吉田松陰、米百俵で知られる小林虎三郎らが輩出しました。

 一方、吉田松陰の「松下村塾」からは、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋といった明治の草創期に活躍した人物が登場します。

 直接の門下生ではありませんが、特に西郷隆盛は、『言志四録』を生涯座右の書とし、気に入った101条を選んで直接自分の手で書き、肌身離さず持ち歩いていたほどです。
 注目すべき点は、彼が自分の手で書いたということです。
 書かなくても、素読を行なっていた時代の人ですから暗記できたと思います。あえて書いたということは、自分の心の中に『言志四録』を染み込ませたかったのでしょう。
 それを、『南洲手抄言志録』として遺しています。
 この書で有名な言葉「人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にし、己を尽くし、人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし」は、隆盛の生き方の基本姿勢でありますが、この言葉のルーツこそが『言志録』第三条にある「およそ事を作すには、すべからく天に事うるの心あるを要すべし。人に示すの念あるを要せず」です。

 現代語訳にしますと、「仕事をする場合は、天に仕えるといった謙虚な気持ちで行うのが大事で、人に自慢しようといった気持ちがあってはならない。」となります。

 明治天皇はこの本を読んで、いたく感服したというエピソードが伝えられています。
 また『武士道』の著作で知られる新渡戸稲造も明治44年に出版した『修養』の中で、随所に一斎の『言志四録』を引用しています。
 幕末から明治にかけて活躍した歴史上の人物は、皆一斎の影響を受けています。
 影響を受けなかった者は一人もいないといっても過言ではありません。


(小泉純一郎首相も『言志四録』を引用)

 最近と言っても10年以上前になりますが(笑)、2001年(平成13年)5月、当時の小
泉純一郎内閣総理大臣が衆議院での「教育関連法案」審議中に、言志四録の有名な一節、

・少くして学べば、則ち壮にして為すこと有り。
・壮にして学べば、則ち老いて衰えず。
・老いて学べば、則ち死して朽ちず

――を引用しています。ちなみにこれは、『言志晩録』第60条になります。

 資料に『言志晩録』第60条が載っています。

 せっかくですから、私に続いて読んで下さい。点のところで区切ります。

・少くして学べば、則ち壮にして為すこと有り。
・壮にして学べば、則ち老いて衰えず。
・老いて学べば、則ち死して朽ちず

 皆さん、ご協力ありがとうございます。

 現代語訳になおしますと、次のようになります。

・少年時代に学んでおけば、大人になってもそれが役立ち、何事かを成し遂げることができる。
・大人になってからも更に学び続ければ、老年になってもその力は衰えることがない。
・老年になってなお学ぶことができれば、世の中の役に立って、死んだ後もその名は
残り、次の世代に引き継がれてゆく。
 
 簡単に言いますと、人間生まれてから死ぬまで勉強ということです。私自身は、子供の頃全く勉強しなかったので、今精一杯学んでいる最中です。

 小泉元総理は、当時の小泉内閣メールマガジンの中で、「総理になってよく思うことは、人生は学ぶことの連続だということです。日々勉強し、努力、精進し、日本のため未来のために精一杯頑張っていきます。」と述べられています。
(続く)

shige_tamura at 11:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2012年02月22日

講演録「日本の政治・安全保障−この国の形を考える」(その6、終わり)

歌『日本を美しく!』がカラオケDAMに入りました。
『天に向かって!』がウガとジョイサウンドに入ってますから、全国のカラオケで僕の歌を歌うことが可能になりました。
 「天に向かって!」「日本を美しく!」(歌・田村重信)が、セントラルレコードのHPからユーチューブで聴けます。

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 第15回 「咢堂塾」講義・2012/01/28 憲政記念館第2会議室

 自民党政務調査会調査役・慶應義塾大学大学院法学研究科・講師:田村重信


 自民党がめざすもの

 ところでだから、お前、自民党だけど何を目指しているのかとよくいわれるのですが、それはやっぱり相馬(雪香)さんが言われた方向を目指すことです。

 そのための資料は、平成20年の自民党綱領の改正です。これに伊吹(文明)先生の解説が出ています。その事務方の責任者を僕が務めたのですが、「誇り高い日本を目指す」んですが、そういうことだとか、やっぱりある程度、「頑張った人が報われる社会をきちっと作っていく」ということが大事なんですね。

 自民党は自由社会のなかで、伸び伸び、生き生きと、競争し、どうしてもダメな人は救って行かなければならない、ということですね。
 そういうことをその中に書いていますので、よく見ていければと考えております。
だからまさに相馬さんが、自分にできること何なんだと。よく、政治家はダメだ、社会がダメだ、というけれども、じゃあ、「あなたは?、私は?、できているか?」ということなんですよ。
 それから、なるほどなとだいぶ悩んで、なるほどな。
 途中でわかったんですけれども、「自分にできることから始める」(相馬雪香)
相手を変えることはできないんですよ。「自分が変われば、相手が変わる。」ということですね。

 ロバート・コンクリートさんが書いた『説得力』という本を読んで、石田さんの本にもまさに書いている。
 「他人(ひと)を変えることって難しいですよ。そんな簡単に他人の心や行動は代えられない。でもね、自分自身なら明日からだって変われるでしょ?他人を変えようと思う前に、まず自分が変わることです。自分の心の奥にある、良心の声に耳を傾ける。そして、少しでも良い自分に変わろうとする――今、みんながそう思えば、世界は今日からだって変わるわよ。」(相馬雪香)
 これなんですよ。

 今回の好きな言葉なんですが、「一燈照隅、万燈照隅」。
 これは一人の人が、そういう気持ちを持ち合わせば、多くの人が、みんな良くなるんだよっていうことです。


 『福祉国家亡国論』

 だからまあ、やっぱり自分の生き方には責任を持つと。ということらしい。
良いことは良いし、
 最近、本当思うんですが、宏池会に入った時に、山本勝市さんという衆議院議員で偉い経済学者という偉い方に本をもらって、『福祉国家亡国論』という本を、最近も読み返したんですよ。
 今やっぱり改めて読んでみまして、ちょっと結論からいうと、「我々が自由な社会を失うまいとする限り、社会保障には限界が無ければならない。限界とはすなわち国民が社会を維持するために、自ら責任を持とうとする意志と力を弱めるところまで、社会保障を進めないこと。さらに、家族や団体の自発的な意志を弱めるところにまで、福祉を広めないこと。そしてそのためには、家族や団体に対する補充の限度を超えてはならない。」
 そこなんですよ。社会保障が全ていいことではない。

 あと、このあとに伊藤達也先生が話をされるということで、資料を少し見たのですけれども、結局ですね、冷戦の前に 国家財政を圧迫させたのは、公共投資なんですよ。ところが平成2年末から、世の中全部変わってですね。結局、公債残高をどんどん積み上げていったのは、社会保障の増大なんですよ。
 税収を歪めてしまう(法人税と所得税の減少)。だから税も直接税中心から間接税に変わらないといけない。そういう意味では、今、野田首相がやろうとしているのは、いいんですよ。自民党も参議院選挙で消費税を10%に上げると言いましたから。そっちにシフトしていかないと。税収は確保できないんです。

 だからそういう意味で日本の将来を考えた場合は、社会保障は良いものだが、どんどん増やせばいいというものではなくて、やっぱり、小泉(純一郎)さんの時に切り込みましたけれども、そうしないと。
 今、我々はどこにいるのか。「見えざる革命」の真っただ中にいるということを考えていかないと、本当に将来のことを考えていかないと、尾崎咢堂さんの考えたことも、我々の将来のことを考えていかないといけないとそういうことを考えていかないと上手く行かにだろうと思います。


 「天は自ら助くるものを助く」「利他の心」

 明治の時代に大ベストセラーになったサミュエル・スマイルズの『自助論』、「天は自ら助くるものを助く」とか、あと福沢諭吉の『学問のすすめ』とか、ああいう考え方が明治の時代にあったから、日本も物凄くうまくいったと思うんですよ。
じゃ、今、こうした考え方で我々は何をしなければならないか。

 特に、今の社会、就職がうまくいかなかったり、そりゃ君、社会が悪いんだから、経済情勢が悪いんだから、君は悪くないんだからといっちゃったら、ダメなんですよ。
 もっと頑張れよ。つらいけれども、他にも上手くいっているひとがいる人もいるじゃないか。もう少し考えろよ。そういうふうにいわないとダメなんですが、どうも今の政治状況がどうだとかという話で、おかしいですよね。
 うちの息子も、そういうことですよね、だから、人間学と歴史教育というのは必要です。究極的には、行きついたのが、相馬雪香さんが言っている「利他の心」を多くの我々が持つことによって、素晴らしい日本が生まれる。


 後悔しない生き方

 最近、高橋さんがね、僕にこれを読めといって僕に持ってきた。
 『男の品格』、白洲次郎名言集というのを持ってきましてね。
 プリンシプル、プリンシプルってなんだろう。何かわからないでしょう。原理・原則、原理・原則を、もって生きれば、人生迷うことはないだろう。プリンシプルに沿って人生を突き進めば、そこには後悔はないだろう。後悔しない生き方なんですよね。

 僕はね、うちのカミさんと結婚するときは、みんな反対だったんです。
 ウチも反対、マミさんの所も反対。
 台湾では、若い時に教育を受けていますから、日本人は悪いという。カミさんの親せきの若い連中が、そう言っていました。
 でもね、それで宏池会にいる時、『自民党戦国史』という伊藤昌哉さんの本にも出てくる占いの大人物なのですが、その方に占ってもらった。
 そしたらね、「田村君、この結婚する?君にとってプラスだよ。いいよ。」そう言われたって田舎の母に電話したら、「あ、それならいい。」というんですよ。(笑)

 その時に僕は思ったんですよ。当時、流行った映画で、「ラブストリー」後悔しないこと、 あとね『されどわれらが日々』の柴田翔・芥川賞作家の短編小説『鳥の影』に影響された。それは何かというと若い時に、自分が出世するために、好きでない女の子と結婚しちゃって、ある日、公園でみたら小さい女の子がいる。昔、自分が好きだった女の子とそっくりでね。その子を犯しちゃって、牢屋に入った。というそれだけの話なのですが、だから思ったんですよ。

 占いの先生が「田村君、君ね、日本人同士で結婚したって、離婚は多いいんだから、そんなの関係ないじゃないか。」といわれ、自分の友達からは、「おい、田村、絶対離婚するからな」と言われましたが、やはり離婚してもね、結婚しないで、ずーといるとしていたら、どんどん夢だけが膨らんでしまって。

 結婚はして、ダメならダメでいいんだと。凄いですね。まだ続いていますね。そういう意味で白洲次郎の生き方と、僕の生き方は、ちょっと似ているかな。(笑)


 「経済成長という麻薬」

 最後に1月18日の朝日新聞に、「経済成長という麻薬」というコラムがありまして、フランスの経済学者のダニエル・コーエンさんが、こんなことを言っているんですね。
 幸せを感じるときは、成長が加速するという時。
 大きな幸福感が出るときというのは、大変残念ながら、日本も経験したように、全てを破壊する戦争のあと、とても大きな苦しみのあと、30年に渡って、幸せを感じることができた。
 今、懐かしくALWAYS3丁目の夕日なんかみると、僕なんかは、いやあの時代は良かったなという感じがしますが、あの頃は小学校6年だから、僕は体操に憧れていまして、中学で体操部に入ったんですよ。でもすぐに止めましたけれどもね。
 あと人間が成長の無い世界に行くことは考えにくい。しかし今までと性質が異なる。理にかなった成長を送らざるをえない。例えば、地域の成長だったり、医療の成長だったり、いずれにしても物質的なものではない成長だと。
 
 21世紀はどうなるんでしょう?と聞かれたら、
 必ずしも生きていくうえで楽しい時代にはならない。人間の本質についての新たな見方や価値観が出てくるであろう。
―ということなんです。


 幸せは自分の中に、『論語』を学ぶ

 だからこれからは、日本社会の幸せの見つけ方というのは、自分自身。
 自分自身でしっかりとつかんでいくことなんだろうと思います。
 それがまさに『論語』なんです。そういうことを勉強しなければならない。
 なぜ、そういうことを学ばなければならないか。
 例えば、豊臣秀吉みたいな男は、どん底から這い上がりましたからね。自分で生きていくうちに偉くなるんですよ。それでもお同じ戦国時代でも、2代目といわれている殿様はどうするか。学んだんですよ。『篤姫』というドラマがありましたね、あの時、篤姫に殿様が何を勉強しているんだ。『四書』でございます。これは『論語』、『中庸』、『孟子』、『大学』。

 ちょっと勉強している人なら、「正心誠意」という言葉が、どこから来ているかそれは『大学』から来ているということをわかっている。
 それをわからないから、総理大臣もそうだし、周りもそうだし、ジャーナリストもそう。誰一人、間違いを指摘できない。間違いなんです。なぜ、演説のなかで「正心誠意」という言葉を使いましたか、「誠心誠意」というのはこうでしょう。
 どの辞書にもこの字(正心)は無い。だから小学生が、先生から「セイシンセイイ」と書いてくださいといったら、この字(正心)を書いたら間違いなんです。内閣総理大臣が国会の所信表明演説で、誤字で説明した。この言葉(正心)を使うなら、カクカクシカジカだと説明しなければならない。それが言えないでしょう。勝海舟の「氷川清話」から来たというと、財務省の勝さんから聞いたのかと、言われるから恥ずかしくていえなかったんだと思います。まずいでしょう。

 総理の側近に言いましたよ。総理がそう説明したから、そのように説明したと。
 でも一般の人は優秀ですよ。投書で総理大臣が使った言葉は間違いではないかという指摘があった。でも新聞社は放っておいた、ということなんですね。

 だからまさに、我々が、これから幸せをみつけようとしたら、そういうことなんです。教育もされていない、経験もない、我々が人間学を学ぶとしたら、学問で学ぶしかない。その学問は、『四書』なんです。ということなんです。
 天皇陛下も何を学ぶと思います。『論語』です。『論語』を学ぶんです。天皇陛下という立派な人間が、立派な方が、育てられるんですね。そういう意味においてはまさにこれまでの幸福を、自分自身に見つけるのは、まさにそういうことなんです。それが『温故知新』ということなんです。古きを訪ねて、新しきを知る。古きを訪ねて自分をじっと見つめ直す。ということがですね。

 それが今の日本社会に非常に必要なことなんだということをお話しして今日の講演を終わりにしたいと思います。
(拍手)

-----------------------<質疑応答>----------------------------------

(石田さん)安全保障
また田村先生にお来こし戴きたいと思います。
よろしくお願いします。もう一度田村先生に拍手をお願いします。

以上

shige_tamura at 12:15|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!
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