2017年11月30日

英断か投げ出しか 希望の党代表を辞任した小池百合子氏の「政治史」を徹底検証

(産経新聞より)11/29(水) 16:00配信

 「小池は飛行機事故で死んだと思ってください」。東京都の小池百合子知事(65)は、平成4年にキャスターから政治家に転身する際、テレビ局の幹部にこう語ったという。いきなり大きな決断をして、手品のように目の前から姿を消す。小池氏が11月14日に希望の党の代表を辞任したのは、その本質が変わっていない証左だ。次々と新機軸を打ち出す行動力は、裏を返せば「投げ出し」批判の対象にもなる。小池氏の「政治史」を振り返る。

■黎明期

 小池氏は4年の参院選で日本新党で初当選した。候補者として白羽の矢が立った最大の理由はキャスターとしての知名度だった。中東への留学を経てアラビア語の通訳をしていたところ、テレビ局幹部を通じて政治評論家の竹村健一氏(87)と知り合った。その縁で、昭和54年に日本テレビ系「竹村健一の世相談義」のアシスタントとしてキャスターデビューを果たした。

 政治家とのつながりは、当時からあった。自民党ベテラン議員が振り返る。

 「静岡・熱海のホテルで政治家や役人を集めた竹村氏の会合があり、すごい美女がお酌をしてくれたことを、はっきりと覚えている。それが小池さんだった。竹村氏を通じて人脈を広げていた」

 63年にはテレビ東京「ワールドビジネスサテライト」の初代メーンキャスターに抜擢された。そこにも恋々としない。日本新党のトップだった細川護煕元首相(79)に口説かれ、キャスターを辞して参院選に出馬した。慰留したテレビ局幹部に対する殺し文句が、冒頭の「飛行機事故で死んだ」発言だった。

■政界渡り鳥

 小池氏は平成4年の参院選で当選後、翌5年には参院議員を辞職して衆院にくら替え当選して以降、日本新党から希望の党まで6つの政党に所属してキャリアを重ね、「政界渡り鳥」と称される。よく指摘されるのが、時の権力者である男性と行動をともにすることで、自らのステップアップにつなげたとされる点だ。

 細川内閣で総務政務次官に就任し、日本新党解党後の新進党結成までは細川氏と行動をともにした。その後は小沢一郎元自民党幹事長(75)と急接近し、新進党解党後は、小沢氏率いる自由党に参画した。現在自民党の二階俊博幹事長(78)もメンバーだった。

 自由党は自民党と連立政権を形成し、小池氏は第2次小渕恵三改造内閣で経済企画政務次官を務めた。12年には、野党色を強める小沢氏と決別し、連立与党に残留する側にくみし、自由党を離党する形で保守党結党に参画した。さらに14年、小池氏は保守党を離党して、自民党入りの道を選ぶ。このときも、小池氏の「嗅覚」が存分に発揮された。

 自民党入りに当たり、小池氏が頼ったのは山崎拓元副総裁(80)だ。親しい山崎派(当時)所属議員の仲介で山崎氏と面会した小池氏は、こう語った。

 「自民党に入りたいので力を貸していただきたい。実現したら、山崎先生の派閥でお世話になりたい」

 しかし、自民党入党後、小池氏が入ったのは森喜朗元首相(80)率いる最大派閥の森派だった。当時の山崎派議員は「さすが、したたかだ」と舌を巻いたという。

■黄金時代

 森派に入ったことで、小池氏は当時の小泉純一郎首相(75)にも重用される道が開けた。15年、小泉再改造内閣で環境相として初入閣した。第3次小泉改造内閣まで務め、「クールビズ」の旗振り役として独自のアイデアと発信力を存分に発揮した。

 17年の郵政選挙では、故郷でもある兵庫県を離れ、郵政民営化法案に反対票を投じた小林興起氏(73)への「刺客」として東京10区にくら替えして圧勝した。小泉氏はこのとき女性刺客を多用し、小池氏はその第1号だった。好機とみれば迷わず飛び込む、小池氏の真骨頂といえる。強大な仮想敵を作り、それに挑む小池氏というその先の政治姿勢も、この成功体験に端を発するとみる識者が多い。

 小泉氏の後継となった安倍晋三首相(63)は国家安全保障の首相補佐官、女性初の防衛相に小池氏を抜擢した。ここで、小池氏は異例となる4年以上も事務次官を務め「防衛省の天皇」ともいわれた守屋武昌氏(73)の更迭に動いた。守屋氏は防衛産業から接待ゴルフを受けていたなどのスキャンダルも明らかになったが、守屋氏の激しい巻き返しを受け、結果は小池氏との痛み分けとなった。

 守屋氏は退任し、小池氏は、当時あった米イージス艦機密情報漏洩事件の責任を取り、内閣改造による自身の再任を固辞する形で離任した。小池氏は内閣改造より前に記者会見で「私は辞めるって言っているのよ」と述べた。これが人事権者である安倍首相の不興を買い、確執につながった。

■総裁選出馬→都知事選

 飼い犬に「総理大臣」を意味する「そうちゃん」と名付けるなど、「女性初の首相」への意欲を示す小池氏だが、首相ポストに直接つながる自民党総裁選では、苦い記憶ばかりが残っている。

 20年、福田康夫元首相(81)の辞任に伴う総裁選には、中川秀直元幹事長(73)や小泉氏に推され出馬した。総裁選出馬自体、女性として初めてだった。得意とする経済政策などを訴えたものの、麻生太郎(77)、与謝野馨両氏の後塵を拝して3位に終わった。

 自民党が野党だった24年の総裁選では、石破茂氏(60)を支持したが、石破氏は決選投票で安倍首相に敗れた。同年12月の衆院選で自民党は政権を奪還したが、安倍首相は小池氏を重要ポストに据えることはなかった。「冷や飯」を食わされた形の小池氏は安倍首相への不満を募らせていった。小池氏を初当選からウオッチしている自民党ベテラン秘書は「小池氏が選ぶ男を間違えたのは、小池氏のひとつの転機だろう」と証言する。

 そこに降ってわいたのが、昨年7月の舛添要一都知事(69)の辞職に伴う知事選だった。自民党東京都連は小池氏ではなく増田寛也元岩手県知事(65)の擁立に動いていたが、これを察知した小池氏は先手を打って「崖から飛び降りる覚悟」と言って出馬を表明した。

 自民党総裁選に出馬した際の政策をプールしていたこともあり電光石火で公約をとりまとめた。自民党都連が当時、内田茂都連幹事長(78)という「ドン」に牛耳られ、意思決定が「ブラックボックス」であると指弾し、291万票を得て大勝した。決断し、新機軸を打ち上げ、敵を作って広範な支持を得る「小池劇場」が完璧に成功した例といっていい。

■そして都民ファースト、希望の党

 都知事選圧勝を受け、東京には「小池旋風」が吹き荒れた。今年7月の都議選では、都議会の定数127のうち、小池氏が率いる地域政党「都民ファーストの会」が49議席を獲得し、小池氏を支持する勢力が過半数を大きく上回る大勝を収めた。都議選直後に、小池氏が同会の代表を辞任しても、大きな問題にはならなかった。

 安倍首相が衆院の解散を決断すると、勢いを駆って小池氏は9月25日、「しがらみのない政治、日本をリセットする」と宣言し、希望の党を立ち上げて自ら代表に就いた。しかし、今度は民進党との合流にあたり左派を「排除する」などと発言して失速した。

 揚げ句は10月の衆院選で希望の党は惨敗し、当選者のほとんどが民進党出身者という、小池氏も計算外の事態に陥った。衆院選直後の10月25日の両院議員懇談会では、出席者から3時間に渡り罵声を浴びた。出席者によると、小池氏は「民進党ではこうやっていたんですね。自民党は決まったら従うのよ」と不快感を口にした。

 小池氏への逆風は収まらず、各種世論調査では希望の党の支持率は低迷し、小池氏について「都知事に専念すべき」が8割近くにのぼった。11月12日に行われた東京都葛飾区議選でも、都民ファーストの会が擁立した5人のうち4人が落選し、党勢低迷も鮮明になってきた。国政に関与していても民進党出身者ばかりの「第2民進党」の党首では意味は薄いと考えたのか。小池氏は14日、「創業者としての責任はひとつ終えた」と述べて代表を辞任し、国政から撤退した。

 小池氏を敵視する東京選出の自民党中堅議員はこう語る。

 「風と共に去りぬ、だ。小池氏は追い風のときは近づいてきて、逆風になるとスッといなくなるんだ」

 小池氏が再び風に乗って政界を舞う日はくるのだろうか。 (政治部 沢田大典)



shige_tamura at 09:56│Comments(0)clip!ニュース 

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