2017年10月17日

小池百合子は相手にしてない?小泉進次郎が発した「余裕の言葉」(常井 健一)

小池百合子は相手にしてない?小泉進次郎が発した「余裕の言葉」
10/17(火) 7:00配信 (現代ビジネス、常井 健一)

 選挙戦も佳境を迎えたが、「全国を飛び回っている小泉進次郎を追えば、選挙の深奥が見えてくる」とは、同氏の密着取材を続けるノンフィクションライターの常井健一氏。今回の選挙、小泉進次郎は余裕を見せるどころか、「圧勝」を求めているようだ。

小池氏相手でも余裕

 衆院選公示日、小泉進次郎はいつも通りの朝を過ごした。濃紺のスーツに、緑のレジメンタルタイ。衆院解散の日と同じ教科書通りの装いで、午前8時に地元・神奈川県横須賀市内の神社に現れた。

 父の時代、狆泉純一郎の影武者瓩箸靴特聾気鮗蕕辰討た叔父の正也らとともに必勝祈願をした後、進次郎は少年のような眼をしながら筆者に語りはじめた。

 「選挙の前に映画『関ヶ原』を観に行ったんですよね。戦(いくさ)に臨む気持ち。あの役所広司さん演じる家康の表情とかね、岡田准一さん演じる三成の思いとかね、いろんなものが自分とダブりました。やっぱり選挙は戦だな。全国を遊説して、また元気に地元に帰ってこようと誓いました」

 筆者は、それを聞いてびっくりした。

 当選3回の閣僚未経験者でありながら、徳川家康や石田三成と36歳の自分を重ね合わせることができてしまう意識の高さではない。選挙直前に映画を観に行けてしまうほどの心の余裕があることについて、驚かずにはいられなかったのだ。

 テレビのワイドショーは当初、まるで関ヶ原のように小池百合子に小泉進次郎が挑む構図をつくりたがった。だが、当の本人は、いまいちピンと来ていないようだ。

 「三都、サント……なんだっけ? 

 公示直前、来る三連休に大阪、東京、愛知を遊説する計画を地元市議たちに明かした彼は、その三都府県の知事が連携して選挙を戦う小池戦略のネーミングさえ覚えていなかった。

 「三都物語です」

 市議のひとりがそう答えると、不可思議なワンフレーズで返した。

 「そう、だから三都演説」

 全国遊説のウォーミングアップも兼ねて、「三都」に乗り込んだ。各遊説会場では、妙齢の女性や若者が体当たりで握手を迫ってくる。彼が行くところ、SMAPが田舎に現れたような風景が広がる。

 今回、筆者が密着取材をはじめる前、いろんな編集者が異口同音に「今回の主役は小池。進次郎ブームは去った」と嘯いていたが、とんでもない。その良し悪しはさておき、3年前の前回を凌ぐ盛況ぶりだ。

 公示日の朝10時、横須賀中央駅前での出陣式を終えると地元活動は終了。全国行脚がスタートした。正午過ぎ、進次郎は湘南新宿ラインで池袋駅に到着するなり、群衆に囲まれて身動きが取れなくなった。その騒ぎぶりは、2時間前まで同じ駅の反対側で演説していた小池のそれを遥かに上回っていた。

 応援演説の第一声では、その小池のことをおちょくった。

 「私がなぜ小池さんのお膝元を全国遊説のスタートの地に選んだのか。私は、希望の党を立ち上げた小池さんに、心から感謝をしたいと思っているからです。まず一つ目の感謝は小池さんのおかげで、自民党に野党時代のことを思い返す良い機会をくれたことです。私たちに緊張感を与えてくれた」

 二つ目の感謝は、「『希望』という言葉を使ってくれたおかげで、『真の希望』とは何なのかを考える機会を与えてくれました。真の希望とは、いつの時代も若い力です」。

 三つ目の感謝は、「選挙目当てでいろいろやっても、有権者はそれを見抜くということを、改めて教えてくれました」。

 そして、不敵な笑みを浮かべながらワンフレーズを添えた。

 「ありがとう」

 全国遊説の出発直前、進次郎は今回のテーマを「感謝」という一言で筆者に表現していた。そのときは、初日の遊説先を党務でお世話になった先輩や後輩で固めたことを例示していたが、まさか敵にまで感謝、感謝、感謝の三拍子で攻めるとは──。

 「今日、私は野党の批判をしません」

 公示前の前哨戦では、これを常套句にしながら、その理由を「だって、時間がありません。批判をしはじめたらキリがないから」などと、皮肉交じりに説明していた。第一声の中身も「感謝」を連呼しながら、実際は小池新党に対する痛烈な批判に聞こえる。

 希望の党の失速は、マスコミ関係者の予想よりも早かった。進次郎は2日目の地方遊説から小池のことを真正面から取り上げることすらやめた。

進次郎に大きな変化が…?
 小泉進次郎が現れても「黄色い声」が響かない地域が、全国にひとつだけある。それは、彼のホームグラウンドである横須賀・三浦だ。

 むろん、人気が落ちたというわけではない。市民にとって「小泉進次郎がいる風景」が当たり前になっているのだ。それだけ地域のイベントにくまなく顔を出し、一人一人の有権者とじっくり触れ合っている証拠でもある。

 忘れられがちだが、小泉進次郎も衆院選の候補者である。今回、神奈川11区には希望、共産、諸派の新人も立候補した。ライバル不在で当選確実と言われている。だが、驚くべきことに、本人はまったく気を抜こうとしていない。

 解散翌日から毎朝2時間ほど選挙区内の駅前に立ち、足早に改札口を越えていく通勤客にひたすら頭を下げ続けた。公示後は一度も地元に入らないと思いきや、12日間のうち、初日の出陣式、終盤の丸1日、そのほか2度の決起集会など「正味1.4日」(本人談)は、選挙区を回れるよう日程をきっちり確保している。

 公示前の最後の平日(6日)には人もまばらな公園で、スタッフ3人を従えて街頭演説をはじめた。

 「農林部会長として農業の仕事をやって、『こども保険』の提言などもして、国政の中で思い切って仕事ができたのも、3年前に横須賀のみなさんの力があったからこそでした」

 時間は正午。目の前の横須賀市役所からは職員たちがランチを食べにどっと外に出てきた。彼らの多くは立ち止まることなく、人気者を横目で見ながら通り過ぎていった。ちょうどそのとき、横須賀市長の上地克明が黒塗りの公用車で出てくると、進次郎はマイクで「市長、お疲れさまです!」と叫んだ。

 衆院選直前から地元活動にやけに熱心だった。大半の議員が東京を離れて準備に奔走する中、9月25日に国土交通省の副大臣、10月5日に防衛省の大臣と面会。財務省にも訪ねている。このとき、市長の上地を随行させていた。

 目的のひとつは、国道357号線(東京湾岸道路)の早期開通を要望すること。横須賀市内の延伸工事が長年塩漬けになっているからだ。ふたつ目は、市内中学校の給食導入にあたり、給食センターの建設費用を国費で一部賄うための陳情だった。

 道路や箱モノの建設は、「若手改革派」と目されている小泉進次郎のイメージからは最もほど遠い日本語である。ましてや、地元の陳情処理を自ら買って出るなんて、とても得意だとは思えない。

 だが、最近の進次郎はそういった活動にやりがいを感じているのだという。

 「4回目の当選ができれば、今までの8年以上の仕事ができる自信がある。もう1回、国政に送っていただけたら、横須賀・三浦のために今までできなかったことがもっともっとできると想像すると、政治のやりがいと醍醐味を感じます」

 ど派手なスカジャン姿で臨んだ地元の出陣式でも、進次郎はこう訴えた。

 「この選挙戦は6月の三浦、横須賀の市長選の後にある初めての選挙となる。あの市長選挙は大変でした。いろんなことがありました。だけど今日、あの時のエネルギーはそのままに、あの時の色は忘れて、みんながスカジャン着ている思いで、この地元のために一つになって、横須賀・三浦のために何ができるかを再確認する選挙戦ができると思うとわくわくします」
公明党との複雑な距離感
 じつは横須賀では直近の8年間、小泉家と敵対する若手市長が2期にわたり市政を司っていた。市長選のたびに小泉後援会の有力後援者たちはまっぷたつに割れた。

 それが、6月にあった市長選で、進次郎は横須賀市議だった俳優・上地雄輔の父を担いだところ、三度目の正直でようやく市政をひっくり返したのである。だから、議員生活8年目にして初めて国と市のねじれを解消し、地に足のついた仕事に取り組める喜びを感じているのだろう。進次郎はよく周囲に「市長が変わると仕事のスピード感が違うね」と強調している。

 進次郎がこれほど地元対策に熱を入れる理由は、それだけではない。

 3年前の衆院選では、16万票超を獲得した。全国最多得票に輝いたものの、前回(12年)の1万5000票も下回った。ぶっちぎりの完全勝利にこだわる進次郎にとっては、投票率の低下を理由にしたくはない。今回は3年前を上回る支持が得られなければ「勝った」とは言えないと思っている。

 進次郎は解散直後の囲み取材で、応援に入りたい選挙区を問われると「横須賀・三浦に入りたい」と即答していた。それは本音なのかもしれない。

 神奈川11区に属する三浦半島は、国会議員が4代も続く小泉家の金城湯池だと思われがちだが、それは「永田町の変人」と呼ばれた小泉純一郎が総裁選に出るようになってからの話。保革がひしめき合う中選挙区時代はみんなが思っているほど、事務所の戦闘能力は突出しているわけではなかった。6月の横須賀市長選も結果だけ見れば、進次郎が推す新人が現職に大差をつけたものの、内情を知る者にとっては辛勝だった。

 「本人の人気がすごいから、進次郎の秘書たちは、まだ本当の選挙のやり方ってものを知らないんだ」(有力支援者)

 前述のように、小泉親子はこれまで草の根選挙を展開する若手市長に総力戦で挑んでも勝てなかった。だが、今回は東京の自民党本部が動いた。「将来の総理候補」に傷をつけてはならないと、選挙対策に長けたベテラン職員を「54連泊」で横須賀に貼りつかせたのだ。

 進次郎自身も全国的な業界団体のトップに問い合わせ、泥臭く応援要請をしていた。こうして積み上がった大量の名簿を手に、進次郎が大勢の市民に電話をかけ、新人候補への投票をお願いした。

 一方、公明党からの全面協力も取りつけた。小泉家と公明党の深い因縁は、「連載ルポ(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/53112)」でも触れた通り。だが、市長選で進次郎は公明党の街宣車の上に立ち、同党の国会議員とともにマイクを握った。それは、小泉家と公明党の関係を昔から知る支援者にとっては晴天の霹靂でもあった。

 首長選とは思えぬほどの態勢で臨んだ結果、進次郎は勝利を手にした。それは、父の威光を頼らずして、ようやく自分の「王国」の礎を築いた瞬間でもあった。
2万票の無効票
 しかし、一筋縄ではいかないのが公明党だ。「自民党の下駄の雪」と揶揄されがちな彼らだが、「常勝軍団」を自負するだけにプライドが高い。市長選では自公共闘でタッグを組んだ。だが、同時に行われた市議補選(定数2)では、進次郎の家庭教師が出馬したが、公明党の対応は異なったようだ。

 市長選は1万2000票差で勝利したが、市議選では無効票がじつに2万票もあった。

 「2万」の内実は確かめようがないが、その数は偶然にも横須賀市内の公明票と一致する。保守系の地方議員は、その投票結果を知った瞬間、思わず息をのんだ。

 「あの2万票が上地に入らなかったら市長選での勝利はなかった。進次郎に対して公明党の存在感を示す無言のアピールだと受け止めましたよ」

 進次郎の公明党への「配慮」は、早速、衆院選の街頭演説にも表れた。

 「三都演説」の初日は、大阪の選挙区を回った。維新旋風で自民党の基盤が根こそぎ崩れ去った地域だけに、自民党候補は誰しも「客寄せパンダ」の来援を望んでいる。だが、進次郎はタイトな日程を強いられる中、公明党副代表の北側一雄が立つ選挙区に入ることを優先した。

 そして、2000人近い公明党支持者を前に北側との「近さ」をアピールした。

 「私は自民党、北側先生は公明党ですけど、サカイ(堺)だけにサカイメ(境目)がありませんよね。今から13年前、小泉純一郎という人が総理大臣をやっていましたが、国土交通大臣、観光立国を推進した大臣が北側先生だったんです。一度受けた御恩は忘れちゃいけない。支え合い、助け合い、困った時はお互い様。そういった思いを北側先生や、支えてきたみなさんに是非お伝えしたいと思って、お邪魔をさせていただきました」

 解散前後から持論として訴えている「軽減税率見直し論」は、その会場では封印した。その政策を成果として掲げている同党関係者に配慮したのだろう。その代わり、自分のアピールは忘れなかった。

 「私も候補者なんです。地元では『みなさん』にお世話になっております」

 北海道や神奈川の小選挙区で立つ公明党前職の元にも応援に入ることを明かすと、大聴衆は喝采を浴びせた。そして、公示後3日目と6日目、選挙戦の前半でその約束を果たした。「選挙サンデー」のゴールデンタイムともいうべき日曜午後2時の日程を、自民党の激戦区で戦う仲間ではなく、市長選で支援を受けた地元・神奈川の公明党に捧げたのだ。

 12日、進次郎は北海道10区選出の公明党前職を応援するために北海道岩見沢市に入った。3年前の衆院選の時と同じ地点に立ち、農業や子育ての政策についての持論を語った。

 10分ほどの演説で、候補者の名を口にしたのは3回。「公明党」と言ったのは1度だけだったが、それでも会場には笑みがあふれていた。
強さの継承
 進次郎が全国遊説で不在にしている間も、選挙カーは三浦半島を走っている。天井に書かれた五文字の名前は、仮面ライダー風のフォントであしらわれている。

 そして、名前の隣には別の字体で「比例代表も自民党へ」と大きく書かれてある。

 小泉進次郎はこれまで通り、公明党に推薦を求めなかった。

 この戦い、「ぶっちぎりの勝利」は純一郎の威光でもなく、公明党の助けでもなく、自らの力だけで果たさなければ意味がない──。

 そう考えているのだろう。

 進次郎の選対事務所は、父・純一郎の時代も選挙の際に使っていた同じ物件に構えられている。

 「今までの選挙事務所のありかたを一変させたんですよ。中のしつらえから『事務所』という存在そのものもね」

 そう自慢げに語った事務所には、子どもが遊べるキッズスペースを設けた。入り口には、進次郎の等身大パネルが置かれてある。

 古い支援者は言う。

 「お父さんの時も、地元になかなか入れないからパネルを置いていた覚えがあります。進ちゃんも、そんなに大物になったんだなと思うと泣けてきます」

 全国行脚の移動中には、新幹線の車内で進次郎はデッキで携帯電話を握っている姿があった。

 「地元に戻れず、すみません」

 その電話は、「候補者不在」の支援者集会の会場とつながっていた。公示後も留守が続く進次郎の地元では、本人が回れない代わりに、全国遊説の様子を編集した動画を放映するイベントが行われている。進次郎は「参加者から温かい言葉が返ってきた」と言って安堵していた。

 公示日の朝、「入れ墨大臣」と呼ばれた曽祖父・又次郎(衆議院副議長)が築いたという「最強の後援会」の面々が挨拶に訪れた。三浦半島の先にある城ヶ島の後援会だ。又次郎は島の生活向上に努めたため、その地には「なにがあっても小泉」という風土がつくられた。

 「今回は三浦に行く時間がないんですよ。だから、城ヶ島の人たちが朝早くから来てくれて、会えてありがたかった。『城ヶ島が燃えると小泉の選挙は燃える』という諺があるくらいですから。心強いですよね」

 小泉進次郎は選挙に燃えている。今日も全国遊説の移動中、列車のデッキでひとり携帯を握り、地元に支持を訴えている。
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shige_tamura at 09:40│Comments(0)clip!自由民主党 

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