2017年09月21日

安倍内閣総理大臣/国連演説全文(9月20日)

1、
 議長、ご列席の皆さま、本日私はまず、「持続可能な開発目標(SDGs)」の実施にかける、われわれの情熱をお話ししようと思っていました。国内の啓発を図る工夫にも、ご紹介したいものがありました。
 いわゆる「We―Fi」、女性起業家を資金で支える計画が私個人や日本政府にとって、なぜ重要か。
「ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ」(UHC)のことを、私は「日本ブランドにする」と言っています。本年12月、われわれは東京でUHCを主題に大きな会議を開きます。
 語るべきことの、リストは長い。
 法の支配に対するわれわれの貢献。パリ協定に忠実たろうとするわれわれの決意。世界のインフラ需要に対し、質の高い投資をもって臨むわれわれの政策。
 また、日本がどこまでも守りたいものとは、フリーで、リベラルで、オープンな国際秩序、多国間の枠組みであります。
 まさに、それらを守る旗手・国連に寄せる世界の期待はいよいよ高い。ならばこそ、安全保障理事会を、時代の要請に応じ、いち早く、変革すべきなのです。変革のため日本は友人たちと努めます。安保理常任理事国として、世界平和に積極的役割を果たすのが、日本の変わらぬ決意だと、私は主張するつもりでありました。
 けれども私は、私の討論をただ一点、北朝鮮に関して集中せざるを得ません。

2、
 9月3日、北朝鮮は核実験を強行した。それが水爆の爆発だったかはともかく、規模は前例をはるかに上回った。
 前後し、8月29日、次いで、北朝鮮を制裁するため安保理が通した「決議2375」のインクも乾かぬうち、9月15日に北朝鮮はミサイルを発射した。いずれも日本上空を通過させ、航続距離を見せつけるものだった。
 脅威はかつてなく重大です。眼前に差し迫ったものです。
 われわれが営々続けてきた軍縮の努力を北朝鮮は一笑に付そうとしている。不拡散体制は、その史上最も確信的な破壊者によって深刻な打撃を受けようとしている。
 議長、同僚の皆さま、このたびの危機は、独裁者の誰彼が大量破壊兵器を手に入れようとするたび、われわれがくぐってきたものと、質において、次元の異なるものです。
 北朝鮮の核兵器は、水爆になったか、なろうとしている。その運搬手段は早晩、大陸間弾道ミサイル(ICBM)になるだろう。
 冷戦が終わって二十有余年、われわれは、この間、どこの独裁者にここまで放恣にさせたでしょう。北朝鮮にだけは、われわれは結果として許してしまった。
 それはわれわれの、目の前の現実です。
 かつ、これをもたらしたのは、「対話」の不足では、断じてありません。

3、
 対話が北朝鮮に、核を断念させた、対話は危機から世界を救ったと、われわれの多くが安堵したことがあります。一度ならず、二度までも。
 最初は1990年代の前半です。
 当時、北朝鮮がなしたどう喝は、国際原子力機関(IAEA)など、査察体制からの脱退を、ちらつかせるものにすぎませんでした。
 しかし、その意図の、那辺を察したわれわれには、緊張が走った。
 いくつか曲折を経て、94年10月、米朝に、いわゆる「枠組合意」が成立します。
 核計画を。北朝鮮に断念させる。その代わりわれわれは、北朝鮮にインセンティブを与えることにした。
 日米韓は、そのため、翌年の3月、朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)をこしらえる。これを実施主体として、北朝鮮に、軽水炉を2基、つくって渡し、また、エネルギー需要のつなぎとして、年間50万鼎痢⊇徒を与える約束をしたのです。
 これは順次、実行されました。ところが、時を経るうち、北朝鮮は、ウラン濃縮を、着々と続けていたことが分かります。
 核を捨てる意思など、もともと北朝鮮にはなかった。それが誰の目にも明らかになりました。発足7年後の2002年以降、KEDOは活動を停止します。
 北朝鮮はその間、米国、韓国、日本から支援を詐取したと言っていいでしょう。
 インセンティブを与え、北朝鮮の行動を変えるというKEDOの枠組みに価値を認めた国は徐々に、KEDOへ加わりました。
 欧州連合(EU)、ニュージーランド、オーストラリア、カナダ、インドネシア、チリ、アルゼンチン、ポーランド、チェコそしてウズベキスタン。
 北朝鮮は、それらメンバー全ての、善意を裏切ったのです。
 創設国の一員として、日本はKEDOに無利息資金の貸与を約束し、その約40%を実施しました。約束額は10億法実行したのは約4億砲任后

4、
 KEDOが活動を止め、北朝鮮が核関連施設の凍結をやめると言い、IAEA査察官を追放するに及んだ、2002年、2度目の危機が生じた。
 懸案はまたしても、北朝鮮がウラン濃縮を続けていたこと。そしてわれわれは、再び、対話による事態打開の道を選びます。
 KEDO創設メンバーだった日米韓3国に、北朝鮮と中国、ロシアを加えた、6者会合が始まります。2003年8月でした。
 その後、2年、曲折の後、2005年の夏から秋にかけ、6者は一度合意に達し、声明を出すに至ります。
 北朝鮮は、全ての核兵器、既存の核計画を放棄することと、核拡散防止条約(NPT)と、IAEAの保障措置に復帰することを約束した。
 そのさらに2年後、2007年の2月、共同声明の実施に向け、6者がそれぞれ何をすべきかに関し、合意がまとまります。
 北朝鮮に入ったIAEAの査察団は、寧辺にあった、核関連施設の閉鎖を確認、その見返りとして、北朝鮮は、重油を受け取るに至るのです。
 一連の過程は、今度こそ、粘り強く対話を続けたことが、北朝鮮に、行動を改めさせた、そう思わせました。
 実際は、どうだったか。
 6者会合のかたわら、北朝鮮は2005年2月、「われわれは、既に核保有国だ」と、一方的に宣言した。
 さらに2006年の10月、第1回の核実験を、公然、実施した。
 2度目の核実験は、2009年、結局北朝鮮は、この年、「再び絶対に参加しない」と述べた上、6者会合からの脱退を表明します。
 しかもこのころには、弾道ミサイルの発射を、繰り返し行うようになっていた。

5、
 議長、同僚の皆さま、国際社会は北朝鮮に対し、1994年からの十有余年、最初は「枠組合意」、次には「6者会合」によりながら、辛抱強く、対話の努力を続けたのであります。
 しかし、われわれが思い知ったのは、対話が続いた間、北朝鮮は核、ミサイルの開発を諦めるつもりなど、まるで持ち合わせていなかったということであります。
 対話とは、北朝鮮にとって、われわれを欺き、時間を稼ぐため、むしろ最良の手段だった。
 何よりそれを、次の事実が証明します。
 すなわち1994年、北朝鮮に核兵器はなく、弾道ミサイルの技術も成熟にほど遠かった。それが今、水爆とICBMを手に入れようとしているのです。
 対話による問題解決の試みは、一再ならず、無に帰した。
 何の成算あって、われわれは三度、同じ過ちを繰り返そうというのでしょう。
 北朝鮮に、全ての核・弾道ミサイル計画を、完全な、検証可能な、かつ、不可逆的な方法で放棄させなくてはなりません。
 そのため必要なのは、対話ではない。圧力なのです。

6、
 議長、同僚の皆さま、横田めぐみという、13歳の少女が、北朝鮮に拉致されて、本年11月15日、ついに40年を迎えます。
 めぐみさんはじめ、多くの日本人が、いまだに北朝鮮に拉致されたままです。
 彼らが、一日も早く祖国の土を踏み、父や母、家族と抱き合うことができる日が来るよう、全力を尽くしてまいります。
 北朝鮮の核・ミサイルの脅威に対し、日本は日米同盟によって、また、日米韓3国の結束によって立ち向かいます。
 「全ての選択肢はテーブルの上にある」とする米国の立場を一貫して支持します。
 その上で私は、北朝鮮に対し厳しい制裁を科す安保理決議2375号が、9月11日、安保理の全会一致で採択されたのを、多とするものです。
 それは、北朝鮮に対する圧力をいっそう強めることによって、北朝鮮に対し、路線の根本変更を迫るわれわれの意思を、明確にしたものでした。
 しかし、あえて訴えます。
 北朝鮮は既に、ミサイルを発射して、決議を無視してみせました。
 決議はあくまで、始まりにすぎません。
 核・ミサイルの開発に必要な、モノ、カネ、ヒト、技術が、北朝鮮に向かうのを阻む。

 北朝鮮に累次の決議を完全に履行させる。
 全ての加盟国による一連の安保理決議の、厳格かつ全面的な履行を確保する。
 必要なのは行動です。北朝鮮による挑発を止めることができるかどうかは、国際社会の連帯にかかっている。
 残された時間は多くありません。

7、
 議長、ご列席の皆さま、北朝鮮はアジア・太平洋の成長圏に隣接し、立地条件に恵まれています。勤勉な労働力があり、地下には資源がある。
 それらを活用するなら、北朝鮮には経済を飛躍的に伸ばし、民生を改善する道があり得る。
 そこにこそ、北朝鮮の明るい未来はあるのです。
 拉致、核、ミサイル問題の解決なしに、人類全体の脅威となることで、開ける未来など、あろうはずがありません。
 北朝鮮の政策を、変えさせる。そのために私たちは、結束を固めなければなりません。

 ありがとうございました。

shige_tamura at 14:35│Comments(0)clip!安倍晋三 

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