2017年01月17日

「ギリシア人の物語 民主政のはじまり(2)」(塩野七生著、新潮社)

政治は、ある職業でもある技術でもなく、高度な緊張を要する生活のなかであり・・・

民主主義にとって最大の敵は、「機能しない」ことであり、「結果が出ない」ことなのだ。


「安全保障」とはなんだろう。

 歴史の成り行きに任せていたら、結果的として百年間保障された、ということか。
 それとも、終了直後からの諸々の対策、保障されなくなった事態も考慮したうえで実行に移した諸々の対策、をつづけてきたからこそ、その結果として、百年間の安全が保障されたということか。

 歴史を後世から見る立場に立つと、前者になる。同じ歴史でも、その時代に生きた人の視点で見ると、後者に変わる。
 前者だと、所詮は成り行きどおりに進むのが歴史だから、それをどうこうしようとして成される人々の努力のすべてが無用に見えてしまう。その中でも常人以上に営々たる努力を惜しまなかったリーダーたちに至っては、常人以上の愚か者で、それでも彼らが何かをやったのは、地位や権力にしがみつきたかったにすぎない、とでも裁かれ終わりだ。
 こう考える人には、「安全」が長期にわたって「保障」された状況を示す「平和」も、ピースと呼ぶほうがふさわしい。英語でピースと言っていると、何となく、そう言っているだけで実現するような気分になってします。

 古代ローマ人は、「平和」を「長期にわたる安全保障の継続」と認識し、厳しくも冷徹な人間たちによる努力の成果、と考えていた。

 このように考えると、権力者も普通の人もふくめた当事者全員の安全保障への努力も、バカバカしくは見えてこなくなる。たとえこの種の努力が、後世から見れば無用に終わったことであっても、愚かな行為には見えてこなくなるのだ。
 それどころか、想定外の事態さえも考えに入れたうえで成された対策の数々があったからこそ、その結果として、たとえ百年間にしても、ギリシア人は「平和」を享受することはできたのであった。ペルシア軍の侵攻を、心配しないで済んだのである。

 これを、地位や権力にしがみつきかったからであると断ずるのは、下品な言い方を許してもらえば、「下司(げす)の勘繰り」にすぎない。下司の勘繰りくらい、歴史に親しむのに、ふさわしくない心の持ちようもないと思っている。

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