2017年01月13日

「ギリシア人の物語 民主政のはじまり(1)」(塩野七生著、新潮社)

 ギリシアに誕生した民主制の実態を探るために読んだ。
 以下、参考になったことを記述します。

・「市民」とは?
 スパルタ人にとって「市民」とは、祖国の防衛に生涯を捧げる「戦士」しか意味しない。
一方、アテネはでは、職人も商人も農民も「市民」なのである。


・「本格的な改革を成し遂げる人は」
 既成階級からしかでない。
 既成階級の中には、自分たちが享受してきた既得権を堅持することしか考えない人もいるが、自らでどうしようもない欠陥を直視する人がいる。
 改革は、既得権階級のもつ欠陥に斬りこまないことには達成できない。斬りこむには、欠陥を知りつくす、というか肌で知っている者のほうが有利にきまっている。どこに、どう斬りこめば成功するか、家庭教育で自然に会得し、この種の「蓄積」はいかに優秀な新興階級の出身者でも、一朝一夕には得られるたぐいのものではなかった。


・「デモクラシー」
 古代アテネの「デモクラシー」は、「国政の行方を市民(デモス)の手にゆだねた」のではなく、「国政の行方はエリートたちが考えて提案し、市民にその賛否をゆだねた」。
 エリート(特権階級)をぶっ壊したのではなく、その温存を謀ったのだ。

 アテネの民主政は、高邁なイデオロギーから生まれたのではない。必要性から生まれた、冷徹な選択の結果である。このように考える人が率いていた時代のアテネで民主主義は力を持ち、機能したのだ。それがイデオロギーに変わった時代、都市国家アテネを待っていたのは衰退でしななかった。
 

・「指導者」
 興隆期のアテネの指導者たちは、一人を除く全員が、名門の出身者で占められているのには驚かされる。アテネの改革の中心人物を考えると、世襲の弊害なんて言ってはいられない、と思うくらいの世襲の連続だ。
 アテネの指導者たちは、理想を追うことがイデオルギーという名の目的になってしまう、人間性に無知で単純な理想主義者ではなかったのである。
 これにより、自らが属する階級の基盤をぶち壊すことによって、かえってその階級の持つ真の力をより強く発揮させる政体の構築という大技までやってのけた、アテネ人らしく悪賢いクリステネスをどうぞ。=「クリステネスの改革」


・「棄権、少数意見」
 棄権や少数意見をことさら重要視すること自体が、民主政治の精神に反する。こう考えないと民主政を機能させていくことはできない。(続く)

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