2016年03月28日

習近平国家主席と李克強首相の仲(遠藤誉氏)

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 日本では習主席と李首相の仲が悪いと言いたがる人が多い。
 全人代で政府活動報告を終えた直後の画像や李首相の汗、あるいは3月25日の政治局会議に李首相が欠席したことなどを理由に挙げている。客観的事実を読み解く。

◆全人代の場面

 今年3月5日に全人代(全国人民代表大会)が開幕し、李克強首相(国務院総理)が政府活動報告を行なった。報告を終えた李克強首相が席に戻るときに、習近平国家主席は最初、前方を向いてニコリともしなかったのは確かだ。しかし張徳江・全人代常務委員会委員長が午前中の閉会の辞を述べ終えて全員が会場を出るために立ち上がったとき、習近平国家主席は、ふと我に返ったように李克強首相の方を見て話しかけ、冒頭の写真にあるように二人は仲良く談笑している。「習近平は李克強と目も合わさなかった」ゆえに二人の仲がいかに悪いかを主張する人々は、習近平国家主席がしっかり李克強首相の顔を見て、ここまで親しげに笑いかけている表情を、どう説明するのだろうか。

 こちらの場面は完全に無視して、座席に戻った瞬間の二人の表情だけから「二人の仲」を推測し、「いかに仲が悪いか」と結論づけるのは早計だろう。

 そういう人たちは、政府活動報告書に習近平を礼賛する言葉がやや少なめであったことを、「習近平が不機嫌だった理由」とし、「李克強が習近平に敵対心を持っている証拠」としているが、3月14日付の本コラム「全人代政府活動報告は誰が書くのか?――習近平は事前にチェックしている」にも書いたように、習近平国家主席は何度も報告書に目を通しており、最後にチェックしたのは習近平国家主席自身だ。


 ただ、たしかに李克強首相が政府活動報告をしている間、習近平国家主席の表情は固かった。

 それは前日の3月4日に、新疆ウィグル自治区の中国共産党委員会が参画している「無界新聞」が「習近平は辞任せよ」という公開状を出したことが理由なのではないだろうか? 

 その証拠に、3月3日の全国政協会議開幕式に入場するときの習近平の表情をご覧いただきたい。やや微笑みを浮かべ、晴れやかだ。ひな壇の主席団の方にも目をやり、ゆとりがある。

 ところが、3月5日の全人代のときの入場場面では微笑みも晴れやかさも消え、主席団の方に目をやるゆとりも見られず、視線は下に落としている。

 当然だろう。その前日に「習近平はすべての党の指導的職位を辞任せよ」などという公開状が党のおひざ元のウェブサイトに現れ、しばらく全世界に露出していたのだから。これに関しては本コラム欄でも何度も取り上げたので、ここではくり返さない。

 もし、李克強首相が席に戻ろうとしたときの習近平国家主席の表情のみを理由に挙げて二人の仲が悪いと断言するとすれば、今回のコラムの冒頭に挙げた写真の説明はつかなくなる。また習近平の心理を読み取ろうとするのなら、3月4日に起きた前代未聞の出来事が、どれだけ習近平国家主席に大きな衝撃を与えたかに関して十分な分析を加えなければなるまい。

◆李克強首相の汗

 李克強首相は、若いころから汗っかきだ。特に壇上で直立不動の姿勢でスピーチするときには激しい汗をかく。手の中は汗でびっしょりになることで有名である。

 約2時間も全世界の目が注がれている中、直立不動で国策を決定する演説を続ければ、額に汗くらいかくだろう。

 この汗を、習近平国家主席に追い詰められている証拠としてあげつらうなど、笑止千万。

 もし追い詰められているとすれば、彼はなぜ3月16日の記者会見においては、あんなに身振り手振りで、にこやかだったのか?

 直立不動ではないからだ。

 これは北京大学に在籍し、共青団の仕事に関わるようになってからの、彼の特徴なのである。質疑応答には軽妙に回答できる。特に座っている場合は手振りも豊かにサービス精神満点だ。ところが、直立不動で演説をするとなると、マイクを持たなければならない場面などでは、マイクが手から滑り落ちてしまうほど汗をかく。昔からの体質だ。

◆3月25日の中共中央政治局会議を欠席したことに関して

 3月25日、習近平は中共中央総書記として中共中央政治局会議を開催した。テーマは「経済建設と国防建設」および「長江経済発展計画」だった。経済関係なのに李克強首相がこの政治局会議に参加していなかったとして、「李克強外し」のような論調を掲げる一部の日本メディアを目にして、驚いた。

 李克強首相は3月24日から海南省の博鰲(ボアオ)で開催されているボアオ・アジアフォーラム2016年度年次総会に出席し、基調講演を行なっていた。おまけに23日には海南省の三亜で初めての「瀾滄江−メコン川協力」首脳会議を、李克強首相は主宰しなければならなかった。会議の共同議長国であるタイのプラユット首相をはじめ、カンボジア、ラオス、ミャンマー、ベトナムなどの国の指導者も出席している。アセアン諸国を掌握するために、外すわけにはいかない。

 それにボアオ会議は、もともと基本的に国務院総理(首相)が出るものであって、よほど時間があるとか何かほかの特殊な事情でもない限り、国家主席が出ることはあまりない。

 一方、習近平国家主席は3月28日から30日までチェコを公式訪問し、チェコのゼマン大統領と会談することになっている。31日からワシントンで開催される核サミットに出席し、オバマ大統領と会談しなければならない。

 習李両人とも、日程的にはギリギリの綱渡りだ。

◆「太子党」は蔑称であって、「党」ではない

 日本のメディアで散見されるのは、習近平国家主席が「太子党」として共青団派の李克強首相を追い落とそうとしているという分析だ。これなどはもう批判することさえ値しないほど現実離れをしている。筆者は『チャイナ・ナイン 中国を動かす9人の男たち』で、たしかに「太子党を例にとって党内の権力闘争を描いた。しかしそれは胡錦濤政権のときの話であり、かつ「太子党」という「党」はない。これは「紅二代」(革命第一世代の子供たち)への蔑称であり、「党」ではない。ネットで政府のためのコメントを書く連中を「五毛党」という蔑称で呼ぶのと同じような意味の「党」という漢字に過ぎない。「奴ら」とか「やから」という意味だ。

 日本でも二世議員はいるが、日本共産党の議員と自民党の議員の子供(二世)同士が徒党を組むことはないのと同じように、革命第一世代は「殺し殺される仲」であったことを忘れないようにしてほしい。「自分こそはトップに上り詰めてやる」と思っているが故に、ほとんどが敵同士だ。

 おまけに今後は(現在8700万人の)党員のほぼ全員が共青団を経験した党員になっていく。共青団を経ずして党員になるケースはもうなくなるし、「紅二代」世代はいなくなるので、その点から考えても現実離れしているのである。

 このような客観的事実を無視し、表面的現象だけを見て、先験的視点で中国分析をしていたら、肝心のことを見失ってしまうだろう。中国の一党支配体制は内部抗争などやっている場合ではないほど危機的な状況にある。
 それでいながら軍事力を高めることに関しては一丸となっていく。それらの現実から、日本人の目をそらせてしまうという危険性を招く。日本国民を「どうせ、権力闘争をやっているのさ。
 中国、恐るるに足らず」といった誤った視点に誘導することに、いかなるメリットがあるのだろうか? そのことを憂慮する。
 (ヤフーより)


遠藤誉 東京福祉大学国際交流センター長、筑波大学名誉教授、理学博士

shige_tamura at 10:58│Comments(1)TrackBack(0)clip!安保・防衛政策 

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この記事へのコメント

1. Posted by 百氏   2016年04月23日 05:27

思うんですけど、「憲法守れ!」「戦争法反対」「アベ政治許さない」って言葉を合唱するだけ、抑止力になる。

この意見が正しいとしたら、国会前のデモこそ、最大のヘイトスピーチ抑止策になるのではないでしょうか?なぜなら、1つの民族(チベット人)を滅ぼすという行為は、ヘイトスピーチ最大の懸念たるヘイト・クライム。国家的大犯罪に他ならないからです。

それを、ヘイト・クライムをした組織、人民解放軍では無く、国会に対して、やるだけで平和になる。ならば、彼らが問題視する団体への抑止策も、国会前のデモで事足りるのでは無いでしょうか?


聖典(憲法9条)を守り、唱えるだけで、特定の人たちの安全を守れるのであれば。

この辺りの整合性。野党に伺ってみたいものです。もし、矛盾が生じたなら、彼がが大好きな謝罪要求を、相手が嫌だと言うまで、続けるべきですね。それが正しい事らしいですから。

私は違うと思いますけどね。国内においては、対立する団体同志を切り離し、隔離すれば、解決出来ますけど、それは、紛争を引き起こす団体よりも強い力を持つ政府があるからこそ平和。秩序が保たれているのであって、力が拮抗してたら、それは実現出来ないのです。


例えば、それを妨害する、喧嘩をしそうな人を警察が抑え込むなどの行為に対して刑事訴訟を起こす様に煽動する。トンデモ議員の秩序崩壊活動とか。

だから、寛容の精神について間違った認識を持っているのかも知れないですけど。本来、寛容の精神とは、人生につまづいた者に、(対話を試み、教養を深め、まっとうな社会人として)再スタートできるチャンスを与えることであって、間違った者を二度と立ち上がれない様にする(差別主義者とレッテルを貼るなどをして)ことでは無いのです。教化こそ更生の本質でしょうに。

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