2015年03月02日

朝日新聞ルーカス氏中国論、事実誤認――中国建国は中華民族が立ちあがったからではない(遠藤誉氏)

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 2月25日付の朝日新聞にパトリック・ルーカス氏の中国論が掲載された。非常に興味深いが、中国を「中華民族が立ちあがった勝利者の物語」としている等、多くの事実誤認がある。日本とも直接関係するので考察する。

◆中国は「中華民族同士が殺し合って」建国された国である

 2月25日付の朝日新聞にアメリカの人類学者であるパトリック・ルーカス氏への取材記事が載っている。ルーカス氏は「49年の建国の際に毛沢東たちが訴えたのは、中華民族が立ちあがった『勝利者の物語』だった」とし、江沢民が抗日戦争勝利50周年記念に愛国主義教育を強め、「『被害者の物語』が登場した」としている。

 どんなに研究しているとはいえ、当事者でない者にはそのように映るのかもしれないが、中国建国のための国共内戦(国民党と共産党との間の内戦。1946年〜1949年)を身をもって体験した筆者としては、重大なる誤認があると指摘せざるを得ない。

 中国(正確には「中華民国」)が、「中華民族として立ちあがった」のは、1945年までの日中戦争においてである。勝利者は蒋介石が率いた「中華民国」だ。

 現在の中国、「中華人民共和国」は、同じ中華民族である「中華民国」の中国人を殺して建国された国だ。毛沢東率いる中国共産党が、どれだけ多くの「中華民族」を無残に殺戮して勝利したか、その根本をまちがえてもらっては困る。国民党軍もまた共産党軍を大量に殺戮したが、いずれにしても「中華民族同士が殺し合った結果、勝利したのが中国共産党軍で、中国はその勝利によって誕生した国」なのである。

 アメリカの研究者がまちがえるのは、第三者なので、まあ、仕方がないとしても、日本の大手新聞社である朝日新聞が、このような基本中の基本を判断できないことに頭をかしげる(もし判断できていたのなら、このようなまちがった論点を、「オピニオン」などに載せるのは不適切だろう)。

 特に今年は戦後70周年記念に当たり、安倍総理は総理大臣談話を準備し、中国は「反ファシズム戦勝70周年記念祭典」を大々的に開催しようとしている。

 そのようなときに、このような誤認を内包している情報を載せるのは、非常に罪作りなことだと思う。

 その理由を、もう少し明確にさせよう。

 第二次世界大戦(および日中戦争)において、現在の中国は、国家として「日本という国と戦ったことはない」。

 日本と戦った国家は「中華民国」である。

 中華民国の軍隊である国民党軍は、たしかに「大日本帝国」の軍隊(日本軍)と戦い、「中華民族として立ちあがった」。

 このとき毛沢東は「日本の侵略戦争により、われわれは救われた」と言っている。

 なぜなら、なんとしても共産党軍を殲滅したい国民党軍のトップ蒋介石が、日中戦争勃発までは主力を共産党打倒に注いでいたが、日中戦争勃発により日本と戦わなければならなくなったため、共産党殲滅に専念していられなくなったからだ。それにより、消滅寸前だった共産党軍は息を吹き返した。

 その後、国共合作が行われ、国民党軍も共産党軍もともに協力して日本軍と戦った。このときは「中華民族として立ちあがって」いる。

(アメリカの原爆投下などにより)日本が敗戦したあと、中国国内では熾烈な中華民族同士の殺し合い、裏切り、スパイ活動が激化し、その「中華民族同士の戦いに勝利して」、49年に現在の中国が誕生したのである。決して「中華民族が立ちあがったから」中国が建国されたのではない。そのことを肝に銘じていただきたい。

◆「被害者の物語」における二つの大きなまちがい

 朝日新聞は取材したルーカス氏に、「抗日戦争勝利50周年記念の1995年前後、当時の江沢民国家主席は愛国主義教育を強めました。ここで登場したのが『被害者の物語』」と語らせているが、ここにも二つの大きな間違いがある。

 まちがい、

 その1:「被害者の物語」は愛国主義教育から始まったのではない。

 1979年まで、国民党は中国共産党にとって最も憎むべき相手だった。

 しかし1972年10月25日に「中華人民共和国」が「中国の代表」として国連に加盟すると同時に「中華民国」が国連から脱退し、日中および米中国交正常化の際に「一つの中国」論を認めさせると、中国政府の態度は一変した。

 米中国交正常化が正式に締結された1979年1月1日、トウ小平は同じ日に「台湾同胞に告ぐ書」を発表。

「日本軍と戦ったのは共産党軍だけでなく、国民党軍も貢献した」と初めて認め、「台湾の同胞」に「私たちはあの大変な日本の侵略戦争を共に戦った仲間ではないですか! 労苦をともにした同胞なのです! 私たちは共に日本侵略戦争の被害者で、勇敢に戦った仲間なのです! だから『一つに』まとまりましょう!」と台湾に呼び掛けた。

「日中戦争の被害者」を共通項として打ち出して、なんとか台湾を大陸側に向かせようとした。

 トウ小平は当時の中華民国総統であった蒋経国(蒋介石の息子)と、フランス留学時に接触していたので、蒋経国に「一国二制度」によって平和統一しましょうと申し出たのだ。

 ところが蒋経国がニベもなく拒否!

 そこでトウ小平はやむなく「一国二制度」を香港とマカオに適用することにして、1982年にイギリスのサッチャー首相に会い、2年後に英中共同声明を発表して97年の香港の中国返還を宣言している。

 このように「被害者の物語」は、台湾統一のために用意されたシナリオである。

 今は韓国に対しても、<活用>している。

 したがって、文脈が異なる。

◆「反ファシスト戦勝」という言葉によりデリートした4年間!

 まちがい、
 その2:江沢民が強調したのは「抗日戦争勝利50周年記念」ではなく、「反ファシスト戦勝50周年記念」で、ここにこそ日中米の最大の矛盾と問題点がある。

 前述したように、中国(中華人民共和国)は第二次世界大戦に参戦していない。終戦後4年経ってから、初めてこの世に誕生した国である。

 だから「抗日戦争勝利」というのなら、「中国人として闘ったから」という意味で、まだ整合性はあるものの、「連合国側にいた反ファシスト戦線加盟国」と位置づけるのは、完全に間違っている。連合国側の国ではない。

 それなのに1995年、江沢民はなぜ「抗日戦争勝利50周年記念」と言わずに、「反ファシスト戦争勝利50周年記念」と言ったのか。

 そこには深い理由がある。

 1995年5月、江沢民はロシアのエリツイン大統領に招待されて、モスクワで開催された「反ファシスト戦勝50周年記念」に参加した。中ソ対立をしていた中国としては初めての招待だった(ソ連は1991年に崩壊、現在のロシアになる)。その晩餐会でかつての「連合国側」の主要国首脳がスピーチしたのに、江沢民はスピーチに指名されなかった。激怒した江沢民はエリツインに詰め寄り、強引にマイクを握る。その場にはアメリカのクリントン大統領がいた。

 この事件のあと、江沢民は突如、「抗日戦争」を「反ファシスト戦争」に昇格させたのである。そして国際社会に躍り出て、クリントン元大統領との仲を緊密化させていく(その背後には息子の江綿恒の電信閥としての足場固め問題も絡んでいる)。

 「中華民国」の蒋介石総統の業績は、「一つの中国」である以上、「中国の業績」と位置付けられ、1945年(終戦)から1949年(中華人民共和国が誕生した年)までの4年間を、完全デリートしてしまったのだ。

 習近平国家主席は、この既成事実を「頂いて」、アメリカを牽制するために「反ファシスト戦勝70周年記念祭典」を盛大に開催しようと、ロシアのプーチン大統領と意気統合している。アメリカに対して「われわれはあの反ファシスト大戦をともに戦った仲ですよね!」とシグナルを送り、「共通の敵だった日本」をターゲットにすることによって、日米同盟があるアメリカを困らせようとしているのだ。アジア回帰しようとしているアメリカのプレゼンスを低め、相対的に中国の存在を強大化させていくためである。その証拠に、第二次世界大戦中の連合国側最大の国だったアメリカと組まず、ロシアと組んでいる。

 習近平政権のスローガンの一つである「中華民族の偉大なる復興」に関しては、多くの説明が必要なので、ここでは省く。

 研究者が個人の意見を述べるのは自由で、それに間違いがあれば他の研究者が指摘し、互いに切磋琢磨して正解に近づいていくというのが、学問の世界だ。

 だからルーカス氏自身を批判するつもりは毛頭ない。ただ、彼の論点のまちがっている点を指摘する自由もまた、他の研究者にはある。

 同じ中華民族同士の殺し合いの中で、家族を餓死で失い、餓死体が敷き詰められた上で野宿し、恐怖のあまり記憶喪失にさえなった者として、このような新聞のオピニオンを黙視できず、したためた。

(なお、1948年、長春における国共両軍の真空地帯「チャーズ」における餓死者の数は数十万であり、そこで餓死したことさえ口にしてはならないというのが中国なのである。餓死させたのも餓死したのも中華民族だ。こうして中国は誕生した。その中国で、餓死者はまるで犯罪者扱いであることを、人類は忘れないでほしい。)

(なお書きが多くて申し訳ないが、江沢民がなぜ愛国主義教育を始めたか、なぜそれが反日の方向に動いていったのかに関しては、ルーカス氏の取材にある理由とはまったく異なる江沢民個人の『物語』があるので、文字数の関係上、またの機会にしたいと思う。)

★注記:拙文を読んで下さった方の中に「読み間違えているのは遠藤氏に思える。ルーカス氏は毛沢東が勝利者の物語と述べたと主張しているだけであって、戦争の実際については言及してない。」というご意見を書いておられる方がいたので、ここに注記を加筆したい(ご意見を下さったことには感謝している)。

 1949年10月1日、毛沢東は天安門の謁見台の上に立って建国宣言をしたが、その宣言の主旨は「国民党蒋介石の反動政府がアメリカ帝国主義と結託して祖国を裏切り反革命戦争を発動してきたが、我が人民解放軍はついに勝利を収めた」というものである。決して「中華民族が立ちあがった」から「勝利した」とは言っていない。あくまでも「国民党蒋介石をやっつけたから勝利した」としか言ってないのである。しかもやっつけたのは「中華民族」である中国人民解放軍。

 毛沢東という人間は歴史の位置づけに関しては実に率直で正確であり、ごまかしをしていない。従って、ルーカス氏が「49年の建国の際に毛沢東たちが訴えたかったのは、中華民族が立ちあがった『勝利者の物語』だった」と取材に答えているのはまちがいであり、毛沢東はそんなことは訴えてないことに注目してほしい。特に日中戦争の「被害者の物語」との対比という文脈を考えれば、なおさらまちがった事実に基づいた発言である。

 いかなる理由をつけようと、中華人民共和国は「中華民族である国民党と、中華民族である中国共産党との内戦によって誕生した国である」という歴然たる事実を否定することはできない。
 1946年4月、国民党軍兵士を殺そうとした中国共産党軍兵士の銃弾がそれて筆者に命中した。その生き証人として、そして「中華民族」である中国共産党軍に食糧封鎖され、餓死していった数十万の無辜の「中華民族」の命への鎮魂を果すため、筆者にはこの歴史を人類に刻んでいく使命がある。ご理解いただきたい。

遠藤誉
東京福祉大学国際交流センター長、筑波大学名誉教授、理学博士


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