2013年12月27日

幹事長 石破 茂論(田 史郎)

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稀代の堅物、清濁併せ呑めるか
幹事長 石破 茂論

時事通信解説委員 田 史郎


【石破茂幹事長】(衆院鳥取1区・当選9回・56歳)
身長:176 体重:82
ウエスト:102 血液型:B型
座右の銘:「至誠の人 真の勇者」「勇気と真心を持って 真実を語れ」
政治の師:渡辺美智雄元蔵相、竹下登元首相。田中角栄元首相は「神」
愛読書:夏目漱石、森鴎外、井上靖、五木寛之の全著作
主な著作:『国難』、『国防』、『職業政治の復権』、『真・政治力』など
趣味:車の運転、料理、夜行列車乗車、船・飛行機を眺めること。温泉入浴


苦言にも耳を傾け 自らの行動に生かす
苦かった離党|復党の決断

 長く政治記者をしていると、政治家の岐路に図らずも立ち会うことがある。
 平成8年(1996年)9月27日、橋本龍太郎首相が衆院を解散する直前だった。当時、新進党に所属していた石破茂氏の議員会館事務所に何かの用事で電話を入れると、本人に代わり「今すぐ、来られますか?」と聞かれた。急いで駆け付けると離党の相談だった。意見を求められ、即座に「この衆院選で自民党が勝つのは確実です。政治家はやはり権力の中で仕事をすべきです」と答え、離党を強く勧めた。

 石破氏本人も離党に傾いていたのだと思う。それを誰かに後押ししてもらいたかったに違いない。それが、たまたま電話した私であったにすぎないのだが、その後しばらく、石破氏は「あの時、田さんがああ言ったから」とぼやいた。
 無所属で戦った衆院選で、鳥取市の自宅に夜中や未明に抗議の電話が頻繁にかかってきた。当時、公明党・創価学会は新進党の候補を全力で応援していたのに、石破氏が戦の直前に戦線離脱してしまった。応援した人たちが恨みを抱いたのは無理からぬことだった。

 その後、公明党・創価学会との厳しい関係が続く。それが平成24年(2012年)9月の幹事長就任後、井上義久公明党幹事長と肝胆相照らす仲となり、公明党員にも人気が高い。

 井上氏に石破評を聞いた。

「幹事長として初めて一緒に仕事をした。とっつきにくい人かと思ったら案外、人懐っこい。筋を通す人だし、反対があってもこちらとの約束を守る。信頼関係ができている」

 石破氏も「井上さんも私も堅物ですよね。理屈が通らないことは嫌い、駆け引きはできないが人を裏切らない、たぶらかさない。そのあたりが互いに分かって、気が合ったんじゃないかな...」と語る。

 一昨年暮れの衆院選、昨年夏の参院選での自民圧勝は安倍晋三首相によるアベノミクスが評価されたからだ。だが、「石破・井上」の信頼関係に基づく自公選挙協力が下支えしていたことを忘れてはなるまい。

 石破氏は平成9年(97年)3月、復党した。竹下登元首相が復党に反対する地元県議らに一人ひとり電話し、理解を求めた。石破氏が初出馬した時、竹下氏は地元有力者を赤坂の料亭に集め、「(石破にできず)竹下サンにできることがあったら言ってください」と頭を下げた。この恩義を石破氏は今も熱く語る。


 運命を決めた総裁選

 だが、復党後、しばらく肩身が狭かった。国防部会では発言を慎み、代わりに浜田靖一氏(現幹事長代理)に質問してもらった。そんな日陰の身から防衛庁長官を経て首相候補への道を歩み始めたのが平成20年(08年)9月の自民党総裁選だった。鴨下一郎前国対委員長は回想する。

「石破さん、小坂憲次さん、伊藤也さん、私の4人が集まって誰かを立てようという話になった。石破さんと小坂さんに絞られたが、小坂さんが固辞、石破さんになった」

 この時、推薦人20人を集めるのに四苦八苦した。麻生太郎氏が選ばれたこの総裁選で石破氏は5人の候補者中最下位の25票。国会議員票では21票。推薦人と本人を加えたぎりぎりの数だった。

「初出馬した時よりも恐かった......」

 総裁選後、石破氏はこう告白した。支援を約束してくれた人が他陣営に走り、無理かなと思った人がいざとなったら助けてくれる。議員の非情さと温もりを実感した。
 一方、石破氏の言動が恨みを買うこともあった。麻生政権末期の平成21年(09年)7月、都議選惨敗を受けて農水相だった石破氏は与謝野馨財務相とともに麻生太郎首相に自発的退任を迫った。麻生氏が大臣にしてやったのに、と思っても不思議ではない。これに先立ち、平成19年(07年)夏の参院選で惨敗後の代議士会で石破氏は安倍晋三首相に退陣を求めた。

 石破氏はこういう時、黙っていることができない。復党の際、竹下氏から「正しいことを言う時は人を傷つけるもんだということを忘れるなよ」と忠告されたにもかかわらず、思い詰めるとまっすぐに行動してしまうことが石破氏の長所なのだが、短所でもある。

 野党転落後、平成21年(09年)9月の総裁選で立候補を見送り、谷垣禎一氏を支持した。谷垣体制で石破氏は政調会長に就任した。これを機に専門外の経済・財政なども学ばざるを得なくなり、政策の幅が広がった。

 石破氏が再挑戦した一昨年の総裁選は総裁選史上、まれに見る激戦だった。1回目に党員票で過半数を大きく上回る165票を獲得したものの議員票が伸びず、議員のみで行う決選投票に持ち込まれ、安倍首相に敗れた。議員への影響力において、安倍氏に後れを取ったことは否めない。

 しかし、安倍政権下で幹事長に就任。菅義偉官房長官と日に何回も連絡を取り合い、いまや安倍政権を動かす両輪となっている。安倍と石破はライバルだから遠慮も生じるが、菅が蝶つがいの役割を見事に果たしている。


 あえて苦言を呈す

 最近、石破氏とこんな話をした。「お互い、こうなるとは思わなかったね」「そうですね。先生が幹事長になり、私がテレビに出演するようになっているわけですから」。

 石破氏との出会いは昭和58年(1983年)、石破氏が三井銀行を辞め田中派の政策集団事務局に勤務していたころ、私が田中派を担当していたことに始まる。立場は大きく違うが、付き合いはかれこれ30年に及ぶ。

 その付き合いに免じてあえて苦言を呈すれば、国会議員には「カネとポスト」で動く人がいるということだ。カネが欲しい、ポストに就きたいと思うのは人間の性(さが)。思想信条・政策の一致や仲間意識だけで集まるのでは広がりに欠ける。その現実から目をそらしてはいけない。石破氏が清濁併せ呑めないのであれば、誰かにゆだねればいい。

 もう一つ、あまりぼやかないことだ。石破氏はぼやいた後でなければ動かない性癖がある。どっち道、やるようになるのだから、ぼやきの数を減らすか、ぼやく相手を少なくした方がいい。見ず知らずの人がぼやきを聞くと、石破氏は不満を持っているのかと早とちりしてしまう。

 私の石破評はちょっと、厳しすぎたかもしれない。だが、私の役割は他の方が遠慮して言わないことでも直言することだと思っている。そして、石破氏の最大の長所は苦言にもじっくりと耳を傾け、自らの行動に生かしていることだ。


たざき・しろう
昭和48年時事通信社入社。政治部次長、編集局次長、解説委員長を経て現在、解説委員。テレビ朝日「グッド!モーニング」、TBS「サタデーずばッと」「ひるおび!」などに出演中。主な著書に『竹下派死闘の70日』(文春文庫)、『梶山静六死に顔に笑みをたたえて』(講談社)、『政治家失格』(文春新書)など。中央大学卒、福井県出身、63歳。
『自由民主より』

shige_tamura at 15:47│Comments(0)TrackBack(0)clip!自由民主党 

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