2012年04月12日
講義録・佐藤一斎の生涯(福井昌義・日本論語研究会幹事)(その2)
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佐藤一斎の生涯(福井昌義・日本論語研究会幹事)
これは4月7日(土)慶應義塾大学に於いての「日本論語研究会」での講義録です。非常に良い内容です。
以下、掲載します。
(今日一日を一生懸命生きる)
『言志晩録』175条に、
心は現在なるを要す。
事未だ来らざるに、向うべからず。
事已に往けるに、追うべからず。
わずかに追いわずかに向うとも、すなわちこれ放心なり。
――とあります。
現代語訳にしますと、
時間は時々刻々と移り変わるが、自分の心は「現在」に据えておかなければならない。
時機が到来していないものを迎えることは不可能だし、また過ぎ去って行ってしまったものを追いかけても追いつけない。
少しでも過去のことに未練をもって追いかけたり、まだやっても来ないものに気を揉んだりするのは、「心の不在」を示すものである。
大切なことは、今日一日を一生懸命生きることです。
今日という日は、今日しかありません。
(小泉元総理はなぜ長期政権が可能だったか?)
『論語』や佐藤一斎の勉強といった人間学を小泉元総理はしっかり学んでいたからこそ、歴代3位の1980日という長期政権を築くことができたと私は考えます。
歴代3位の記録は抜かれましたが、中曽根康弘元総理についても同様のことが言えると考えます。
ちなみに私が大学在学中2001年4月から2005年3月にかけまして、ずっと総理は、小泉氏が努めていました。
残念ながら、その後の総理が1年足らずで変わってしまうので、もっとしっかりして欲しいという気持ちになります。
(佐藤一斎の『重職心得箇条』)
それに対して小泉内閣で外務大臣として入閣した田中真紀子氏は、外務省問題で官僚との対立があり、1年持たず去っています。問題が起こっている最中、小泉総理は、田中氏に一斎の『重職心得箇条』をプレゼントしています。このとき彼女は、「こんな江戸時代のカビの生えた話など要らないわよ。」と言い放ったそうです。
とてもではありませんが、『重職心得箇条』の内容を少しでも知っていれば、そんな発言はできないと考えます。
『重職心得箇条』は、1826年(文政9年)一斎が55歳のとき、重臣向けに書いた指導書です。当時、他に類書がないことから引っ張りだことなり、噂を聞いた諸大名が大金を払って書き写したという逸話があります。
全部で17条からなります。
そのうち、第11条と第12条をここでご紹介します。
第11条
胸中を豁大寛宏にすべし。
僅少の事を大造に心得て、狭迫なる振舞あるべからず。
仮令才ありても其用を果さず。
人を容るる気象と物を蓄る器量こそ、誠に大臣の体と云うべし。
(現代語訳)
広くて大きいゆるやかな心の持ち主であることが重職には求められる。
些細なことに大袈裟に反応して、こせこせ立ち回るようでは、たとえ、どれほど優れた才能の持ち主であろうと、重職失格である。
どんな人間でも受け容れる広い心、どんな物事でも抱え込める大きな器量こそが、本当の大臣(重職)の姿といえよう。
第12条
大臣たるもの胸中に定見ありて、見込みたる事を貫き通すべき元より也。
然れども又虚懐公平にして人言を採り、沛然と一時に転化すべき事もあり。
此虚懐転化なきは我意の弊を免れがたし。能々視察あるべし。
(現代語訳)
大臣たるものは、胸中に確固たる思想・信念を持ち、決めたことを貫き通すようでなくてはならない。しかしながら、虚心坦懐に他人の意見を聞いて、それが正しい意見ならば公平にそれを採用し、自分が下した決定を急遽変更することはかまわない。
この虚心坦懐に他人の意見を聞き入れる柔軟な気持ちと公平な眼こそが、大臣に必要な資質なのである。もしこれに欠けていると、何がなんでも自分の意見をゴリ押しする弊害の原因となる。よくよく自省することである。
17条全部理解しなくても、1つでも2つでも知っていれば結果は、違っていたのではないでしょうか。
今から約11年前の自民党総裁選のとき、小泉元総理と田中真紀子元外務大臣の人気はすごかったと記憶しています。当時、私はテレビでそのすごさに圧倒されました。
現在、冷静に考えて思うことは、小泉元総理が、国民的人気があるだけでなく、指導者のあり方をきちんと勉強していたのに対し、田中真紀子氏は国民的人気だけで、指導者のあり方を残念ながら勉強していなかったと言えます。
この差が、在任期間に表れています。
奥様の田中真紀子氏の方がクローズアップされますが、ご主人の田中直紀氏が、野田内閣の防衛大臣として今大変苦労していますね。
(続く)
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佐藤一斎の生涯(福井昌義・日本論語研究会幹事)
これは4月7日(土)慶應義塾大学に於いての「日本論語研究会」での講義録です。非常に良い内容です。
以下、掲載します。
(今日一日を一生懸命生きる)
『言志晩録』175条に、
心は現在なるを要す。
事未だ来らざるに、向うべからず。
事已に往けるに、追うべからず。
わずかに追いわずかに向うとも、すなわちこれ放心なり。
――とあります。
現代語訳にしますと、
時間は時々刻々と移り変わるが、自分の心は「現在」に据えておかなければならない。
時機が到来していないものを迎えることは不可能だし、また過ぎ去って行ってしまったものを追いかけても追いつけない。
少しでも過去のことに未練をもって追いかけたり、まだやっても来ないものに気を揉んだりするのは、「心の不在」を示すものである。
大切なことは、今日一日を一生懸命生きることです。
今日という日は、今日しかありません。
(小泉元総理はなぜ長期政権が可能だったか?)
『論語』や佐藤一斎の勉強といった人間学を小泉元総理はしっかり学んでいたからこそ、歴代3位の1980日という長期政権を築くことができたと私は考えます。
歴代3位の記録は抜かれましたが、中曽根康弘元総理についても同様のことが言えると考えます。
ちなみに私が大学在学中2001年4月から2005年3月にかけまして、ずっと総理は、小泉氏が努めていました。
残念ながら、その後の総理が1年足らずで変わってしまうので、もっとしっかりして欲しいという気持ちになります。
(佐藤一斎の『重職心得箇条』)
それに対して小泉内閣で外務大臣として入閣した田中真紀子氏は、外務省問題で官僚との対立があり、1年持たず去っています。問題が起こっている最中、小泉総理は、田中氏に一斎の『重職心得箇条』をプレゼントしています。このとき彼女は、「こんな江戸時代のカビの生えた話など要らないわよ。」と言い放ったそうです。
とてもではありませんが、『重職心得箇条』の内容を少しでも知っていれば、そんな発言はできないと考えます。
『重職心得箇条』は、1826年(文政9年)一斎が55歳のとき、重臣向けに書いた指導書です。当時、他に類書がないことから引っ張りだことなり、噂を聞いた諸大名が大金を払って書き写したという逸話があります。
全部で17条からなります。
そのうち、第11条と第12条をここでご紹介します。
第11条
胸中を豁大寛宏にすべし。
僅少の事を大造に心得て、狭迫なる振舞あるべからず。
仮令才ありても其用を果さず。
人を容るる気象と物を蓄る器量こそ、誠に大臣の体と云うべし。
(現代語訳)
広くて大きいゆるやかな心の持ち主であることが重職には求められる。
些細なことに大袈裟に反応して、こせこせ立ち回るようでは、たとえ、どれほど優れた才能の持ち主であろうと、重職失格である。
どんな人間でも受け容れる広い心、どんな物事でも抱え込める大きな器量こそが、本当の大臣(重職)の姿といえよう。
第12条
大臣たるもの胸中に定見ありて、見込みたる事を貫き通すべき元より也。
然れども又虚懐公平にして人言を採り、沛然と一時に転化すべき事もあり。
此虚懐転化なきは我意の弊を免れがたし。能々視察あるべし。
(現代語訳)
大臣たるものは、胸中に確固たる思想・信念を持ち、決めたことを貫き通すようでなくてはならない。しかしながら、虚心坦懐に他人の意見を聞いて、それが正しい意見ならば公平にそれを採用し、自分が下した決定を急遽変更することはかまわない。
この虚心坦懐に他人の意見を聞き入れる柔軟な気持ちと公平な眼こそが、大臣に必要な資質なのである。もしこれに欠けていると、何がなんでも自分の意見をゴリ押しする弊害の原因となる。よくよく自省することである。
17条全部理解しなくても、1つでも2つでも知っていれば結果は、違っていたのではないでしょうか。
今から約11年前の自民党総裁選のとき、小泉元総理と田中真紀子元外務大臣の人気はすごかったと記憶しています。当時、私はテレビでそのすごさに圧倒されました。
現在、冷静に考えて思うことは、小泉元総理が、国民的人気があるだけでなく、指導者のあり方をきちんと勉強していたのに対し、田中真紀子氏は国民的人気だけで、指導者のあり方を残念ながら勉強していなかったと言えます。
この差が、在任期間に表れています。
奥様の田中真紀子氏の方がクローズアップされますが、ご主人の田中直紀氏が、野田内閣の防衛大臣として今大変苦労していますね。
(続く)
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