2012年02月16日

講演録「日本の政治・安全保障−この国の形を考える」(その2)

歌『日本を美しく!』がカラオケDAMに入りました。
『天に向かって!』がウガとジョイサウンドに入ってますから、全国のカラオケで僕の歌を歌うことが可能になりました。
 「天に向かって!」「日本を美しく!」(歌・田村重信)が、セントラルレコードのHPからユーチューブで聴けます。

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 第15回 「咢堂塾」講義・2012/01/28 憲政記念館第2会議室

 自民党政務調査会調査役・慶應義塾大学大学院法学研究科・講師:田村重信


 自民党本部での仕事

 それでレジュメに戻りますけれども、僕は政治人生ということで色々やってきました。全国組織委員会ということでいろんな仕事もやりました。
 あと一生懸命勉強したのは、地方自治体の活性化(地方の活性化)で村おこしとか文化関係、そんなことをやってきました。
 それからゲートボール大会もやりました。JC・青年会議所主催の「三世代交流ゲートボール大会」で総理大臣杯をしたり、その当時は、麻生太郎さんとか、平沼赳夫さん、古賀誠さんが若かりし頃(自民党青年局長、次長)にやりましたけれどもね。
あと政策(政調会)担当になって、農林水産関係で、DHA、魚を食べれば頭がよくなる。これは僕がヒットさせたのですが、またこの話をするとまた30分ぐらいになりますから止めます。
 それから今は、憲法・外交・安保。


 野党・橋本龍太郎政調会長の室長

 で野党の時は、橋本龍太郎政調会長の室長。野党になると新聞とかがほとんど書いてくれなくなる。それで毎週、自民党の新聞(自由新報)に『闘う政調会』というコラムを作ってもらい、連載しました。それから橋本龍太郎のために本を出した。最初『日本のビジョン』という名前で本を出そうと思ったら、田中直紀さんが同じ名前の本を出していましたので、それじゃということで『ビジョン・オブ・ジャパン』という英語にしました。なんで英語にしたかというと、僕は今、民主党の代表をやっていた小沢一郎さんが、自民党の幹事長を辞めた後に、国際貢献に関係する小沢調査会というのを作りました。それで提言をまとめた時、そのあと英語を付けた。英語を付けることによって外国の人にも理解してもらう、ということが頭にあったんです。

 そして英語版の本(『ビジョン・オブ・ジャパン』)も作りまして、アメリカの関係者にも配りました。という風に国際化時代ですから、そんなことも考えていく必要があるなと。ということで実行した。当時、みんな橋本さんに(テレビ)出てもらいたいんですね、視聴率がとれますから。そういう意味で、国際化時代とうのも考えていく必要があるなと、実行した。

 当時、橋本さんは大人気だから、それらマスコミ対応を僕がやっていました。皆、橋本さんに出てもらいたいんですね。視聴率を稼げるから。テレビ局と一緒になって、だったらこういうテーマでやったら、視聴者も喜ぶから、というふうな感じで、橋本さんを支えたんですね。

 
 自社さ政権の思いで

 あと、自社さ政権これも面白かったですね。
 戦後50年問題とか色々やったりしましたけれども、従軍慰安婦関係の問題とか。
従軍慰安婦という言葉は、これは言葉としてクエスチョンなんですね。僕は「いわゆる従軍慰安婦」として扱いました。これはみんな処理済みですから、今、韓国が色々言ったっていいけど、社会党が色々言ってきたから、「いわゆる従軍慰安婦」に関する委員会を自社さ政権の戦後50年問題プロジェクトチームの下につくりました。それで国(日本)と国(韓国)の戦後問題は全て終わっているから。でも人道上の問題があるから、基金みたいなものをつくってそれで処理しましょうということになった。

 その時、大問題になったのは、社会党の議員が条約で済んだ問題をクローズアップするから、じゃあ従軍慰安婦の問題とか、強制連行とか、それをやるということになったら、「条約を否定することになるよ」と言ったのですが、みなさん与党としてそれを否定するのかしないのかという問題になり、「全部認めます」ということになりました。
 その辺の問題を整理し、村山政権の時に戦後の諸々の問題を全て処理したんですよ。
 それをドイツはそれをやって、日本はやらないとかいいますけれども、そんな話ではないんですよ。ドイツは楽なんですよ、全部ヒトラーが悪いと言えばいいでしょう。日本はそんなふうに簡単ではない。
 でも処理したんです。そういう意味では、社会党と議論してこういう問題を処理したのはとてもよかった。そしてその時に一緒にやった河野さんが総理大臣秘書官になった。彼は、戦後50年問題は事務方が重要な役割を演じたと思っていた。そこで彼が、総理大臣補佐を強化しようとなった。国会議員の総理補佐がいるでしょう。その下に事務方の補佐を作ろうということで、僕は総理大臣補佐の補佐になったんですよ。自民党は戸井田三郎議員の補佐になった。
 だから、その頃は、総理公邸に行って、村山総理と土曜日午後に勉強会もした、宇沢弘文さんの話を一緒に聞いた入りして、そんなようなことが思い出としてあります。


 『人生の本舞台は、常に将来にあり』

 僕も59歳だなと思っていて、石田さんの『心の力』、いい言葉があるんですね。
 「何か新しいことを始めるのに、“遅すぎた”なんてことはないよ。年齢なんて関係ないんだから。『人生の本舞台は、常に将来にあり』(尾崎行雄(咢堂)です!始めたいと思った時が、始め時です。)(相馬雪香)『心の力』(石田尊昭著、世論時報社)
 その後もいいですよね。

「知識経験は金銀財宝より貴い。しかるに世間には、6〜70歳以後はこの貴重物を利用せずに隠退する人がある。金銀財宝は、他人に譲ることができるが、知識経験は、それが出来ない。故に死ぬ瞬間まで自分でこれを使用しなければならぬ。有形の資産は、老年に及んで喪失することもあるが、無形の財産たる知識経験は、年と共に増すばかりで、死ぬ前が、最も豊富な時である。故に最後まで、利用の道を考えねばならぬ。」(35年「人生の本舞台」より)
 いいこと書いてありますよね。
 この気持ちがあれば、難しい高齢者問題なんてないんですよ。と本当に思います。
 日本の社会を考えた時にどうするか。日本を良くすることなんですが、でやっぱりこれも本にありまして、「日本はこれから、世界に尊敬される道義国家を目指す」(相馬雪香) 
 これにつきる。
(続く)

shige_tamura at 17:26│Comments(0)TrackBack(0)clip!講演録 

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