2011年11月07日

森 喜朗元総理(自民党の政治家はすべてファミリー、語る 第2回 )

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 先週は、台湾の行政院大陸委員会・国策研究院主催の国際会議に招待されて、『日米安保体制と両岸関係』というテーマで講演して来ました。
 そのため、長らくブログを休んでいました。

 今回は、大好評の「語る 第2回、森 喜朗元総理」です。


 自民党の政治家はすべてファミリー


 第1回で、自身の若き日を振り返りながら、福田赳夫元総理との思い出を語った森喜朗元総理。2回目は、わが党が初めて野党になったとき、幹事長としていかに与党復帰に努力したかのエピソードを交え、幹事長の役割と人事のあり方を語った。

「幹事長は派閥を超えて有能な人材を見つけ、その人を信頼することが大事」

 僕の若いころ、国会の委員会理事には、委員会にしっかり出席し、質問もちゃんとして、党活動もがんばっている人が選ばれました。ところが、今はそのようなルールがどこかへ行ってしまったようです。その委員会と何の関係もない人が突然、理事になることがあります。でも、それでは今まで苦労してその委員会の委員として、がんばってきた人は嫌気がさしてしまいます。いいことではありません。派閥のごり押しです。

 幹事長は、派閥を超えて全体を見て人事をやらないといけません。派閥から要請があったとしても、「実際この人はどうなの」とその委員会の先輩理事に聞いてみて、「あの人は全然何にもやってなかったです」と言われれば、無理して押し込んではいけない、というくらいの見識は持たなければいけないのです。

 政務調査会の副部会長になるのも大変な競争でした。今は、希望者が多いと簡単にポストの数を増やすことで就けますが、本当は、どれだけ担当する分野について考えていて、論じられるのかを試験すべきです。そうでないと一生懸命やってる人がばかばかしくなるし、努力しなくても要領よく立ち回ればポストをもらえるということになってしまいます。

 また、いまは無派閥の人が多いですが、その中から人材を見つけ出すことは幹事長を中心にやるしかありません。幹事長が公平に人を見ることができるかどうかにかかっています。できるだけ有能な人をたくさん使う。その人を信頼してやるということがやっぱり大事です。


「予算委員会の迫力はすごかった。
細川内閣はいたるところで立ち往生した」


 僕は自民党が野党だった細川内閣、羽田内閣のとき、幹事長でした。野党は自民党にとってはじめてのことでみんなショックでした。深谷隆司さん、野中広務さん、粕谷茂さん、与謝野馨さんをはじめ、有力な大臣候補は茫然(ぼうぜん)自失でした。

 そこで私はまず、「この人たちのエネルギーを使おう」と思い、予算委員会の理事に野中さん、深谷さんなどを据えた。だから、予算委員会の迫力はすごかった。細川内閣はいたるところで立ち往生でした。

 そして、細川さんの個人的なスキャンダルを調べ上げるため、党に「細川総理の疑惑に関する調査特別委員会」を設置、検事出身の松永光さんを委員長に据えました。熊本へ調査団を派遣したら、いろんな話がいっぱい出てきました。人の良いお殿様ですから、細川さんにとって、それはものすごいボディーブローのように効きました。

 そのとき、同時に裏部隊をつくりました。社会党に働きかける部隊です。これは、今は国民新党の代表をしている亀井静香さんにやってもらった。社会党には、右派と左派があって、右派はどちらかというと自民党寄りだったのですが、左派を亀井さんは狙ったんです。それで、「俺がやるから幹事長、任せてくれ」って言うから、「何でもやれ。やりたいことを全部やれ」と申し上げた。それで、すごい工作を始めるんです。


「難局に立ち向かっている谷垣総裁を何とか総理にしてあげたい」


 そのうちに、亀井さんが、村山富市委員長と会ってくれといってきたんです。ところが、なかなか会えない。赤坂プリンスホテルで一晩中待ったこともありました。明け方に電話がかかってきて、「いやあ、森さん、すまんのう。出れんのじゃよ。もう明け方だから、記者がいないかと思ったらいっぱいおる。今日もまた行けんわ。すまん」と言われました。そういうことが何回かあった。だから、これは本物だなと思いましたね。

 表舞台の予算委員会で細川内閣を追及する人、ダーティーな部分を調査する人、それだけでは自民党は勝てないから、他党へ働きかける人、みんな所を得て心を一つにして、与党に還(かえ)るため一生懸命頑張った。僕は自民党の政治家はすべてファミリーだと思っています。だから、みんなを大事にして、みんなを生かさなければいけません。

 でも当時、河野洋平総裁を総理にすることができなかった。小泉内閣ができ、一番に党として河野さんを衆院議長候補に推薦しました。だからというわけではありませんが、谷垣禎一総裁を何とか総理にしてあげたい。人柄がよくて頭のいい人だ。この難局に立ち向かっている谷垣さんを総理にするため、応援しなければいけないと思います。
(近藤三津枝・前党新聞出版局長が取材)


あの時、この時

―――命をかけて―――

 平成12年4月5日午前、森喜朗氏は党大会に代わる両院議員総会で第19代総裁に選出され、その日の午後、第85代内閣総理大臣に指名された。
 この日からわずか3日前の2日未明、小渕恵三総理が脳梗塞で倒れ、その後、職務遂行が不可能となり、3日には、青木幹雄官房長官が総理臨時代理に就任。翌4日の臨時閣議で小渕内閣が総辞職した。こうした緊急事態を受けての総理就任だった。
 しかし、就任直後の森氏にショッキングな出来事が起こった。所信表明終了後に予約していた病院での検査の結果、前立腺がんを宣告されたのだ。手術すれば退院まで1カ月ほどかかるという。国会では、予算が成立したばかりで、重要法案のほとんどが未成立。7月には九州・沖縄サミットも控えていた。国政の停滞は許されない状況だった。
 総理を辞任するわけにもいかず、手術するゆとりもない。投薬治療を進めながら、職務を遂行するしかなかった。「命が危なくなっても、やれるところまではやろうと決意した。倒れてもそれは運命だ」(平成15年2月5日付、産経新聞)――。森氏は当時の心境をこう語っている。こうして、まさに命がけの「森内閣」がスタートした。
 『自由民主』より

shige_tamura at 08:21│Comments(0)TrackBack(0)clip!自由民主党 

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