2011年09月29日

語る 河野洋平元総裁 第3回

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語る 河野洋平元総裁 第3回をお送りします。


 辞表を胸に両院議員総会に臨む

 平成6年、社会党と連立を組むことで、わが党を政権に復帰させた河野洋平元総裁。困難とみられた社会党との連立に向け、同党の村山富市委員長をどのように説得したのか。また、政権奪還を目指す谷垣禎一総裁へのアドバイスは。河野元総裁が語った。


「混乱する政治を収拾するために、政治生命をかけて村山富市委員長を説得した」

 羽田内閣が平成6年に総辞職した後、社会党と連立を組み、村山富市委員長を総理にしました。自民党と社会党が組めるはずがないという人が党内にもいました。しかし、私はそうは思いませんでした。社会党はこれまで保守の小沢一郎さんと組んで、中道政権を担ってきました。小沢さんたちと組んでいながら自民党とは組めないという理屈はないだろうと私は思っていました。

 混乱する政治を収拾するためには、第1党と第2党が組んで責任を果たさなければならないと考え、社会党と話し合ったのです。そして、正当性があると思えない権力の二重構造が見られる権力主義的政治運営を行っている政権をなんとしても倒さなければと思っていました。

 それでも、自民党が社会党と組むということは大変なことです。首班指名で、自民党が、社会党の党首の名前を書くということは、立党以来一度もなかったことです。

 そういう前代未聞のことをやろうというわけですから、私は直接、村山さんと会って、「どうしてもあなたにやってもらいたい」と政治生命をかけて説得しました。

 村山さんが「なぜ河野さん、あなたじゃなくて私なんだ。第1党のあなたがやればいいじゃないか」と言うから、「いや、私がやったってだめだ。私がやったって社会党は全員が『河野洋平』と書かないだろう。あなたがやるなら自民党は一致して『村山富市』と書くよ」と答えました。「ほんとかい?」って言うから、「絶対書かせる」と約束して、それで村山さんも最後は「じゃ、やりましょう」ということになりました。


「村山首班指名が了承されなければ、 総裁を辞任するつもりだった」

 村山さんには引き受けてもらったのですが、実は自民党内を説得できるかどうかという問題がまだ残っていました。しかし、首班指名まで時間がなく、総務会を開く間もありません。首班指名の直前、両院議員総会を開いて、ここで私の提案を了承してもらえるかどうかが勝負でした。両院議員総会では「社会党なんて担げるか、自民党の政策綱領はどうなるんだ」などと厳しい意見が続きました。

 しかし、村山さんと同じ大分県出身の衛藤晟一代議士が「みんないろいろ言うけれども、私は村山さんの家の向かい側に住んでいる。その私は、次の選挙で村山富市と戦わなきゃならなくなる。それでも今は村山を担ぐ以外に自民党の生きる道はないじゃないか。やろうじゃないか」と言ってくれました。衛藤さんの演説でだいぶ党内の雰囲気が変わりました。

 それで、なんとか村山首班指名ということになったのですが、それは本会議のベルが鳴る寸前でした。私は、了承が得られなければ、総裁を辞任するつもりでいました。私はこの時、辞表を胸に持って臨んだのです。


「野党の今、自民党を代表してテレビに出るのは谷垣総裁が基本」

 今、自民党は野党ですが、谷垣さんはとてもよくやっていると思います。総裁になると、まず党組織から、総裁は全国を回れ、全国の都道府県連や地方支部を回れと言ってきます。それは確かにその通りです。谷垣さんも今、ずいぶん地方を回っています。
 この前の総選挙で傷ついた人がたくさんいるのですから、それは確かに必要なことです。

 けれども、同時に大事なことは、もっと総裁が徹底的にテレビに出て、谷垣さんのテレビの露出度を今の何倍にも増やすことです。野党である今は、自民党を代表してテレビに出るのは総裁が基本です。次の総理に誰がふさわしいかという世論調査をやれば、露出度の高い人が票を集めるものです。

 ぶら下がりや記者会見はテレビ局の都合のいい部分だけが放映されるのでだめなんです。短い番組でもいいですから、最初からずっと谷垣さんの言っている肉声が放映されないといけません。そういうことをもっと考える必要があります。先日、谷垣さんにも大島理森副総裁にも、このことを申し上げました。
(近藤三津枝・党新聞出版局長が取材)



あの時、この時

―――村山首班決めた両院議員総会―――

 平成6年6月29日。会期最終日に開かれたわが党の両院議員総会で発言を求めた河野洋平総裁は静かに語り始めた。
「衆参両院議員の皆さん、わが党を支えてくださる全国党員の皆さん。総裁として誠に残念なことながら、第2党党首、村山富市氏に首班候補を要請した」
 とたんに会場はざわめき、不規則発言が多くなった。しかし、河野総裁はひるまない。
「わが党は耐えがたきを耐え、第1党としての責任を果たしていかなければならない」と次第に熱を帯び、最後に「党の命運をかけた大事なこの場面で、私は総裁としての責任をかけてこの決断を下した」と締めくくった。

 これに対し反対論が次々に展開された。しかし、河野元総裁も、本紙「語る」のインタビューでも回想しているように、村山委員長と同じ旧大分1区から選出されていた衛藤晟一議員の発言が流れを変えた。

 これにより河野総裁の決断は党議となった。その直後に本会議開会のベルが鳴り、全議員が議場になだれ込んでいった。

 わが党にとって苦渋の決断だった。しかし、これにより八つの政党・会派による細川護熙、羽田孜両連立政権によってもたらされた停滞と混乱に終止符が打たれ、政治に落ち着きが取り戻された。

 その後、自民、社会、さきがけの3党連立政権は橋本龍太郎内閣に引き継がれ、4年間のこの枠組みの間に、わが国初の本格的な連立政権として、直面していた多くの懸案を解決していった。
(『自由民主』より)

shige_tamura at 09:46│Comments(1)TrackBack(0)clip!自由民主党 

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この記事へのコメント

1. Posted by 党府連役員   2012年05月16日 19:46
5 河野氏は翌年の総裁選で橋本龍太郎氏を前に出馬辞退という不本意な去り方を余儀なくされたが、しかしこの時の河野元総裁の決断や、氏と森喜朗氏のコンビが、その後の河野氏が活躍する基盤となった
事実、小渕再改造内閣、第一次第二次森内閣では、再び外相に就任するのである

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