2011年09月22日
復興・・前例のない事態に前例のない方法で(関西学院大学教授 室崎 益輝)
「天に向かって!」「日本を美しく!」(歌・田村重信)が、セントラルレコードのHPからユーチューブで聴けます。
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大震災 復興への視点
復興・・前例のない事態に前例のない方法で
これからの防災対策 (1)
関西学院大学教授 室崎 益輝
今回の東日本大震災で、その対応にスピード感がないといわれている。
がれきの撤去が進まない、避難所の解消が進まないといったことが、スピード感のないことの例として引き合いに出されている。
ところで私は、そのスピード感のなさの根源は、単に財源がないといった量的な問題にあるのではなく、迷い道に踏み込んで手さぐりになっているという質的な問題にある、と考えている。
道に迷っている段階では、いくらお金をつぎ込んでも、そこから抜け出すには時間がかかってしまう。
災害実態に即した新しい制度を
そこで問題になるのは、どこで道に迷ったかである。
ここで道に迷ったポイントを探ろうとするのは、そこがわからなければ迷路から脱出することができない、からである。
私は、そのポイントが「想像力を欠いた前例主義」にあると推論している。
東日本大震災は阪神・淡路大震災と様々な点で大きく違っているのに、阪神・淡路のときと同じことをすればよいと思い込んで対応して、道に迷ってしまったのである。そもそも、低頻度巨大災害というものは類似性よりも特殊性が強く、前例があまり役に立たない。
前例のない事態が起きているのだから、前例のない対応が求められるのである。
過去の災害をベースにつくられた制度や慣習は、今回のような未曽有の災害にはあてはまらない。
後出しジャンケンと言われてもよいから、進行形の災害の実態に即して新しい制度をつくって対処する、大胆さと柔軟性がいるのである。
例えば、災害対応の中での復興のウエートが極めて大きくなっていることを考えると、災害救助法の見直しもさることながら、それに加えて災害復興法の制定が急がれる、といったことである。
阪神・淡路大震災と違う三つの点
それでは、もう少し具体的に阪神・淡路大震災との違いを押さえて、これからの復興のあり方を考えてみよう。
第一の点は、産業構造が大きく違うということである。
阪神地域は、給与が保障されたサラリーマンが多く、雇用よりも住宅が大事であった。だからこそ、住宅再建が復興の中心課題となったのである。
しかし、今回の東北地方は漁業や農業あるいはそれに関連する水産業などに従事する人が大半で、産業が停止し収入の道が断たれた状況では、住宅よりも雇用が重視されなければならない。産業再建を復興の中心に据えなければならないのである。
第二の点は、地域構造や社会構造が違うということである。
自然と共生するシステムが息づいている、職住が一体となった共同体が形成されている、お祭りなど豊かな生活文化が残っているといった特質は、復興の中で十分に考慮しなければならない。
こうした特質は、未来の社会を先取りしたものとして評価しなければならない。
東北地方は、経済的には貧しい地域であっても、生活的には豊かな地域であると捉えて、復興を考えることが欠かせない。海とともに生きる、土とともに生きるということを最優先して、復興を考えなければならない。
第三の点は、自治体の基礎体力が違うということである。
ただでさえ、体力のない弱小自治体が、壊滅的な被害を受けてさらにその体力をすり減らし、自力ではとても立ち上がれない状況にある。
国や県の前例のないほどの物心両面の支援がないと、復興の設計図が書けないということである。
だからこそ、思い切った財源支援をしなければならないのである。財源が先にありきで計画を作るのではなく、計画が先にありきで財源をつけることが、今回の復興では強く求められる。
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大震災 復興への視点
復興・・前例のない事態に前例のない方法で
これからの防災対策 (1)
関西学院大学教授 室崎 益輝
今回の東日本大震災で、その対応にスピード感がないといわれている。
がれきの撤去が進まない、避難所の解消が進まないといったことが、スピード感のないことの例として引き合いに出されている。
ところで私は、そのスピード感のなさの根源は、単に財源がないといった量的な問題にあるのではなく、迷い道に踏み込んで手さぐりになっているという質的な問題にある、と考えている。
道に迷っている段階では、いくらお金をつぎ込んでも、そこから抜け出すには時間がかかってしまう。
災害実態に即した新しい制度を
そこで問題になるのは、どこで道に迷ったかである。
ここで道に迷ったポイントを探ろうとするのは、そこがわからなければ迷路から脱出することができない、からである。
私は、そのポイントが「想像力を欠いた前例主義」にあると推論している。
東日本大震災は阪神・淡路大震災と様々な点で大きく違っているのに、阪神・淡路のときと同じことをすればよいと思い込んで対応して、道に迷ってしまったのである。そもそも、低頻度巨大災害というものは類似性よりも特殊性が強く、前例があまり役に立たない。
前例のない事態が起きているのだから、前例のない対応が求められるのである。
過去の災害をベースにつくられた制度や慣習は、今回のような未曽有の災害にはあてはまらない。
後出しジャンケンと言われてもよいから、進行形の災害の実態に即して新しい制度をつくって対処する、大胆さと柔軟性がいるのである。
例えば、災害対応の中での復興のウエートが極めて大きくなっていることを考えると、災害救助法の見直しもさることながら、それに加えて災害復興法の制定が急がれる、といったことである。
阪神・淡路大震災と違う三つの点
それでは、もう少し具体的に阪神・淡路大震災との違いを押さえて、これからの復興のあり方を考えてみよう。
第一の点は、産業構造が大きく違うということである。
阪神地域は、給与が保障されたサラリーマンが多く、雇用よりも住宅が大事であった。だからこそ、住宅再建が復興の中心課題となったのである。
しかし、今回の東北地方は漁業や農業あるいはそれに関連する水産業などに従事する人が大半で、産業が停止し収入の道が断たれた状況では、住宅よりも雇用が重視されなければならない。産業再建を復興の中心に据えなければならないのである。
第二の点は、地域構造や社会構造が違うということである。
自然と共生するシステムが息づいている、職住が一体となった共同体が形成されている、お祭りなど豊かな生活文化が残っているといった特質は、復興の中で十分に考慮しなければならない。
こうした特質は、未来の社会を先取りしたものとして評価しなければならない。
東北地方は、経済的には貧しい地域であっても、生活的には豊かな地域であると捉えて、復興を考えることが欠かせない。海とともに生きる、土とともに生きるということを最優先して、復興を考えなければならない。
第三の点は、自治体の基礎体力が違うということである。
ただでさえ、体力のない弱小自治体が、壊滅的な被害を受けてさらにその体力をすり減らし、自力ではとても立ち上がれない状況にある。
国や県の前例のないほどの物心両面の支援がないと、復興の設計図が書けないということである。
だからこそ、思い切った財源支援をしなければならないのである。財源が先にありきで計画を作るのではなく、計画が先にありきで財源をつけることが、今回の復興では強く求められる。