2011年09月21日

語る (河野洋平元総裁 第1回)

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 今の政治、どうコメントしていいか?
 こんな時こそ、歴史を振り返ることが重要です。

 語る、今回は「河野洋平元総裁 第1回」をお送りします。

 若き日の河野洋平氏は、本当に輝いていました。(田中内閣の頃)


団結力や意思の統一が大事


 歴代総裁の「語る」シリーズは、今号から河野洋平元総裁。
 自民党が平成5年の総選挙で野党に転落した際、総裁に就任し、与党に復帰させた。当時の与党・細川連立内閣とどのように対峙(たいじ)し、わが党を立て直したのか。

 第1回では今のわが党の現状と過去に学ぶ大切さを語った。


「圧倒的な数の与党には一致団結しなければ勝てない」


 東日本大震災から半年以上たったにもかかわらず、被災した方々をはじめ国民が安心感や希望を持てないのは政治の責任です。
 
 本来ならこの時期、復興の道筋がほぼ見え、将来への希望が感じられないといけません。しかし、現状はそれがまったくなく、大変な不安、不満があります。こうした状態をつくった民主党への批判は大変強いのですが、最近は政治全体あるいは政党に対する不信感も相当にあります。

 そんな中、私が心配しているのは、自民党に団結力や意思の統一が欠けているように見えることです。圧倒的な数を持った与党に対抗しようと思ったら、一致団結しなければ戦えるわけがありません。

 愛党心というか、それは愛国心にもつながるのですが、各自が自分の主張だけを言うのではなく、政権交代を目指して党のためにどうすればいいかを考えて、発言、行動していく。それが今自民党に一番求められていると思います。


 「自民党の活力は自由に若手議員が考えを述べることができること」


 そういう私も若いころはずいぶん勝手なことを言ってきました。若手議員も含め、自由に自分の考えを述べることができることが自民党の活力でもありました。でも、最後は一つにまとまりました。幹事長や総務会長、政調会長に言いたいことを言って、話をよく聞いてもらって、「それは君の言うのもよくわかるけれども、今はこうではないか」と言われて、「ああ、そうだ」って最後は説得されるというか、矛を収めるということが何度もありました。

 しかし、度重なる政治資金のスキャンダルで自民党が支持を失い始めて、繰り返し議論した政治改革が、やがて「選挙制度改革」から小選挙区制へと矮小化されていったころから、自民党は先輩や年配者の知恵や経験をあまり大事にしなくなったように思います。

 中選挙区制では、同じ選挙区で同じ政党の候補者が争うことになり、小選挙区制にして政党本位の選挙にすればカネもかからなくなるという「小選挙区制、是か非か」のような議論に対し、「政治資金規正法を改正し、腐敗防止法を作りカネにまつわる問題が起きないようにすることの方が重要で、選挙制度を変える必要はない」と主張する人たちを「守旧派」と呼び、一方、小選挙区制導入を支持する人たちを「改革派」だとメディアはレッテルを貼ったのです。

 そして、年配の、経験を持った人たちのほとんどがいわゆる守旧派で、若手は改革を主張して「守旧派に頼っていては自民党はもたない」という意見が当時広がってきたのです。


「どんな時代も経験や知恵のある人たちの声は重要」


 自民党が下野し、私が総裁になり党の再建を進めようとしたとき、さまざまな改革案の中から、70歳定年制を導入すべしとの主張がありました。ちょうど戦後50年になるころでしたから、70歳定年制をとると、先の大戦を実際に戦った経験のある国会議員が全員定年になってしまう。

 私は、有権者の判断で引退するのはしょうがないが、人為的な線引きでそういった経験を持つ議員が一遍にいなくなるというのは良くないと思っていましたから、「年寄りはだめだ」という主張も相当強くありましたが、70歳定年制を採用しませんでした。

 当時も過去の経験や実績を重んじるより、何か新しいものに目が行くような風潮でした。しかし、年配者の経験や知恵、困難にどう対処したかなど、そういう人たちの声に耳を傾けることはどんな時代でもとても重要です。

 今回の東日本大震災でも、復興の話題になると依然として、大正12年に発生した関東大震災のときの後藤新平・帝都復興院総裁の名前が出てきます。やっぱり歴史に学ぶべきことが多いからです。
 また、阪神・淡路大震災のときの政府の対応ぶりを振り返ることも今回の大震災に対する法律の作り方、法律の内容など相当参考になるはずです。先人や歴史に学ぶことは大事だと思いますね。 
(近藤三津枝・党新聞出版局長が取材)



 あの時、この時

―――後れをとった連立工作―――

 平成5年7月18日の第40回総選挙で、わが党は223議席を獲得した。これに追加公認5議席を加え、改選議席より1議席増やしたものの、過半数の256議席には及ばず、敗北ムードに包まれていた。

 これを受け、宮沢喜一総理は22日の両院議員総会で辞意を表明。後継総裁の選出手続きに入った。

 立候補届け出は28日。辞任から1週間を要したのは、この間、後藤田正晴元副総理に総裁就任を打診するなどの党内の動きがあったからだ。

 最終的に、宮沢内閣の官房長官だった河野洋平氏と元副総理の渡辺美智雄氏の2人が立候補。29日の立会演説会に続き、30日には投開票が行われた。河野208票、渡辺159票、無効3票――この結果、河野氏が第16代総裁に選出された。

 過半数を割ったとはいえ、第2党の社会党は70議席に過ぎず、わが党が圧倒的な第1党であることに変わりはない。このため、連立によって事態を乗り切る構想もあったが、党再生論議や後継総裁選びに時間とエネルギーを費やすわが党にそのゆとりはなかった。

 この間隙(かんげき)をついて多数派工作を開始したのが新生党代表幹事の小沢一郎氏だった。河野総裁が選出される前日の29日、細川護煕日本新党代表を統一首班とする連立政権樹立で、八つの政党・会派が合意。この瞬間、河野新総裁が、わが党初の「野党党首」となることが確定した。

 (『自由民主』より)

shige_tamura at 10:27│Comments(0)TrackBack(0)clip!自由民主党 

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