2011年08月10日

講演録「政治家と官僚との関係の変化」田村重信(その4)

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(以下の講演録は、平成七年六月に慶應義塾大学大学院にて、変化の著しい政治と官僚の関係について講演したものに加筆したものです。)


〇連立政権時代の政治と官僚

 村山連立政権になって、マスコミは、自由民主党の政権復帰による族議員の復活を取り沙汰するようになってきた。

そこで加藤紘一政調会長は、与党政策調整会議の席上マスコミ各社からヒアリングを行い、「自民党の復権が族議員の復活につながるものでない」、ということを盛んにアピールした。加藤政調会長が強調した最も重要なポイントは、今度の連立政権の政策決定システムが、従来の自由民主党単独政権時代の政調会による政策決定システムと根本的に違う、ということであった。村山連立政権では、与党三党(自民、社会、新党さきがけ)の政策調整会議が設置され、そこで政策に関する実質的な決定が行われる。その構成メンバーとして、自由民主党から加藤政調会長、保利政調会長代理、宮沢弘政審会長(参議院より)、社会党からは関山政審会長、田口政審副会長、穐山議員(参議院より)、新党さきがけから菅政審会長、五十嵐議員が参加した。

 政策調整会議の中心として取りまとめ役をする責任座長は、各政党ごとにニカ月交代となっている。例えば、社会党の関山政審会長がニカ月やれば、次から自由民主党の加藤政調会長に責任座長は交代する。さらに、二カ月後には新党さきがけの菅政審会長となるという具合である。

 従来の自由民主党政調会の各部会に当たる機関としては、各省庁別に調整会議が設置された。建設調整会議、防衛調整会議などであり、その責任座長もやはり二カ月交代とした。さらに、省庁別調整会議とは別に、戦後五十年という重要なエポックを機に、与党三党で行革プロジェクトチーム、戦後五十年問題プロジェクトチームが設置されたが、それらの責任座長も全部二カ月交代としたわけである。

 責任座長の役割は重い。各調整会議やプロジェクトチームで、今後どのようなテーマを取り上げるか、日程や段取り、最終的な結論をどう取りまとめるか、といったことを常に自らの責任において考えながら会議を運営していくもので、どうしてもそれだけ大きな権限を有することになる。

 責任座長とは、部会でいえば部会長である。役所は事前に必ず責任座長と政策についての協議を行うが、責任座長が了解しないことは調整会議のテーマにすることはできない。したがって、役所は自らの法案などを国会に提出したい場合は、必ず省庁別会議の了解が必要となり、そのためにも責任座長には何としても了解してもらう必要が生じる。それだけに、責任座長の権限は役所に対して絶大となるのである。

 さて、村山連立政権では、連立各党で責任座長が交代する関係から、それだけ権限は分散されることになる。したがって、情報も各党にオープンになる。つまり、重要な政策決定の際には必ず省庁別調整会議で議論が行われるため、各省庁とも従来以上に政策情報をオープンにしなければならないわけである。

 自民党単独政権であれば、自民党の部会にだけ了解を得て国会へというルートであったのが、「自・社・さ」の三党から成る村山連立政権では、役所の情報も三党に提示しなければならない。従来、自民党と役所で慣れ合いのようになっていた部分も、三党ということで役所サイドもある種の緊張感をもって政策情報を提示することになる。三党に提示することで役所の情報もそれだけ早くオープンになるわけだから、国民にとってのメリットも大きい。

 また最近、各省庁の思惑どおりの政策決定にならない場合がある。例えば、村山連立政権発足直後の防衛費の概算要求基準決定、ゴラン高原へのPKO派遣(UNDOF)などである。

 従来の自民党政権では、防衛費の概算要求基準設定の場合、自民党で国防三部会(国防部会、安全保障調査会、基地対策特別調査会の合同会議)が開かれ、その席に防衛庁の役人が出席して大蔵省との交渉状況を説明する。そこで、自民党の議員が防衛庁に「ガンバレ!」と激励し、それを受けて防衛庁は再び大蔵省との交渉に臨み、その結果を国防三部会に報告する。ときには議員が大蔵省や党三役に要請をする場合もある。こうしたプロセスを経て防衛関係予算政府原案が決定されていた。したがって、国防三部会では「防衛費を削減しろ」という意見が出ることはない。

 ところが、与党三党の防衛調整会議では自民党が防衛庁サイドに立ち、軍縮を主張する社会党が「防衛費を削減しろ」ということで防衛庁もまじえて議論が行われる。しかし、最終的には与党三党の代表者だけで最後の数字まで決定された。つまり、最終場面では、「官」ではなく「政」すなわち政治家が実権をもって予算を決定したのである。

 PKO派遣なども役所と自民党の考え方はだいたい同じであり、自民党政権時代は政府・与党の意見は役所主導で決定されてきた。

 しかし、村山連立政権になってからは、従来の官僚主導という考え方とは違った決定となった。つまり防衛費については、大蔵省主導ではなく与党三党の防衛調整会議において実質的に決定されたのである。

 政治と官僚の関係は、連立政権の時代となって自由民主党単独政権時代と異なり、両者のなれ合いを許さなくなってきている。

 絶対過半数を占めていた時代の自民党政権であれば、官僚サイドは自民党にされ了解してもらえば、法案は国会を通過するわけだから、自民党だけに注意を払っていればよかった。こうした状態で、その政権が長く続けば、「政」と「官」の慣れ合いも生じてくるというものだ。

 しかし、現在のような三党政権になると、役所サイドは社会党、さきがけにも注意を払う必要が生じ、新たな緊張関係が生まれてくる。この緊張関係は「政」と「官」との慣れ合いを防ぐという意味では貴重である。ただし、連立政権は政策決定に時間がかかるという弊害があるのも事実ではある。

shige_tamura at 13:21│Comments(1)TrackBack(0)clip!講演録 

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この記事へのコメント

1. Posted by 村石太レディ&よしえ   2012年01月26日 17:40
連立政権 自社さ で 検索中です。
懐かしいですね。村山内閣の眉毛。政治研究会(名前検討中 歴史研究会(名前検討中

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