2011年07月25日

語る 海部俊樹元総理 第1回

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 『自由民主』の中曽根康弘元総理に続く『語る』シリーズは、平成元年に初の昭和生まれの総理となった海部俊樹元総理。今年、桐花大綬章を受章した海部元総理が「若手議員」当時の思い出や総理のあり方について、3回にわたって語る。
 第1回は昭和生まれの議員の集まりである「昭和会」の設立から話が始まる。


「昭和35年、29歳で初当選。池田勇人総裁の激励に感動」

 私は昭和35年、29歳で衆院議員に初当選しました。
 今は、若い人がいろいろなところで活躍できる社会環境ですが、50年前はそうではありませんでした。
 自由民主党もよく公認したものです。
 当時、20代の政治家は、ほんとに少なかったんです。

 当時の池田勇人総裁が、私に衆院選の公認証書を交付するときに「君は29歳か。世の中もだんだん変わっていく。遠慮して縮こまっていることはないから、安心して頑張りなさいよ」と激励してくださいました。
 とても感激したことを今でも覚えています。
 あのような言葉がいただけるとは思わなかった。自民党の総裁も、若い者に目をかけてくれるような雰囲気があったのですね。


「日本青年海外奉仕隊、後の青年海外協力隊を立ち上げる」

 次の昭和38年の総選挙で若い当選者が増えて、昭和生まれが新たに6人加わった。 そこで、昭和生まれの自民党議員がみんなで頑張ろう、自由民主党のために青年が何かやらなければいけないということでみんなが集まるようになったのです。
 お互いに昭和生まれだから「昭和会」。
 私が会長で、西岡武夫さん(現・参院議長)が事務局長でした。
 もともと、私が当選したときに立ちあげたものなのですが、ようやく仲間ができました。
 そして、1000円ずつ会費を払って今はなくなってしまいましたが、議員会館の近くにヒルトンホテルがあってよくそこで朝からビフテキを食べる集まりを開いていました。
 朝から普段めったに食べられないものを食べるということは、何か豊かになった気持ちになるでしょう。「そういう気持ちを体験することも大事だ」とか勝手なことを言い、みんなでビフテキを食べていたんです。

 しかし、ただビフテキを食べて「若い、若い」と言われているだけではいけないので、何か政策をやろうということになり、みんなで議論して「日本青年海外奉仕隊」、後の「青年海外協力隊」を立ち上げようということになった。


「米国にできることが日本にできないはずがない」

 そのころは、米国のケネディ大統領が、アジアやアフリカの途上国に米国の民主主義を理解してもらおうと提唱した「平和部隊構想」が世界各地で具体的成果を上げ始めていた時期でした。それにヒントを得たものでした。

 当時、私は、党青年局で学生部長をやっており、米国にできることが日本にできないはずがないと、全国の仲間に働きかけて、青年局の政策として立ち上げようと、動き始めたのです。
 現地に調査団も派遣しました。
 意を決して、幹事長に、往復の飛行機代とそれから現地で泊まる資金をくださいとお願いしたら、ドンとくれてね。
 四つの班に分かれて、東南アジアや南西アジア、アフリカ諸国に行き、「協力隊を派遣する必要があるのかないのか」「米国の平和部隊はどのようなことをやっているのか」など、いろいろなことを調べて帰りました。
 私自身は第4班の団長として、エチオピア、ガーナ、ケニア、ナイジェリアへ調査に行きました。
 そして、この調査団の報告に基づいて、昭和40年に青年海外協力隊が発足したのです。今では、青年海外協力隊は世界中で活動し、喜ばれており、立派なわが国の国際貢献となっています。
 (近藤三津枝・党新聞出版局長が取材)


あの時、この時
―――「昭和会」とともに―――
海部俊樹氏が代々会長を務めた「昭和会」。昭和35年の衆院選で初当選した海部氏が、昭和生まれの自民党国会議員の親睦を目的に設立した。当初、昭和生まれのわが党の国会議員は、海部氏だけ。会長が海部氏の文字通り「一人だけ」の会だった。
しかし、昭和38年の第30回総選挙で、昭和生まれの議員が続々と当選し、昭和会に加入。昭和会は、その活動を本格化させた。
その後総理となる橋本龍太郎氏、小渕恵三氏、現参院議長の西岡武夫氏もその時に当選したメンバーだ。
当初は「朝からビーフステーキを食べる会」や長時間討論会などユニークな会合を重ねたが、徐々に政策や党改革の提言を活発に行うなどして、その存在感を増していった。
昭和48年には、当時の田中角栄総理に国鉄運賃など公共料金の一時凍結など物価、土地、公害の3点について、22項目に及ぶ具体策を直訴し、注目された。
昭和生まれの議員が当たり前になるにつれ、昭和51年の第34回総選挙以降、新規加入の募集を停止したが、勉強会などの活動は継続した。昭和60年には、「ニューメディア・ルネッサンス」と題する本も出版した。
海部氏は平成元年、昭和生まれとして初めて総理に就任した。この狄契ぢ絖畫輙を陰に陽に支えたのは昭和会で育んだ同世代の仲間との璢瓠
海部氏の政治家としての歩みはまさに「昭和会」とともにあったと言える。


shige_tamura at 15:53│Comments(0)TrackBack(0)clip!自由民主党 

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