2011年04月22日
『「運命」を跳ね返すことば』(坂本博之著、講談社+α新書)が発売された
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現代のタイガーマスク・坂本博之さんの本がでた。
タイトルは『「運命」を跳ね返すことば』(坂本博之著、講談社+α新書)で、
帯には
「菅原文太さん絶賛!」
「時に、心には高熱を出させろ。坂本博之の熱いパンチを、俺はしっかりと受け止めた」
――とある。
本を読んで、熱くなり、元気が出る。挫折を感じたら読む本だ。
虐待を受け児童養護施設に育った坂本さんにしか書けない本だ。
「運命」を跳ね返すことばが、満載だ。
そのことばの一つだけでも、読者に響けば、価値がある。
僕は、熱くなった。
以下、本の一部分を掲載する。
はじめに
・・・
僕の名は坂本博之。福岡の出身で、1991年にプロデビュー。幸運にも初回KO勝ちをしてから、95年まで負け知らずでKOを重ね、ありがたいことにファンのみなさんから「平成のKOキング」などと呼んでいただきました。
そんなファンのみなさんの声援のおかげで、第44代日本ライト級王座などのタイトルを手にすることはできたのですが、世界王座には四度挑戦したものの、結局、失敗してしまいました。最後に挑んだのは、当時、二階級王者だった畑山隆則選手との試合です。僕は打たれても打たれても前に出ていき、KOを狙うスタイル。畑山選手とも激しい打ち合いになりました。そして10回、畑山選手から連打を浴びてついにダウン、僕のセコンドからタオルが投げられたのです。
負けたことは今でも悔しいのですが、力を出し切って「自分の試合」ができたと納得はしています。ボクシングファンのみなさんからも「年間最高試合」に選んでいただきました。
その後、持病の椎間板ヘルニアの治療をしながら現役を続けたのですが、世界チャンピオンのベルトを手にすることはできないまま、2007年に引退を決意しました。体力的な衰えもあり、畑山戦のような「前に出るボクシング」が、もうできなくなったことに気づいたからです。
現在も東京・荒川区の西日暮里で、『SRSボクシングジム』(SRS)を経営していますが、実はもうひとつ別の活動をしています。
全国の児童養護施設をまわり、子どもたちに「スカイハイ・リングス〜SRS〜ボクシングセッション」というものをやらせてもらっています。「SRS」とは「スカイハイ・リングス」 の頭文字をとったものです。
(「第一章 子どもの心を開かせる「ことば」」より)
「してあげる」は捨てる
よく、みなさんから、
「坂本さん、ジム経営のかたわらで無償でやってるなんてすごいですね」
とか、
「ボランティアなんてえらいですね」
といった声をかけられます。
もしそのように声をかけてくださった人が読んだら気を悪くされるかもしれませんが、正直あまりうれしくありません。なぜなら、僕は「ボランティア」という言葉が嫌いだから。もっと言ってしまえば、これが日本語として浸透していることが本来の「ボランティア」を難しくさせているような気さえするのです。
無償でなにかをしてあげる、助けてあげる、手を差し伸べる――これらはすべて 「上から目線」です。子どもにもよくない。
「自分たちはボランティアをされる立場なのか」
と思うからです。
「坂本さんは仕事が忙しいなか、今日はボランティアできてくれました。だから、みなさんちゃんとお話を聞きましょうね」
なんてふうに子どもたちに紹介されたら、僕が子どもだったら、
「じゃあ、いいよ。別に頼んだわけじゃないし」
と思う。つまり、「ボランティア」という概念自体が「かわいそうな子どもたち」を上から見下ろしている「大人目線」なのです。「子どもの目線」になっている僕からすると、「無報酬でそんな活動をしてえらいですね」なんて言われたら、「無報酬だからなに?タダでやるのはそんなにえらいの?」
とか思ってしまう。子どもに拒絶されない「空気」を身にまとうためには、まずはこのような「上から目線」をやめるべきなんです。
ちなみに、SRSの活動がボランティアじゃないとしたらなんなのさ、と訊ねられたら僕は迷わずこう言います。
これは僕たちの「生き様」なのだ、と。
ボランティアじゃないよ、これが俺の「生き様」なんだ
なお、坂本さんは、東日本大震災で、自分でできる支援活動、被災地の児童養護施設または被災された子ども達の為に必死でやっています。
僕も応援しています。
皆様の応援、お願いします。
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現代のタイガーマスク・坂本博之さんの本がでた。
タイトルは『「運命」を跳ね返すことば』(坂本博之著、講談社+α新書)で、
帯には
「菅原文太さん絶賛!」
「時に、心には高熱を出させろ。坂本博之の熱いパンチを、俺はしっかりと受け止めた」
――とある。
本を読んで、熱くなり、元気が出る。挫折を感じたら読む本だ。
虐待を受け児童養護施設に育った坂本さんにしか書けない本だ。
「運命」を跳ね返すことばが、満載だ。
そのことばの一つだけでも、読者に響けば、価値がある。
僕は、熱くなった。
以下、本の一部分を掲載する。
はじめに
・・・
僕の名は坂本博之。福岡の出身で、1991年にプロデビュー。幸運にも初回KO勝ちをしてから、95年まで負け知らずでKOを重ね、ありがたいことにファンのみなさんから「平成のKOキング」などと呼んでいただきました。
そんなファンのみなさんの声援のおかげで、第44代日本ライト級王座などのタイトルを手にすることはできたのですが、世界王座には四度挑戦したものの、結局、失敗してしまいました。最後に挑んだのは、当時、二階級王者だった畑山隆則選手との試合です。僕は打たれても打たれても前に出ていき、KOを狙うスタイル。畑山選手とも激しい打ち合いになりました。そして10回、畑山選手から連打を浴びてついにダウン、僕のセコンドからタオルが投げられたのです。
負けたことは今でも悔しいのですが、力を出し切って「自分の試合」ができたと納得はしています。ボクシングファンのみなさんからも「年間最高試合」に選んでいただきました。
その後、持病の椎間板ヘルニアの治療をしながら現役を続けたのですが、世界チャンピオンのベルトを手にすることはできないまま、2007年に引退を決意しました。体力的な衰えもあり、畑山戦のような「前に出るボクシング」が、もうできなくなったことに気づいたからです。
現在も東京・荒川区の西日暮里で、『SRSボクシングジム』(SRS)を経営していますが、実はもうひとつ別の活動をしています。
全国の児童養護施設をまわり、子どもたちに「スカイハイ・リングス〜SRS〜ボクシングセッション」というものをやらせてもらっています。「SRS」とは「スカイハイ・リングス」 の頭文字をとったものです。
(「第一章 子どもの心を開かせる「ことば」」より)
「してあげる」は捨てる
よく、みなさんから、
「坂本さん、ジム経営のかたわらで無償でやってるなんてすごいですね」
とか、
「ボランティアなんてえらいですね」
といった声をかけられます。
もしそのように声をかけてくださった人が読んだら気を悪くされるかもしれませんが、正直あまりうれしくありません。なぜなら、僕は「ボランティア」という言葉が嫌いだから。もっと言ってしまえば、これが日本語として浸透していることが本来の「ボランティア」を難しくさせているような気さえするのです。
無償でなにかをしてあげる、助けてあげる、手を差し伸べる――これらはすべて 「上から目線」です。子どもにもよくない。
「自分たちはボランティアをされる立場なのか」
と思うからです。
「坂本さんは仕事が忙しいなか、今日はボランティアできてくれました。だから、みなさんちゃんとお話を聞きましょうね」
なんてふうに子どもたちに紹介されたら、僕が子どもだったら、
「じゃあ、いいよ。別に頼んだわけじゃないし」
と思う。つまり、「ボランティア」という概念自体が「かわいそうな子どもたち」を上から見下ろしている「大人目線」なのです。「子どもの目線」になっている僕からすると、「無報酬でそんな活動をしてえらいですね」なんて言われたら、「無報酬だからなに?タダでやるのはそんなにえらいの?」
とか思ってしまう。子どもに拒絶されない「空気」を身にまとうためには、まずはこのような「上から目線」をやめるべきなんです。
ちなみに、SRSの活動がボランティアじゃないとしたらなんなのさ、と訊ねられたら僕は迷わずこう言います。
これは僕たちの「生き様」なのだ、と。
ボランティアじゃないよ、これが俺の「生き様」なんだ
なお、坂本さんは、東日本大震災で、自分でできる支援活動、被災地の児童養護施設または被災された子ども達の為に必死でやっています。
僕も応援しています。
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この記事へのコメント
1. Posted by 高橋大輔 2011年04月22日 12:41
満を持しての発売、さっそく買います。
私自身、どこかボランティアという言葉にはネガティブなものを感じていました。
他者のそれは否定しませんが、自分が言われる事は正直好きではない。
そうした折「生き様」という言葉に衝撃を受けました。
そうか、これかと。
私の場合はそこまで強い言葉では表せませんが「性分」なのかも知れません。
時には空回りする事もありますが、全てを損得に置き換える事(あるいは人)が好きではない私にはこれぞ金言という思いです。
私自身、どこかボランティアという言葉にはネガティブなものを感じていました。
他者のそれは否定しませんが、自分が言われる事は正直好きではない。
そうした折「生き様」という言葉に衝撃を受けました。
そうか、これかと。
私の場合はそこまで強い言葉では表せませんが「性分」なのかも知れません。
時には空回りする事もありますが、全てを損得に置き換える事(あるいは人)が好きではない私にはこれぞ金言という思いです。
2. Posted by みるる 2011年04月22日 15:55
http://www.youtube.com/watch?v=v-lyEIKnMls
http://www.youtube.com/watch?v=FuXW2pq014I
菅「まだ、おられる?」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110421-00000896-yom-soci
ヤラセな福島訪問30分に抗議しました
http://www.youtube.com/watch?v=FuXW2pq014I
菅「まだ、おられる?」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110421-00000896-yom-soci
ヤラセな福島訪問30分に抗議しました
3. Posted by みるる 2011年04月23日 05:28

盗難の経典が韓国にある国宝に酷似です