2011年04月19日
墨田区長選挙、川松真一朗さんのことを書いたらアクセスが爆発的に急増!
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僕のブログは、一日の訪問者数が1000〜2000程で、政局が動くときに4000を超えることもあります。
ところが、昨日は「6491」でした。ビックリです。
統一地方選挙、ひょんなことで応援するようになった墨田区長選挙の川松真一朗(30)さんのことを書いたのが受けたのです。
僕のブログは、新聞記者や政治家などプロの方が好んでアクセスするので、ちょっと有名なブログということになっています。
24日、投票の選挙、全国的な話題が少ない中でも、墨田区長選にテレビ朝日アナウンサーの川松真一朗さんの出馬が注目を集めているとのことでしょう。
インターネットの時代、前回の参院選前に民主党の反対で、選挙中のネット解禁がダメになったのです。告示になると候補者のHPやツイッターもストップとなります。
今の時代、直接、候補者に接する場合が以外と少ない、候補者の政見を聞く機会、見る機会が少ないのです。
これが、選挙への関心を失わせているのです。
川松真一朗さんは、HPに自らの考えを発表し、多くの有権者の方に自分を知ってもらおうという努力を一番しています。
僕は、川松真一朗さんとは、小野晋也衆議院議員(当時)の「永田町人間学講座」で知り合い、その後、僕の主宰する「日本論語研究会」に顔を出していただき、彼が主宰する「川松塾」(各界の若手が集まる人間学形成のための勉強会を自ら主宰)に講師として僕が講演、彼の結婚式に出席(僕のCD発表会に出席)するなどの付き合いです。
彼は、人としての生き方、人間学を学び、人間関係を大事にする男で、政治家となれば、「いざという時の心構えのできた男」「危機に強い男」だと思います。
この点が、今の時代、最も大切なことだと思います。
それから、彼は、自分の生まれ育った墨田区をめちゃくちゃ愛しています。
そんな彼だから応援するのです。
今、インターネットで「ヤフー」などで、「墨田区長選挙」と検索すると川松真一朗さんの記事が多くヒットします。それだけ、川松真一朗さんが全国的にも注目されている証拠です。
僕のブログのアクセスが爆発的に多いのも、墨田区長選挙の川松真一朗(30)さんのことを書いたからです。
墨田区長選挙、何か地殻変動が起きそうな予感がします。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今朝の朝日新聞(4月19日)にも、「墨田区長選挙」の特集
(2011 統一地方選挙@東京)が掲載されました。
以下は、記事です。
墨田区長選挙 4選か阻止か 5氏激突
多選批判/新しい街づくり/防災に重点
「開かれた区政を」
「役人出身の区長の下で閉塞感が生まれ、区民の声が区政に反映されない墨田区になってしまったのではないか」。
木内清氏が17日の出陣式で、現職・山崎昇氏の区政を批判した。現職を過去3期にわたって支えた区議会最大会派の自民党で議長。区議会が2009年度決算を不認定にしたことに触れ「行政の情報が区民にきちんと伝えられる、開かれた区政でなければならない。役人上がりの区長にはできない」と述べた。
混戦の背景には
現行の区長公選制が施行されて以来、墨田区では最多の5人が立候補する激戦。木内氏と山崎氏に加え、川松真一朗氏と桜井武氏の4氏が推薦を争い、自民都連が告示直前の13日、地元総支部の山崎氏推薦の決定に反して自主投票を決めたことが、混戦に輪をかけた。現職と三度目の対決となった牛山鈴子氏も加わり、東京スカイツリー開業後の街づくりや東日本大震災を契機とした自治体の危機管理のあり方をめぐる激しい論戦を展開している。
混戦の発端は、
山崎氏が1999年の初陣で、推薦を受けた自民党などと政策協定を結ぶ際に「3期12年まで」と約束したこと。
昨年暮れ、自ら誘致したスカイツリーを活用した街づくりの総仕上げを4期目でしたいとの意向を議会で明らかにすると、自民党を中心に多選批判が一気に表面化した。
批判の背景には、区長公選制以降も墨田区では助役から転身した区長が3代にわたって続いてきたという事情もあった。
「情報公開が不足」
「自分は多選を抑制するが、今回争点にするつもりはない」。
川松氏は3月末の立候補表明の記者会見でそう答えていたが、17日の出陣式では「役所は区民一人ひとりの味方であるべきなのに、内向きになっている」と、区民への情報公開の不足を指摘した。
告示前の支援団体の集会で、新潟県中越地震で被災した旧山古志村の村長と対談し、リーダーシップと情報発信力のある区長による「新しい墨田づくり」を訴える。
「民間から区長を」
桜井氏は「4選阻止」を掲げ、出陣式で「『助役から区長』の繰り返しで癒着が生まれなかったらおかしい。流れを断ち切るには区長を民間から選ぶしかない」と訴えた。一般会計1千億円強のうち扶助費と人件費が半分近くを占め、基金残高が23区で最下位という厳しい区財政の中、スカイツリー偏重の政策から、保育園や特別養護老人ホームの充実など「身の丈にあった区政」を掲げる。
「多選の弊害除く」
「大震災がなかったらスカイツリーを中心に街づくりを進める決意だった」。現職の山崎氏は10人を起す区議選候補者が駆けつけた出陣式の第一声でそう切り出し、防災対策に重点を置くと強調した。木造住宅密集地区で、住宅建て替えを助成する不燃化促進事業など、全国に先駆けて取り組む施策をアピール。
多選批判について告示前「弊害は必ずある。そうならないよう認識して努めれば、取り除くことができると思う」と自戒を込めて述べた。
「暮らし寄り添う」
東京空襲犠牲者遺族会事務局長を務める牛山氏は「3月11日の被災地の惨状を見たとき、66年前の3月10日の本所地域の惨状が重なった」ことが3回目の挑戦につながった、とスカイツリーを建物越しに望む選挙事務所前で話した。防災施策として現職が強調する「自助・共助」による意識づくりを「自己責任型で区民に冷たい区政」と批判。「住んでいる人の命と財産を守る、暮らしに寄り添った区政」を訴える。(小渕明洋)
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統一地方選挙、ひょんなことで応援するようになった墨田区長選挙の川松真一朗(30)さんのことを書いたのが受けたのです。
僕のブログは、新聞記者や政治家などプロの方が好んでアクセスするので、ちょっと有名なブログということになっています。
24日、投票の選挙、全国的な話題が少ない中でも、墨田区長選にテレビ朝日アナウンサーの川松真一朗さんの出馬が注目を集めているとのことでしょう。
インターネットの時代、前回の参院選前に民主党の反対で、選挙中のネット解禁がダメになったのです。告示になると候補者のHPやツイッターもストップとなります。
今の時代、直接、候補者に接する場合が以外と少ない、候補者の政見を聞く機会、見る機会が少ないのです。
これが、選挙への関心を失わせているのです。
川松真一朗さんは、HPに自らの考えを発表し、多くの有権者の方に自分を知ってもらおうという努力を一番しています。
僕は、川松真一朗さんとは、小野晋也衆議院議員(当時)の「永田町人間学講座」で知り合い、その後、僕の主宰する「日本論語研究会」に顔を出していただき、彼が主宰する「川松塾」(各界の若手が集まる人間学形成のための勉強会を自ら主宰)に講師として僕が講演、彼の結婚式に出席(僕のCD発表会に出席)するなどの付き合いです。
彼は、人としての生き方、人間学を学び、人間関係を大事にする男で、政治家となれば、「いざという時の心構えのできた男」「危機に強い男」だと思います。
この点が、今の時代、最も大切なことだと思います。
それから、彼は、自分の生まれ育った墨田区をめちゃくちゃ愛しています。
そんな彼だから応援するのです。
今、インターネットで「ヤフー」などで、「墨田区長選挙」と検索すると川松真一朗さんの記事が多くヒットします。それだけ、川松真一朗さんが全国的にも注目されている証拠です。
僕のブログのアクセスが爆発的に多いのも、墨田区長選挙の川松真一朗(30)さんのことを書いたからです。
墨田区長選挙、何か地殻変動が起きそうな予感がします。
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今朝の朝日新聞(4月19日)にも、「墨田区長選挙」の特集
(2011 統一地方選挙@東京)が掲載されました。
以下は、記事です。
墨田区長選挙 4選か阻止か 5氏激突
多選批判/新しい街づくり/防災に重点
「開かれた区政を」
「役人出身の区長の下で閉塞感が生まれ、区民の声が区政に反映されない墨田区になってしまったのではないか」。
木内清氏が17日の出陣式で、現職・山崎昇氏の区政を批判した。現職を過去3期にわたって支えた区議会最大会派の自民党で議長。区議会が2009年度決算を不認定にしたことに触れ「行政の情報が区民にきちんと伝えられる、開かれた区政でなければならない。役人上がりの区長にはできない」と述べた。
混戦の背景には
現行の区長公選制が施行されて以来、墨田区では最多の5人が立候補する激戦。木内氏と山崎氏に加え、川松真一朗氏と桜井武氏の4氏が推薦を争い、自民都連が告示直前の13日、地元総支部の山崎氏推薦の決定に反して自主投票を決めたことが、混戦に輪をかけた。現職と三度目の対決となった牛山鈴子氏も加わり、東京スカイツリー開業後の街づくりや東日本大震災を契機とした自治体の危機管理のあり方をめぐる激しい論戦を展開している。
混戦の発端は、
山崎氏が1999年の初陣で、推薦を受けた自民党などと政策協定を結ぶ際に「3期12年まで」と約束したこと。
昨年暮れ、自ら誘致したスカイツリーを活用した街づくりの総仕上げを4期目でしたいとの意向を議会で明らかにすると、自民党を中心に多選批判が一気に表面化した。
批判の背景には、区長公選制以降も墨田区では助役から転身した区長が3代にわたって続いてきたという事情もあった。
「情報公開が不足」
「自分は多選を抑制するが、今回争点にするつもりはない」。
川松氏は3月末の立候補表明の記者会見でそう答えていたが、17日の出陣式では「役所は区民一人ひとりの味方であるべきなのに、内向きになっている」と、区民への情報公開の不足を指摘した。
告示前の支援団体の集会で、新潟県中越地震で被災した旧山古志村の村長と対談し、リーダーシップと情報発信力のある区長による「新しい墨田づくり」を訴える。
「民間から区長を」
桜井氏は「4選阻止」を掲げ、出陣式で「『助役から区長』の繰り返しで癒着が生まれなかったらおかしい。流れを断ち切るには区長を民間から選ぶしかない」と訴えた。一般会計1千億円強のうち扶助費と人件費が半分近くを占め、基金残高が23区で最下位という厳しい区財政の中、スカイツリー偏重の政策から、保育園や特別養護老人ホームの充実など「身の丈にあった区政」を掲げる。
「多選の弊害除く」
「大震災がなかったらスカイツリーを中心に街づくりを進める決意だった」。現職の山崎氏は10人を起す区議選候補者が駆けつけた出陣式の第一声でそう切り出し、防災対策に重点を置くと強調した。木造住宅密集地区で、住宅建て替えを助成する不燃化促進事業など、全国に先駆けて取り組む施策をアピール。
多選批判について告示前「弊害は必ずある。そうならないよう認識して努めれば、取り除くことができると思う」と自戒を込めて述べた。
「暮らし寄り添う」
東京空襲犠牲者遺族会事務局長を務める牛山氏は「3月11日の被災地の惨状を見たとき、66年前の3月10日の本所地域の惨状が重なった」ことが3回目の挑戦につながった、とスカイツリーを建物越しに望む選挙事務所前で話した。防災施策として現職が強調する「自助・共助」による意識づくりを「自己責任型で区民に冷たい区政」と批判。「住んでいる人の命と財産を守る、暮らしに寄り添った区政」を訴える。(小渕明洋)
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この記事へのコメント
1. Posted by みるる 2011年04月19日 11:39

震災発生想定訓練じゃなくても
東海村原発は鳩山元総理指揮のもとで行いましたが
当時菅直人も大臣だったはずです
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%85%E7%9B%B4%E4%BA%BA
科学技術担当とか何かやっていたはずですが
東海村原発避難訓練も寝ていた?
http://www.chiaki.gr.jp/blog.php?y=2009&m=12&d=22
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/1678/TOKAI.HTM
の教訓もあって大掛かりな避難訓練をしています
全部の避難訓練の間携帯で遊んでいたのでしょうか?
2. Posted by 背番号21 2011年04月24日 08:36
