2010年03月08日
文民統制に政治の自戒が不可欠(佐瀬昌盛氏)
今問題になっているのは、選挙で選ばれた政治家が文民統制のトップとして指導するのは良いが、そのための識見を備えているか否かが重要なことである。
5日の参院予算委で普天間飛行場が休戦状態にある朝鮮戦争の再出発に備え日本にいる国連軍の指定基地であるという事実すら鳩山首相と平野官房長官は念頭になかったようだ。それは、ヒゲの隊長こと佐藤正久議員で「そこもわからず移設をうんぬんするのはおかしい」とあきれ顔だったとのこと。
平野氏は「国連軍の形でいるか分からないが座間に国連軍の旗を掲揚している」「正規の国連軍は日本に駐留したことがないと」迷答弁。佐藤正久議員が「7か所あるうちの一つが普天間だと知っていたのか」と聞くと、首相は「教えていただいたこことに感謝する」と、初耳だと認めるしかなかった。(6日、産経新聞を参考)
といくことで、今朝(3.8)の【正論】防衛大学校名誉教授・佐瀬昌盛氏の「文民統制に政治の自戒が不可欠」を掲載しました。
2月10日の陸上自衛隊と米陸軍共同訓練で、陸自連隊長が「同盟というものは、外交や政治的な美辞麗句で維持されるものではなく、ましてや信頼してくれなどという言葉だけで維持されるものでもない」と訓示して、物議を醸した。2日後、連隊長は「注意」処分を受けた。さらにこのほど、この件に関する質問主意書への政府答弁書が出された。
≪首相の軽率発言がなければ≫
政府見解は、連隊長発言が「国家の意思に基づき行われる政治や外交の役割を否定していると受け取られかねず(編注1)」、また、「自衛隊の最高指揮官である」総理のある発言を「揶揄(やゆ)しているという誤解を招く(編注2)ようなものであった」としている。傍点部分の語法に照らして苦心の作だ。
「揶揄」の有無はともかく、連隊長の頭には昨年11月に鳩山総理が普天間問題でオバマ米大統領に語った「私を信じて」発言があった。爾後(じご)の経過よりして、同発言の軽率さについて衆目は一致する。この軽率発言なかりせば、連隊長の問題発言もまたあろうはずがない。この因果関係は誰も否定できない。他面、問題個所を含まずとも立派な訓示はできる。だから、文民統制の原則に照らして、政府が連隊長発言を聞き流すわけにはいかないことも明白である。
かくて前記の「苦心の作」で幕が引かれた。教訓が2つ残された。
その1、自衛官は言論面で節欲が必要。たとえ国民の9割が考え、かつ公言していても、自衛官であるが故に表明を断念すべき事柄がある。文民統制の原則が揺らがないために。
その2、文民統制の主体である政治の側がその重い責任を名実両面で肝に銘ずべきこと。
私の経験は狭いが、第1の点は自衛官にはよく理解できるところ、と確信する。
第2の点を政治が、また国民がよく理解しているか、かなり疑問だ。
鳩山総理、北沢防衛相の名誉のために言うが、文民統制の「名」、つまり名目に関しては2人はよくやっている。「最高指揮官」に職務上求められる各種の儀典出席や訓示などは立派である。他方、19年前に海自掃海艇を湾岸海域に初派遣した際の海部首相、1年半前に自衛隊高級幹部会合への出席・訓示の職務を放棄した福田首相らは、すでに「名」の面で「最高指揮官」失格に近かった。
≪政治・軍事の相互信頼が必須≫
問題は、文民統制の「実」にある。その「実」とは政治による軍事の誤りなき行路指導だ。戦後日本では漠然と文は善、かつ賢で、武は暴(ぼう)、かつ蒙(もう)だと見られている。ならば文民統制は先験的(アプリオリ)に善なのか。否だ。文も暴、また蒙であり得る。民主主義国家では文民統制の代替策がないまでのことだ。
文民統制が無謬でなく大災厄を呼んだ例はいくつもある。民主主義国家ではないが、スターリン、毛沢東はいずれも文民。だが、その軍指導はとくに晩年には暴(粛清)と化した。文民トウ小平は21年前、天安門で人民解放軍に命じて無防備の学生、人民を武力弾圧した。善ではなく暴だ。
文民ヒトラーはワイマール民主制下で合法的に政権を掌握、軍部を完全に統制、戦争指導に失敗、自国民を破滅の淵に導いた。暴、かつ蒙だ。それを阻むべくヒトラー暗殺を策した少数の将校は失敗、刑場の露と消えた。ただ大戦後には、彼らこそが「良心の持ち主」だったと追慕されている。
≪実務的プロに傾聴する姿勢≫
米国第34代の大統領アイゼンハワーは欧州での第二次大戦を勝利に導いた将軍。戦後にコロンビア大学総長に就任したが、2年後に乞われてNATO(北大西洋条約機構)の初代最高司令官として軍務に復帰、さらに2年後、共和党の大統領候補に担ぎ出されて軍籍再離脱、民主党候補に圧勝した。好戦的でないこの将軍大統領は国民的敬愛を集めた。
民主政下の文民政府が国の行路を誤り、職業軍人が祖国を救った実例は20世紀中葉のフランスだ。第二次大戦前夜、第3共和制政府は機甲力強化を進言した陸軍次官ドゴール少将の考えを退け、国境近くのマジノ線構築でドイツの攻撃に備えた。が開戦早々にマジノ線は崩壊、ヴィシーに移った文民政府は不名誉な休戦に甘んじた。職務で英国にいたドゴールは猛然と反発、祖国民に徹底抵抗を呼びかけ、文民政府から欠席裁判で反逆者として死刑宣告を受けた。だが、「自由フランス」を率いたドゴール将軍は連合軍と協力して祖国を解放、さらに後年、大統領としていまに続く第5共和制の基礎を据えた。この将軍大統領なしでは今日のフランスはない。
民主主義日本には文民統制以外の代替策はない。が代替策欠如は、この制度の常時成功をなんら保証しない。なぜなら、政治は軍事のプロではないから。文民統制下で国の安全を全うするには、指導者に当たる「文」が実務プロたる「武」から常時多くを傾聴・吸収する姿勢が必須である。優れた教師が実は教え子に多くを学ぶに似て、それは微妙な相互信頼課程なのだ。それなくして政治指導への制服の信従は期しがたい。政治の自戒を望む。(させ まさもり)
(編注1)=「受け取られかねず」に傍点
(編注2)=「揶揄しているという誤解を招く」に傍点
5日の参院予算委で普天間飛行場が休戦状態にある朝鮮戦争の再出発に備え日本にいる国連軍の指定基地であるという事実すら鳩山首相と平野官房長官は念頭になかったようだ。それは、ヒゲの隊長こと佐藤正久議員で「そこもわからず移設をうんぬんするのはおかしい」とあきれ顔だったとのこと。
平野氏は「国連軍の形でいるか分からないが座間に国連軍の旗を掲揚している」「正規の国連軍は日本に駐留したことがないと」迷答弁。佐藤正久議員が「7か所あるうちの一つが普天間だと知っていたのか」と聞くと、首相は「教えていただいたこことに感謝する」と、初耳だと認めるしかなかった。(6日、産経新聞を参考)
といくことで、今朝(3.8)の【正論】防衛大学校名誉教授・佐瀬昌盛氏の「文民統制に政治の自戒が不可欠」を掲載しました。
2月10日の陸上自衛隊と米陸軍共同訓練で、陸自連隊長が「同盟というものは、外交や政治的な美辞麗句で維持されるものではなく、ましてや信頼してくれなどという言葉だけで維持されるものでもない」と訓示して、物議を醸した。2日後、連隊長は「注意」処分を受けた。さらにこのほど、この件に関する質問主意書への政府答弁書が出された。
≪首相の軽率発言がなければ≫
政府見解は、連隊長発言が「国家の意思に基づき行われる政治や外交の役割を否定していると受け取られかねず(編注1)」、また、「自衛隊の最高指揮官である」総理のある発言を「揶揄(やゆ)しているという誤解を招く(編注2)ようなものであった」としている。傍点部分の語法に照らして苦心の作だ。
「揶揄」の有無はともかく、連隊長の頭には昨年11月に鳩山総理が普天間問題でオバマ米大統領に語った「私を信じて」発言があった。爾後(じご)の経過よりして、同発言の軽率さについて衆目は一致する。この軽率発言なかりせば、連隊長の問題発言もまたあろうはずがない。この因果関係は誰も否定できない。他面、問題個所を含まずとも立派な訓示はできる。だから、文民統制の原則に照らして、政府が連隊長発言を聞き流すわけにはいかないことも明白である。
かくて前記の「苦心の作」で幕が引かれた。教訓が2つ残された。
その1、自衛官は言論面で節欲が必要。たとえ国民の9割が考え、かつ公言していても、自衛官であるが故に表明を断念すべき事柄がある。文民統制の原則が揺らがないために。
その2、文民統制の主体である政治の側がその重い責任を名実両面で肝に銘ずべきこと。
私の経験は狭いが、第1の点は自衛官にはよく理解できるところ、と確信する。
第2の点を政治が、また国民がよく理解しているか、かなり疑問だ。
鳩山総理、北沢防衛相の名誉のために言うが、文民統制の「名」、つまり名目に関しては2人はよくやっている。「最高指揮官」に職務上求められる各種の儀典出席や訓示などは立派である。他方、19年前に海自掃海艇を湾岸海域に初派遣した際の海部首相、1年半前に自衛隊高級幹部会合への出席・訓示の職務を放棄した福田首相らは、すでに「名」の面で「最高指揮官」失格に近かった。
≪政治・軍事の相互信頼が必須≫
問題は、文民統制の「実」にある。その「実」とは政治による軍事の誤りなき行路指導だ。戦後日本では漠然と文は善、かつ賢で、武は暴(ぼう)、かつ蒙(もう)だと見られている。ならば文民統制は先験的(アプリオリ)に善なのか。否だ。文も暴、また蒙であり得る。民主主義国家では文民統制の代替策がないまでのことだ。
文民統制が無謬でなく大災厄を呼んだ例はいくつもある。民主主義国家ではないが、スターリン、毛沢東はいずれも文民。だが、その軍指導はとくに晩年には暴(粛清)と化した。文民トウ小平は21年前、天安門で人民解放軍に命じて無防備の学生、人民を武力弾圧した。善ではなく暴だ。
文民ヒトラーはワイマール民主制下で合法的に政権を掌握、軍部を完全に統制、戦争指導に失敗、自国民を破滅の淵に導いた。暴、かつ蒙だ。それを阻むべくヒトラー暗殺を策した少数の将校は失敗、刑場の露と消えた。ただ大戦後には、彼らこそが「良心の持ち主」だったと追慕されている。
≪実務的プロに傾聴する姿勢≫
米国第34代の大統領アイゼンハワーは欧州での第二次大戦を勝利に導いた将軍。戦後にコロンビア大学総長に就任したが、2年後に乞われてNATO(北大西洋条約機構)の初代最高司令官として軍務に復帰、さらに2年後、共和党の大統領候補に担ぎ出されて軍籍再離脱、民主党候補に圧勝した。好戦的でないこの将軍大統領は国民的敬愛を集めた。
民主政下の文民政府が国の行路を誤り、職業軍人が祖国を救った実例は20世紀中葉のフランスだ。第二次大戦前夜、第3共和制政府は機甲力強化を進言した陸軍次官ドゴール少将の考えを退け、国境近くのマジノ線構築でドイツの攻撃に備えた。が開戦早々にマジノ線は崩壊、ヴィシーに移った文民政府は不名誉な休戦に甘んじた。職務で英国にいたドゴールは猛然と反発、祖国民に徹底抵抗を呼びかけ、文民政府から欠席裁判で反逆者として死刑宣告を受けた。だが、「自由フランス」を率いたドゴール将軍は連合軍と協力して祖国を解放、さらに後年、大統領としていまに続く第5共和制の基礎を据えた。この将軍大統領なしでは今日のフランスはない。
民主主義日本には文民統制以外の代替策はない。が代替策欠如は、この制度の常時成功をなんら保証しない。なぜなら、政治は軍事のプロではないから。文民統制下で国の安全を全うするには、指導者に当たる「文」が実務プロたる「武」から常時多くを傾聴・吸収する姿勢が必須である。優れた教師が実は教え子に多くを学ぶに似て、それは微妙な相互信頼課程なのだ。それなくして政治指導への制服の信従は期しがたい。政治の自戒を望む。(させ まさもり)
(編注1)=「受け取られかねず」に傍点
(編注2)=「揶揄しているという誤解を招く」に傍点




