2009年11月30日

民主政権は小心者の集まり

 論語の研究者でもある立命館大教授・加地伸行氏が、産経新聞(11月29日)の【古典個展】の「民主政権は小心者の集まり」で、「鳩山首相は、他者のせいにして、何の新政策も示しえないのでは、国民はたまったものではない」と批判しています。
 以下、掲載します。


 政府の行政刷新会議による事業仕分けの様子がテレビに何度か放映された。会議はインターネットに公開されており、会場での傍聴も自由とのこと。となると、いかにも民主主義的に話しあい、公明正大であるかのように見える。
 しかし、その質疑応答の様子をテレビニュースを通じて見ていると、約40年前の全国の大学紛争を思い出すのであった。当時、私は名古屋大学助教授として勤務していた。

 元はと言えば、共産党系の学生集団と反共産党(新左翼)系の学生集団との紛争であり両者は敵対していたが、共通の敵は大学当局(実質は教授会)であった。そこで学生らは大衆団交なるものを設営し、三者が複雑な〈子どもの喧嘩(けんか)〉をし続けて終わる。
 その結果、大学は荒涼とした非学問的な〈専門学校〉と化し、騒いだ学生集団は雲散霧消し、今や大学生は〈小児化〉した。紛争は何も産まず、かつての大学にあった古き良きものまで失ってしまって今日に至っている。

 口を尖(とが)らせての弾劾、相手の人格罵倒(ばとう)、数の圧力−大衆団交によって狂暴化した学生はハンターとして教授会に襲いかかっていた。その学生とは、まさに団塊の世代、すなわち現在60歳前後の人たちだった。

 事業仕分け人たちは、団塊の世代のすこしあと。おそらくは団塊世代の気分。当局の各省庁は教授会か。議論は、善(よ)きことは問わず、悪しきことばかりの審問。まさにこれは大学紛争時における、学生集団と教授会との大衆団交の再現ではないのか。このような〈暴力〉による獲得からは、建設的なものは何も生まれない。生まれるのは荒涼とした風景だけであり、騒いだ連中は消えてゆく。無責任のまま。

 このような〈暴力〉が横行するのは、どこかにそれを促す独裁権力があるからである。民主的な発言からではない。
 その独裁権力とは、小沢一郎幹事長に他ならない。今の民主党ならびに民主党政府は、だれが見ても小沢一郎独裁である。

 独裁者の本質は、小心者であることだ。小心だから他者からの批判は認めない。どころか、その他者を恐れて憎んで排除する。そこで小心者リーダーの下には必然的に臆病(おくびょう)な小心者が集まる。その典型が鳩山由紀夫首相である。

 首相の発言には、まるで自分というものがない。自分で決めることがない、いや、決める能力がない。すべて他人まかせである。整理することさえできない。これほど無能な首相はないのではないか。その極致は、自民党原因論である。国会での所信表明演説のあと、谷垣禎一自民党総裁の質問への答弁で、今日の政治の困難はすべて、従来の自民党政治が原因だとした。

 悲劇的かつ喜劇的答弁であった。旧政権の欠点に対して新政権の自分たちは新しい政策で是正してゆくのだ、それはこうだと具体的に言い切って示してこそ新政権の宰相たりうるのだ。それを他者のせいにして、何の新政策も示しえないのでは、国民はたまったものではない。小心者は無責任な小人である。『論語』衛(えいの)霊公(れいこう)篇に曰(いわ)く、「君子は諸(これ)(責任)を己(おのれ)に求め、小人は諸を人(ひと)に求む」と。(かじ のぶゆき)

shige_tamura at 15:35│Comments(0)TrackBack(0)clip!民主党 

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