2009年07月31日

学問のすすめ(福沢諭吉 斎藤孝=訳、ちくま新書)(その1)

学問のすすめ学問のすすめ











 今こそ、私たちは、『学問のすすめ』(福沢諭吉著)を読んで、しっかりしないと諸外国に負けてしまいます。斎藤孝=訳のちくま新書は、現代訳のために読みやすいです。二回に分けて紹介します。一回目は、最初の所を掲載します。

学問には目的がある
人権の平等と学問の意義

「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と言われている。
つまり、天が人を生み出すに当たっては、人はみな同じ権理(権利)を持ち、生まれによる身分の上下はなく、万物の霊長たる人としての身体と心を働かせて、この世界のいろいろなものを利用し、衣食住の必要を満たし、自由自在に、また互いに人の邪魔をしないで、それぞれが安楽にこの世をすごしていけるようにしてくれているということだ。

しかし、この人間の世界を見渡してみると、賢い人も愚かな入もいる。貧しい人も、金持ちもいる。また、社会的地位の高い人も、低い人もいる。こうした雲泥の差と呼ぶべき違いは、どうしてできるのだろうか。

その理由は非常にはっきりしている。『実語教』という本の中に、「人は学ばなければ、智はない。智のないものは愚かな人である」と書かれている。つまり、賢い人と愚かな人との違いは、学ぶか学ばないかによってできるものなのだ。

また世の中には、難しい仕事もあるし、簡単な仕事もある。難しい仕事をする人を地位の重い人と言い、簡単な仕事をする人を地位の軽い人という。およそ心を働かせてする仕事は難しく、手足を使う力仕事は簡単である。だから、医者・学者・政府の役人、また大きい商売をする町人、たくさんの使用人を使う大きな農家などは、地位が重く、重要な人と言える。

社会的地位が高く、重要であれば、自然とその家も富み、下のものから見れば到底手の届かない存在に見える。しかし、そのもともとを見ていくと、ただその人に学問の力があるかないかによって、そうした違いができただけであり、天が生まれつき定めた違いではない。

西洋のことわざにも、「天は富貴を人に与えるのでなく、人の働きに与える」という言葉がある。つまり、人は生まれたときには、貴餞や貧富の区別はない。ただ、しつかり学問をして物事をよく知っているものは、社会的地位が高く、豊かな人になり、学ばない人は貧乏で地位の低い人となる、ということだ。


役に立つ学問とは何か

 ここでいう学問というのは、ただ難しい字を知って、わかりにくい昔の文章を読み、また和歌を楽しみ、詩を作る、といったような世の中での実用性のない学問を言っているのではない。たしかにこうしたものも人の心を楽しませ、便利なものではあるが、むかしから漢学者や国学者などの言うことは、それほどありがたがるほどのことでもない。

shige_tamura at 13:24│Comments(0)TrackBack(0)clip!本の紹介 

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