2009年02月27日
小沢“独裁国家”は危険すぎる(森田実氏)

ところが、『WiLL』4月号で、「小沢“独裁国家”は危険すぎる」というタイトルの論文を書いている。
僕もびっくりした。どうして森田実氏は、小沢一郎を神様といって崇(あが)めていたのが、どうして「小沢“独裁国家”は危険すぎる」と変化したのか。
そこを一度、聞いてみたいのだが?
以下、「小沢“独裁政権”は危険すぎる」をかいつまんで紹介する。
(略)自公連立政権の自己崩壊によって、小沢民主党政権が誕生する可能性が高まってきている。
だが、小沢民主党は「政権を取って何をやるか」を国民に示していない。もっぱら敵失によって政権を取ろうとしている。政権政策なき小沢民主党政権が誕生しようとしている。これは事実上、小沢一郎代表に日本の政治を白紙委任するに等しい。
一人の政治家に政治を白紙委任することは、独裁政治を生み出す。これでいいのか。いまこそ、小沢政治のあやうさを論ずるべき時機である。
(略)(福田首相との)大連立を主導的に仕掛けたのは小沢氏だった。
(略) 繰り返すが、民主党は、政策決定、党運営、人事などすべてを小沢代表に白紙委任している。民主党内の何らのチェックもなく、小沢代表にすべて白紙委任された民主党政権。日本の政治を小沢氏一人に白紙委任して本当にいいのだろうか。
いま、麻生首相とこれを支える自公連立政権に愛想を尽かした多くの国民は、反射的に小沢民主党政権期待の方向に傾いている。麻生政権に絶望した多くの国民は小沢政権の誕生を望み、中央省庁OBの間にさえ小沢政権待望論が広がっている。
だが、私は、いまの日本を小沢一郎氏一人に白紙委任するかのような国民世論の流れに深い憂慮を感じている。
最近、全国各地を回っていると、時々「本当なのか」という話を耳にする。中部地方のある経済団体が次の総選挙の立候補予定者による政策シンポジウムを行おうとしたところ、民主党候補から断られたという話を聞いた。理由は「いまは総合政策に関する与野党間の論争はできない。民主党の総合政策は総選挙で政権を取ってから作成することになっている」というものだったという。
四国のある市長からも同趣旨の手紙をいただいた。「各党候補による政策討論会を要請したら民主党から断られた。民主党の総合政策は総選挙後に政権を取ってからつくる。したがって選挙戦においては総合政策をめぐる与野党論争を受けない」と民主党から言われたというのである。
(略) 民主党政権の総合政策を示さないまま総選挙で国民に支持を求めるのは、国民に対して小沢民主党への白紙委任を求めるに等しいことだ。国民が政党への白紙委任を認めることは、独裁政治を認めることになる。
(略) 私個人についていえば、『世界』2007年11月号の小沢論文を読んで以来、小沢氏の安保・外交理論を批判しつづけてきたが、この間多くの小沢支持者からきびしい批判のメールや手紙をいただいた。ほとんどのメールには同じことが書かれていた――「小沢代表を非難するのは自公連立政権を利する“利敵行為”であり、裏切りである」と。
1952年から58年まで(年齢で言えば19歳から26歳まで)私は日本共産党員だった。1955年の「六全協」後、私は党中央批判者となった。この問、党中央から「党中央批判は利敵行為」との激しい非難を受けた。
日本共産党は一枚岩の民主集中制の原則を組織原理として生きてきた政党である。民主集中制の組織原理を守るため、党中央批判を「利敵行為」として弾圧した。
いま民主党に似たことが起きている。民主党に民主集中制という組織原理はないが、「小沢代表への批判を封ずる」空気がある。これは一種の固定概念であり、独裁である。民主党の小沢氏を核とする一枚岩的政党化に私は深い危倶を感じている。