2009年02月20日

ローマ亡き後の地中海世界(塩野七生著、新潮社)

地中海 この本は上下巻の大著である。
僕は大学でマキャベリを研究していたため、塩野さんの『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』などを読んだ。
 今回、海賊対策の海外調査団の一員として参加するため、品川駅の書店で、この本を見つけ買った。ロンドンに行く間、飛行機の中で二冊読んだ。この本は、調査団の間でも話題となった。
 ローマ帝国後は、秩序なき地中海を支配したのはイスラムの海賊だった。
 この本は、海賊の物語である。

 本で、とくに役に立ったのは「海賊」の定義である。以下掲載した。

 海 賊

 日本語には、集団を組んで海上を横行し、他の船や沿岸に住む人々を襲っては、物を奪ったり人間を拉致したりする盗賊を表わす言葉としては、海賊の一語しかない。
 だが、日本の外では昔から、二種類の海賊が存在したのである。英語を例にとれば、pirateとcorsairに。

 それで英語ならばpirateとなる海賊だが、古代ギリシア語のpiratesがローマ時代になってラテン語のpirataになったものを語源にしている。ゆえにラテン語の長女格のイタリア語では、Pirataと今でもそのままで変わらない。イタリア語や英語以外の他の言語でも、古代のラテン語を語源にしていることでは同じだ。つまり、こちらのほうの海賊は、昔からずっと存在していたということである。

 ところが、corsairとなるとちがってくる。この英語の語源もラテン語のcursariusだが、このラテン語は古代のギリシア語に由来してもいず、と言ってローマ人の言語であったラテン語にも由来していない。ラテン語であることでは同じでも、中世になって出来たラテン語なのである。そして、この中世ラテン語から、後代の西欧諸国の言葉が派生していく。
 イタリア語だとcorsaro
 フランス語ではcorsaire
 英語になるとcorsair
 ドイツ語でもKorsar

 ここでは、中世の地中海世界の主人公の一人であった海賊とは最も深く長期にわたって関係をもったのがイタリア人であったことから、この二種の海賊を表わす言葉としてイタリア語を用いるが、そのイタリア語でも「ピラータ」と「コルサロ」に分れていたのには理由があった。−言で言ってしまえば、
 ピラータは、非公認の海賊、であり、
 コルサロは、公認の海賊、であったからだ。

 前者は、自分自身の利益を得ることを目的として海賊行為に従事する者である。
一方、後者となると、同じように海賊行為は行っても、その背後には、公認にしろ黙認にしろ、国家や宗教が控えていた者たちを指す。ゆえにコルサロとは、公益をもたらす海賊、と考えらていたのである。近世に入ってならば、イギリスの女王エリザベス一世時代のフランシス・ドレークの例が有名だ。

 海賊といえばピラータしか存在せず、それゆえ単なる犯罪者として厳罰に処していればよかったのが、「パクス・ロマーナ」時代のローマ帝国であった。法治国家を認じていたローマ人にしてみれば、たとえ国益につながろうと、罪もない人々を拉致したり、彼らの財産を奪ったりする行為は、許されてよいことではなかったからだろう。この意味の海賊を表わすcursariusはラテン語だが、古代のローマ人のラテン語ではなく、ローマ帝国滅亡後の中世のラテン語であることからして、この史実を証明しているように思える。

 日本語には、ピラータとコルサロのちがいもなくただ海賊という一語しかなかったのは、日本人がローマ人並みの法治民族とはとても言えない以上、コロサロ式の海賊に苦しまされてきた歴史が、日本にはなかったからではないかと思っている。つまり日本人にとっての海賊は、ピラータのみであったのではないか。それゆえか、外国語の日本語訳辞書でも、この両者ともを海賊としか訳していない。

 しかし、辞書を作った人の気持もわからないではない。なぜなら、この二種の海賊は、明確には区別できないケースが実に多いからである。コルサロとして海賊に参戦しての帰途はピラータに豹変し、帰り道にあたった海沿いの町や村を襲って略奪した物や人を満載して、本拠地に帰還するという例は数えきれないくらいにあったのだから。

 これもまた、人間世界を律してきた秩序が崩壊した時代の特色の−つである。単なる犯罪と、大義名分つきの犯罪が分けて考えられ、それに人々が疑いをいだかないこと自体が、法の権威の失墜を意味するからであった。

 この書でも私は、ピラータであれコルサロであれ、「海賊」という−語でしか表現できない。なにしろ日本語には、それしかないのだから。

 そして、最後に言いたい。黒地に白く髑髏(どくろ)を染めた旗を帆柱の上高くかかげて接近する海賊船などというものは、カリブ海の海賊か、いやカリブの海賊でも、小説や映画の上の話にすぎなかった、ということを。


shige_tamura at 10:15│Comments(1)TrackBack(0)clip!本の紹介 

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この記事へのコメント

1. Posted by 香川黎一   2009年02月20日 20:14
5 こんばんは。田村さんの書評、本の紹介をいつも楽しく拝見しています。
私も塩野七生さんの「ローマ亡き後の地中海世界」を買いまして、読んでいます。
私は地方在住なので、大きな書店がないので新刊書の情報が少なく、田村さんのプログの本の紹介は大変役立ちます。
懐事情が厳しいですが、本とお酒にはお金を惜しみなく使いたいと思っています。
これからも本の紹介を楽しみにいます。

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