2009年01月30日
加藤良三氏(日本プロ野球コミッショナー、前駐米大使)の講演、その9

9.歴代大統領にみる二軸
1861年、リンカーンの大統領、ちょうど日本の明治維新の前夜です。その直前にペリー来航、咸臨丸なんかがあって、その時に迎えたのがブキャナン民主党大統領。ブキャナン大統領は、日本からの使節を大歓迎します。ホイットマンが歓迎する詩も作る。
ブキャナン大統領、なぜあれだけ日本の使節を歓迎したか。アメリカの歴史の本には、それはブキャナンの人気があんまり悪かったんで、人気挽回策の一つとして、取るものも取りあえず、極東からの使節を歓迎することでアメリカ国民の目をそらそうとしたとあります。奴隷解放問題については何の決断も出来ず、共和党にこれまでの42代の大統領のアンケートを取ると、大抵最下位にくる大統領。
その人に日本は暖かく迎えられて、日米関係はとてもいいスタートを切りました。歴史っていうのは、得てしてそういうものだと思います。
リンカーンは、史上稀な強権を発動し、南北戦争に勝ち、連邦の統一を守り、奴隷を解放した稀有の大統領である。
アメリカ42代、今43代、その大統領の中で、アメリカの歴史家の多くが、大大統領、真の大大統領として挙げるのは、初代ジョージ・ワシントン、3代トーマス・ジェファーソン、16代リンカーン、それから31代フランクリン・ルーズベルト、それに足すべき名前があるとすれば、レーガンと言う人はかなりいます。
ちなみに今、私が挙げた名前の中にケネディは入っておりません。ケネディはキューバ危機の頃の英雄であったということ。初のカトリックの大統領、アメリカの中でホワイトハウスの編成一つにしても、新しいスタイルを切り開いた。そのオーラが今日まで続いていること、これは事実。
しかし、ケネディの業績ということになると、そもそもキューバ危機だって、ケネディが最初にフルシチョフになめられたから起きたんだという議論もあった。ベトナム戦争の処理も不十分極だったという人もあれば、シビル・ライツ(civil-rights)――公民権法案などでも、後任のリンドン・ジョンソンのほうがずっとちゃんとやったということを言う人もいる。
その辺、私にはよく分からないところがありますが、ただ一つケネディについて言えるのは、野球の例えでいえば、規定打数不足、規定投球回数不足なんです(会場笑)。上院議院も大統領も2年弱しかやってない。そういうことで、大大統領の列には入らないと、こういうことになるわけです。
いずれにしても、農業立国の時のアメリカと工業立国の時のアメリカでは、イシューが違うわけですね。
リンカーンの共和党は1861年から大ざっぱにいえば、フランクリン・ルーズベルトの1932年ですか、まで続くわけであります。間にウイルソンの時代がありますが、このウイルソンという人も、決して大大統領としての評価をされている人ではありません。
われわれが学校で習う国際連盟の創始者というようなイメージとは違って露骨なまでの人種差別主義者であった、間違って大統領になったという人さえいるくらいで、ウィルソンの8年間の民主党時代ってのは、取りあえずわきへ置くと、リンカーンの1861年からフランクリン・ルーズベルトの32年までが、共和党の時代であります。
ところが共和党の中でも、だんだん連邦政府との間で、緊張関係が高まります。大企業がモンスター化し、又、民主党は新たに、都市労働者層に支持基盤を求めます。共和党は大企業と中小企業いづれの側に付くべきなのかといった問題が生まれてくるわけであります。
そして大恐慌の時代がくるわけです。恐慌を共和党はさばき切れなかった。それに第二次大戦の重さが重なるわけです。そういうことで共和党が瓦解して、フランクリン・ルーズベルトの時代になります。
もっともそうなる前に、先ほどの日露戦争の終結に当たって貢献大であり、ノーベル平和賞を授与されたセオドア・ルーズベルト、日本でも人気の高い大統領だと思いますし、アメリカでも人気の高い大統領ですが、彼はまさにそういう共和党の行き方に危機感を持ち、こんなに大企業寄りでいいのかと、共和党はアメリカの将来を見据えた党に変革しなければいけないのではないかということを考え続けた大統領でした。
彼はタフトなら自分の自分の意志を受け継いでくれるだろうと思って後事を託したところ、タフトは期待を裏切って、大企業側に付いてしまった。こういうことがあって、共和党は自らに降りかかってきた時代の要請を処理しきれないまま、フランクリン・ルーズベルトに政権の座を譲るわけであります。
フランクリン・ルーズベルトの政権というのは、大連立政権です。あらゆるものが全部入っている。もちろんニューディールで知られていますから、大恐慌への対応としてそういう政策を投入した。
大きな政府の典型である。労働者、軍人(GI)にはもとよりよかった。しかし同時にあの人、大企業の人にも決して悪くなかったんです。あらゆる人にそれなりに良かった。大恐慌を克服し、第二次大戦に勝つ。
ちなみに、当時の非常に大事なポストである海軍長官、陸軍長官のポストに、フランクリン・ルーズベルトは共和党を登用しているんです。そうやってできたフランクリン・ルーズベルト、途中で亡くなってトルーマンに繋がりますが、大連合政権、大連立政権であるがゆえに、アメリカが第二次大戦に勝って世界一の超大国になると、アメリカの中で分裂が起きてまいります。
大体、使用者と労働者両方にいいという状態はいつまでも続けられるものではありません。人種の解放みたいなのが進む一方で、南部のプアーホワイトを含む白人層との間の軋轢が表面化するのは明らかだし、それからアメリカの中に昔からある二つのタイプ――
一つは非常にきちっとした、あのー、学生でもスーツがきちっと似合って、ブレザーがきちっと似合って、ネクタイもきちっと締めて、髪もきちっとしてる、そういう折目正しいタイプのアメリカ人。
本当は心はあったかいところはあるんだけれども、挙措動作がしまらなくて、行儀の悪いヒッピーみたいなアメリカ人のそりが合わないのは明らかです。農民や都市労働者も、ヒッピー、ビートニック、パシフィストといった人間のことは概して嫌いなのです。こうした対立が逐次明らかになって来る。
その処理に苦労した政権が、続きます。ニクソンが勝った時には、南部戦略と称して、南部で不満を鬱積させている白人層に着目する政策を採用しましたですね。再び時間を飛ばして、レーガンの時代にこうした問題にある種の整理がついて、レーガン流の保守主義が確立されたと申し上げておきます。
彼は、保守主義の基本の一つは、有名な言葉ですけれども、「政府は問題を解決しない。否、政府そのものが問題である」と言いました。前に述べたとおり、同じ共和党初代大統領のリンカーンとは随分違うでしょう?その後、ブッシュ41代になり、クリントンになり、ジョージ・ブッシュ43代になり、今度バラック・オバマが44代大統領になると、こういうことだろうと思います。
その時代のメジャーイシューに二つの党、なぜかあらゆる問題を二人で分けて担当しなければならないその二つの党が、どういう立場を取るかということで、政権、議会、これらの勢力が決まっていく。アメリカの歴史学者が一寸前に書いていたことですが、レストランに入って、メニューAとBがあったとします。
それで、奥さんが、私Aでいいわ、だけどこのメインディッシュのとこだけBの肉にしてちょうだい、ようございます。旦那さんは、おれメニューBでいいけども、最初のスープのところAのサラダにしてくれないかなあと。デザート、ちょっと取っ替えてくれないかな。はい、ようございますと。
こういうことが続いている間に、ある日行ったら、AとBのメニューが逆になっていたということが起こるのがアメリカであります。従って、極右とか、極左とかいうのは別にしまして、大多数のアメリカを見るとき、共和党と民主党ってのは、そんなに明確な仕切り線がひかれていると思わないほうがいいと思います。
共和党政権内にいる人間とどれぐらい人脈があるか、共和党の現役議会メンバーとどれぐらい人脈があるか、民主党の現役議会メンバーとどれぐらい繋がりがあるか、これは意味を成す質問しょうけれども、共和党にしか人脈がないのじゃないか、民主党との間に人脈がないんじゃないかということになると、これは、私に言わせればお笑いであります。両方ともありますよ。
アーミテージっていう有名な人がおりますけれども、アーミテージは真ん中の人ですね。あの人は民主党の人とも、とっても仲良く付き合っています。共和党のタカ派のように思われてますけど、全然違う。
ネオコンという言葉を聞かれたことがあると思いますが、ネオコンってのは、私、最後まで本当の定義が分かりませんでした。ただ乱暴に言えば、ネオコンというのは、国内政策はばらまき、国際政策タカ派、これがネオコンですね。ネオコンの根っこは民主党であります。
チェイニーを「ネオコン」という、とんでもない間違いをどこかで見たことが有りますけれども、チェイニーはネオがつかないコン、パレオコン(paleo con)ですね。彼は根っからの保守である。財政面でも、社会問題の面でも、安全保障面でも、タカ派だと思いますが、分類するときは注意深く見る必要があると思っています。
アメリカはそういう意味で2軸型の国家であると、1軸収斂はしないと、そういう国だと思いました。