2009年01月29日

加藤良三氏(日本プロ野球コミッショナー、前駐米大使)の講演、その8

加藤 昨年11月29日、第43回日本論語研究会での日本プロ野球コミッショナー・加藤良三先生の素晴らしい講演「日米関係―アメリカについて感じたこと―その8」をお届けします。

8.アメリカをなす二つの軸

 第二の特色は、アメリカがバイナリー(binary)つまり、複合型、二軸型―― 地震でいえばエピセンターが二つある国だということ。

 巨大で複雑な国ですが、物事が二つに収斂(しゅうれん)して、二つで整理されるんです。たとえば政党の場合、共和党と民主党です。
 南と北、ペプシコーラにコカコーラ、アメリカンリーグ、ナショナルリーグ。あれだけの多様性、複雑性を持ったアメリカで、あの規模のアメリカなら、イタリア以上の政党の乱立、200ぐらい政党が出来ても不思議はないと思うんですが、なぜか二つです。

 アメリカが一軸だったのはジョージ・ワシントンの8年ぐらいで、あとはずっと二軸型国家ですね。日本は違うと思います。ヨーロッパの主要国も、多くの国がそうじゃなくて、やっぱりこう、ピラミット型の秩序っていうのがきちんとできていることによって、安定感、安心感を持つという感じだと思いますが、アメリカは逆に、軸が二つないと心配な国だという印象があるんです。

 それで、日本ではですね、共和党と民主党について、「在米大使館は、共和党の人脈はあるかもしれないけど、民主党との人脈はあるかね」と、こういう質問を受けるんですけれども、それはありますよ。しかし、「そもそも共和党と民主党を、皆さんどう区別してるんですか」と聞きたくなる時があるんです。

 リンカーンの時代をちょっと思い出していただきたいんですけれどもね、この後、なるべく分かりよく説明はするつもりでおりますが・・・あるアメリカの歴史家が言ったことをまとめると、こういうことなんですね。

 その昔、リンカーンのころを思い浮かべてください。その昔アメリカに、強い中央政府、大きな中央政府、高い税金、意欲的で果断な公共事業、これをやるべきだということを言った政党がいた。この政党はアメリカのニューイングランドの大学のキャンパスで人気があり、アフリカ系アメリカ人の圧倒的支持を受けていた。その党の名は、共和党である。この共和党は、もう一つの政党に対抗するものとしてスタートした政党であった。

 その相手の党とは、税金は低くあるべし、制限された小さい政府であるべし、ということで、東のエリートに対しては大変懐疑的で、中央政府は個人の私有財産なんかのことに首突っ込むなというふうに言い続けた党であった。その党の名は、民主党である。一見今と逆ですよね。イリノイから出たバラック・オバマはイリノイで政治家のスタートを切ったリンカーンを強く意識していると思います。

 そして、共和党初代16代大統領リンカーンと、民主党44代アメリカ大統領バラック・オバマの政策には似通ったところがあって、その間、共和党と民主党の中身は転換している。ロバがゾウになり、ゾウがロバになっているということがあるわけであります。

 レーガン大統領という――共和党の名大統領と評価される人ですが、レーガンの共和党というのは、リンカーンの共和党と逆ですよね。今日か、昨日の、ワシントンポストに出ている記事の中に、オバマの外交政策ドクトリンは恐らくブッシュ41代と似たものになるだろうとあります。

 アドバイザーも共通している。ブレント・スコウクロフトとかロバート・ゲイツ。一番話を聞く人がそういう人たちである。ブッシュ41代共和党政権に仕えた人たちである。そういうことなんですよね。共和党は保守、民主党はリベラル、これもそれほど簡単ではない。そもそも保守って何ですか。保守というときに、アメリカには三つぐらい保守があるんですよ。軍事安全保障面での保守、社会問題での保守、経済財政政策での保守、これみんな保守、一つにからげて、皆共和党というわけには、とってもいきません。

 要するに、アメリカは、森羅万象あまたある問題を、とにか二つの政党で表現してしまおうとするところがあるんですね。

 あらゆる問題を二党で背負い込むわけです。そして、時代とともに何が一番大事なイシューかというのは変わるんですね。
 例えば、アメリカの第3代大統領、今からいえば民主党の祖といえるんでしょうね、トーマス・ジェファーソン。民主党の大統領の代表格といわれますけど、彼のころ民主党という党は、実は存在していなくて、民主共和党という名前だったんです。デモクラティック・リパブリカンなんです。

 あの頃、アメリカはイギリスからの独立ということがまずあって、その上で州のゆるやかな連合がいいか、きちんとした中央政府・中央銀行を持つべきかがイシューでした。トーマス・ジェファーソンはその意味ではリベラルで、場合によってはアメリカ独自の王政だっていいと言っていたハミルトンとは違います。ジェファーソンは小さな政府志向ですのでその点は今の共和党と似てるわけです。

 しかしその頃のアメリカは農業立国なんです。そしてその中心は綿花ですから、コットン・ジンみたいな機械が発明されて、綿花を取り出す能力が増えると、それを処理する労働力も必然的に必要になってきて、だから、奴隷に対する需要が高かったということがあります。だからジェファーソンは、奴隷制の擁護者であり、奴隷は広範に存在するわけです。

 一方、そういうジェファーソンの下で、戦争を通じ、あるいは経済的やりとりを通じて、アメリカの領土はどんどん広がっていくんです。1801年に彼が大統領になってから、1861年にリンカーンが現れるまで、いわゆる民主党の天下なんです。その60年の間、11代でしたかね、ポーク大統領の時、アメリカの領土はカリフォルニアまで達します。そうなると、必然的に、工業化が興ってきますね。グラハム・ベルとかエジソンとか、フルトンとか、それからロックフェラーとか、カーネギーとか、ハインツとか、ハーシーとかキャンベルとかああいうものがですね、そのころに集中して興るわけです。

 農業立国だったアメリカに、初めて消費社会ができてくる。従ってあの、大陸横断鉄道とかですね、土地を開発するためのホームステッド・アクト(Homestead Act)とか色々出て来ます。そして、工業化でいこうという新しい州(准州を含めて)では、奴隷の需要は従来州に比べて高くないわけですよね。

 むしろ、神話のふるさとなき歴史というものしか持たなかったアメリカの中にあっては、逆に自分の国の結束を保つために人権という理念についての敏感さ、思い入れは強烈になりますし、それが今日まで続いています。そういう時代背景の下、アメリカ人の目に、奴隷制というものは良く映らない。そこに登場したのが、リンカーンであった。

 リンカーンは、連邦を割らないという使命を帯びた大統領です。アメリカは、憲法が出来る前から連邦だったのです。南北戦争が起きます。あれは今でもアメリカで一番たくさん死者を出した戦争です。60万人、今の時代に直したら800万人ぐらい死んでるわけです。
 そのリンカーンが、奴隷問題を――まあ、アメリカの人がこういうことを言うと、リンカーンに対して失礼であるとして私を批判すると思うんですが、奴隷問題を政治的に大きなイシューに仕上げて、奴隷問題でごたごたして方針を打ち出せなかった民主党を崩すわけであります。

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