2009年01月28日
加藤良三氏(日本プロ野球コミッショナー、前駐米大使)の講演、その7

7.歴史上の神話の故郷なきアメリカ
米国に戻ります。私は、15年半くらい米国に在勤しましたし、外務省の43年間の生活で、ほとんど何らかの形で米国にかかわってきました。だからといってアメリカを分かっていると申し上げるつもりはありません。
しかし直感的に感じたことをもう一つ申しあげたいと思います。
アメリカは、日本や、イギリスや、フランスや、ドイツや、中国や、インドと違って、歴史が短い、すなわち、自分が帰るべき歴史上の神話の故郷を持たないのです。
日本には神武天皇以来の神話というものがある。イギリスにも「アーサー王物語」というのがある。他の国にもいろいろあります。みんな帰るべき歴史上の故郷があります。
ところがアメリカには帰るべき歴史上の神話の故郷がない。たかだか三百年弱の国の歴史の中で、初代のジョージ・ワシントンだって、まだ現実に見えている人間なんです。神話の故郷はないのです。だから現在価値に生きるしかないのです。
1908年の段階で、アメリカを観察してその趣旨を述べた朝河(あさかわ)寛(かん)一(いち)という碩学がいます。この人は福島県の出身で、最後はイェール大学の教授で終わりました。彼は、日露戦争の時に日本の立場を強烈にアメリカに訴える上で大きな貢献をした人です。
しかし、ポーツマス条約が締結されて後の日本の方向性が、朝河さんが、日露戦争の開戦前に、日本の言い分はこうなんだとアメリカに訴えていたことと全然違う方向に行っていることに危惧をもちまして、アジア政策をめぐって、やがて米国と日本が戦争になるのではないかと1907、8年の時点で懸念し、本にしていた人です。『日本の禍機(かき)』という本で、こういう下りがあります。
ちょっと文体が古いですけどね、アメリカがどういう国かというとこで、「新国なるがゆえに、伝説いまだ、甚だ豊富ならず。且つその多からざる伝説は、多くは人知の推究しうべき歴史的事柄にして」―― つまり、自分たちのそれは歴史的な事実関係であって、「いまだ感情に純化せられている神秘犯すべからざる境遇に達せず」―― 神秘の域に達してないと。
「されば米人の国民的感情は、過去の不可思議伝説によること極めて少なくして、主として証しうべく疑いがたき自国の長所によれりと。例えば建国者の高尚なる人格、史上の重要なる功績、絶大なる富源」―― 富ですね、―― 絶大なる富源と自由なる政体とよりきたる、各人競争の機会の豊富、長足の物質的進歩、世の進歩に対する貢献の年とともに増加せることのごとき、皆これなりというべし。」―― つまり、アメリカというのは、現在価値に、その積み上げにおいて生きる国であると。
「この明白の根拠より来る愛国心が、半ばは神秘の伝説を元とせる愛国心と性質を異にすることのいかに大なるかは、問わずして明らかなるべし」と、こういうふうに言っております。
「既に新国なり。暗々裏に国民の感情を構成する伝説乏し。また民主国なり。人民自ら大統領を選みて、これに国事を委任し、かつその行為を監督、批評せざるべからざる国体なり。」「ゆえに米国の信頼するところは、実に人民の知見、見識にあり、国民の知力、反省力を統合して感情の惰性をためつつ、はじめて国の機関を運転するを得べし。これ、米人が自国を批評するの自由自在なる根本の理由なりと信ず。」―― こういう体制の下で、ジョージ・ブッシュも散々批判されて、それの尻馬に乗っかって、批判する人が世の中には何百万人も何千万人もいると、こういうことでありましょう。
そういう風なアメリカですから、アメリカの学生は、現在価値を高めるために、猛烈に勉強します。この朝河先生の時代からそうなんですが、今でも日本の大学生の比じゃない。私も同じ印象を持ちます。
しかしその結果、もちろんアメリカの嫌なところも出てくる。成績のいい人間はえてしてロイヤー(lawyer)型の人間になりまして、何でも法律、法廷技術的議論で物事を決めてしまおうとする。
人の歴史観とか、深い歴史に根ざした英知とかというものを学ぼうとせずに、この一点という争点を自ら定めて、その一点にあらゆるエネルギーや努力を結集して勝つ。そこで勝つと、全部に勝ったつもりになる。
こういう間違いをしょっちゅう犯しております。だから、チャーチルも言っています。アメリカというのは、本当に大事な時は、正しい決断をする国だ。ただし、その前にあらゆる間違った選択肢を尽くすところが問題だと。
こういう、擬似ロイヤー的発想、物事の処理の仕方をする人間が多いんで、私もうるさくなりまして、彼らに直接言いませんけど、君はおれがおれがとよく言うな、出身地はオレゴンじゃないかと(会場笑)。
そういえばアメリカの国の鳥、国鳥はワシだったなと。首都はワシントンだなと。木の中にエゴの木ってのあるけど、これアメリカの木じゃないだろうなと。ま、そういう感じがするところがあるんでありますが、しかしそういうアメリカの嫌な連中は、案外おだてに弱いわけであります。いやあ、大将偉いとか言うと、ころっと丸め込まれるところがありまして、その辺はこちらも大人の対応をすべきなんだと思いますが。
しかし、そういう、ちょっと嫌なところもあるアメリカなんですが、しかし全体としての変革意欲、自家、自浄化能力、問題をただ提起して、コメントして分析するんじゃなくて、問題を、現実に解決しようとする意欲と能力、これは世界に冠たるものがある。残念ながら国際機関には未だほとんどない、こういうことだろうと思っています。
このアメリカの問題解決能力は、先ほどのシーレーン沿いのアメリカのプレゼンスとともに、私は好むと好まざるとにかかわらず、国際公共財の一面を持っているというふうに思うわけであります。それがアメリカの第一の、特色だと私は思います。