2009年01月17日

加藤良三氏(日本プロ野球コミッショナー、前駐米大使)の講演、その2 

加藤昨年11月29日、第43回日本論語研究会での日本プロ野球コミッショナー・加藤良三先生の素晴らしい講演「日米関係―アメリカについて感じたこと―その2」をお届けします。

2.三度のアメリカ勤務と大統領選挙

 私は、ワシントンに三回、若い頃に短い間、サンフランシスコ(総領事)に、計四回アメリカに在勤しました。

 ワシントンには、一番最初は、1967年から69年 二回目が1987年から90年、三回目が2001年から08年に勤務しました。今イラク戦争などで、米国社会があれている云々と言われていますが、私の印象では、1968年の頃の方がもっと騒然としていました。その年の4月、マーティン・ルーサー・キングJr.が暗殺されます。6月にロバートケネディも暗殺されまして、ワシントンの町の中でも暴動が起きました。

 そのときの駐米大使は、後にプロ野球コミッショナーをやった下田武三という人ですが、大使が森英恵さん一行のためにレセプションをやっていた、ところがだんだん町中が騒がしいという空気が伝わってくるし、きな臭い空気も実際してくるので、パーティを途中で切り上げたこともありました。その夜の内に、マサチューセッツ通りの大使館の広報文化の部局があったところに、ライフルが撃ち込まれて、シェードに当たって、弾が落ちていることが翌朝分かるということがありました。

 その頃は、米国のワシントンやニューヨークでも日本車が走っているのを一台たりとも見たことがありません。
 大使館には寄付された日本車が二台ありました。一台は日産のプレジデントです。もう一台はトヨタのトヨペットです。館員がいろいろな行事に出るために、トヨペットをあてがわれた人は不満で、あの車で出かけたら途中で止まったとか、みっともないとか、小さいとか、相当なものでした。

 勿論、寿司、カラオケ、アニメ、漫画、その種のものはありませんでした。それが1967年から69年の勤務の印象です。

 次の1987年から90年、冷戦の終焉前後です。その三年半の間に、私は、ワシントンは情報の宝庫だなと思いました。
 冷戦が終わる前夜、ワシントンの町には後々、ソ連のくびきから解放されて自国のリーダーとなって帰って行く東欧の人が一杯いました。ポーランド、ハンガリー、チェコの人がワシントンにたむろしていたわけです。また、その人たちを私に紹介してくれる米国の人もいて、その人たちとつきあって、全く東欧を知らなかった私にも、なるほどこういう人はこういう状況でこういう感じを持っているのか、ということで、DNAの刷り込み効果も少しはあったと思います。

 今でも米国は、米国と関係の良くない国、イランも含めて、相当の人材を受け入れているのですね。そういう情報の豊かな鉱脈がある。これが米国だと思いました。そのときの大統領選挙は1988年で、現在の43代目の大統領のお父さんの41代のブッシュさんとデュカキスさんとの戦いでした。

 ブッシュさんがデュカキスさんに勝つときに、最後の切り札に使ったのが、自分は戦争の英雄であった、決して弱々しい男、wimpではないということを古いフィルムを掘り起こしてきてメディアに流したそうです。対するデュカキスさんは、戦車から首を出している姿が、スヌーピーに見えると評されました。ブッシュさんも、一連の先輩大統領の例にならって、戦争につながりのある大統領ということで当選します。

 しかし、彼は一期で負けます、クリントンさんに。
 そのあと、今のジョージ・ブッシュが43代の大統領になりました。
 2001年から08年の大使としての在勤時代は、そのままジョージ・ブッシュの大統領時代と重なるわけです。

 それで今回はご存じの通り、バラック・オバマさんが当選しました。選挙人数ではかなりの差がついたのですが、ポピュラー・ボート(popular vote)は割合い接近していました。
 落選しましたが、マッケインさんもなかなかの人物だと思います。当選していたら72歳という史上最高齢の大統領になっていたわけです。
 しかし、マッケインさんは年を感じさせません。あの人は息子をイラクに送っていますし、三代続く軍人の家庭ですし、決して無責任な人ではありません。

 私の家内がこの4月、米国を去る前にマッケインさんのお母さんに会いました。95歳の双子で、今もお二人とも元気なはずです。
 そのお母さんは三年前、92歳のときに、双子の妹さんとヨーロッパに行きまして、レンタカーを借りようとしたら断られたそうです。「90歳の方には貸せません」と言われたそうです。それなら車を買うわと言って、本当に車を買って、それで二人でヨーロッパ中を、車を運転して帰ってきたという逸話の持ち主で非常に元気です。
 ですから、マッケインさんも年齢というのはそう問題でなかったのかもしれません。

 それとマッケインさんが親近感を与えるのは成績の悪さです。アナポリスを出るときに下から三番だったそうです。下から三番でもよく卒業できたなという衝撃がアナポリスに走ったそうです。勉強はしないし、素行は悪いし。
 それより驚いたのは、彼より下に二人もいたのか!ということだったそうです。先ほど申し上げたフィールド、現場と言うことに関する統率力、人間力というのが次第に認められて大統領候補になったということです。
 これに対し、バラック・オバマという人は全然違う生き方をしてきた人です。お父さんがケニア系の黒人、お母さんが白人、いろいろな血が混じった複雑な環境で育った人であります。
 しかし能力があるということは間違い有りません。ハーバード大学のハーバード・ロー・レヴューの編集長になったということだけでも、すごいことです。大変な知性の持ち主であるという証です。

 その後の彼の政治的な言動、パフォーマンスは皆さんご承知だと思うので詳述しませんが、私は、オバマさん、その側近の人たちをリベラルというレッテルを貼るのは間違いだと思っています。オバマさんもその側近の人たちも多くはプラグマティストであります。オバマさんは、決してドグマティックなところはなく、天動説から最も遠い地動説の人という印象です。

 それは素晴らしい人的素材なのでしょう。米国の中にも、ワシントンの中にも、希望というものが芽生え始めていると多くのアメリカ人が申します。マスコミの多くもオバマを支持していましたから、そういうことになる面があるにしても、雰囲気が実際に変化しているのでしょう。

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