2009年01月16日

加藤良三氏(日本プロ野球コミッショナー、前駐米大使)の講演、その1 

加藤平成20年11月29日、第43回日本論語研究会での日本プロ野球コミッショナー・加藤良三先生の素晴らしい講演「日米関係―アメリカについて感じたこと―」を連載します。これは必見です!

1.はじめに

 ただいまご紹介をいただきました加藤でございます。田村(重信)さんとは、随分長いおつきあい、一言で言えば「戦友」であると思っています。私が米国について感じたことを個人的な感想として申し上げます。これは政府の意見というものではありません。

 日本に帰ってきてから、7月1日付けで野球のコミッショナーになりまして、出来るだけ早いうちにと思って、12球団13球場を視察しました。それぞれの球場でゲームを見たわけですが、今更のようにそういうことなんだなあと思った点があります。

 それは、野球はフィールドに近いところで見るのが良いということです。高いところにある貴賓室で立派な食事などを供されながら見るのは快適かもしれませんが、どうも野球を見るのには必ずしも良い場所ではない。単に下で見ると迫力があるということではないのですね。

 近くで見ると、一つ一つのプレーが、プロ野球のレベルでのプレーがいかに難しいかということが実感される訳であります。逆に言うと、遠く離れた貴賓室で見ると、野球がいかに簡単に見えることかということですね。

 プロ野球の投手は天才中の天才がなるわけですが、よく人間がこういう球を投げるなあという球を投げます、しかしそれを捕るキャッチャーがいる、それを打つバッターがいる、打球をハンドルする内野手や外野手もいる、コーチがいる、それを束ねる監督がいる、アンパイヤがいる、裏にはトレーナーがいる。

 一つのゴロをショートがはじくと、あんな平凡な打球をエラーしていけませんねえというコメントが出ますが、近くで見ているとああいう人が打った打球は簡単にさばけるわけではないなということが分かる。上にあがるとこんなところでこんな凡プレーしやがってとあいつはもうくびだとなる、安易にものごとが見えてします。

 空間、距離的だけではないですね、時間的にもそうです。就任後、WBCの監督を誰にするかを決めなくてはいけなくなりまして、いろんな人に会って話しをしました。求めて会った人もいますし、向こうから会いに来た人もいます。

 プロで一流になった人でも辞めてから時間が経つと、自分がやったプレーが非常に難しいことを忘れて、「自分の時はあんなに簡単にできたのに、何故出来ないのか」、ちょっと訓練が足りない、今の時代のスポーツは甘やかされているのではないかという場合があります。

 当たっているところもあれば、当たっていないところもあると思います。

 時間的にも空間的にも現場というのは非常に大事である。現場に一度も携わらない評論家というのは決して現場に勝つことは出来ません。しかし現場だけで物事がすまないのも現実です。それが役割分担というか、国の体制というものの問題でしょう。
近年の米国の大統領の中で、歴史上評価の高いのは、レーガンとトルーマンです。

 下で仕事をしていた人からの評価が非常に高い。彼らは三万フィート上空、一万メートル上空から物事が見える大統領だったと言われています。そこからしか見えない景色というのがあるのでしょう。三万フィート上空から全体像を把握するリーダーと、現場をきちんと把握する体制、両方がないと世の中うまくいかないということを、野球を見ていて改めて感じた訳です。

 今日の私の話は哲学的学術的ではなくて、一杯のコーヒーを皆さんに差し上げるようなものですが、米国についての雑感を申し上げます。

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