2008年07月31日
米政府地名委員会、「竹島は主権未確定」
今回は「高峰康修の世直しブログ」から
米政府地名委員会、「竹島は主権未確定」を引用しました。
とても勉強になりました。以下が、ブログの記事です。
竹島問題で、米国務省のガイエゴス報道室長が、28日に記者団に対して、米政府機関の「地名委員会」が、竹島の表記を「主権未確定に変更した」と表明した。これまでは「韓国領」とされていた。
日韓で対立が増している(正確にいえば韓国が一方的に攻撃を強めている)折に、さらに、来月初めに予定されているブッシュ大統領と李明博(イミョンバク)大統領との首脳会談を前にこのような発表がなされたことは興味深い。今まで「韓国領」とされていたことがむしろ意外であるが、地名委員会の表記は実効支配を基準にしているようである(尖閣は日本、北方領土はロシア)。
実は、戦後我が国が占領下にあった1950年にGHQは竹島を米軍の海上爆撃演習地区として指定している。平和条約発効後の1952年7月には、米軍が引き続き竹島を訓練場として使用したいとの希望したことを受け、日米合同委員会が日米行政協定(現・日米地域協定)に基づき、在日米軍の使用する海上演習及び訓練区域として竹島を指定した。日本の外務省もその旨告示している。
しかし、同島周辺におけるあしかの捕獲、あわびやわかめの採取を望む地元の要望などを受けて、1953年3月の日米合同委員会で、演習場区域から指定解除された。
なお、李承晩ラインの設定は1952年1月、韓国による竹島の不法占拠開始は1954年6月である。後知恵ではあるが、米軍の演習区域から指定解除してしまったのは痛恨の判断ミスである。
我が国は、こういう歴史的経緯をもっと強く主張してしかるべきであろう。「江戸時代に日本が先に発見していた」とか「1905年の島根県編入は有効であった」というのも重要な根拠なのだろうが、日米安保条約に基づいて演習区域に指定されていた事実は、意外とそれ以上に強い根拠になるのではないかと思う。
僕と高峰康修君の関係について(以下が高峰康修君のブログより)
2008年07月06日
新しい名前をつけていただきました
自由民主党政務調査会・首席専門員で慶応義塾大学講師の田村重信先生に、このブログの新しい名前をつけていただきました。『高峰康修の世直しブログ』です。「君はせっかく真面目な内容を書いているのだから、もっと真面目なタイトルにしなさい」とおっしゃって、わざわざ考えてくださったのです。
米政府地名委員会、「竹島は主権未確定」を引用しました。
とても勉強になりました。以下が、ブログの記事です。
竹島問題で、米国務省のガイエゴス報道室長が、28日に記者団に対して、米政府機関の「地名委員会」が、竹島の表記を「主権未確定に変更した」と表明した。これまでは「韓国領」とされていた。
日韓で対立が増している(正確にいえば韓国が一方的に攻撃を強めている)折に、さらに、来月初めに予定されているブッシュ大統領と李明博(イミョンバク)大統領との首脳会談を前にこのような発表がなされたことは興味深い。今まで「韓国領」とされていたことがむしろ意外であるが、地名委員会の表記は実効支配を基準にしているようである(尖閣は日本、北方領土はロシア)。
実は、戦後我が国が占領下にあった1950年にGHQは竹島を米軍の海上爆撃演習地区として指定している。平和条約発効後の1952年7月には、米軍が引き続き竹島を訓練場として使用したいとの希望したことを受け、日米合同委員会が日米行政協定(現・日米地域協定)に基づき、在日米軍の使用する海上演習及び訓練区域として竹島を指定した。日本の外務省もその旨告示している。
しかし、同島周辺におけるあしかの捕獲、あわびやわかめの採取を望む地元の要望などを受けて、1953年3月の日米合同委員会で、演習場区域から指定解除された。
なお、李承晩ラインの設定は1952年1月、韓国による竹島の不法占拠開始は1954年6月である。後知恵ではあるが、米軍の演習区域から指定解除してしまったのは痛恨の判断ミスである。
我が国は、こういう歴史的経緯をもっと強く主張してしかるべきであろう。「江戸時代に日本が先に発見していた」とか「1905年の島根県編入は有効であった」というのも重要な根拠なのだろうが、日米安保条約に基づいて演習区域に指定されていた事実は、意外とそれ以上に強い根拠になるのではないかと思う。
僕と高峰康修君の関係について(以下が高峰康修君のブログより)
2008年07月06日
新しい名前をつけていただきました
自由民主党政務調査会・首席専門員で慶応義塾大学講師の田村重信先生に、このブログの新しい名前をつけていただきました。『高峰康修の世直しブログ』です。「君はせっかく真面目な内容を書いているのだから、もっと真面目なタイトルにしなさい」とおっしゃって、わざわざ考えてくださったのです。