2008年06月23日
教育再生のために ― 親子で『論語』を素読する気運を(その5)
五、幼少期にこそ論語を
それからもう一点、教育改革の視点として申し上げたい事があります。
それは一流の本物の良い文章つまり古典を子供時代に読ませるという事です。
私も「石塾」というものをやっておりますが、『論語』の素読を子供たちは本当に喜びます。非常に簡潔で名文で短い文章で、なにか立派そうな事が書かれてあるのを子供たちは喜ぶのです。
斎藤孝さんという方が『声に出して読みたい日本語』という本を出しておられます。あの方が言っております。『論語』だけでなく宮沢賢治の詩とか短歌とか百人一首とか子供に素読させた。その中で子供が一番喜んだのは『論語』だったと。
今度、世田谷区で出した「日本語」という教科書では一・二年生の教科書に宮沢賢治の詩と一茶の俳句とか漢詩が出てきます。もちろん『論語』も出てきます。
こういうものは子供には難しい、一般にはそう思われます。それは、大人の錯覚です。そうじゃないのです。子供は、特に四年生位までは臨界期といって、凄い吸収力があります。そういうものをどんどん吸収するのです。確かに、五、六年になると、ちょっと自我が出てきますから、ただ上からさせられると抵抗があります。
しかし、このように、子供時代に本物の古典を教えるという事は、非常に大切なことだと思います。
私も小学校の教員をやっておりましたが、日本の国語の教科書は薄うえに、つまらないものが載っている。たとえば「モナリザ」という詩、「モナリザは私が右に動くと右を見る。左に動くと左を見る。不思議だな」。そんな子供の詩です。(会場笑)。
そんな詩が乗せてある。いいですよ、別に悪いとは言わないけれども、ただでさえ薄い教科書に、そんなものが載せてある。子供達の一番吸収力のある時に、その時間を無駄にして、つまらないガラクタが詰め込まれている。子供が不幸です。
実は先日、『論語』百章の本を読んだ広島の方から電話がありました。幼稚園生だそうです。一緒に『論語』を素読しているそうです。その子が、幼稚園で友達をいじめている子に向かって「己の欲せざるところは人に施すことなかれ」(場内爆笑)。
と言ったそうです。
園長さんがびっくりして、「お宅はどんな教育をしているのですか」という問い合わせが有ったそうです。「家(うち)では子供と『論語』を素読しています」といったそうです。将に至言です。子供にもなんとなくその意味は分かるのです。
とにかくまず、親子で論語を素読してみてはどうか、そうすれば、子供に、ああしろ、こうしろといわずに、基本的な人間としての在り方がわかってくる。出来るかどうかは別として、それが大事だという事です。
いま、阿川弘之の「大人の見識」(新潮新書)という本がベストセラーになっています。最後の章は「孔子の見識」です。「大人の見識」をつけるには、やっぱり「論語」を学べということでしょうか。阿川さん自身、お子さんと、食事前の五分間『論語』を一緒に素読したって書いてあります。
いま慶応義塾大学教授の阿川尚之さんです。
私の本に推薦文を寄せて下さった葛西敬之さん(JR東海会長/教育再生会議委員)も子供の頃にお父さんから『論語』の素読を受けてそうです。
お父さんは高校の国語の先生だったそうです。毎週日曜日にお父さんから『論語』を素読させられたそうです。小学五、六年の時だそうです。お父さんが出張で居ないときはホッとしたそうです。
イヤだったと、正直におっしゃっています。けれども、子供時代に素読を受けたことがで、大人になって経営者として、また国鉄改革をする上で、非常に力になったと、おっしゃっています。
やっぱり、子供時代が大事なのです。
そういう意味で、子供時代に古典中の古典である、『論語』を親と子で素読する。ご飯の前に五分間だけでもいいから素読する。そういう機運が日本中に広がれば。確実に、日本の教育の再生につながると信じています。それは、本当に具体的で、単純な一番分かりやすい教育再生の方法です。




