2008年05月08日

人間 福澤諭吉(松永安左エ門著 実業之日本社)

福沢 慶應義塾創立150年ということで、福澤諭吉に関する本が最近、多く出版されている。
今こそ、一万円札の福澤諭吉の生き方に学ぶ必要があるのでは。

「人間 福澤諭吉」(松永安左エ門著 実業之日本社)には、近代日本の礎を築いた巨人の人間味あふれる逸話を通じて福澤イズムの真髄に迫る人物伝!という説明があった。                 
                          
 本の内容で、これはと思ったところを記述する。


 福澤諭吉はほんとうに偉い。私は今、先生を聖徳太子、弘法大師とならべて、日本開闢以来の三大偉人と呼ぶのであるが、むろん、私以外にも先生を同じにみる人はいくらもあろう。あって然るべしだ。


 慶応に入学して間もなくのこと、私はある日、校庭で教師を見掛けて、すれちがいざま、あわててお辞儀をした。むろん、今までの教師に対する礼と同じに、足を揃えて、ていねいに頭を下げた。

 ところが、それが終わるか終わらぬかに、うしろからポンポンと背中を叩くものがある。誰だろうかと振り返ってみると、六十近い老人がむつかしい顔をして立っている。誰だか判らない。まったく知らぬお爺さんだった。
「お前さんは今、そこで何をしているんだね」
「先生にお辞儀をしました」
「いや、それはいかんね。うちでは、教える人に、途中で逢ったぐらいで、いちいちお辞儀をせんでもいいんだ。そんなことを始めてもらっちゃこまる」
 呆気にとられて、こちらは改めてその老人を見直すと、それが例の着流しに角帯、股引履きに尻っぱしょりという姿の福澤先生であった。これは又、変な初お目見えに、変な叱られ方をしたものだった。
 これが、この際における先生の、お小言めいた初訓戒であった。


 武士は食わねど高楊子といった。封建時代のサムライ気質をあらわしたものである。また、江戸っ子は宵越しの金を持たぬと威張っていた。これも貧乏をしながら金を小馬鹿にした皮相な空景気である。先生にはこの両方ともが気に入らず、欲しいものは欲しい、惜しむべきものは惜しむ。大切にしなければならぬものは大切にするという態度で、ずっとその経済生活を押し通してこられたのである。

 明治時代に入っても、一般の風潮では金をいやしむべきものとした。殊に官途に就き、学問を修め、然るべき地位を占めた連中は、内心そうでなくとも、うわべをそのように気取った。金を大切とも認め、欲しいとも、惜しいとも考えながら、金をザックバランに談ずることを、いわゆる紳士の沽券にかかわる卑事と思っていた。その中にあって、先生は何のこだわりもなく、遠慮会釈もなく、俗中俗に処して、こうした生活態度をつらぬかれたことは、偉大な先生をいっそう偉大ならしめるゆえんになると私は考えたい。

 言行一致の人でもある。自立した人間なら、職業に貴賎を設けず、平等に、気楽に付き合った。散歩の途中、ぼろをまとった人にも機嫌よく、話しかけた。威風あたりを払うための口ひげなどはつけず、しかつめらしい物の言い方も一切しなかった。



 なお、著者の松永安左エ門は明治8年長崎壱岐に生まれ、「学問のすすめ」を読み感動し慶応義塾に入学。その後、電気事業に尽力し、9電力会社への事業再編を実現させ「電力の鬼」と呼ばれた。昭和46年、95歳で死去。

shige_tamura at 11:03 │Comments(0)TrackBack(0)clip!本の紹介 

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