2008年03月21日

米国はどこで道を誤ったか

米国
最近のアメリカの状況は、サブプライム問題を発端とするドル安、株安によって金融不安が高まっている。その上に、アフガニスタン、イラクでの戦争を継続中である。
 どうしてこうした状況になるのだろうが。

 1974年に、世界最大のミューチュアル・ファンドであるバンカード・グループを立ち上げ、設立以来20年以上にわたり、同社の最高責任者を務めたジョン・C・ボーグル氏は、『米国はどこで道を誤ったか―資本主義の魂を取り戻すための戦い』(同氏著、瑞穂のりこ訳 東洋経済新報社)で次のように述べている。

氏は、「ローマ帝国はなぜ衰退したのか?」について、「市民があくまで物質的な財(パン)を求め、娯楽(サーカス)に夢中になった。人間の値打ちも、欲求も、その所有物の価値も、金で測ることを受け入れた。尊敬され認められることが重要でなくなり、自由、解放、偉大さの理想さえ廃れた。虚栄心だ。」と述べている。


米国のパンとサーカス

 「新世紀が始まり、米国に米国流のパンとサーカスが現れた。それが古代ローマのパンとサーカスと同じでなかったのは、意外ではない。だがパンとサーカスが登場したことに変わりはない。パンの大部分は、大衆をおとなしくさせるためでなく、ごく一握りのエリートに向けられた。例えば企業のCEOや、有名スポーツ選手や、芸能界のスターが、目の玉が飛び出るほどの報酬を稼いでいる(ローマ帝国とそっくりだ)。1998年から2000年にかけて、株式市場のバブルが呆れるほどの富を生み出し、パンはますます膨れ上がった。企業の上級幹部や、野心的な企業家や、向こう見ずな投資家や、投資銀行や、金融業者や、他人の資産を運用するマネジャーが懐を膨らませた。」

「サーカスも繁盛している。米国最大の競技場、ミシガン大学のスタジアムでさえ10万7501人しか収容できないが(32万人を収容した古代ローマの大競技場「キルクス・マクシムス」の3分の1だが)、テレビの画面を通じて、米国のスポーツやエンターテインメントは世界数十億人の視聴者に提供されている。株式がエンターテインメントになって、おそらく米国最大のサーカスは金融市場だろう。」と分析している。

 また、氏は「わたしの批判的な目でみれば、欲や、利己主義や、実利主義や、浪費がありすぎる。わたしからみれば、この国の経済は、「持つ者」にばかり焦点を当て、「持たざる者」をないがしろにし、困窮する人々に国の資源が配分されていない。貧困の問題が解決されず、質の高い教育が万人に行き渡っていない。またわたしの目からみれば、米国人は世界の天然資源をとんでもなく消費している。資源は次世代に伝える神聖な預かり物ではなく、浪費するためにあると思い込んでいるとみえる。またわたしの目からみれば、政治システムが献金にまみれて腐敗している。政治献金は、ありていにいって、何の見返りも求めない公正無私の市民から提供されることはめったにない。」とも述べている。


株式会社アメリカはどこでおかしくなったのか?−「病的変異」
 
 それは、「問題の根には、ごく広い意味で社会的な変化がある。神話学者のジョセフ・キャンベルはこれをこう言い表した。「中世のころ、都市に近づく旅行者は聖堂に目を奪われた。こんにち、都市に近づいた者の目を奪うのは商業の塔だ。右を向いても左を向いてもビジネスしかない」。こんにちの社会は、キャンベルのいう利益至上主義社会となった。ただし、重視すべき点を取り違え、実質より形式を、徳より名声を、功績より金を、人格よりカリスマ性を、永続より束の間を追い求めている。天の神より富の神を求めさえしている。」

(略)

 「英国のユダヤ教首席ラビ、ジョナサン・サックスはこう語っている。「重要なもののいっさいが金で売り買いされ、都合が悪くなったら約束をほごにでき、ショッピングが救いとなり、広告文句がお題目の代わりとなって、いくら稼いで消費したかで人間の値打ちが測られる。そんなとき、市場はそれが、そもそも拠り所としてきた価値を破壊している」。

(略)

 「資本主義が機能するためには、人々が信頼する構造、拠り所とする価値体系がなければならない。なにも『少女パレアナ』並みに、人間はみんないい人だと固く信じる必要はない。だが約束や義務は、いったん生じれば必ず守られるとの確信がなければならない。また大体において、一部の人を優遇するために他の人が犠牲にされることはないとの信頼もなければならない。資本主義を繁栄に導くのはこうした要因にほかならない。」

と述べている。
(略)
 ケインズはこう警告している。「国の資本形成がカジノでの活動の副産物になるとき、まともな成果は期待しにくい」。

以上の反省が本に書かれていた。



 ところで松尾芭蕉は、「不易流行」と言った。不易とは、時代がどう変わっても一貫している詩の心で、流行は、そのときどきの時代感覚。この二つが両立すれば立派な俳句となる。
 辞書には、不易は、かわらないこと。不変。
 流行は、流れ行くこと。急にある現象が世間一般にゆきわたり広がること。「伝染病が―する」。衣服・化粧・思想などの様式が一時的にひろく行われること。はやり。「―の先端をいく」「―作家」とある。

 最近のアメリカと日本は、不易を忘れ、流行だけを追い求めているようだ。


shige_tamura at 13:34 │Comments(1)TrackBack(0)clip!本の紹介 

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この記事へのコメント

1. Posted by congeniality    2008年03月25日 11:15
大変面白い記事で興味深くよませていただきました

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