2008年02月22日

現代に通じる孔子の『論語』

船自民党「日本夢づくり道場」での茂木健一郎(脳科学者)先生の「講演」
 脳の「決断力」を鍛える方法
―「偶有性」こそが脳を活性化させる―          
が、昨年12月11日に行われました。
その中で、現代に通じる孔子の『論語』についての箇所を掲載します。
なるほど、と思いました。

                              
 現代に通じる孔子の『論語』


 脳科学を考える上で最も重視すべきテキストは、実は『論語』です。
 孔子の論語というのは実にすばらしいテキストで、あの中に書かれていることは本当に奥が深い。
 皆さんもご存知だと思いますが、論語というのは孔子が亡くなってから二百五十年後に書かれたものです。二百五十年前にどうも孔子という人がいて、こういうことを言われていたらしいということをまとめたものなのです。
 例えば、今から二百五十年後に「武部(勤)さんと言う方がいらして、こういうことをいわれていたらしい」とまとめたようなものなのです。そういう成立を考えただけでも、論語には非常に深いものを感じます。
 
 あの中に「七重従心(七十而従心所欲 不踰矩)」という言葉があります。
 「七十従心」は何かというと、例の有名な「吾十有五にして学に志す(志学)、三十にして立ち(而立)、四十にして惑わず(不惑)、五十にして天命を知り(知命)、六十にして耳に従い(耳順)、

 七十にして心の欲する所に従いて、矩を踰えず(従心)」というやつです。私は四十五歳ですけれども、まだ惑ってばかりいます。これは見方によっては、恐ろしい言葉です。
 七十歳になったら自分の欲望の赴くままに行動しても矩を踰えず、倫理規定を踰えないようになったと。これは究極の理想ではないですか。七十になったら、茶室の柳柱みたいに枯れて、欲望も何もなくなったという意味ではありません。
 だいたい、聖人君子というのは欲望ギラギラですから。その欲望のおもむくままに行動しても矩を踰えなくなった。あの孔子が論語で言っていることは恐ろしいことですね。
 ある意味、これは政治に携わる方々の理想像だと思います。


shige_tamura at 12:49│Comments(0)TrackBack(0)clip!日本論語研究会 

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